第十四話 銀色の隠した想い
「はぁ、はぁ、はぁ……」
真夜中の通りを、ソフィは一人駆け抜ける。肌寒さがソフィの白い頬を突き、堪えていた涙に目尻が赤く染まった。
「はぁ、はぁ……わ、私……」
狭くなる通りで、ソフィは思わず振り返って背後を見つめる。だが、そこには誰もおらず、いくつかの街灯が寂しく光る暗い闇が広がるだけだった。
そこに誰もいないことに、ソフィはスカートを握りしめて嗚咽を堪える。
「……来なくて、当然。だって、助けてなんて言ってない」
ひょっとすると追いかけて来ているかもしれないという淡い期待を裏切られ、ソフィは唇を噛んで地面を見つめた。
一人ぼっち。
そんな当たり障りのない言葉がソフィの胸に響く。
「……本物の正義の味方。本物なら、きっと追いかけて来てくれたはず……」
だから、あの青年は本物の正義の味方などではない。本物の正義の味方でなければ、自分の力は決して扱えない。
「……違う。私は……」
今までの自分のパートナー候補の人達は皆、自分との変身を試みて戦う意思を失った。守ろうとする意志を失った。突然変異種になってしまった。それは皆、彼らが本物の正義の味方じゃなかったから。
「違う……!」
故に、あの青年も自分と一緒に変身しようとして変わってしまった。天邪鬼ながらも人を助ける気の良い青年が、自分のせいで化け物になってしまった。
「私は……怖いだけ……!」
脳裏をよぎる映像を必死になって振り払う。
天邪鬼なのは、自分のほうだ。
今までの候補者たちのように、お前のせいで化け物になってしまったと、そう言われるのが怖い。
「和真……、和真、和真ぁ……っ」
名を呼べば心が躍り出しそうになるぐらい、自分はあの青年を知ってしまった。あの青年が、自分がずっと追い求めてきた正義の味方なのだと。そう分かってしまったから、自分は博士の提案を飲み、青年をパートナー候補にすることを決めたのだ。
「でも……絶対にダメ……!」
だからこそ、今になって自分は怖くなった。自分と変身をして化け物になってしまったあの青年は、きっといつか自分を責め立てる。上手くいっていたとしても、下手をすれば自分の中にある記録のように青年がなってしまうかもしれなかったのだ。
それが、泣いてしまうほどに怖くなった。
「う、あ……あぁ……!」
通りの中央で、力なくソフィは崩れ落ちた。両腕で零れた涙を拭い、口から洩れる嗚咽を必死になって呑み込み、唯泣き続ける。
人を助けるのって怖いだろ。
今になって、青年のそんな呟きが痛いほどに理解できてしまった。
「みぃーつけたぁ!」
「え……?」
突然、背後からかけられた声にソフィは振り返る。青年が自分を迎えに来てくれたのかと、そう思って。
しかし、
「ははは! お嬢ちゃん一人か! はは! こりゃ傑作だ!」
ソフィの二倍はあろうかという巨体。暗闇の中でも怪しく輝く金色の髪。耳にいくつものピアスをつけ、黒いパンクな服装に身を包み、吐き気を催す笑顔を浮かべた筋骨隆々の男――大藤大吾が、そこにいた。
「お、大藤……大吾……!」
今更ながらに、この男の存在を思い出す。昨日に協会が取り逃がしたという連絡が入ったことを、この時のソフィは頭の片隅に追いやってしまっていた。
「おっと、逃げてもらっちゃ困る」
「は、放して!」
ソフィの細い腕が大吾の太い腕に捕まれる。軽く片腕で持ち上げられたソフィは必死に暴れるが、大吾の力の前ではまるで意味をなさない。
「嬢ちゃん、教えてくれねぇかぃ? あの時俺をコテンパンにしたクソ野郎のこと」
「だ、誰が貴方なんかに……!」
大吾の額に血管が浮かんで見える。目は血走り、口元からはだらしなく涎。突然変異種の中でも特定の人間にのみ見られる禁断症状。トラウマそのものを、自分自身の興奮剤にしてしまっているのだ。
こうなった突然変異種に、理性を求めることのほうが無理なことをソフィはよく知っている。
「あーそうかいそうかい。それじゃあまぁ、嬢ちゃんで遊ばせてもらおうか」
「……っ!」
大吾の空いた腕が迫り、ソフィは慌てて掴まれていない右腕でスカートを捲る。太ももに巻き付けていたホルダーの中からナイフを抜き取り、そのまま自分を掴む大吾の腕を切り付けた。
だが、
「う……そ?」
「クハハハハハッ!」
斬り付けたナイフが大吾の皮膚に届かない。鋭い光を放つ白刃が大吾の腕に触れてなお、一ミリたりとも進まない。込める力に遠慮もなければ、ためらいもなかった。
それでもなお、ソフィの力は微塵も目の前の男には届かない。
「ぎゃはあハハハハハ!」
信じられないと言った面持ちで口を開けたソフィの目の前で、大吾が下卑た笑みを浮かべた。その目に、もはや微塵の理性も残ってなどいない。
「だーかーらぁ、足りねぇよぉ、嬢ちゃん!」
振りかざしたナイフが素手でへし折られる。大吾の腕はそのままソフィの首元のリボンへと伸び、無理矢理それを引きちぎった。
「きゃああああ!」
宙で振り回されたソフィはそのまま通りの壁に叩き付けられる。
頭を強く打ち、彼女の中の回路のいくつかがショートしてしまう。目の前の一瞬のホワイトアウトに、ソフィは必死になって頭を振って意識を手繰り寄せた。もはや呼吸もろくにできず、意識がはっきりとしない。
「っ……あ……」
「あは、あはは!」
自分の前に影が落ちる。向けられた視線は既に真っ白に変わってしまっており、人間であって人間でないものが、ソフィの目の前で笑っていた。
「い……や……」
情けなくも、ソフィの口から声が漏れる。
自分は正義の味方の変身ベルト。自分は助ける側の存在。そんなことなど分かっていてなお、ソフィの心は無意識に助けを求めてしまう。
「い、やぁ……!」
怖い。一度そう認識してしまえば、もう立ち直れない。大きく破れてしまった胸元の服を掴んで、自分の肩を抱くようにしてソフィは身体を震わせる。膝からは力が抜け落ち、歯はガタガタと音をたてた。
「クハハハ! アハ、あはははは!」
「いやああぁぁ……っ!」
パァンッ、と。ソフィが悲鳴を上げると同時に、暗い通りに乾いた音が響いた。
見上げるソフィの視線の先に、大吾の額に突き刺さった銀色の弾丸が見える。その弾丸もまた、ソフィのナイフと同じように大吾の身体に致命傷を与えることはできずにいた。
「……興ざめだな、おい」
落ち着きを取り戻したのか、低い声で大吾が自分の額に刺さった弾を手にした。
「そ、そこで、何をしている貴様!」
通りの奥にいるのは、若い警察官。その手に消炎を残す銃を構えているのに気付いた大吾は、大げさな溜息をついて頭を振った。
「あ―いけねぇいけねぇ。興奮するとつい我を忘れちまう。なぁ、嬢ちゃん」
「人の話を聞いているのか! 貴様、手を上げておとなしく――」
「あーあ、邪魔しちゃったなぁ。仕方ない……『暴れる』ぞ」
しまったと、ソフィがそう理解するより早く、大吾の掲げた腕がみるみる内に溶けてヘドロに変わる。以前見た時と同じ巨大な太い触手となったその腕が、銃を構えていた警察官を一瞬で捕えた。
「あ、が――」
触手の締め付けに呻き声を上げた警官だったが、そのまま泡を吹いてぱたりと動かなくなってしまう。地面にだらしなく転がった警官に興味を失い、大吾は大げさな溜息をついた。
右半身を変異させた大吾は警官を一瞥し、再びソフィに視線を戻す。
「なぁ嬢ちゃん。嬢ちゃんはなんでも、正義の味方の変身ベルトなんだってな?」
「――――っ」
すぅっと、ソフィの顔から血の気が引いた。自分の身に起こる意味を、ソフィは一瞬で理解する。
そんなソフィの様子に満足いったように口端を歪に吊り上げた大吾が、無遠慮にソフィの胸を鷲掴みにした。
「俺に試させてくんないかな、正義の味方の変身ってやつ。確か、こうだったよなぁ? シグナル・コンタクト……ってな!」
瞬間、ソフィの心臓が跳ね上がる。
心がどれだけ否定しても、プログラムされた動作が無理矢理にソフィの心音を目の前の化け物に合わせていく。重なっていく心音に蹂躙されるソフィは、瞳に目いっぱいの涙を溜め、自身の身体が放つ光から目を逸らした。
「っははは! キタキタキタぜこれぇは!」
愉悦に笑い声をあげる大吾の目の前で、ソフィの発光はさらに強くなる。
不幸にも、目の前の化け物にはこれまでのパートナー候補の人間達のような正義の心なんてない。もとより、精神が異常な化け物なのだ。それゆえに、ソフィ自身が抱える敗北の記録もこの男には意味をなさず。
ソフィにとって初めての変身は――目の前の化け物に奪われてしまう。
「かず、まぁ……!」
奪われる。そう思った時、ソフィは青年の名を呼んでしまった。
これまでずっと、必死になって隠してきていた感情。この一言を叫んでしまえば、自分の中にある正義の味方達を裏切ってしまうことになると。そう思い、隠してきた言葉。
何より、青年にだけは絶対に聞かせたくない言葉。
だが、それが駄目なことだとわかっていても。それが意味のないことだとわかっていても。
「和真……! 和真、和真……ぁ!」
ソフィの身体が粒子に溶け始め、ゆっくりと大吾の身体に吸い込まれ始める。
そうして、もう自分の意識さえはっきりとしなくなったソフィは、生まれて初めて――助けを求めた。
「たす、けて……和真ぁあああ!」
ソフィの悲鳴が辺りに響き――、
「――助けるッ!」
「……ッ!?」
ソフィが瞳を閉じたその瞬間、彼女の胸を掴んでいた大吾の左腕がへし折れた。目で追えないスピードで飛び込んだ青年は、着地と同時にしゃがみ込み、大吾の足を払う。
「ぬっ!?」
バランスを崩した大吾の身体が斜めに崩れる。これを見逃さない青年は、しゃがみ込んだ姿勢をバネに変え、一息にその胴体に中段蹴りを決めた。
「かッ……!?」
突き刺さった蹴りに大吾の身体ががくの字に折れ曲がる。嗚咽すら上げることもできず、大吾のその巨体はそのまま通りを数度跳ねながら吹き飛んでいった。
手近にあった電柱に触手を預ける形で体勢を立て直した大吾は、血の混じった唾を吐き出し、折れた左腕を見て舌なめずりをする。
そうして暗闇の中で顔を上げた大吾は、ソフィを守るようにして立つ青年をみて破顔した。
「ひゃは! この前のクソヤロウ、みぃつけた!」




