第十三話 亜麻色の思惑
夜も遅く、自宅に帰宅した和真は玄関先にある二つの靴を見つけた。
「ん? なんだあいつら、帰ってきてたのか」
時刻は既に夜。自宅の中の明かりもすべて消してある中で、ベルイットにあてがっていた部屋のドアからわずかな明かりが漏れているのに気付き、和真は扉に近づいた。
ノックして彼女に早く寝るように注意しようとした時、部屋の奥からソフィとベルイットの声が聞こえてくる。
『この家を出ると、そういうのかの、ソフィ?』
『……ん』
家を出る。
ベルイットのその声に、和真はドアをノックするのを止め、壁に背を預けて耳を澄ませた。
『今回の変身を失敗して分かった。ロリコンは本物の正義の味方の心を持っていない』
『昨日の変身の失敗で心折れたかの? お主も難儀なものじゃな』
『……うるさい。そんなの、私が一番分かってる。でも、それが一番の方法』
震えるソフィの声に、和真は今すぐにでも部屋に飛び込もうとした。しかし、部屋の中から聞こえるベルイットの言葉に、和真は自身の腕を掴んでドアノブから手を放す。
『和真との接点を失くし、あ奴を化け物にしてしまう可能性を消す、と。そのためには自分がここを去るのが一番じゃと?』
『そう、それが和真にとって一番――』
『随分と笑わせてくれるのぅ。和真にとって、それが一番? あ奴がいつそれを望み、あ奴がいつそれをお主に願った?』
『それは……!』
『ソフィ。お主が何故、協会最新鋭のアンドロイドとして生まれたのか、自分がよく知っておろう』
ベルイットの問いに、ソフィが押し黙ったのがわかる。
そして、そんな彼女の様子を知ってか否か、ベルイットは言葉を続けた。
『過激になる突然変異種による事件に、ヒーロー協会のヒーロー達が倒れ始めたからじゃ。それゆえに、お主には彼らの倒れる様の記録が事細かに記録されておる。それこそが、お主が最新鋭の理由。なにせ、ワシらアンチヒーローの戦闘記録まで搭載されておるはずじゃからの』
『そ、それが一体なんだっていうの!?』
『わからんかの? お主のパートナーになった者達は、お主の心に触れたせいで突然変異種になってしまうのじゃよ。お主は、あ奴を再び突然変異種にしてしまうことが怖い。じゃから、家を出ようと思った。違うかの?』
『…………っ!』
ガタンと、酷い音をたてて和真の傍の扉が開いた。その場を離れることもできずにいた和真と、そこから飛び出してきたソフィの視線が交わる。
「ソフィ……」
「……っ、わ、私は……!」
嫌々をするように顔を振ったソフィは、そのまま和真の脇を抜けて走り去る。和真に彼女を呼び止めることはできなかった。
ただ、彼女に向って伸ばした腕だけが宙を彷徨う。
「さて和真。事情は理解できたかの?」
「……お前は一体、何のつもりなんだ?」
扉に寄り掛かるようにして顔を見せたベルイットが、和真を見上げて笑みを歪めた。
「何のつもりとな? 決まっておる。お主をワシらアンチヒーローに引き抜くためじゃ」
「あいつを傷つけることが、俺を引き抜くことになるってのかよ?」
自分の声が低くなるのがわかる。だが、ベルイットはそんな和真の様子にさえ飄々とした態度を崩さない。
「聞いておった通り、あ奴は『ヒーロー達が倒れる様』を人工知能に記録されておる。とはいっても、それはヒーロー達の戦闘経験の記録に伴う弊害じゃがの。昨日お主が見たものがそれじゃ」
「…………」
「九人。桐子の眼にかなったヒーロー候補がおった。その全員が、ソフィと変身を試みて――結果、心にトラウマを抱えることになった。誰かを助ける、戦う。そんな正義の味方として戦えんほどに」
「突然変異種になっちまった、ってことだろ」
ベルイットの語りに、和真は大きく深呼吸して自分を落ち着ける。一息を吐き出した和真は、ベルイットに向かい合って話を続けた。
「なんで、お前がそんな詳しいことまで知ってる? お前はヒーロー協会の人間じゃない。お前はアンチヒーローの幹部だろ?」
和真の問いに答えるより早く、その場に軽快なメロディが流れ始める。
「ほんに、タイミングが良いのやつなのじゃ」
ベルイットが懐から端末を取り出し、そこに移った連絡先の前を和真に見せつけた。そこにあった名前に、和真は絶句してしまう。
「来栖……博士!?」
来栖桐子。携帯端末の画面に映るのは確かに、ヒーロー協会研究開発部門の所長の名だ。
『もしもし、聞こえるベルちゃん?』
通話がつながり、桐子の声が二人の間で響き始めた。
『あれ、ちょっと、聞こえてるのかしら? ごめんなさい、繋がるってことはそこにいるだろうから一方的に話すわ』
携帯を和真の前に翳すベルイットが、人差し指を唇の前で立てた。黙っていろということらしい。
『まず、結論から伝えておくわね。特別護送車とそこにつけた部隊は全滅。逃がしたわ』
逃がした。その言葉に不穏なものを感じ、和真はベルイットを睨み付ける。だが、彼女も桐子の声に耳を貸し、鋭い視線を端末に注いでいた。
『いい、ベルちゃん。今日は絶対御堂君とソフィとあなたは外に出ては駄目。相手の狙いは間違いなく、あの場にいた貴方達――特に、御堂君のはずよ』
名を呼ばれた和真は、すぐに桐子たちが誰を逃したのかに行き当たる。先週に、自分達が掴まえた突然変異種。全国指名手配の凶悪犯。
大藤、大吾。
『とにかく、絶対に外に出ちゃダメ。特に、ソフィにはきつく言ってあげて。あの子、御堂君との変身の失敗にひどく落ち込んでたみたいだから……。それに、あの子が一番一人で居るのが危ないわ。相手が悪すぎる』
ソフィの名を聞いた時、和真ははっとする。そうだ。彼女は先ほど既にこの家を出て行ってしまった。慌ててベルイットに目配せを投げると、彼女は大きく頷いた。
「聞こえるかの、桐子。すまんが、事情が変わったのじゃ」
『あれ? なんだ聞こえてたのベルちゃん? それで、事情が変わったっていうのは一体どういう――』
ベルイットの差し出した携帯に向って、和真は必死になって問いかけた。
「ソフィが一人で家を出たんです! 彼女がどこにいるか知りませんか!?」
『え、御堂く、ちょっと待って、え!? あの子、一人で外にいるの!?』
「うむ。ちょうど連絡があるちょっと前にの。済まぬが桐子、あ奴の居場所を協会で追ってくれ。わしが追う」
『な、何言ってるの! ベルちゃん一人でどうにかできる相手じゃないのは分かってるでしょう!?』
桐子の慌てる声が強くなる。それほどに彼女がソフィを心配していることがわかり、和真は大きく息を吐き出した。
そして、一言。
「俺が追います。俺なら心配ない。そうでしょう?」
「和真、お主……」
『……いいの? 御堂君もいい加減、分かってるのでしょう? あの子の抱えてる物の答え』
電話越しの桐子の声に、和真ははっきりと答えた。
「分かってますよ。分かってるから、俺が行くんです」
和真の答えに、桐子の言葉が止まる。和真の正面にいたベルイットはふっと笑みを見せ、和真を見て不敵に笑った。
『わかったわ。もとより、私達ヒーロー協会は貴方に正義の味方を求めているんだもの』
「甘いの。和真はヒーロー協会ではなくアンチヒーローに入ることが決まっておるのじゃ」
そう言って笑うベルイットの様子に、和真は苦笑を返した。
『その話も全部あとね。とにかく、今はあの子のことをお願い。指示と連絡はおって出すわ!』
「うむ、まかせておくのじゃよ!」
そこでいったん桐子からの連絡が途切れた。すぐさま端末を懐に戻すベルイットが、和真を見上げて告げる。
「お主の問いに応えるならば、簡単じゃ。わしは個人的に桐子から依頼を受けておるのじゃよ。ソフィが化け物に変えてしまった候補者を押さえるという、役目をな」
「だから、ソフィの事情も協会の事情にも詳しい……ってわけか。どうりでえらく仲が良いと思ったよ」
そう答えて、和真はすぐに歩みを進めた。ベルイットもすぐさま和真のあとを追う。
「さて、どうするのじゃ和真よ」
「決まってる。俺の大っ嫌いな人助けをするんだよ。食わず嫌いはもうやめだ」
「うむ。そういうことであればどれ、ワシも付き合おうて」
そう言ってベルイットが和真の右腕に抱き着く。そのまま体重をかけてくるベルイットの額を軽く小突いた和真は、左腕に走った痛みに顔を顰める。
「あ……」
左腕の肩口の服に血が滲む。先週、自分が大嫌いな人助けをしてできた傷だ。この一週間、なんだかんだでソフィが手当てをしてくれていた傷だ。
「……なぁベル。一つ聞いていいか?」
「うむ。嫁の願いなら何でも聞くのじゃぞ」
「お前は、何のために人を助ける? なんで、見知らぬ誰かを助けようと思う?」
和真の問いに、ベルイットが口元を緩めた。
「そんなもの決まっておる。理屈も感情もいらぬ。ただ、助けたいと思っただけじゃよ。お主と同じでな」




