君を愛することはないと言われたので、二次元に走った結果
初投稿です。よろしくお願いいたします。
君を愛することはないと言われたので、二次元に走った結果
「私は未だに、亡き妻を愛している。私の心にいるのは彼女だけだ。
だから、クレア。たとえ、あなたと結婚することになったとしても、君を愛することはない」
クレアは、見合い相手であるロイドの告白に頷いた。
彼が亡き妻一筋であることは噂で知っていたので、動じることはなかった。
彼女は微笑を浮かべながら、彼にこう返す。
「それは最初から分かっています。それでも私は全く構いません。
というか、そっちの方が私にとっても都合が良いんです」
クレアの明るい声に驚いたのか、ロイドは瞬間、眉根を寄せた。
しかし、そんな彼の様子を気にも留めずに、クレアは話し続けた。
「と言うのも、私にも、他に愛する人がいるのです。
私の心にいるのは彼だけ。
だから、ロイド様が私に気持ちを向けてくださらなくても、全く問題ございません」
「ほう」と呟きながら、ゼストは顎に指を当てる。
「ちなみに、君が心を寄せる彼、というのは、誰か、尋ねてもいいだろうか?」
そう問われ、クレアは瞬間、顔を赤らめる。
そして一応、周囲を見回す。
ここがロイドの自室で、他に人がいないことは分かっていたが、念のため確認したかったのだ。
(大丈夫、私達以外に人はいないわね)
安心したクレアは、ロイドの方へとそっと歩み寄る。
そして、いわゆる「恋バナ」をする時のごとく、コソコソと小声で答えた。
「怪盗シザー・ベッケル様です。って、ロイド様がご存じなわけありませんよね」
クレアがそう発した瞬間、ロイドの動きが止まった。
思いがけない答えに凍り付いている風でもある。
数秒の間の後に、彼はそっと口を開いた。
「それは……小説『怪盗シザーと永久の宝石』の主人公、シザーのことか?」
「ロイド様、ご存じなんですか?!」
クレアは大声で叫ぶ。ロイドは思わず、「声がでかい」と注意した後、こう続けた。
「……妻が、好きだった小説だ」
「なんと!!」
クレアは裏返った声を上げながら、口に手を当てる。
そして、急にロイドの両肩を掴むと、顔を近づけ、まくし立てた。
「えっ、奥様は、誰が好みだったんですか? やっぱり主役のシザー様? それとも、シザーの良き相棒であり王太子のロベールですか? っていうか、奥様は何巻まで読んでおられたのでしょうか? 4巻の、シザー様がアントニオの罠にはまって、それをロベールが救出しにいく話は読んでおられたのでしょうか? もしお読みだったのであれば、どんな感想をお持ちだったのでしょう?」
問い詰めるかのように早口で話し続けるクレアに、
ロイドは「顔が近いっ! 一旦落ち着け!」と語気を強める。
その声に、クレアはハッと我に返り、「申し訳ありません」と、彼の肩から手を離す。
「すいません……、まさかこんなところに、怪盗シザーシリーズのファンがいるとは思わなくて。つい興奮してしまいました」
「私は別に、ファンではないのだがな」
ロイドは呟いた後、コホンと咳払いをする。
「つまりは、あなたの思い人というのは、その……小説の登場人物、ということか?」
「はい」
頬に熱を感じながらも、クレアは強く頷いた。
自分が、小説の登場人物に本気で恋しているだなんて、今まで他の誰にも打ち明けたことがない。
普段であれば「変人だと思われるかもしれない」とか「痛い奴だと、他の人にも言いふらされるかもしれない」なんて思いが先行して、この秘密を告げられなかった。
だが、ロイドにはなぜか、自然と本音を告げられた。
同じ「叶わぬ恋から抜けられない者同士」なのだと、どこか頭の片隅で思っていたからかもしれない。
そして、案の定、ロイドは、この「普通であればドン引きするレベルの告白」をやや困惑しながらも、素直に受け入れてくれたようだ。
「なるほど。で、あれば、お互い思い人がいる者同士だから、特に問題なさそうだな」
自分を納得させるかのように、そう言って頷くロイド。
クレアは胸が熱くなり、「はいっ」と元気よく答える。
「これから、よろしくお願いいたします、ロイド様」
「あぁ、よろしく」
こうして、二人の婚約は成立した。
伯爵の爵位を持つウィズリー家の嫡男、ロイドが二度目の婚約をしたというニュースは、すぐに街中にも知れ渡った。
「あのロイド様が、とうとう婚約されたらしいわよ!」
「知ってる、しかもお相手は、ど田舎の領主の娘なんでしょ? 信じられない!
あれだけモテていれば、後妻候補だなんて選びたい放題だったでしょうに」
「ね! 名だたる貴族のご令嬢方を差し置いて、そんなどこの馬の骨とも知らない女性と婚約だなんて……。
なにをお考えなのかしら? ロイド様は」
「もし、ラインロッド家のリリィ令嬢がこの話を耳にされたら、一体、どんな顔をなさるのかしら? ロイド様に随分とご執心だったらしいのに」
街中がこのような噂話で持ちきりの中、停車中の馬車内で聞き耳を立てていたクレアは、「ロイド様って、そんなに人気者だったんだ」と目を丸くする。
ロイドは、妻に先立たれて以降、再婚はしないと周囲に宣言していた。
しかし、ロイドはウィズリー家の一人息子。しかも、彼と前妻の間に子はいなかった。
だから、一族滅亡の危機を回避すべく、ロイドの両親は、7日に1度の頻度で、彼を無理矢理縁談の席へと連れ出していた。
が、ロイド自身は頑なに婚約を拒んでいたのだ。
(そんなロイド様が私と婚約してくださるなんて、よっぽど私達、利害が合致したのね。
まぁロイド様にとっては、ご両親達にとやかく言われるのが、よっぽど苦痛だったのでしょう。
形だけ結婚してしまえば、これ以上何も言われないでしょうしね)
そんな風に思いを巡らす最中、馬車が再び動き出す。
行き先はロイドの屋敷だ。
というのも、クレアは、今日から正式な婚姻式の日まで、彼の屋敷で過ごす。
居を共にすることが貴族の習わしであったからだ。
「ロイド様、おはようございます」
屋敷に着き、クレアはロイドにニコリと微笑みかける。
ロイドは「待っていたよ、クレア」と微笑み返す。
その光景はどこからどう見ても、婚約者同士のそれであったが、実際の所は違う。
取り繕っているだけだ。
応接間に通されたクレアは、ロイドと向かい合い、ソファーに座る。
キョロキョロと辺りを見回していたクレアは、案内をしてくれたメイドが一旦部屋を出た直後、すぐさま立ち上がり飾り棚の前へと走る。
「こ、ここに置かれている本達は、やはり怪盗シザーシリーズですね!!」
鼻息荒く尋ねるクレアに、ロイドが答える。
「あぁ。応接間に置けば、客人の目に付き、本の宣伝になるのでは、と妻が言ってね。こうして並べている」
「じゃあ、奥様は、この部屋で読書をされていたのですか?」
「いや、彼女の自室に、読む用の本がもう一揃え置いてある。後は、読み過ぎてボロボロになってしまった時用のスペアが一揃え。それは書庫にある」
「なるほど! 布教用、読書用、そして保存用と、すべての巻をそれぞれ三冊ずつお持ちだったということですね!」
そう言いながら、クレアは飾り棚を眺める。
怪盗シザーの本達は、1巻から順に、背表紙が見えるように置かれている。
しかし、4巻と6巻だけは、表紙が見えるよう表向けに置かれていた。
(ああっ、奥様は分かっていらっしゃる……)
つと、クレアの頬に感涙の涙が走る。しばらく棚の前で立ち尽くす彼女に、ロイドは後ろから声をかける。振り返ったクレアの顔を見て、ロイドはぎょっとしたように目を見開いた。
「……え」
「え、あ、ああ、すいません。奥様のシザーシリーズに対するお気持ちに感銘を受けたもので」
クレアは、慌てて涙を拭く。そして、不意にロイドの手をぎゅっと握りしめた。
「ロイド様。あなたの奥様は本当に、本当に素晴らしいお方です。私、こんな素敵な奥様と、生前にお話できなかったことが、心から悔やまれます」
ロイドはキョトンとした顔のまま「そうか……」と呟く。クレアは手をさらに強く握り、
「もしよろしければ、奥様のこと、もっと私に教えてください。私、奥様の親友になれたであろうと確信しているのです!」
と、ロイドの瞳を真っ直ぐ見つめた。
「あ、ああ」
ロイドは、少したじろぎながらも頷いた。
こうして、屋敷での最初の一日が過ぎていった。
夜、あてがわれた部屋のベッドに寝そべると、クレアはフゥと満足げにため息をついた。
(シザーシリーズの話がこんなにできるなんて、本当に幸せな一日だった。
というか、奥様はシザー様ではなく、相棒のロベール派だったのね。
確かに、夫のロイド様も、真面目そうな雰囲気がロベールにどことなく似ているものね。
推しに似た人と結婚できるだなんて、奥様は幸せ者だなぁ)
そう思いながらふと、横の窓に目をやる。視線の先には、夜空と瞬く星々があった。
(あぁ、できることなら、生前の奥様にお会いしたかったな……)
クレアはそう思いながら目を細める。
クレアに友人はいるが、ここまでシザーシリーズにはまっている者はいなかった。
クレアの熱心な布教活動により、何人かは本を読んでくれこそしたが、彼女ほどの熱量で語り合える人間は、一人として存在しなかった。
それもあって、今回、ロイドの妻に出会えた衝撃は、クレアにとってとても大きなものだった。
それだけに、彼女ともっと早く出会えなかった事実が、悔やまれた。
(奥様、私はこれから、ロイド様のお飾り妻となる予定です。そうなれば、奥様と私は「親族」の関係となるでしょう。
私が、今後発売されるシザーシリーズをすべて、あなたの墓石に捧げます。シリーズが完結するその日まで、ちゃんと私がシザー様やロベールの動向を、こぼすことなくお伝えしますからね)
そう思いながら、クレアは夜空に向けて祈りを捧げた。
一方、ロイドの方も、その時同じ空を眺めていた。
寝室に行く前に、今は使われていない妻の部屋に入り、彼女が使っていた窓際のスツールに腰掛けるのが日課になっていたのだ。
(今日は、我ながらよく話したな……)
そう考えながら、小さく息をつく。
妻が亡くなって以降、ロイドは他人と顔を合わせることが辛かった。
というのも、最愛の妻の死でロイドがひどく気落ちしていることは知れ渡っていたので、会った人は皆、口を揃えてこう言ったのだ。
「あなたはまだ若い。前妻に先立たれても次がある」
「落ち込んでばかりではいけない。前を見なければ」
「前妻のことは、早く忘れなさい」
こう口にする人々に、悪気がないことをロイドは理解していた。
自分を励ますために言ってくれているということも承知していた。
それでもロイドは、このような意見を聞く度に、例えようもないもどかしさを抱いた。
彼らは、自分の妻を「前妻」と呼び、その存在をすでに過去のこととして捉えていた。
妻は忘れるべき存在で、そんな彼女のことをいつまでも引きずっていてはいけないと説いた。
今まで見合いをした女性達も同様だった。
自分こそは、前妻を超える存在であり、自分を娶れば、妻のことなど忘れられる、私があなたの悲しみを消してあげる、とロイドに詰め寄った。
(余計なお世話だ……)
次第にロイドは、他人に対して背を向けるようになった。
彼にとって、「前妻」は今でもなお「妻」であったし、過去の人でもなかった。
胸に沈む深い悲しみを、打ち消したいとも思っていなかった。
この悲しみが、妻が生きていた証しであるというのなら、自分は一生、悲しみと共に生きていきたいと思っていた。
そんな時だった。
「もしよろしければ、奥様のこと、もっと私に教えてください!」
今日のクレアの言葉は、ロイドにとって一種の衝撃だった。
皆から今まで散々、妻のことは忘れろと言われてきた。
しかしクレアはそれとは逆に、妻のことを語ってほしいと願い出た。
彼女が興味を持っているのは、「妻そのもの」ではなく「シザーシリーズを愛した妻」であることは分かっていたが、それでもロイドは、クレアの言葉に耳を疑った。
(妻のことを、語ってもよいのか……?)
戸惑いながらもロイドは、ぽつり、ぽつりと妻について話をしはじめた。
彼女がシザーシリーズの大ファンだったこと。
物静かな女性だったが、シザーシリーズのことになると熱っぽく語り出したこと。
特に、ロベールという登場人物が好きであったこと。
死の床に伏した際も、その傍らにはシリーズの本があったこと。
クレアは、そんな妻の話を、何度も深く頷きながら聞いていた。
ある時は叫び声を上げ、ある時は目を潤ませながら、ロイドの話に夢中になっていた。
そして、話が一区切りすると、クレアもまた、ロイドの話に対する意見を熱く語った。
表情をくるくる変えるクレアの横で、ふと、ロイドは自分が今、楽しいと感じていることを自覚した。こんな思いは、妻が亡くなって以来、初めてのことだった。
クレアは、妻とは似ても似つかない。物静かでしとやかな妻とは違い、クレアはおしゃべりで、快活だ。だから、クレアと妻を重ねている、ということはない。
しかし、クレアと話していると、不意に、彼女の横に妻がいるような、まるで三人で話をしているような、そんな錯覚を覚えた。
クレアの話に聞き入り、相づちを打ち、手を口元に添えて微笑む妻の姿をはっきりと目にとらえた気がしたのだ。
「……あの者と話している時、私はおまえを、より近くに感じることができたよ。不思議なものだな」
ロイドは立ち上がると、デスクに置かれた写真にそう話しかけた。
そこには、仏頂面のロイドと、その隣で優しく微笑む妻の姿があった。
こうして、クレアとロイドの日々は過ぎていった。
クレアは毎日のように、シザーシリーズ、そして前妻のことをロイドと語り合った。
そのような時間を過ごすうちに、クレアはロイドの瞳に、小さな明かりが灯ったような心地を覚えた。
初めて会った時は氷のようだった彼の視線も、日に日に優しく、柔らかなものに変化していることに気付いた。
それをクレアは「ロイド様もシザーシリーズに興味がでてきたのかもしれない」と受け取った。
というのも、ロイドは当初、自分自身はシザーシリーズに関心はないと言っていた。
しかし、クレアが熱心に布教する度に、彼は生気を取り戻していっているように感じられたのだ。
それはまさしく、ロイドもシザーシリーズにはまり出しているからなのでは? とクレアは思ったのだ。
(夢中になれる物があると、人は変わるものね。あぁ、やっぱり、趣味や推しは、人生を潤すわ。奥様、私、このまま、ロイド様をシザー沼に落として、信者をまた一人、増やします!)
そう思いながら一人廊下でガッツポーズを取っている最中、突然後ろから「おい」と声をかけられた。
驚き、「うひっ」と声を上げるクレア。振り返るとそこには、小さく眉をひそめるロイドがいた。
「あ、ロイド様。おはようございます。昨晩もお互いに、白熱いたしましたね!」
クレアがそう言った瞬間、通りすがりのメイド達がぎょっとしたように目を丸くする。
ロイドは顔を赤らめコホンと咳払いをすると「ああ。話に花が咲いたな」と、強調するかのように告げた。クレアはブンブンと首を縦に振りながら、続ける。
「特に、4巻のアントニオの話ですが……。やはり私、あの後日談が書かれた限定版の本を未だ入手できていないことが、悔しくてたまりません」
そう言いながらクレアは唇を噛む。
昨夜、二人の中で一番盛り上がったのは、この「限定版」についてだった。
クレアがシザーシリーズにはまり始めたのはここ二年ほどの話なのだが、それまでにシザーシリーズは5冊刊行されていた。
限定版は発売当時に数量限定で売り出された物で、今や入手困難な代物となっていた。
「今まで住んでいた街にあるすべての古書店は、すでに巡りましたが見つからず……。
しかし、ここは都会ですので、まだチャンスはあるかもしれません。今日は馬車をお借りして、街へ限定版探しの旅に赴くつもりです」
「その話なのだが」
そう言って、ロイドはスッと、一冊の本を背の後ろから取り出す。
本の表紙には、「怪盗シザーと盗めない水晶」と印字されている。
これは、シザーシリーズ4巻のタイトルだ。
そして、その横に小さく「初回限定版」との表示があった。
クレアは最初、何の気ない調子でそれを見た。そして、言葉の意味を理解した後、瞳を大きく開けて、二度見する。
「えっ、ちょ、ま、え、えええ!」
「……妻の部屋にあったものだ」
ロイドは目をそらしながらも呟く。
「で、でも、応接間や書庫のものは」
「あぁ。通常仕様のものだったな。おそらく、限定版を手に入れた後に、残りの二つを購入したのだろう」
「そうなんですね」と言いながら、クレアはその限定版に、欲望のまま手を伸ばす。
だが、指先が触れる寸前のところでピタリと手を止めた。
(これは、奥様が自室で大切に保管されていたもの。言うなれば、奥様の形見。そんなものに、私ごときが触れてはいけないっ!)
理性と本能の狭間で手を震わせながらも、クレアはなんとか腕を引っ込めた。
するとロイドは、まるで本をクレアに渡すかのように、彼女の目の前に突きつけた。
「読みたがっていたのだろう?」
クレアは目を大きく見開く。そして、ブルブルと首を横に振った。
「い、いえ、確かに読みたいと言えば読みたい。
というか、めちゃくちゃ読みたいのですが……。
それは駄目です。ロイド様。だってこれは、奥様が大切にされていたものではありませんか」
「……いや。妻も、本棚に眠らせておくより、誰かに読んでもらう方が喜ぶだろうと思ってな」
「しかし」
クレアが口をぎゅっと閉じると、ロイドは半ば押しつけるように、本をクレアに手渡した。
「読み終えたら、また感想を聞かせてくれ」
そう言い終えると、ロイドは一旦背を向け、立ち去ろうとした。
が、何かを思い出したように、突然振り返ると、クレアの目を見てこう言った。
「これで、今日、古本屋巡りをする必要がなくなっただろう。
その時間を利用して、仕立屋に出向くといい。王族の方々との舞踏会は、来週に迫っている。
その際におまえを皆に紹介するので、出席用のドレスを選んでくれ」
クレアは混乱した頭のまま「……はい」とかろうじて返事をした。
ロイドは、軽く口角を上げると、再び視線を前に向け、去って行った。
残されたクレアは、呆然としながらも、本をぎゅっと抱きしめた。
その日、ドレス選びを終えたクレアは、一目散に自室に帰ると限定版の表紙を開いた。
知らない箇所は最終章の後日談だけではあったのだけれど、物語の流れに沿って読みたいと考え、最初から、丁寧に読み込んだ。
そんなこともあり、最終章にさしかかるころには、すでに日は落ちかけていた。
夕日が窓から差し込む中、クレアは、オレンジ色に染まった本のページを、ゆっくり、ゆっくりめくっていた。
(あぁ……、やっぱりシザー様最高っ!! ロベールに助けられたのに、素直にお礼が言えないところがなんとももどかしくて。でも最後には、顔を赤らめながら、ぶっきらぼうに「これからもよろしく」って言うのよね。あぁ、その表情、見てみたいっ!)
胸の高鳴りを感じながら、クレアはお待ちかねの後日談のページをめくる。
しかし、出てきたのは、本のページではなかった。
同じサイズくらいの便せんだった。
白い一枚のそれには、手書きで文字が書かれている。
その最初の行には「私の病状と今後について」とあった。
そこでクレアは気がつく。これは本のページではなく、本に挟まれた「メモ」なのだと。
そして、これを書いたのはおそらく。
(……奥様?)
瞬間、これは読んではいけないものだと思った。
咄嗟にに本を閉じようとしたが、クレアはそのメモの最後の方に、「ロイドの再婚相手が」と書かれているのを目にした。
ロイドの再婚相手。まさに、自分のことだ。
心臓が跳ね上がるような心地を覚えたクレアは、しばらく固まった。
そして逡巡した後、覚悟を決めて、メモを最初から読むことにした。
(奥様が、もしロイド様に再婚してほしくないと考えていたなら、今からでも私は、婚約破棄するべきだ……)
そう考えながら、メモの1行目に視線を置く。
そこには、こう書かれていた。
『私の病状と今後について
私の余命は長くないと、今日、医者に告げられた。
私自身は、自分の体調を踏まえ、そうであろうと予測はしていた。
だからそこまで驚いてはいない。
しかし、問題はこれをどうロイドに伝えるべきか、だ。
ロイドは、私を心から愛してくれている。
一方で、彼は私以外の人間とは、あまり関わろうとはしない。
このまま私が亡くなれば、彼はまた、孤独な生活へと戻っていくだろう。
彼の笑顔は失われ、すべての者に心を閉ざすだろう。
それだけは、どうしてもあってはならない。
私は、ロイドの幸せを心から願っている。
だからもし、私の死後、彼に再婚話でも出れば、私はそれを歓迎する。
ロイドを独りぼっちにはさせたくない。
どうかロイドが、私の死後、ちゃんと再婚してくれますように。
ロイドの再婚相手が、どうか、彼の心の支えになってくれますように。
私はそれを、願ってやまない』
クレアは、後日談を読むことを忘れ、放心状態のまま、しばらくそのメモと向き合っていた。
そのメモには、亡きロイド妻の思いが詰まっていた。
胸がギュッと握りつぶされるような気持ちになりながら、クレアはそっと、本を閉じる。
メモの内容があまりにも衝撃的で、後日談を読むことすら忘れていた。
視線を窓辺に移す。そして夕焼け空に向かって、クレアは小さく語りかけた。
「……私は、ロイド様の再婚相手となる予定ですが、奥様の代わりになど、なれません。彼の心の中には、あなたしかいないのですから。
私が、ロイド様の支えになど、なれっこありません」
その瞬間、そよそよと優しい風が、窓から吹き込んできた。それはまるで、クレアの頭を撫でるように、そっと彼女の髪を揺らす。
「……私では、役者不足です。いくら、ロイド様が合意の上とはいえ、こんな状態で、結婚なんて、本当に、していいのでしょうか?」
クレアはそう呟きながら、そっと目を伏せる。風は、そんな彼女を励ますかのように、しばらくクレアの髪を撫で続けていた。
クレアが、例のメモを見つけて以降、彼女はロイドに対して、少々よそよそしい態度を取るようになっていた。
ロイド妻の期待に答えられないであろう自分が、このまま結婚してしまってよいのか。そんな気持ちがずっと、クレアの中にはあった。
しかし、時は淡々と過ぎ、とうとう王族たちとの舞踏会の日となった。
この舞踏会は、国王が貴族を招き開催される定期的なものだった。
しかし、この場を借りて王族に婚約者を紹介する者が多く、貴族達側からすれば、婚約者を皆に紹介する「お披露目パーティ」を兼ねていた。
これを終えれば、後は、神に婚姻を宣言する「婚姻式」を待つだけの状態となる。
会は王族の他、大勢の来客が参加予定だった。
「大丈夫か、クレア。顔色が悪いぞ」
城に向かう馬車の中で、ロイドは横に座るクレアに声をかけた。
「あぁ、えぇ、はい。大丈夫です」
そう答えるものの、クレアの心中は曇っていた。
(国王の前で紹介されてしまったら、その後の婚約破棄は難しい。断るのなら、今しかないっ)
そう考えたクレアは「あのっ」とロイドを見上げる。
しかし当の彼は、小さく微笑みながら「緊張しなくていい」と告げた。
「私がついている。何があっても、おまえは大丈夫だ」
その優しい微笑に、クレアは一瞬、口をつぐむ。だが、意を決して婚約破棄を提案しようとした時、外から荘厳なファンファーレの音が鳴り響いた。
(え、もうお城に着いちゃったの?)
混乱している間に、クレアは馬車から出され、そのまま長い絨毯を辿り、大広間へと連れ出された。
シャンデリアが輝くそこには、すでに沢山の客人達が、複数の円テーブルを囲み談笑していた。
そして、クレアとロイドを見つけると「おっ、例の二人だ」などとはやし立てた。
クレアは青ざめたまま、隣のロイドをチラリと見る。
彼は、しっかりとクレアの肩を抱き、客人に小さく会釈をしながら国王夫妻のいる方へと足を進めていた。
「お久しぶりでございます国王陛下」
ロイドが深々と頭を下げる。王は「これは、ウィズリー家の」と言いながら、鼻の下の白髭を撫でた。
「噂は聞いているぞ、ロイド。そなた、とうとう婚約者ができたとか」
「はい。この者が……」
そう言って、ロイドが隣のクレアに視線を向け、話し始めようとした、その時だった。
「お待ちください!! ロイド様っ!!」
突然、後方から鋭い声が響く。クレアが振り返るとそこには、額に青筋を立てた、金髪の女性がいた。
「……あなたは、ラインロッド家のリリィ様?」
隣のロイドがポツリと呟く。クレアはその名を聞いて、街での噂を思い出す。
(リリィ様って、確か、ロイド様に執着していると言われていたご令嬢……)
そう思い至った刹那、リリィは、クレアに人差し指を突きつけると、ロイドに向かって叫んだ。
「ロイド様! あなたはこの女に騙されておられます。なぜならこの女は、普通の恋愛ができない、『変人』だからですっ!!」
リリィの甲高い声が、大広間に響く。
瞬間、一同は口をつぐみ、辺りは静まりかえった。
リリィは、語気を強めながら続ける。
「ロイド様が婚約されたという噂を聞き、どんな女性なのかと、私、勝手ながら調査いたしましたの。
その結果分かったのですが、ロイド様っ、この女は、あなたを愛してなどおりません。
彼女は物語の登場人物しか愛せない、生粋の変人なのです!!」
ロイド以外の誰にも打ち明けてこなかった「秘密」を、公衆の面前で暴露されたクレアは、思わず目を大きく見開く。
リリィはクレアに構うことなく、早口で話続ける。
「この女の出身は片田舎。
そこに住まう者は口々に言っていました。
『彼女はいつも本を持ち歩いており、その内容について、熱く友人達に触れ回っていた。その熱量は半端ではなく、まさに、本が恋人、状態。生身の男性に興味がないのか、異性の友人はおらず、浮いた話も聞いたことがない』と。そして、その理由は『本に出てくる登場人物に本気で恋しているからなのでは』と!!」
リリィの言葉に周囲がざわつく。
彼女は、クレアを射貫くような目で一瞥すると、再びロイドに視線を向ける。
「そんな女が、一度の見合いでロイド様に心が動くはずございません。
きっと、この女は、資産目当てでロイド様に近づいたのでございます。
結婚してしまったが最後、この女は、ロイド様の収入を養分に、ますます本にのめり込むだけでございます。
本だけでは飽き足らず、登場人物の肖像画を描かせたり、劇を上演させたり、資産を湯水のように使うに決まっていますわ!!
そんな、そんな愛のない結婚で、ロイド様が幸せになれるはずがございませんっ!!」
そこまで言い切って、リリィは話を止めた。
と同時にざわめく周囲。
「ロイド様のことを愛していないのに、婚約まで持ち込んだってこと?」
「本の登場人物にしか興味が持てないだなんて、気持ち悪い」
「それっていわゆる、『心の浮気』というやつではないのか?」
そんな囁きがあちこちで聞こえる中、クレアは、小さく口を開けて立ち尽くしていた。
ばれてしまった。自分の秘密が。
もちろん、クレアはロイドの資産を目当てに近づいたわけではない。
結婚を急かす親族にうんざりした結果、同じ悩みを持つロイドと手を組もうとしたにすぎない。
だが、この秘密がばれた以上、クレアは、ロイドの婚約者ではいられないと思った。
周囲から聞こえてくる「気持ち悪い」「変人」といった言葉の数々。
そんな自分がロイドと結婚すれば、この先、ロイドまでが好奇の目で見られることになるだろう。
それは、ロイドの妻が望んでいた「彼の幸せ」を打ち砕くことに繋がる。
(そうだ、奥様……)
瞬間、クレアは思い出す。自分はつい先程まで、ロイドに婚約破棄を申し出ようとしていたのだった。
彼の妻が望んでいた「理想の再婚相手」に、自分はなれそうにもない。
だから自ら、婚約を破棄しようとしていた。
(……そう思えば、これはチャンスなのかもしれない)
これを逃せば、クレアは国王に婚約者として紹介され、正式に婚姻する流れとなる。
この機を逃してはいけない。
クレアはロイドに向き直る。そして、唇を動かそうとした、その時だった。
「リリィ様」
低く、唸るような声で、ロイドが口を開く。
その表情は、クレアが今までに見たことがないくらい、険しいものだ。
と、その瞬間、ロイドはクレアの肩を強く抱き寄せる。
彼の思いもよらぬ行動に、クレアは「あっ」と小さく声を上げる。
ロイドは、そんなクレアを気にも留めず、周囲を見渡しながら、こう叫んだ。
「私は、この者を、クレア・ハンストンを、心から愛しております。私の再婚相手として、ここまで相応しい者はおりません。そんな彼女を侮辱する人間は、誰であろうと、許さないっ」
クレアは一瞬、その意味が理解できなかった。目を丸くしながらロイドを見上げた瞬間、またもや先程の金切り声が耳を割く。
「だ、騙されてはいけませんロイド様っ!! ですから、この女はロイド様をたぶらかそうと」
「何を証拠に、そのようなことをおっしゃるのですか?」
「証拠、と言われたらそれは……、でも、状況からして」
「先に述べられたのはすべて、あなたの推測に過ぎないでしょう。
それに、クレアがどんな人間であったとしても、私は彼女を愛している。
結婚する理由など、それだけで充分です」
そう言い切り、ロイドはギッとリリィを睨みつけた。
彼女は「ひっ」と小さく叫び、一瞬歯を食いしばったものの、彼の強い眼光に負けたのか、身を翻して大広間から出て行った。
クレアを含め、部屋にいた皆が唖然とする中、ロイドは一人、涼やかな顔で国王の方に向き直る。
「お見苦しいところをお見せして申し訳ございません。陛下。紹介が遅れてしまいましたが、この者が、私の婚約者、クレアです。来月には婚姻する予定です」
「そ、そうか」
国王は多少戸惑った様子ながらも、コクコクと頷く。
「先の不幸があって以来、私はそなたを心配していた。が、もうこれで、大丈夫そうじゃな」
するとロイドは「はい」と力強く返事をする。
その堂々とした態度に、クレアは多少戸惑ったが、彼に合わせるために、彼女も小さく頭を下げた。
そして、舞踏会が終わり、二人は帰路についた。
帰りの馬車の中で、クレアは遠慮がちに、「あの」とロイドに声をかける。
「……先程は、本当に申し訳ございませんでした。私のせいで、ロイド様にまでいらぬ恥をかかせてしまい」
「恥? なんのことだ?」
「ですから、その……私が変人だ、ということで、ロイド様に恥を」
「私は、別に恥だと思っていない。それに、妻を守るのは夫の勤め。当然のことをしたまでだ」
そう言って、ロイドはクレアの肩にポンと手を置く。
クレアが顔を上げると、そこには目を細め、こちらを見つめるロイドの姿があった。
突然、胸がむずがゆくなる。
この微妙な雰囲気を変えたくて、クレアはわざと明るい声を出した。
「それにしても、驚きました。私のことを、心から愛するって、皆の前で宣言されて。ロイド様って、あんなに演技がお上手なんですねぇ! 私一瞬、ドキッとしましたよ~」
「……演技か」
「えぇ。だって、私達は利害が一致したという理由で結婚するわけで」
「演技ではない、と言ったらどうする?」
クレアの思考が、一瞬止まる。
二、三度瞬きをした後、クレアは「え?」と聞き返す。
ロイドは瞬間、顔を背けるが、その頬は赤い。
「まぁ、その……。と、とりあえず、これからも、よろしく」
視線を窓の外にやりながらも、震える声でそう言ったロイド。
と同時に、クレアの頬にも熱が帯びる。
(これからもよろしく、って……シザー様がロベールに救出された後に言う台詞じゃない!
しかも、顔を赤らめながら……。
って、なにこれ! なにこのシチュエーション! 状況は違うものの、同じ絵面じゃない!
っていうか、ちょっと今思ったんだけど、ロイド様って、なんとなく、なんとなくだけど、シザー様にも似てない?)
そう思った瞬間、クレアの中に衝撃が走る。
気持ちがキャパオーバーしてしまったクレアは、そのまま宙を見ながら、馬車に揺られていた。
馬車は、そんな二人を乗せながら、月の光が満ちる一本道を、一定のリズムで歩く。
優しい夜風が、二人を祝福するかのように、ふわりと馬車を横切った。
ここまでお読みいただき、本当にありがとうございました。
☆で評価をいただければ大変励みになりますので、どうぞよろしくおねがいします。
なお、現在、不遇ヒロインが逆境から立ち上がる小説、
「猫にされた薄幸令嬢は、いつまでも呪われていたい」を連載中ですので、
ご興味ある方はぜひお立ち寄りください。https://ncode.syosetu.com/n0783mp/
また、先日に富士見l文庫様から新刊、
「如月夫妻の春夏秋冬」が発売されました。
こちらは、こちらは、架空の京都、大正時代を舞台とした、
頑張る女子と傷心軍人による両片思いな物語です。
くじょう様の素敵すぎるイラストが、お目に留まれば幸いです。
最後までありがとうございました。




