老人たちの夜
「若さ、か。羨ましいの。この身体に刻まれたのは、ただの歲月と、皺だけじゃ。羨ましい、羨ましい」
もはや時間の流れすら忘れてしまったほどに老いた男が、しみじみと語る。
昭和の時代をも知っているというその老人は、美しく鮮やかな平成生まれに、愚痴……というよりは冗談めかして言う。
「いえ、お爺さん。私など、すぐにも散り逝くさだめ。それが良いことなのかは、若輩の私には、わかりません」
「しかし、生まれたからには、散るのがものの道理じゃろう。散り時を逃した老骨には、お前さんがたは眩しすぎる」
「そのような、ものですか……」
それきり、どちらともなく口をつぐむ。
二人の間を吹き抜ける風は、湿り気を含む粘っこい風。
イカンイカン、湿気は禁物じゃて……と老人が呟く。
そう。彼らは、花火。一瞬の輝きを生み出すために作られた、儚くも美しい存在だった。
老人が、ふと周りを見渡す。
色鮮やかな包装に包まれ、買われていく時を今か今かと待っている、若く美しい花火たち。
どの花火の目にも、花火としての運命を全うしてやるという気概に溢れた輝きがあった。
老人にとってその輝きは、自らが昔持ち合わせていた、そしてなくしてしまった輝き。
へび花火として生まれた老人は、なかなか買われていくことが無かった。
古びた雑貨屋の花火棚のそのまた奥の、暗いところ。
そこがへび花火の過ごしてきた、最も長い時を過ごしてきた場所。
若者が買われていく様を何年、何十年と見続けて来た。
ある者は不安そうな顔で、ある者は期待に溢れた顔で旅立っていった。
だが、自分はそうではなかった。
一体、いつから自分は老いていたのだろう。それすらもわからなくなるほどの年月。
もはや火を付けたとて、花火としての役割を全う出来るかどうか怪しいものだ。
そんな自分に出来ることといえば、若い花火たちに思い出を語って聞かせることだけ。
そして今日も、若者は買われていく。……花火として生きるために。
もはや、羨ましいと思うことも無くなった。若者に対して自嘲気味に語ってはいるが、本当のところ、羨ましくなどはない。
ただ若者が、直視できないほど眩しいから、うつむきがちにならざるを得ないだけなのだ……。
先日言葉を交わした若者も、とうとう買われていった。
浴衣を纏った、少年と少女のきょうだい。キラキラとした瞳で花火を物色するその視線に、老人が映ることは無かった。
「行ってきます」
そう言い残して若者は雑貨屋を去っていった。
あの若者のことも、今日を最期に、自分の思い出となってしまうのだろう。
あの派手な飾りの付いた花火は、さぞ美しく燃えて散るに違いない。
いつものことではあったが、どことなく一抹の寂しさを感じるのも、いつものことであった。
今年の夏も、もう終わる。
幾度の夏を越えただろう。あと幾度の夏を越えられるのだろう。
努めて考えないようにはしていたが、夏の終わりを告げる打ち上げ花火が上がる時だけは、その思いに駆られた。
今年も、大きな音を立てて、打ち上げ花火が誇らしげに咲く。
鼓膜への振動と、体幹に響く重低音だけを残して。
その時である。
花火棚が、打ち上げ花火の振動で揺れ動いた。
それは揺れというにはあまりに小さな振動であった。
しかし、少年と少女がかき回して、重心バランスの崩れた陳列棚は、その揺れに対してあまりに無力であった。
もしかしたら、打ち上げ花火の振動ではなく、軽い地震のようなものであったのかもしれない。
だが、重要なのは「揺れた」という事実であり、揺れの原因ではなかった。
落下――。
棚に並ぶ花火たちにとって、それはまさしく異変。
ばらばらと音を立てて花火たちが滑り落ちる。もちろん、花火である彼らは落下したからといってどうというものでもない。
しかし、最奥にひっそりと佇んでいたへび花火にとって、それは天変地異にも等しいものであった。
「おう、おう。いけない、いけない。花火が落っこちてしまったよ」
優しげな声。雑貨屋の主である、お爺さんの声だ。
よっこいしょ、と声を掛けて椅子から立ち上がり、杖をついて棚へと向かう。
花火たちを拾い集め、元通りに陳列する。もちろん、ホコリを払うことも忘れはしない。
と、その時。
老爺の目が、ふと、留まる。
同じく年老いているへび花火をじっと見て、にっこりと笑う。
「なぁんだ……お前さん、まーだ残ってたのかい」
他の花火に比べ、明らかに多く付着しているホコリを丁寧に落とす。
その時、へび花火は一瞬ではあるが、お爺さんの顔に少年の輝きを見た。
それはまさに、老人が子供のころ、へび花火で遊んだ思い出を思い返した表情であった。
「まだ火が点くといいんだけどねぇ。なにせお前さん、古そうだからな」
まあ俺のほうが古いがのう、とお爺さんが苦笑いを浮かべる。
ライターを取り出し、煙草に火を点け、肺いっぱいに紫煙を満たすと、それを吐き出しながらしみじみと呟く。
「へび花火か……懐かしい、のう。打ち上げ花火もいいが、こういうのも風流なものよ」
老人たちが少年に戻る、夏の終わりのほんの一夜のこと……。
(終)




