第十一話 人助けが嫌いな理由
不意に、頬に誰かの手が添えられているのを感じる。重い瞼をゆっくりと開き、気怠さを生命力に変える。身じろぎをすると、添えられていただろう小さな手は離れていき、代わりに聞きなれた少女の声がした。
「目は覚めたかの、和真?」
かけられた声に、急速に和真の意識が覚醒する。見開いた両目が傍に居たベルイットを捕え、和真は彼女に問いかけた。
「ベ、ル? あれ、ソフィや桐子さんは?」
「桐子は今回の件で、協会の上層部に呼び出しを食らっておる。ソフィは今少し席を外しておるだけじゃな」
「あー……」
ベッドから身体を起こして辺りを見回す。見慣れた机に制服、捲った布団を見てここが自宅であることを和真は察した。
だが、そんなことよりも脳裏に焼き付いた先ほどの映像に、和真は自身の掌を見つめる。
そしてこの掌は――やっぱり誰かを助けられるようなものじゃなかったと、和真はそう理解してしまった。
そんな和真の心境を知ってか、ベルイットが椅子に腰かけ和真に状況を語る。
「あの後のお主の身体に特に異常はなかった。せいぜい、精神安定剤の副作用で多少意識がもうろうとする程度と聞いておる。本当はそのままヒーロー協会でお主の治療を続ける予定じゃったが、向こうでもちょっとした問題が発生してのぅ。ワシとソフィで連れて帰ってきたのじゃよ」
「問題って、なんだよ?」
「うむ。まぁ、そっちはお主の知るところではないのじゃよ。それより、お主に聞きたいことがいくつかあるのじゃが」
変えられた話題に、和真の顔が歪んだ。ベルイットに問われるものが何かすぐに理解できたからだ。
彼女から話を振られるよりはと、和真は顔を伏せてベルイットに訊ね返す。
「……変身のときのことか?」
「うむ」
ベルイットの真剣な様子に、和真は伏せた顔を上げる。和真自身、正直なところあの時の変身のことを思い出したくないのだ。しかし、良くも悪くもベルイットはそんな和真の空気を読もうとはしなかった。
「変身に失敗した時のお主の変異は見ておった。てっきりお主は強化型の突然変異種になったと思っておったが……」
ベルイットの指摘を受けて、和真は押し黙る。そして、大きな息を吐き出し、ベルイットの次の言葉を受け入れた。
「本当は、変異型の突然変異種じゃろう?」
「……あぁ、そうだ。俺は強化型の突然変異種なんかじゃない。れっきとした――化け物だよ」
ベルイットの顔を直視できず、和真は視線を落としたままベルイットに語りだす。
「……言ったよな、俺。人を助けるのが嫌いだって」
「うむ。お主にとって口癖のようなものじゃからのぅ」
「正確にはな、俺は『自分から人を助ける』のが嫌いなんだ」
「ふむ。もしやお主、助けを求められることがトラウマなのではなく、『自分から人を助ける』ことがトラウマなのかの?」
さすがに、アンチヒーローの幹部を務めるというだけあって鋭い。和真は嘆息しながら語り続ける。
「覚えてるか、俺が両親を助けて捨てられたって話のこと」
「うむ、覚えておるぞぃ。お主は助けを求めてきた両親を助け、化け物として捨てられたと」
「違うんだよ、ほんとは違うんだ……。俺は……自分から、両親を助けに行ったんだ」
「自分から……じゃと?」
問いかけるベルイットの前で、和真は強く拳を握りしめた。だが、それでも声が震える。頬を涙が伝う。恐怖が全身を支配していく。
「あの人達は逃げろって叫んで、でも俺はそれを聞かなくて。周りの人達が必死になって俺を止めようとした。だから俺は願っちまった。周りの邪魔を振り払ってでも、あの人達を助ける力が欲しいって」
零れだしてしまった想いは自らの内に留めておくことができず、和真は黙って耳を貸すベルイットに向って叫び続ける。
「だから、違うんだ。違ったんだよ! あの人達が求めた助けは、あの人達が車の中で求めた助けは、俺に向けられてなんてなかった! あの人達を助けるために自分から化け物になってしまった俺を見て、あの人達は周囲の他の人に助けを求めた!」
最愛だった家族から向けられた視線。先日、あの小さな少女が見せた瞳より、さらに強い畏怖と恐怖に染まる瞳。
「あの人達は、化け物から自分達を助けてくれって、そう叫んでたんだよ……っ!」
あの瞳を見て、幼い頃の和真の中に全てが産まれてしまった。
自分から人を助けることが――とても恐ろしいことだと。
「和真……」
「はぁ、はぁ、はぁ……はぁ……」
ベルイットに名前を呼ばれ、和真は呼吸を落ち着ける。過呼吸を起こしそうになり、慌てて和真は自らで自分の口を覆い、必死になって震える自分を抑え込んだ。
そうして和真は落ち着きを取り戻し、ボロボロになった顔を服の袖で拭い、ベルイットに苦笑いを向ける。
「……悪い、お前にこういうこと言っても仕方ないんだけどな。忘れてくれ」
そう言って、ベルイットのまっすぐな視線から顔を逸らす。軽蔑されても仕方ない。化け物と揶揄されても仕方ない。自分は本当に化け物なのだから。
だが、ベルイットの次の言葉は、和真の想像だにしないモノだった。
「なぁに心配いらんよ。言ったじゃろ、わし、お主にぞっこん。あい、らぶ、ゆー」
……。
…………。
………………。
「……っは?」
たっぷりの間をおいて、和真はベルイットの前でバカ面を晒した。一瞬何を言われたのか全くもってわからなかった。そんな和真の呆然とした顔を見たベルイットが、満面の笑みで再び言い直す。
「聞こえておらんかったかの? お主、わしにぞっこん。ゆー、らぶ、みー」
「さり気に主語変えてんじゃねぇよ! 全くもって意味が逆になってんじゃねぇか!」
「なんじゃ、聞こえておるではないか。……はっ!? も、もしや今のは、じ、焦らしプレイ!? 女子の恥ずかしがるセリフを、聞いてないふりして何度も本人にわざと言わせて、その恥じらう姿を堪能し、最終的に女子が涙声で抱き着きながら愛を叫ぶ最高難度のプレイ!?」
「それだけ聞くとものすっごい高度なやり取りに聞こえるけど、良く考えると別に全然そんなことなかった!」
腰をくねらせて息を止めて顔を赤く染めたベルイットが、再び先ほどのやり取りのやり直しを始めようとしているのに気付き、和真は彼女の脳天にチョップを決めた。
仰け反るベルイットは床に倒れ、もがきながら和真を非難する。
「ひ、人がせっかく場を和ませようとしておるのに、なんというひどい仕打ちじゃ和真!」
「場を和ませるだけなら、やり取りやり直す必要ないよね!?」
「では、話を戻すかの」
「……んのやろう」
邪悪な笑みを浮かべたベルイットは再び椅子に座り込み、和真はベッドに再び腰かけた。
先ほど前の陰鬱とした気分は既に胸の内から消え去ってしまっており、和真は言葉を詰まらせることなく話を戻した。
「ま、さっきの聞いてれば分かるとは思う。普段は求められたから手を出すって自分に言い聞かせることで禁止語句の逃げ場を作って、何とか変異せずにいられる。だからこそ能力の時間も短いし、助けを求められない限りは能力は使わない」
「それがどうして、今回はあのようなことになったのじゃ?」
ベルイットの問いに、和真はあの時脳裏に焼き付いた映像を思い出す。
「……見ちまった」
「何をじゃ?」
「……多分、あいつが抱えてるものを」
ベルイットが押し黙ってしまう。
そう。和真は今日の変身の際に、ソフィの記憶の一端に触れた。悍ましい光景に触れた。目を閉じれば鮮明に思い出す映像に、和真は確信を持って告げる。
「あれはきっと、正義の味方達のトラウマだ。正義の味方が戦うことを諦めた理由だ。そのトラウマに、必死になって忘れていた俺のトラウマが触発されたせいだ」
「ソフィが抱えておる記録、じゃな」
静かになってしまう部屋の中で、ベルイットがスッと立ち上がって和真に背を向ける。
「とにかく、お主は休んでおるのじゃよ。あのようなことがあった後じゃ。明日も学校があるわけじゃしな」
「けど、ソフィのやつは……」
「あ奴のことは、いずれお主も知る。あ奴がなぜ最新型のアンドロイドでありながら、パートナーがおらんかったのか。なぜ、誰一人としてあ奴と共に戦えなかったのか。なぜ、あ奴は――誰にも助けを求めぬのか」
「……!」
ベルイットの言葉に、和真は息を飲んだ。
「わしや桐子はお主のことを調べることで、お主を知った。じゃが、あ奴は今日までで見てきたお主のことしか知らぬ。和真、お主は自分から自らのトラウマをあ奴に晒す覚悟はあるのかの? 事情を知っているわしらにさえ隠してきた自身のトラウマを」
「それは――」
ベルイットの問いかけに、和真は応えることはできなかった。一度だけ振り返るベルイットは、そんな和真の心の内を読んだのか、ふっと笑みを残す。
「ないのならば、今はあ奴に会うべきではないのじゃ。お主があ奴に向き合えぬように、あ奴もまた、お主にまっすぐと向き合えぬ理由があるからのぅ」
胸に突き刺さる言葉を残し、ベルイットは静かに和真の自室から去っていった。
彼女の背を見送った和真は、ベッドに背を投げて呟く。
「トラウマに向き合う覚悟。あいつが……ソフィが抱えるもの、か」
和真は一晩中、ベルイットの言葉を胸の内で反芻した。




