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MR(医薬情報担当者)だって恋します!  作者: 天音 花香


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対決と結末

 谷口先生とは階段ですれ違ったきり会っていない。

 腎臓内科での処方は、今野さんが頑張っているようでそこそこ回復してきている。他科でのエクサシールの処方は増えた。それは私に対する同情のせいもあるのだけれど、それでも処方が増えるならありがたい。



「最近夏目さんだけでなく、鈴木さんのことも谷口先生、悪く言ってるよ」


 他社MRに耳打ちされて、私はやっぱりと思った。


「そうですか」


 私は短く返事をする。


「実際どうなの? 鈴木さん、色目使ってるの?」


 面白がって訊いてくるMRもいて、私は、


「使ってるように見えますか?」 


 と尋ね返した。


「いや、僕はそうは思ってないよ?」

「どうだろ、少しは使ってるんじゃない?」


 こんな時、自分が女MRだからこんな風に扱われることにイラっとする。


「使って処方が取れるんでしょうか? 私はドクターはそんなに単純ではないと信じたいです」


 私の言葉に彼らは口を閉じた。


 

 彼らにとって私はライバルとさえ思われていないかもしれないけれど、中には誰でも蹴落そうと思っているMRもいる。私は今、その格好の餌食なのだろう。

 でもこんなことで凹んでいられない。

 私はこの日も目当てのドクターに薬の情報提供をしては階段の上り下りをして、ひたすら営業に勤しんだ。

 負けるわけにはいかない。



***



 その日、10階のエレベーターホールに行くと司がいた。腎臓内科があるので長居は出来ない階なのに、ついつい司のそばに居たくて私はそこに留まっていた。

 もちろん司と二人だけと言うわけではない。他社MRが四人いて、私たちは薬の話ではなくオススメの昼食の店についての話をしていた。


 その時だった。

 病棟の方から谷口先生が歩いてきた。私はしまったな、と思いながらも頭を下げて、


「お疲れ様です」


 と言った。


 谷口先生は私の前を素通り、しなかった。


「最近は医局に来ないね。どこで媚を売ってるのかな」 

 嫌味を言われて私は、 


「……他の科を回っております」


 と返した。


「出禁にした覚えはないけれど、何か悪いことをした自覚があるのかな?」

「……」


 司がスマートフォンを触っている。


「循環器の先生と仲が良いと聞いてるよ。どんな営業してるのかな? やっぱり女のMRは信用ならないね」


 谷口先生の言葉に、その場の空気が凍りついた。私は羞恥にかあっと全身が熱くなるのを感じた。そのとき。


「鈴木さんは変な営業なんかしてません! 彼女は僕と結婚を前提に付き合ってますから!」


 司が顔を怒りに赤く染めて言い放っていた。


「す、鈴木……君!」


 私は慌てて司を見た。谷口先生はにやにやと笑って司を見ている。


「君も彼女の身体が目当てなんだろ? 顔は普通なのに、Eカップらしいね。さぞかし……」


 司は谷口先生の言葉にカッとなって谷口先生の胸ぐらを掴んだ。


「鈴木君!」


 私は司の腕を引いた。司は止めるな、というような目で私を見たけれど、私は首を横に振って見つめ返した。

 司を大学から移動させるわけにはいかない。


 私は一度息を吐いた。

 他のMRたちが固唾を飲んで見守る中、私は静かに膝を折った。こんなところで土下座なんて悔しい。でも、私にはこれくらいしかできない。私は床に額をつけた。


「申し訳ございません。鈴木君の非礼は私がお詫びします。どうか許してください」

「理緒!」


 司の血を吐くような声が響いた。谷口先生の表情は見えない。だが、勝ち誇ったような笑い声が聞こえた。


「無様だね、鈴木さん。本当に申し訳ないと思っているならこの大学から外れるんだね」


 谷口先生の本音が出た。

 ああ、やはり私は大学を外れるしかないのだろうか。悔しい。悔しい。

 私は谷口先生を見つめ返す。


「なんだね、その目は」


 バラしてしまおうか。この場で言ってしまおうか。

 大学にはいられなくなるだろう。それでも。

 このまま谷口先生が自分だけ何も痛手を被らずにいるなんて、間違っている。夏目さんだけが我慢をするなんて間違っている。

 私は。

 意を決して口を開こうとしたその時。


「鈴木さんに大学を外れられたら困るドクターは結構いますよ」


 階段を息を切らせて上ってきたのは沢野先生だった。

 谷口先生の顔が引きつる。


「ああ。あなたが噂の鈴木さんと特別に仲がいい先生ですか?」

「鈴木さんからは多くの有意義な情報を教えてもらっているだけです。循環器内科の沢野と申します」

「何を教えてもらっているのですかな? 怪しいものですな」


 谷口先生が下卑た笑いを浮かべて言う。沢野先生は静かに谷口先生を見返した。


「薬の知識をですが? それ以外に何かあるのですか?」


 私ははらはらして沢野先生を見上げた。こんなことは望んでいない。沢野先生が大学に居づらくなってしまう。


「薬ねえ……」


 谷口先生が意味ありげに笑う。他のMRは複雑な顔をして二人のドクターのやりとりを見ていた。騒ぎ目当てか、先ほどよりMRが増えている。通りがかったドクターたちも足を止めていた。


 駄目だ。これでは沢野先生まで巻き添えにしてしまう。悪いのは谷口先生なのに。

 もう我慢できない。

 私は一度司を見た。司が頷く。これをGOサインだと私は受け取った。


「もうやめてください! 谷口先生。それ以上沢野先生を侮辱するのでしたら、先生の秘密をここで言います」


 一瞬谷口先生の右眉が上がった。

 そして跪いたままの私を谷口先生は見下ろした。


「秘密? ほう。興味深い。なんだね、それは?」


 夏目さんにも迷惑をかけるわけにはいかない。夏目さんは今も十分被害を被っている。だから。


「それは……」


 私は谷口先生を真っ直ぐに見た。


「谷口先生は不倫をしています。……私と」


 その場がざわめいた。司と沢野先生が息を呑むのが伝わってきた。


「はっ! はははは! 何を言い出すかと思えば! 私が君と? 何を馬鹿なことを言ってるんだね? 証拠は? もちろんそんなものあるはずもないがね。君の虚言なのだから」


 勝ち誇ったような谷口先生の声。

 私はまた失敗したのだろうか。

 夏目さんの力になりたかった。谷口先生を許せなかった。でも、私の言葉は一蹴されただけで終わった。悔しさで涙が一粒溢れた。

 私はこんなに無力だ。


 そんな私の肩を優しく叩く手があった。


「馬鹿ね。私のためにここまでする必要なんてないのよ」


 声の主は夏目さんだった。


「谷口先生が不倫していたのは鈴木さんじゃないわ。私よ!」


 谷口先生の目が大きく開かれ、他社MRたちと他のドクターたちが驚いたように夏目さんと谷口先生を交互に見た。


「な、夏目さん……」


 私は夏目さんを見上げた。溜まっていた涙がまた溢れ落ちた。そんな私に夏目さんは手を差し伸べて私を立たせた。


「ごめんなさいね。貴女に土下座なんてさせてしまって。嘘までつかせて。私のエゴで鈴木さんを追い込んでしまった。私がもっと早く言うべきだったわ」

「な、何を言いだすんだ? 夏目さん。鈴木さんといい、人を馬鹿にするのもいい加減にしたまえ! は、はは。そんなこと誰も信じるわけないだろう! だいたい、証拠はあるのかね?」


 言葉とは裏腹に動揺した谷口先生の声。その場にいた全ての人が夏目さんを見た。


「証拠ならこのスマホにたくさん入っています。これ以上鈴木さんや沢野先生を貶めるなら、先生の奥さんにバラします」


 勝敗が決まった瞬間だった。

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