第十六話 ペルセウス
ゆっくりと閉じていた瞳を開く。広がる世界は絶望の渦巻いていた世界。闇に支配され、化け物が立つ世界。
それがどうだろうか。握る拳が、地を踏みしめる足が、身に纏うスーツの鼓動が。そのどれもが、絶望という言葉をいとも簡単に別の色へと変えていく。
「……ふぅ」
心は晴れ渡り、迷いもない。ただ純粋に、嬉しい。そしてそれは、脳裏に響く彼女の声も同じだった。
『和真……ありがとう』
助けてくれて。
そんな彼女の想いが言葉にせずとも伝わり、和真も同じように自分が纏った彼女に伝えた。
「こっちのセリフだ。ありがとうな、ソフィ」
『……ドロリコン』
一体となった身に、彼女の照れが理解できる。思わず和真も照れくさくなって鼻頭を掻き、小さく噴き出した。
ひとしきりに笑った後は、和真は拳を正面に突きだす。突きだす拳はもう、御堂和真の拳ではない。突然変異種の拳でもない。
正義の味方の――最強の拳だ。
「言いたいことも色々あるが、全部後回しだソフィ。先にみんなを助ける!」
『イエス、マスター!』
彼女の強い肯定の言葉に、和真は腰を落とした前傾体勢に。
視線の先で未だに驚きを露わにしたままの大吾を見て、和真は口端を吊り上げた。
「ここからが本番だ。心配ない。つまらないなんて言う暇も与えないからさ」
「く、くっそがぁ!」
文字通り正義の味方へと姿を変えた和真の目の前で、大吾が迷うこともなく自身を完全に変異させた。
大吾の身体がみるみる膨れ上がり、筋骨隆々としていたその肉体は一瞬で和真の背の倍はあろうかという巨体へと変貌する。ヘドロのように溶ける身体から太い触手が伸び、蠢いた。
「たかが変身したぐらいで、俺様に勝った気になってんじゃねぇ!」
雄叫びと共に大吾の触手が一斉に和真へと鋭く伸びる。
『マスター、来る!』
「見えてる!」
ソフィの声に、和真は地面を蹴った。蹴りつけられた地面は大きく抉れ、跳躍した和真自身も驚く勢いで天井が迫る。
「っ!?」
自身でも想定しない脚力に、和真は慌てて躱した触手の一本を掴みとり、天井へと激突する寸前でなんとか体制を整えた。そのまま地面を蹴った両足で、和真は天井へ着地する。衝撃を殺すことはできず天井は砕け、掴み取っていた触手を無造作に引きちぎり、のた打ち回る大吾の本体へと着地した。
「テメェ、人の頭に乗ってんじゃねぇ!」
周囲を覆うようにして頭上から迫る触手の束に、和真はニヤリと笑って正面に飛び出す。触手の合間を縫って容易く逃げ出した和真とは裏腹に、大吾は自らの身体に触手を突き立て、絶叫を上げた。
「オアアアアアア!?」
のた打ち回る大吾から距離を取って着地した和真の脳裏に、ソフィの声が届く。
『マスター、もうわかってるとは思う。敵の攻撃パターンの大半は触手による中距離戦闘』
「あぁ」
『似たようなタイプとの戦闘記録がある。触手の届く距離を測っての遠距離戦。機動力を生かして飛び込む近距離戦。マスターは当然――』
「近距離戦闘ッ!」
タンッ、と。和真は大吾の視界から消えた。
「グうっ!?」
突き出した拳が大吾の巨体にめり込む。衝撃にはじけ飛ぶヘドロが廃墟にまき散らされ、大吾は呻き声を上げながらも、和真を触手で狙った。
『マスター! 触手の攻撃範囲は確かに三次元全部! でも、躱せばその返りは遅い!』
ソフィの指示を反芻しながら、和真は迫りくる触手を躱し続ける。
『何より、敵は触手を無限に生み出すタイプじゃない! 変異した際に生れる触手しか攻撃手段に使えない――だから!』
握っていた拳を開く。指先をピンと伸ばして揃え、手刀に変えた。眼光鋭く和真は右肘をそのまま左頬まで引きつけ、腰を落とす。そして、
『蹴散らせば、マスターを止めるものは何もない!』
ソフィの叫びと共に、和真は構えた右の手刀で迫る四本の触手と断ち切った。千切れ飛ぶ触手が体液をまき散らし、辺りに転がりぴたりと動きを止める。
構えていた腕を振り払い、和真は身体をまっすぐと起こした。隙間から差し込む月明かりが和真の銀色に染まる髪を照らし、ガラスの割れた窓から吹き込む風が純白の外套を結ったりと揺らす。
離れた場所で拘束されるベルイットと桐子も、そんな和真の姿に目を奪われた。
彼らとは対照的に慌てる大吾は、残った細い触手をあちらこちらに投げ飛ばしていたアンチヒーローの怪人達の背に突き刺す。
すると、
「――――――」
倒れていた怪人達が幽鬼の如く立ち上がり、和真の前に並び立ちふさがった。ゆらゆらと揺れる怪人達の背後で、大吾が愉悦の叫びを上げる。
「ヒャハ、ハッハ! こ、これでどうだってんだァ、あぁ!?」
その声と共に、和真の目の前に立つ怪人達の顔が和真に向いた。次の瞬間、十数体の怪人達が一斉に和真のもとに飛び込んでくる。
『マスター、背後から! 飛んで!』
「おうッ!」
ソフィの迷いのない指示に和真は疑うことなく跳躍。背後から飛び込んできた怪人の拳を躱し、そのまま後方宙返り。飛び込んできた怪人の頭を遠慮なく蹴り飛ばした。
『次、左右からくる!』
「見えてる!」
宙にいる和真の左右から二体の怪人が迫る。こちらの動きを止めようと腕を伸ばした怪人の様子に、和真は宙でさらに身体を捻った。
力強い音をたてて外套が揺れ、左右の怪人の伸ばした腕を掴みとる。両サイドから隙を狙った怪人達を腕を自分に引きつけ、その勢いのままに回し蹴りを決めた。
仰け反る左右の怪人達を無視して逆立ちするような形で地面に着地した和真は、すぐさま両手で器用にバランスを取り、正面にいた怪人の顎を蹴り飛ばす。
『マスター、まだまだくる!』
「スピードあげるぞソフィ!」
『イエス、マスター!』
大吾の触手に操られる怪人達が次々と和真の元へと飛び込んできた。だが、和真は不敵に笑ってその全てを次々と叩き伏せていく。
頭を掴み、地面に押しつぶす。
蹴りを受け止め、別の怪人に叩き付ける。
拳を躱し、カウンターを顎に決める。
振り下ろされた鉄パイプを両手でたたき折り、がら空きの腹に蹴りをめり込ませる。
「なんだよ、何だよこの化けもんは……!?」
慄く大吾の目の前で、和真は最後の一体の怪人を叩き伏した。
冷静さを欠いた大吾の指示は単調で、怪人達の動きも遅い。何より、今の和真にはまさに背後に目があるようなものだった。
『……褒めないこともない』
「素直に褒めろよそこは!」
憎まれ口を叩くソフィの声。彼女を身に纏う和真は、自分でも信じられないほどの力が溢れているのを感じていた。普段押さえつける能力をそのまま、ソフィが完全に制御してくれているのだ。その上で、彼女は自分の弱点を的確にフォローしてくれる。
互いのトラウマを、互いの力で克服する。完全なる一体。
『マスター、敵が狼狽えてるうちに博士とベルを!』
「あぁ、分かってる!」
怖気づいた大吾の脇を素早く駆け抜けた和真は、周囲で触手に捕らわれたまま倒れていたベルイットと桐子を助け出す。彼女達を拘束していた触手を引きちぎり、和真は再び大吾に向かい合った。
そのそばで立ち上がったベルイットが、和真のスーツを掴んで拳を振り上げる。
「和真、ソフィ! 一撃で決めてしまうのじゃ!」
ベルイットの声に呼応するように、地面に座り込んだままの桐子が大きく頷いた。
「見せてやりなさいソフィ! 私の最高傑作の貴女の力を!」
ベルイットと桐子の激励を受け、和真は不敵に笑った。そして、決着をつけるべく大吾に向って和真は拳を構える。
「ソフィ、とっておきは!?」
『右腕、構えてマスター!』
「了解!」
ソフィの指示通りに和真は右腕を大吾に向けて構える。伸ばした右腕を左腕で掴み、右掌を正面に広げた。同時に、ソフィの声が和真の中で響く。
『意識共鳴! モード、流星の槍!』
ヒュンっという風切り音と共に、和真の構えた右腕の正面に粒子が螺旋を描いた。鋭く尖った螺旋はそのまま、和真の右腕へと粒子を吹き出しながら形を持っていく。なおも伸び続ける粒子の螺旋は、銀色の輝きを放ちながら和真の右肩までを覆った。
伸ばしていた右腕はもはや、腕と呼べる代物ではなくなる。
銀色の粒子をまき散らす必殺の槍へと姿を変えた。
『マスター、使い方は!?』
「まっすぐ貫く!」
『完璧!』
「おああああああああああ!」
ソフィの頷きと同時に和真は大地を駆けた。
和真の振りかぶった槍の放つ光に恐れをなす大吾は、慌てて残る数本の触手を和真に纏めてて向けた。しかし、
「止められると、思うなッ!」
袈裟蹴り。
横に薙いだ槍に、触れた触手が光となって堕ちる。一本、また一本と、大吾の足掻きを蹴散らしていく。
飛んで、薙いで、斬って貫いて駆けて踏みつけ、疾駆。
縦横無尽に触手を躱して迫る和真に向って、大吾が悲鳴を上げて叫んだ。
「な、なんだ、何なんだお前はぁあああ!?」
大吾の問いに答える様な形で、和真は最後の跳躍。宙で器用に回転すると、和真の体を覆う純白の外套が大きく揺れた。
そうして和真は右腕に顕現させた流星の槍を、遥か下で自分を仰ぐ大吾に向ける。
「決まってんだろ、俺が、俺達が――正義の味方だああぁぁッ!」
雄たけびと共に、槍ごと大吾の頭上に突撃。
「ああああああああああああああ!?」
振り下ろした槍は轟音と共に大吾の身体を突き抜け、廃墟の床に突き刺さる。衝撃に槍の落ちた周囲の地面が天井に向って隆起し、廃墟全体が大きく揺れた。走る空振が脆くなった外壁と天板を落としていく。
まるでつきものがなくなったように崩れていく廃墟のその中央で、変異していた大吾の身体が槍の光に飲み込まれていった。
そうして残されたのは白目をむいて地面に倒れた大藤大吾の姿。
ゆっくりとあけていく土煙の中で、和真は意識を失った大吾の様子を確認し、ふぅっと息を吐き出して空を見上げる。
言葉にならない思いを胸に抱え、和真は瞳を閉じて呟いた。
「ソフィ。変身解除」
『……イエス、マスター』
彼女の肯定に、和真の纏う純白のスーツが光となって解けた。弾けた光の粒子はそのまま和真のすぐ隣で人の形を為し、少女の姿に戻る。
その身体が色を取り戻し、少女は文字通りソフィへと戻った。
瞳を閉じていた彼女は、胸に和真が渡していた制服の上着を抱きしめたまま顔を伏せてしまっている。
そんな彼女の様子を見て、和真は乱暴に彼女の頭を撫で、笑った。
嫌々をするように頭を振ったソフィは、そのまま顔を上げ、和真と視線を交える。ムッとした彼女の視線に和真は頭をかいた。
「悪いな。こいつと同じ化け物の俺が、お前を奪うことになったよ」
「……っ、かず、まぁ……! うあ、あぁ、ああぁぁ!」
ぶわっと音をたててソフィの瞳からボロボロと涙が零れ落ちる。そのまま抱きついてきた彼女を受け止めた和真は、全身の痛みに顔を歪めるが、背にしっかりと腕を廻して泣き喚くソフィの様子に痛みを押し込める。
「なぁおい、誰か助けてくんない? これ、後になって絶対本人に殴られる気がするんだけど」
「何を言っとるか和真。役得じゃ役得。今を逃せばそやつがお主に抱き着くことなんぞ一生ないぞぃ。どれ、ワシもお主に褒美のキスを裸で――」
「いらない、超いらない!? つか、桐子さん! ちょっと見てないで助けて!」
喜び勇んで背後から首元に抱き着き、そのままうなじにキスを連発するベルイットと、正面から抱き着いて離そうとしないソフィに和真は遠くから眺める桐子に助けを乞うた。
「あらあら。御堂君――ううん。和真君」
「え、あ――」
近寄ってきた桐子が優しい笑みでソフィを見つめるのに気付き、和真もまた小さく微笑んだ。
彼女はソフィを作った本人。自分以上に、今のソフィの様子に想うところがあるに違いないと。
そして、そんな和真の視線に気づいた桐子は、微笑みと共に一言。
「和真君のエッチ」
「それ超台無しなセリフ! めちゃくちゃ台無しなセリフ! なんで今このタイミングでそんなこと言うかな!?」
「だってそうじゃない。いつの間にかソフィの胸元こんなに大きく破れちゃってるし。ほら見てごらんなさいな。下着まで見えちゃってるわ」
「あ、あ、ちょ、ちょっと博士……! み、見ないでロリコン!」
和真にしがみ付いていたソフィの首根っこを掴んで離させたかと思うと、桐子は悪戯っぽい笑みを浮かべてソフィの肌を和真の前に晒した。
今まで意識していなかったが、そういえば助けた時から彼女はほぼ半裸状態。そこに見える小さな丘二つとへその下に見える下着のラインに、和真は鼻を押さえて天を仰ぎ、
「ブハッ!?」
変身前に受けた猛攻と、今更ながらに全身を酷使しすぎた反応でぽろっと意識を失った。




