第3話 親衛隊の存在
「……つっ、疲れた」
俺、伝馬和弥は疲れ切った体を引きずりながら、教務室へと戻ってきた所であった。
早朝から小テストの準備に加えて、三時限連続の授業。
体はクタクタで、自分の机に戻るのもままならない。
でも、残り少ない体力を振り絞って自分の椅子へと体を預ける。
「伝馬先生、随分とお疲れのようですね。大丈夫ですか?」
隣から声が聞こえてくる。
視線を声の聞こえる方向へと向けると、そこには一人の女性の姿。
伊織先生がそこにいた。
伊織先生は初出勤の時からお世話になり、隣の席であるのも相まって、新人である俺のことを良く気にかけてくれていた。
「頑張るのは良いことですけど、無理は禁物ですよ。何か困ったことがあったら、すぐ私に相談してくださいね」
なのでこうやって度々心配そうに話しかけてくれる。
さすがは先生達、生徒達の間で人気ナンバーワンな先生であると言うべきか。
気配りがしっかり出来た御方だ。しかし、一つだけ難点があって
「ありがとうございます、伊織先生。でも大丈夫なんで」
「本当ですか? 本当に本当に大丈夫ですか? どこか体を痛めているとか、生徒との間にトラブルがあるとか他にも……」
伊織先生は少し、いやかなりの心配性であった。
もう過保護なお母さんかお姉さんと言った感じで、執拗に俺の状態を確認しようとする。
心配してくれてるのは分かるが、ちょっとこれは度が過ぎてる感じ。
むしろ少し引いてしまうほどの世話焼きである。
「本当に大丈夫ですから! 疲れは確かにありますが、体中どこも痛んだりしてません。それに生徒達の仲も良好です!」
安心させるために、少し大きめな声で言う。
「そうですか、それなら良いんですけど……」
渋々といった感じではあるが、ようやく伊織先生が落ち着きを見せる。
やはり年下、それも生徒と同年代の俺が先生をやっているのだ。
伊織先生の心配でたまらない気持ちは、分からないでもない。
まぁ、これだけの美人に心配されている。
気分が悪いことではないし、恵まれているなと俺は思わずにはいられなかった。
家族との会話ようなひとときを、伊織先生と過ごしているといつの間にか時計は12時半を指していた。
もう昼休憩の時間だ。俺は伊織先生との会話を中断。
弁当派ではない俺は、食堂へと向かう。
この学校の食堂は何と言ってもメニューが豊富である。
大体の定番料理は常時、頼むことが出来、味も本当に美味しい。
なので、この学校生活の一つの楽しみになっていた。
今日は何を食べようか。そんなことを考えながら歩き進めていると
「かぁぁあああずぅぅぅぅううちゃぁぁああん!!」
嫌な声が聞こえてくる。
俺の楽しげな雰囲気を一瞬で吹き飛ばす声だ。
正直、幻聴であって欲しいと切に願うが、声が徐々に大きくなっていく。
クリアに聞こえ始め、近付いて来てることが分かる。
恐る恐る後ろを振り向くと
「カズちゃん!!」
その声と共に、声の主は俺の腹部へとダイレクトアタックしてきた。
突然のことで表現できないほどの痛みに襲われる。
つうか軽くみぞおちに入って、まともに息が出来ない。
「どうしたのぉ、カズちゃん? いきなりうずくまって、お腹痛いのぉ?」
お前のせいだと叫びたいところだが、如何せんあまりの衝撃に声が出ない。
まずは説教よりも、痛みを取ることを優先する。ゆっくりと息を吸い、呼吸を整える。
すると徐々にだが、痛みが引いて来て……それと同時に怒りも沸々と蘇って来る。
「おい、茅原! いきなり人にぶつかってくるなんて、何考えてんだ!」
文句を言わずにはいられない。
「それにみぞおちはヤバいって……マジで一瞬、意識が飛んだからさ」
「ごっ、ゴメンね。でもぉカズちゃんの姿を見つけたら、あすか嬉しくなっちゃって」
「思わず飛びついて来たと」
「うん! だってカズちゃんの顔を見れただけで、今日も一日頑張ろうって思えるからぁ」
俺は幸運アイテムか何かなんだろうか。
到底納得できる言い訳ではなかったが、あのあすかのことだ。
これ以上の追及はやめておこう。
それよりも聞いておくべきことがある訳で
「それともう一つ。学校でカズちゃんって呼ぶのは禁止って、何度も言ったはずだが」
気になっていた点を指摘する。
しかし、これに関しては不満の表情をあすかは浮かべる。
「だってぇ、先生って呼びにくいんだもん。それにクラスの皆だって先生って呼んでないよぉ」
いや、確かにそうだが……
「さすがにカズちゃんは学校ではヤバいだろう。俺もなんとなく恥ずかしいし」
「ダメなのぉ!! カズちゃんはカズちゃんなの!!」
断固、この呼び方を変える気はないらしい。
まぁあすかからしても、昔から呼び続けていたあだ名だ。
愛着などもあって、そう簡単には変えられないんだろう。
とはいえ、この歳になってちゃん付けは……そう思う俺の気持ちも分かってほしい。
「それよりもぉ、カズちゃん! お昼はもう食べた?」
俺があだ名一つに苦悩してることなど知る様子もないあすかは、能天気にそんなことを聞いてくる。
「昼飯か? 昼飯ならこれから学食に行こうと思ってたんだけど」
それをあなたに止められた訳ですが。
「そうなんだぁ。なら、私も行く! ほら、カズちゃん早く行こう!」
俺の手を掴み、食堂へとあすかは歩を進め始める。
いつの間にやら一緒に昼飯を食べる展開に……
一人でゆっくり過ごした俺としては、ここはなんとかやり過ごそうとするも
「あの、まだ一緒に食べるとは一言も言ってないんだけど。それに俺、食事は一人で静かに食べる派」
「そんなこと言わないの。絶対二人で食べたほうが楽しいよぉ!」
あっさりと反論される。
昔からそうだったが、あすかは超がつくほどのマイペースである。
つうか俺の話を聞かない。これと思ったらそれしか見えない子なのだ。
だからこうなってしまえば、もうあすかと昼食を取るのは決定事項。
俺としても、久しぶりに幼馴染との会話を楽しむか。そう思うのだが……
このあすかと仲良く手を繋いでいる状況は、非常に不味い訳で
なにしろ噂の集団にとって、非情によろしくない状態。
姿を現すのは、時間の問題―――
「待ってぇぇぇえええ!! 伝馬和弥ぁ!!」
窓ガラスが割れんばかりの大声が響き渡る。
いきなりのことにびっくりしながらも、声のする方に体を向けると
「我らがあすか親衛隊、ここに参上じゃあぁぁあああ!!」
そこには、いかつい風貌の男子生徒を中心とした集団がそこにいた。
皆、額には「あすかLOVE」の文字が刻まれたハチマキを身に付けている。
やはり俺の予想通り、現れてしまったようだ。
あすか親衛隊の皆さまが……
この学校に勤め数日経った頃、生徒達に聞いた話。
どうもこの学校で、我が幼馴染あすかはアイドル的な存在であると俺は知った。
確かに顔は可愛いし、人気があることには何の疑問もなかった。
しかし、一つ奇妙なことを生徒達から耳にした。
それがあすか親衛隊の存在
この集団は、名の通りあすかのためにある集まりで、あすかの暮らしやすい学校生活を作り上げる
あすかを崇めるのを目的とする非公式同好会らしい。
まぁ、簡単に言ってしまえば、ただのあすかの追っかけなんだけど……
とはいえ、そんな熱狂的なあすかのファンがいることは事実。
そうなれば、察しの良い方はもうお分かりだと思う。
そんなアイドルと幼馴染の俺、伝馬和弥。彼らにとっては面白くない存在だろう。
それに今はそのあすかと手を繋いでる状況。彼らからすれば
「あすかちゃんの清らかな手が、あんな男に汚されてるぅぅううう!!?」
発狂モノのシチュエーションのようだ。
「もうこれは……殺すしか」
なんとも不吉なことを呟く。
まさか手を繋ぐだけで、命を狙われることになろうとは。
もちろん死ぬのは嫌なので、弁解を試みてみるが
「ちょっと待てくれ。ただ手を繋ぐだけで命を狙われるなんて、あまりにも理不尽」
「やっかましぃぃ、伝馬和弥!! 早く飛鳥ちゃんから離れ、正義の鉄槌をくらいがいいぃぃ!」
聞く耳を持たない模様。
もう目が血走っており、いつ襲いかかって来てもおかしくない。
「それにお前の罪はそれだけではない」
いかつい男子生徒は、一呼吸置く。
「伝馬和弥、お前はぁ! 飛鳥ちゃんにかっ、カズちゃんとあだ名で呼ばれているだろうがぁぁああ!! なんてうらやま……けしからん!! 俺だってなぁ、一回でいいから、たろうちゃんって呼ばれて見たいわぁぁぁ!!」
要するに羨ましかったようだ。
つうかそんなことで、殺されそうになる俺って。
あまりにも身勝手すぎる……
とはいえ、このままじゃ俺の命がマジでデスする五秒前なので説得を試みる。
「ちょっと良いか、親衛隊のみなさん」
「なんだぁあ!? 俺らはお前と話などぅ」
「まぁまぁ、少しは俺の話を聞いてくれ」
落ち着かせるように、少し優しめ口調で言葉を伝えていく。
ヒートアップしていた親衛隊の皆さんも、異常な俺の落ち着きように少し戸惑ったのか
先程の勢いは鳴りを潜めていく。
「まず君達は前提から間違っている。確かに茅原からはあだ名で呼ばれてはいる。だが、そこには何の感情もなくただ昔からの習慣により出てきたもの。断じて好きとかそんなもんは1ミクロンも含まれてはいない。脳の中に刻み込まれた記憶を反映させ、反射的に言っているのであって……」
そして、俺は長々とそれらしい言葉を並べ、彼ら親衛隊の士気を削いでいく。
その話し方はまるで経営者の演説のごとく、流暢。
こんな所でアメリカで培ったディスカッション能力が生きるとは……
この世の中、分からないものである。
説得は順調に進み、親衛隊は俺の話に聞き入っていた。
さて、後は最後のひと押し。
そんな場面まで持ち込んだその瞬間
「えっ、その話はおかしいよぉ。だって私カズちゃんのこと好きだもん! ずっ~と前から好きだったもん!」
――――――パキッ
一瞬にして空気が凍る。
まさかこのタイミングであすかがこんな発言を投げ込むとは……
これには俺も予想外、イレギュラーである。
俺は半分諦めながらも、恐る恐る親衛隊の皆さんの顔色を伺うと
「やはりぃぃぃ!!伝馬和弥には我が正義の鉄槌をぉぉぉぉ!!」
「違うから! この好きっていうのはな、友達や家族愛のような好きであっていわゆるLOVEではなくLIKE。君達が思っているようなものでは」
「そんなの知るかぁぁああ!! 同士よ、伝馬和弥に鉄槌を!」
「「「「「「死ねぇぇぇぇ!!伝馬和弥!!!」」」」」
もう説得は無理と判断。俺はこの場から逃げることを選択した。
「ちょ、ちょっとぉカズちゃん! 食堂は~?」
あすかの声が聞こえるも、それよりも今は逃げることが肝心。
言葉を返す暇などありはしない。
「死ねぇぇぇぇ!!」
「殺せぇぇぇぇ!!」
「お前達、仮にも俺は先生だぞ。こんなことしたら退学ものだろうが!!」
「そんなものは怖くないわぁぁぁあ!! あすか親衛隊はあすかちゃんのためなら、退学くらい痛くもかゆくもないのだぁぁぁああ!!」
なんという執念。この思いには賞賛に値するものだろう。
そんなことを思いつつ、俺は先生らしからぬ廊下を全力疾走。
昼休憩の間、彼らと追いかけっこする羽目になったのであった。
結果、なんとか逃げ切ることが出来たものの、もちろん昼飯は抜き。
空腹と疲労感に耐えながら、次の授業へと向かうことに。
放課後にでも、伊織先生に相談乗ってもらおうかな……
真面目に考える俺であった。