第九話 求める正義の味方
自宅に戻ってきた和真は、玄関で靴を脱いで鞄を床に下ろす。だが、まだ完治していない左腕の痛みに軽く呻くと、ソフィが和真の服の裾を引いた。
「……怪我の様子を見る。ちょっと暴れすぎ」
拗ねたように呟くソフィの声に、和真は頭を振る。
「いや、別に暴れたつもりはないけどな。別に大したことないから気にしなくていいって」
しかし、この答えがよほどソフィは気に入らなかったのか、いそいそとブーツを脱いでいたベルイットに声をかけた。
「ベル。服を脱がす。手伝って」
「ひゃっほーい! それきた任せるのじゃ! そう言うことならこのワシの黄金の指先で和真を昇天――脱がせまくるぞぃ!」
「お前ら人の話聞いてる!? あ、こら、ちょ! 止めて、脱がさないで! 俺はまだ綺麗な身体のままで、痛い!?」
手際良く動くベルイットとソフィによって、和真の来ていた制服の上着は全て脱がされる。肌寒さに和真が身体を震わせると同時に、ソフィとベルイットが眉をしかめて和真の頬を左右から引っ張った。
「やっぱり傷口、開きかけてる」
指摘するソフィの前で、和真の左腕の包帯が血で滲んでいた。汚れてしまった包帯の様子を眺めるベルイットも顔を顰める。
「うぬ……。包帯も新しく変えねばならんのぅ。それに、和真。お主少し熱っぽいようじゃぞ?」
「そひゃ、上着ぜんぶ脱がされたままにされて寒いからな」
皮肉を返すが、左肩から腕にかけての包帯に視線を注ぐ二人に、和真は頭をかいて立ち上がる。
「とにかく、食事の準備でもしよう。なんだかんだで昼食逃してもう夕食の時間だしな」
そう言って脱ぎ散らかされた制服を和真が拾おうとすると、ベルイットが和真の脇から前に出て、和真の腕を引いた。そのまま彼女は脱がせた和真の上着で和真の両腕をぐるぐる巻きにし、和真の動きを封じてしまう。
「ちょ、お、おい! なにこれ、なにこれ!?」
「ソフィ、動きは止めておいたからの。わしは夕食の支度をするから、お主には和真の看病を頼むのじゃ」
「……言いたいことはあるけど、概ねベルに賛成する。ロリコン、部屋に行く」
「だ、か、ら! 看病なんていらないっていってんじゃん!」
否定するものの、ソフィに固定された腕を引っ張られ、背中に廻ったベルイットが自分を両腕で押してくるため、和真は為す術もなく自室へと追いやられた。
◇◆◇◆
「あの、ちょっと聞いてもいい?」
すぐそばで半目のままムッツリと黙るソフィに声をかけた。その口元が小さく開き、彼女は和真に向かって一言。
「だめ」
簡潔な答えに心折られそうになるが、和真は頭を振って気持ちを切り替える。
「包帯の巻き方、間違ってね?」
怪我をした右肩だけでなく、上半身が既に包帯でぐるぐる巻き。簀巻きにでもされた気分になってしまう。
「とりあえずぐるぐる巻いておけばいい。動くと傷が開くから」
「いや、動かなきゃいいってもんでもないと思うからね、思うからね?」
顔だけ必死になって起こしてみる。両腕は当然の如く動かせず、上手く寝返りもうてない。彼女達の気持ちは嬉しいが、憩いのベッドで憩えない。かゆい頬を掻くことも出来ず、和真はベッド傍でぺたんと座り込んだままのソフィに必死になって声をかけてみた。
「なぁ、これ何とかならないか?」
どうにか両腕だけでも出させてもらえないかと、ソフィに交渉してみる。しかし、彼女は全く折れようとはしてくれなかった。
「ダメ。貴方の怪我は私の責任によるところが大きい。私には貴方の看病をする義務がある」
そう言って頬を膨らませるソフィの様子をおかしくおもいながらも、和真は尋ねてみる。
「看病の意味、ちゃんと理解してる?」
「病になった相手を看取る。看病」
「ちょっと違う! それは何かが違うってばさ!?」
看取られたらこちとら死んでしまう。慌てて身体を左右に振ってみるが、やっぱりびくともしない。
しばらくソフィと言い合いを続けていた和真だったが、唐突に自室の扉が蹴破られ、外から食事を持ってきたベルイットが入ってきた。
「うむ。お主ら、夕食ができたぞぃ」
自信満々のベルイットがベッド傍の炬燵の上に、持ってきた食事を置く。何やら湯気が上がるのはどうやらおかゆらしい。そんな今にも溢れんとするおかゆを持ったベルイットが、スプーンとどんぶり片手に和真に馬乗りになり――ニヤリと笑った。
ぐるぐる巻きにされた和真の背筋が、感じたことのない恐怖にピンと伸びる。
「では和真、このワシが恋人らしくお主にあーんしてあげるのじゃよ!」
「そんな気がした、今絶対そんな気がした! でも止めて、そのシチュエーションはちょっと憧れるけど今は止めて!」
身動き取れない上に熱々のおかゆ。どう考えても嫌な予感しかしなかった。
「何を暴れておるか和真。愛らしいベルちゃんの愛のある看護を受けられるものなんぞこの世界にはお主しかおらんというのに。きゃ、言っちゃったのじゃ!」
「そんな心にも思ってないようなテレが俺に通じるもんか! てか、止めてくれソフィ!」
傍で面倒臭そうに眉をしかめていたソフィが、溜息をついた。
「……仕方ない」
そう呟き、黙って座っていたソフィがひょいっと立ち上がってベルイットの持っていたスプーンを奪う。
「こりゃソフィ! わしの愛を邪魔する気か!?」
「騒がしい愛なんていらない。それに、看病は私の責任。貴方は関係ない」
「何じゃとこのポンコツアンドロイド!」
「そっちこそ何、悪の幹部!」
「おいお前ら! どこで暴れようとして――ゲフッ!?」
何やら腹の上で暴れ出した二人の少女に踏みつけられ、和真の意識が削り取られていく。看病どころではない。文字通り看取られてしまう。
「おい頼む、俺の上で暴れないで! てか、やばいやばいやばい!」
案の定、ベルイットの持っていたおかゆのどんぶりが宙に舞う。
もはやブラックホールに飲み込まれる勢いで、熱々のおかゆが和真の顔面に吸い込まれていき、
「――――――――ッ!」
顔面に落ちた燃えたぎるようなそれが肌に張り付き、和真は声にならない絶叫と共に意識を手放した。
◇◆◇◆
「……ごめんなさいなのじゃ」
「……ごめんなさい」
二時間後、和真は床に正座してしゅんと頭を下げる二人の少女を見て仏頂面をさらにきつくした。
「お前ら、気持ちはありがたいけど、この惨状どうしてくれる?」
そう言って指差すのは自分の顔。頬も瞼も腫れぼったく膨れ上がり、顔だけ蜂に刺された漫画の様になってしまっている。微男子と呼ばれ――美男子と呼ばれていた自分が見る影もない。
「いや、別に美男子ってほどかっこよくもない気がするがの」
「人のモノローグに突っ込みいれるの止めろ。てか、反省してんのか?」
「してますのじゃ」
「うし」
素直に地面に頭をぶつける勢いで土下座したベルイットに、うんうんと和真は頷く。
「あの……ごめんなさい、すこしふざけ過ぎた」
「まぁ、そりゃそうだな。けど、見ての通り怪我はそんなにひどいってわけじゃない。心配しなくても大丈夫だから」
不安そうに怪我をしている左腕を見つめてるソフィの様子に苦笑しながらも、和真は彼女の頭を優しく撫でる。擽ったそうに瞳を閉じたソフィだったが、直ぐに我に返って頭を振って嫌々をした。
「せ、正義の味方の変身ベルトをバカにしないでほしい。わ、私は頭を撫でられたぐらいで籠絡できるような安い女じゃない」
「いや、別に籠絡するつもりなんてないけどな」
「かーずーま! ずるいのじゃぞ! なぜお主はワシの頭は撫でん!?」
「あーはいはい」
抱き着いてくるベルイットを押しのけ、彼女の亜麻色の髪を撫でる。こうしてみると、ソフィとベルイットは実に対照的なイメージだ。
活発な性格でで黒く動きやすい服を好むベルイット。片や、どちらかと言えば静かな性格で白と黒のコントラストが強いゴスロリに身を包むソフィ。
「んー、こうして黙ってれば美少女の類なんだろうな、お前らって」
思わずそんなことを和真が口走ると、ソフィとベルイットのが噛みつく勢いで和真に顔を近づけて怒鳴った。
「失敬じゃぞ和真! 黙ってなくても美少女に決まっておるではないか!」
「失敬すぎるロリコン! 私は美少女アンドロイドとして作られている!」
「わ、悪かった! 思ったこと口に出したのは悪かったから、頬引っ張るな!?」
両サイドから抓られた頬を両手でさすりながら、和真はふんぞり返って座る二人に向かい合った。
互いを睨み付けて威嚇するソフィとベルイットの様子に、和真はふと思った疑問を投げる。
「そういやお前らって、いつから知り合いなんだ? 俺の中のヒーロー協会とアンチヒーローってあんまり仲がいいイメージないんだけど」
「ふむ」
和真の問いに、ベルイットが頷いた。
「どれくらいの付き合いかと聞かれれば、こやつが桐子に開発された時からの付き合いかの。こやつの開発に、アンチヒーロー側のデータを盛り込むという話でワシが同席しておったのじゃ」
「不本意だけど、その通り。一年ちょっとぐらい前の話。よくよく考えると、あの時からずっとこっちの悪の幹部とは行く先々で会う」
「逆じゃソフィ。ワシの目的の場所に、いつもお主がおるだけじゃぞ」
「違う。私と博士が私を扱える人を探しているところに、いつも貴女がいただけ」
「なんじゃと!?」
「なに!?」
「お前ら本当にそのパターン好きだな!?」
ツッコみながらも、和真は二人の息の合い様に舌を巻く。一年も前からずっとこんな調子だったのだろうか。
「そういや、なんでまだソフィにはパートナーがいなかったんだ? 昨日も聞いたけど、ヒーロー協会の人手が足りないのは事実だろ? お前の最新鋭の力だって必要だと思うんだが……」
思ったことを口にすると、ソフィがむっと口を閉じてしまう。彼女の様子に地雷を踏んだかと和真は頭をかいて愛想笑いを浮かべる。
「勘違いしておるようじゃが、こやつは今までに九人のパートナー候補を付けられておったのじゃよ」
「え?」
押し黙って明後日を向くソフィの代わりに、ベルイットが和真の問いに答えた。
「じゃが、誰もかれもが戦うことを放棄したのじゃ。知っての通り、ヒーロー協会が相手取る突然変異種はどいつもこいつも一癖ある犯罪者が多い。ただの人間に、こやつと共に戦う勇気などなかっただけじゃ」
「あー、だから『本物の正義の味方』じゃなかったって、お前はいつもそう言うのか」
「……本物だったら、私と一緒に戦えるはず。ヒーロー協会の求める正義の味方は、突然変異種と戦える人。でも、今までの人は違った」
苦虫を噛み潰したようにソフィが呟く。その言葉に不思議な重みを感じ、和真は言葉を詰まらせた。
「じゃから、和真」
「ん?」
「いうなれば、お主は十番目に選ばれたこやつのパートナー候補というわけじゃ。桐子もそのつもりじゃろうて。もちろん、ワシはお主をこやつのパートナーではなくアンチヒーローに引き込むつもりじゃがのぅ」
「俺が、ソフィのパートナー候補……」
ちらりとソフィに視線を向けると、彼女はまっすぐな瞳で和真を見つめていた。
その瞳が、貴方は本物なのと切実に訴えているのに気付き、和真は返事をすることをためらう。
そんな和真の心の内を読んだのか、ソフィは和真を睨み付ける。
「……博士はそのつもりらしいけど、私は別に貴方を認めてるわけじゃない。貴方は人助けが嫌いって言ってるから。それは、私の求める正義の味方とは違う」
「……そうだな。俺は人助けが死ぬほど嫌いだ」
「そういうこと。それに……貴方じゃ、私を扱えないから」
そう一言残してソフィが部屋を出ていく。彼女の残した言葉を噛み締めながら、和真はソフィの背が部屋から消えていくのを見送った。
「言葉でいうほど、あ奴はお主を認めておらんわけではないのじゃ。むしろ、認めすぎておるのかもしれんのぅ」
「はぁ? どういう意味だよ、それ」
「なぁに、あ奴の保護者その二としての忠告じゃよ。ひょっひょっひょっひょ!」
「……言っとくけど、俺は正義の味方にもアンチヒーローにも入るつもりはないからな?」
「あー、はいはいなのじゃ」
含み笑いを向けてくるベルイットの額を小突き、和真は彼女を連れてリビングへと向かっていった。




