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 小春日和の午後の授業はなかなかきつい。程良い満腹感と教師の単調な声は眠気を誘うには十分だ。

匠は大きな欠伸を一つして、首を緩く回して眠気を飛ばす。本日最後の授業、これはもう我慢比べと言ってもいい。クラスの中には脱落者がちらほら。それを鋭い眼光でチェックしながら教師は注意するでもなく、淡々と授業を進める。時折手元に何かを書き込んでいることから成績にはバッチリ影響していそうだが。その姿はまるでロボットだ。頭の中にチップでも入っているんじゃないだろうか。

 なんて、くだらないことを考えているとチャイムが鳴った。教壇に立っていた教師はさっと教本をまとめると、教室内を冷ややかに眺める。

「では、今日はここまでで。寝ていた佐々木、加藤、平山、坂下は後で職員室へ来るように」

「げっ!」

「マジか……」

「最っ悪だぁ! おーい起きろ。お前も職員室行きだってよ」

「んあ? 何が?」

 約一名揺り起こされて寝ぼけているが、それに見向きもせず教師はさっさと出て行った。どうやら呼ばれた四人にはこの後説教が待っているようだ。

 教室では何事もなかったように生徒達が動き出す。いつものことと慣れてしまっているのだろう。部活に行く者、帰り支度を始める者、友達と話し出す者と行動は人それぞれだ。匠も携帯と財布しか入っていないリュックを肩にかけて、席を立つと二つ前に座る幼馴染の元へ向かう。

「雫、帰るぞ」

「ちょっと待って。今日は課題を持って帰らなきゃ」

「あ? 今日の授業の奴か? 何だよ解けなかったのか?」

「うーん。だって難しくなかった? 私、三問目で早くも躓いてるもの」

 へにょりと情けなく眉を下げる雫に、匠は口端を釣り上げる。

「そらご愁傷さま。普段がボケボケなんだ、たまには頭使えよ」

 軽くあしらうと案の定、口をへの字にして雫が大きな目を潤ませる。

「……匠くん」

「幼馴染のよしみだ。どうしてもわからなきゃアイス一つで手を打つぜ?」

「ほんと?」

 単純な雫は暗い表情から一転、ぱっと明るい顔をする。我ながら甘いものだ。わかっていながらも、彼女に子犬みたいな目で見られるとどうしても負ける。

「ふむ、生クリーム並の甘さだな。見ていて実に面白いね」

「アタシは焼いちゃいそうよ」

 荷物を手にした正義と美鈴が、質の悪い笑顔で傍にくる。

「匠クーン、アタシにも勉強教えてよ」

「勘弁しろ。二人も同時に見れるかよ。どうしてもわからなきゃ隣の奴に教えてもらえ」

「アタシは匠クンに教えてもらいたいのよ」

 拗ねた顔で言う美鈴に、匠は早くも疲れを覚えた。こっちにも都合というものがある。

「悪いな。今回はこいつとの約束が先」

「……仕方ないわね。次の時はアタシの勉強も見てよ」

「機会があったらな。──正義、テメェニヤニヤ笑ってるなよ。その内見物料を徴収すんぞこら」

「モテる男は辛いな、匠。見てる分には大変愉快だが」

「オレは不愉快でしかねぇよ。テメェはほんっとに性悪だな」

 睨みを利かしてもびくともしない悪友のふてぶてしさに、匠は口端を引き攣らせる。この男は嫌味なほど人を苛立たせるのが上手い。無駄に回る口を拳で止めてやりたくなる。

「──匠くん、帰ろう?」

苛立ちをため息で逃がしていると、袖がつんと引っ張られる。少し前から準備が出来ていたのだろう、雫が待っていた。

「悪い、逆に待たせたか。じゃあな、オレ等は帰るから」

「バイバイ、正義くん、松崎さん」

「あぁ、また明日」

「バイバーイ」

 別れの挨拶を交わして、匠は雫と共に賑やかな廊下へ出た。





 雫に案内されたのは、駅方面にあるというクレープ屋だった。店は繁盛しているようで、主に女子高生が列を成している。そんな所に男子である匠が入るのは気が進まないのだが、雫が嬉しそうに匠の腕を引くので、逃げるに逃げられない。

「うーん、何を食べようかなぁ。イチゴと生クリームもいいし、チョコレートバナナも美味しそう。迷うなぁ」

 列の最後に並びながら楽しそうに悩んでいる雫に、一緒に並ぶ匠は呆れた顔をした。

「お前はまたクソ甘いもんばっか……太るぞ?」

「ちょ、ちょっとくらい大丈夫だよ! 私昔からそんなに体系変わってないもの」

「おーそうかそうか。そうやって自分を甘やかして、坂を転がり落ちる雪玉のようにぶくぶく太っていったりしてなぁ? そしたらお前をボンレス雫と呼んでやろう」

「そんなに太らないもの! もうっ、匠君意地悪だよ」

 雫の唇がとがる。これは幼馴染が拗ねた時の癖だ。匠はにやっと口端をつり上げる。そして彼女の両頬を潰すと、柔らかな感触を堪能する。

「あにふゆの!」

 不細工な顔で文句を言う雫に匠は小さく噴き出すと、ついでにうりうりと頬を苛めてやる。

「可愛い可愛い」

「うぅぅぅ」

「冗談だ。唸るなよ」

 今にも噛み付きそうな彼女に、匠は笑いながら頬から手を離す。雫は少し赤くなった頬をさすりながら目を吊り上げて睨んでくる。しかしその迫力のないことといったら、幼稚園児のガキ大将にも確実に負けるだろう眼力だ。

「匠君なんて知らない!」

 そっぽを向く雫は、顔の幼さとあいまってまんま中学生にしか見えない。下手をしたら小学生くらいにも見られていそうだ。

 そんなことをしている内に順番が来て、「次のお客様―」と店員が呼ぶ。匠は機嫌が傾いた幼馴染を宥めにかかる。

「悪かったって。ほら、奢ってやるからどれがいいんだ?」

「えっ、いいの? それじゃあね、チョコレートとイチゴと生クリームのコラボがいいなぁー」

「はいはい。じゃあオレはツナ巻きで」

 とたんに目が輝く単純な彼女に、匠は笑いが残った声で注文をする。すると愛想よく対応していた年配の女の店員がにっこりと爆弾を落とした。

「かしこまりました。優しいお兄ちゃんで良かったねぇ」

 言われた言葉に、雫がぴしっと凍りつく。その顔が徐々に泣きそうに歪んでくるのを見て、匠は差し出された二つのクレープを片手で受け取ると、彼女の腕を引いてその場を離れた。

 駅前の噴水までくると、しょんぼりしている雫をその淵に座らせる。

「……泣くなよ?」

「…………どうせ私、童顔だもの。妹にしか見えないもの」

 湿った声で膝を抱えた彼女に、匠は慰めの言葉を言いあぐねて項を掻く。泣いてはいないが、今にも泣きそうだ。仕方ないのでとりあえず、自分の分は左手に持ち替えて彼女のクレープを差し出してみる。

「せっかく買ってやったんだから、これ食って忘れろ」

「うぅぅぅ」

「だから唸るなって。──ほら」

 潤んだ目を見てられずに口元までクレープを持っていくと、きょとんとした彼女が見上げてくる。驚いている雫の口に、食えといわんばかりにさらに押し付けると、無言で齧り付いてきた。一瞬でぽわんと表情が緩む。美味しそうな顔で口を動かす彼女にほっとして、クレープをそのまま手渡す。

「童顔なのも、背が低いのも今に始まったことじゃねぇだろ? いいじゃねぇか、それがお前なんだから」

「ん……」

 幼子のようにこくりと頷いた雫は、クレープを黙々と食べ始める。匠もようやく自分のツナ巻きに口をつけた。

 日が傾いた駅のターミナルは匠達のような高校生の出入りが激しい。噴水の周囲はあっという間に人で埋め尽くされる。カップルに、数人でたむろっているグループ、待ち合わせでもしているのか、一人で駅前を眺めている者まで、さまざまだ。

 それを何気なく眺めて、小さなつむじに視線を移す。改めて考えると、雫とは本当に長い付き合いだ。保育園から始まり、幼稚園、小学校、中学、高校と十年以上を共に過ごしている。赤面ものの過去も、嬉しかった思い出もほとんど共有している相手。もし雫が男であったなら、きっと最高の悪友になれただろう。

 その視線に気付いた雫が、不思議そうな顔で見上げてくる。

「何考えてるの、匠くん?」

「くだらねぇこと。お前が男だったら、オレ達はどんな関係だったんだろうと思ってな。っても考えてみりゃあ、今と大して変わらねぇか」

 男女の差はあれど、幼馴染でダチであることは違いない。だから、今より男同士の話が増えるくらいだろう。それは軽い気持ちで口にした言葉だった。だがその瞬間、雫の顔から表情がすっと抜け落ちた。

「雫?」

「………ねぇ、たっくん。たっくんは私が男ならよかったと思う?」

「あぁ? 誰もそんなこと言ってねぇだろ? なんだよ、拗ねてるのか? たんなる思いつきで深い意味はねぇって。もう少し、周りにダチを作った方がいいんじゃないかと思っちゃいるが」

 真面目な顔をして変なことを聞いてくる幼馴染に、匠は困惑した。冗談を真に受けられたような気まずさを感じて眉間に皴がよる。

 しかし、雫は表情を変えずに淡々と言葉を続けた。

「たっくんは、高校生になっても私と遊ぶのは嫌?」

「そうじゃねぇよ。ただお前が誘う相手って、大抵がオレだろ? オレじゃ女同士の話は出来ねぇし、お前にも女のダチが必要なんじゃないかと思っただけだ。……そういえばあの女、あー、新場だったか? あいつとはもう付き合いないのか?」

 中学時代に彼女が友達だと紹介してきたのは名前もうろ覚えなその女だけだったはず。よく一緒に遊びに行っていたようなのに、雫は緩く首を振って苦笑する。

「それって私が中二の時の話でしょ? 随分前から切れてるよ。楽しかったけど、深く付きあえるほどの関係は築けなかったみたい」

「……そうか」

 気負いのない口調からは、気まずい別れをしたわけではないのだろうとわかる。匠の相槌に雫はふっと表情を改めた。

「あのね、私はたっくんのこと、他の誰より大事だよ。だからね、もし、たっくんが私と距離を置きたいって望むなら────」

「望んでねぇよ」

 ここで言葉を間違えば、何かが変わってしまう気がして、匠は咄嗟にそう答えていた。そして、そう答えた自分に、己の本心を見た。結局、何だかんだと理屈を並べ立てても、自分も雫から離れがたく思っているのだ。

 揺れる気持ちを映し出す雫の目を、匠は真っ直ぐに見つめた。

「まるで自分だけがオレを大事に思ってるみたいな言い方すんなよ。オレだって、お前を大事な妹くらいには思ってるんだぜ? ガキの頃から面倒見てきたんだ。今更、他人になる気はねぇよ」

「……たっくん」

 らしくもなく本心を語った自分が気恥ずかしくなり、匠は照れ隠しに雫の額をでこピンした。

「痛っ、もー暴力反対だよ、たっくん!」

「だーから、たっくんって呼ぶなよ」

 笑顔が戻った雫の頭を、匠はかき乱してやる。

 たとえ、この先どんなに離れることがあろうと、どんなに周りが変わろうと、二人の繋がりは切れることはない。匠はそう信じていた。



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