二人のドクター
エレベーターホールでいつものように呼吸器内科の先生方を待っていると、橘先生が病棟の方から出てきて私を見るなり手招きをした。そして自室のドアを開けた。
「まあ、入れ」
私は大人しく従う。
「腎臓内科の谷口先生を怒らせたらしいな」
橘先生の耳にまで入ってるのか。他社MRが面白おかしく話してるに違いない。
「ええ。まあ、はい」
「謝ったのか?」
「はい」
謝罪したのは事実なのでそう返事をする。
「一体何をしたんだ?」
橘先生の問いに私はしばし沈黙する。どこまで言おうか迷った。
「なんだ、歯切れが悪いな」
「その……。女性MRが谷口先生から出入り禁止にされたので、それが気になり意見しました」
「夏目さんのことか? なんだって鈴木、他社MRのことなのに熱くなったんだ」
私は再び口を閉じる。
「言えないことなのか?」
「……私は谷口先生にも非があると思ったので、夏目さんを出入り禁止にしたのにあまりにも普通な谷口先生が許せませんでした」
橘先生は煙草に火をつけようとした手を止めた。
「なんの非か分からんが、医者相手に対等を求めても無駄だぞ。前言わなかったか?」
「分かっていましたが、自分を止められませんでした」
「馬鹿な奴だな」
そう言った橘先生の声には憐憫が混じっていた。
「谷口先生か……。何度か会議で会ったことはあるが……こう言ってはなんだが、笑顔なのに考えが分からない印象だったな」
橘先生は煙草の煙を上に吐き出しながら言った。私はその笑顔の下の谷口先生の本性を見抜けなかった。悔しくて唇を噛む。
「俺は何もしてやれないが、愚痴ぐらいなら聞いてやる。あまり思い詰めるなよ」
「ありがとうございます」
「営業にも影響があるんだろ?」
「……はい。でも、今は腎臓内科は今野さんが回ってくださってます」
「そうか。まあ、腎臓内科ほどは出ないが、うちにも高血圧の患者はいる。出してやるよ」
「ありがとうございます」
「あまり他人のために無理をするな」
橘先生は少し辛そうにそう言った。
「大丈夫です。ありがとうございます」
私は一礼して橘先生の部屋を出た。
橘先生の存在をありがたいなと思いながら階段を降りていると、階段を上がってくる司に会った。
司は私の目をじっと見つめて、
「ぼちぼちやれよ」
と一言小さく言うと、何もなかったように階段を上がって行った。
司の目はいつもやさしい。私の中のもやもやしたものを落ち着けてくれるような深さがある。
私は司の瞳を脳裏に焼き付けるようにもう一度思い出して、循環器内科のある3階のエレベーターホールに行った。
すると今度は沢野先生に会った。沢野先生も橘先生と同じように手招きして、私を自室へと入れた。
「まあ、座ってください」
私は勧められるままに椅子に腰掛けて沢野先生と対峙する。
「困ったことになっているようですね?」
沢野先生の口元は微笑んでいたけれど、目は真面目だった。
「沢野先生もご存知なのですか?」
沢野先生は私の言葉に、
「僕以外にも心配してくれてるドクターがいるようですね」
と安堵するように笑った。だがまた顔を引き締めて、
「夏目さんが出入り禁止になったのも知ってますよ。鈴木さんはもしかしてそのことで何か谷口先生に言ったのでは?」
相変わらずの鋭さに私は一度瞬きをして、頷いた。
沢野先生は私の話を待つようにじっと見つめてくる。
「あの、そのことなんですけれど」
「うん」
「詳しいことは、まず鈴木君に話してから先生にも話そうと思います」
私の言葉に沢野先生は驚いた顔をした。
「まだ鈴木君に相談してなかったの?」
私は困ったように笑って頷く。
「私の問題だと。迷惑をかけたらいけないと思って」
「鈴木君、怒らなかった? 男としては彼女が困ってるのに何もできないなんてとても悔しいと思うよ?」
「そうみたいです。だからちゃんと話そうと思って」
「そうしてください」
私が頷くと、沢野先生は手帳を胸ポケットから取り出し、何やらさらさらと書いて私に差し出した。
「僕のメルアドです。鈴木君はよく思わないかもしれないけれど、連絡手段があった方がいい気がして。鈴木君にも教えていいから。くれぐれも無理しないでね、鈴木さん」
気遣うように沢野先生は言い、
「処方は多めにしときますから」
と付け加えた。私はそんな沢野先生にもう一度笑顔になる。
「ありがとうございます。よろしくお願いします」




