裏切りではないのに2
「おはよう」
駐車場から大学病院まで歩いていると、後ろから鈴木に声をかけられた。
「おはよ」
振り向いて返すと、鈴木が横に並んだ。
「夏目さんから聞いた?」
「あ、うん。今日、今野さんに聞いてみるつもり」
「そっか。あのさ。最近疲れてんの?」
鈴木が顔を覗き込むように言ってきたので、私は驚いて、
「な、なんで?」
と問い返す。
「いっぱいいっぱいな顔してるからさ」
みんなに心配されている。ダメだなと思った。
「すぐに顔に出るの、ほんと良くないよね。気をつけるよ」
私が言うと、鈴木は、
「まあ、ぼちぼちね」
と言った。
「話変わるけど、鈴木は音楽はどんなの聴いてんの? 」
私は突然の質問に、ちょっと首を傾げて、
「たぶん知らないと思うけど……。アンサンブルプラネタとか、リベラ、スーザンボイル……」
と思い浮かぶアーティストの名前を呟いた。
「分かんない人ばかりだな」
私は「やっぱり?」と笑った。
「皆んな天上の声のように声が綺麗なんだよ。特にアンサンブルプラネタのマニフィカトは最高で、なんか聴いててよく泣いてしまう」
私の言葉に鈴木が怪訝そうな顔をした。
「は? 音楽聴いて泣くの? もっと元気がでるようなのにした方がいんじゃね? 俺はQueenが好きでさ。We Are the Championsとか、元気出すためによく聴く」
「Queen? 知らない。外国の人?」
「ああ。バンドだよ。たぶん、曲は聴いたことあると思う。かなり名曲多いから!」
鈴木の声が熱を帯びて、私は思わず笑ってしまった。
「本当に好きなんだね」
「おう!」
鈴木の笑顔は子供のようで、私はまた笑った。
「よし。笑えたな。とにかく元気出せよ!」
「うん、ありがとう!」
私は鈴木に元気を貰って、大学病院に入った。
外来前のドクターへの声かけをして、いつものように医局に顔を出す。
橘先生はすでに外来に行ったようだった。どこかホッとしている自分がいた。でも避けてばかりはいられない。出来れば今日中に橘先生と話したい。午後に橘先生の部屋に行ってみよう。
支店に戻ってからまず今野さんに勉強会の件を話した。
「クラウスの夏目さんと、アオハナの鈴木さんとうちの鈴木さんで勉強会をするってことだね?」
「はい」
「研修医もということだし、確かに若い人がいいだろうね。うん。いい機会だし、参加させてもらうといいよ。学んでおいで」
今野さんはにっこり笑うとそう言った。思ったよりもあっさり許可が出て私は安堵した。
「分かりました。勉強してきます」
「それと」
今野さんがじっと目を見つめて切り出したので、私は姿勢を正す。
「は、はい」
「一人で回っていてストレスを感じてるんじゃないかな? 最近疲れた表情しているよ」
「……分かりますか? 今日、鈴木君にも言われました」
私が肩を落として頷くと、今野さんは「そっか」と苦笑いをした。
「僕にも責任があるね。一人で回るのがきつかったり、何かあったりしたら遠慮なく言っていいからね」
今野さんに言われ、私は少し考える。夏目さんに相談して、今野さんに何も相談していない自分。
変な意地を張らずに、今野さんにももっと頼ってもいいのかもしれない。
「分かりました。すみません、ご心配をおかけして」
「そういうときは、ありがとうございますでいいんだよ」
私の言葉に、今野さんは目を細めて笑い、自分の席へ戻っていった。
支店で事務処理と資料作りをしてから再び大学病院に行く。
まず夏目さんの姿を探した。電話でも良かったのだけれど、悩みも聞いてもらったし直接お礼が言いたかった。
10階から順に下りて探そうと思い、10階でエレベーターを降りる。腎臓内科の医局の前で谷口先生と夏目さんが話しているのが見えた。宣伝の邪魔になったら悪い。私はエレベーターホールまで引き返した。
夏目さんがどんな会話をドクターとするのかとても興味はあった。でも聞き耳をたてるわけにもいかず、私は病棟から戻ってくるドクターに挨拶をすることを繰り返した。
10分は経っただろうか。さすが夏目さん。随分と長く話している。
先に橘先生の部屋に行こう。
そう思い直して階段を下りようとした時に夏目さんから声をかけられた。
「鈴木さん」
「夏目さん」
「例の件、今野さんはなんて?」
「あ、オッケー出ました」
夏目さんはストレートボブの髪を耳にかけながら微笑んだ。
「そう。良かった。じゃあ、よろしくね」
「はい。あの、こないだは色々聞いて頂きありがとうございました」
「いいのよ。少しは力になれた?」
「はい! やるしかない。頑張ります」
夏目さんは私の言葉にふっと笑うと、私の肩を叩いて階段を下りて行った。先に下りようとしていた私はもう一度10階に戻った。
夏目さんはクールだけど匂い立つような色気がある。ドクターからのセクハラも上手く受け流しているんだろうな。できるMR。私も数年後は夏目さんのようになれてるだろうか。
「鈴木さん。今日もちゃんと来てるねえ。もう仕事には慣れたかい?」
谷口先生がエレベーターの前にやってきた。
「ええっと、少しは慣れてきました。なかなか上手く宣伝はできませんが」
「大丈夫。鈴木さんがいることが宣伝になってるから」
谷口先生はそう言うと、軽く手を挙げエレベーターに乗って行った。私は俯いて笑みを噛み殺した。
私は谷口先生を見送ったあと、腎臓内科の医局でドクター方の話を聞いていた。
「エクサシールさあ、やっぱり効きが穏やかというか、血圧はあまり下げないよね」
突然話を振られて、私は緊張しながらも、
「下りが悪いときは、利尿剤を一緒に投与するか、利尿剤入りのエクサシールWを使ってみてください」
「ふーん。そんなのあったんだ? 分かった。そうしてみるよ」
薬の話を振られると嬉しい。
私はこの上向きの心のまま橘先生の所に行こうと腎臓内科の医局を出て階段を下りた。
橘先生の部屋の前に立つ。一度大きく息を吐いて、ノックをした。竹部先生がいても今度は逃げない、と自分に言い聞かせて。
「はい」
「千薬の鈴木です」
「……どうぞ~」
私は慎重にドアを開けた。今日は橘先生一人だった。
私がドアを開けると、橘先生はゆっくりと椅子を回してこちらを向いた。
「あの、昨日は申し訳ございませんでした」
橘先生はああ、と頷いて息を吐いた。
「ああいう時は帰ったらだめだな。いい機会だと思って、竹部とも話せばいいんだよ」
「そうですよね。私、動揺してしまって……」
「……あの時の鈴木の目」
橘先生の言葉に私は、
「え?」
と橘先生を見る。橘先生の瞳には複雑な光が宿っていた。私は戸惑いながら橘先生の次の言葉を待つ。
「裏切られたって目をしてたな」
私は橘先生の言葉に何も言えなかった。確かにそう思ったのは事実だったから。
「いいか、鈴木。鈴木はMRだ。竹部は俺の同僚だ。……どっちと親しいかなんて一目瞭然だよな。俺は裏切ってなどない。酷な言い方だが、勘違いはしない方がいい。俺と鈴木では立場が違うんだ」
「それは、分かっています」
私はかろうじて言葉を紡いだ。
「だったら、なんで泣いてるんだ?」
私は言われて目をおさえた。また涙が出ていた。橘先生の言うことはもっともなことなのに。
「すみません。これは、なんでもありません。私、分かってます。橘先生は事実を言ってるだけだって」
「ああ。……泣くな。俺が鈴木をいじめたような気になる」
橘先生は苦しげに言った。
「すみません!」
私は頭を下げて、涙を拭う。
「鈴木……。強くなれ。MRはきつい仕事だろうと思うよ。だから強くなれ」
「……はい……」
私はもう一度涙を拭って、一礼した。
「今日は失礼します。シルビルナ、よろしくお願いします」
「おう。またな」
橘先生は痛々しげに私を見て、苦い笑顔を浮かべていた。私はその顔を見ているのが辛くてドアを閉めた。
私はこのままでは橘先生に好かれるどころか嫌われてしまうかもしれない。これじゃダメだ。もっともっと強くならないと。




