沢野先生の恋人役
糸田先生は鈴木を諦めたようだ。
鈴木が私のアパートに泊まった翌日。鈴木は他のMRたちから散々いじられていた。そして糸田先生からは、
「ほんとに彼女いるんだ」
と言われたという。
結果的には良かったかもしれない。
その後鈴木は時々泊まりに来るようになった。だが、まだ最後までしていない。
「俺の気持ちを疑わなくなるまでは我慢」
「いつになるか分からないよ?」
「それでも我慢するよ」
そう言った鈴木は本当に誠実だと思う。私は本当に大切にされている。
鈴木のことを考えて、自然と口元に笑みが浮かんだ私だった。
そこへ医局から沢野先生が出てきた。珍しく眉間に皺が寄っている。
「沢野先生? どうかされましたか? 顔色が良くありませんが……」
「ああ、鈴木さん」
沢野先生は私を認めて少し笑顔になる。
「そうだな、鈴木さん。少しお話できますか?」
私は頷いて沢野先生の部屋に入った。
「今日は薬の話はやめときましょう。最近オススメの曲などありますか?」
沢野先生はちょっと疲れた顔でそう言った。
「私はリベラという少年だけの合唱団と、アンサンブルプラネタという女性のアカペラのグループが好きです。とても綺麗な声で癒されるんです」
「CDを借りてもいいですか?」
「勿論です! 持ってきますね。あの、先生は何かお困りごとでもあられるのですか?」
「そう、見えますか?」
沢野先生はらしくない苦い笑みを見せた。
「実は見合いを勧められていまして。でも僕はまだそんな気には……」
そう言って沢野先生は顎に手を当て考える素振りをみせた。しばらく思案して、沢野先生は私を見た。
「あの、鈴木さん。恋人の役を演じてもらう訳にはいかないですよね? 両親に会ってもらうだけでいいんです」
私は戸惑う。私としては沢野先生の力になりたい。でも、鈴木はどう思うだろうか。私が逆の立場だったら嫌だ。
「えっと、それはいつですか?」
「今週の土曜日です」
「少し考える時間をください。明後日までには返事します」
「分かりました。無理されないでいいですからね?」
「はい」
私は帰宅後鈴木に電話した。
「沢野先生の恋人役?!」
鈴木が声を荒げる。
「ご両親の前で挨拶するだけなんだけど……」
「ふーん。それで? 理緒はどうしたいの?」
面白くなさげな鈴木の声。
「沢野先生にはお世話になってるし、できれば力になりたいと思うの。でも鈴木はイヤだよね」
鈴木はうーんと唸った。
「……正直、俺はそんなの引き受けて欲しくないよ。でも、理緒がそう言うなら、反対もできない。本当にフリだけだからな? そのまま結婚に話進んだりしないよな? 理緒は俺の彼女なんだから、そこはちゃんと断ってくれよ」
鈴木は変わった。付き合ってから、よりやさしく、余裕を持って接してくれている。自分の気持ちより私の気持ちを優先してくれている。
「当たり前だよ、そんなの。私は鈴木と付き合ってるんだから」
「昼だろうな?」
鈴木の心配が伝わって、なんだかくすぐったい。
「多分」
「土曜日だし、帰り俺のアパートくれば?」
「うん。そうするね」
私は沢野先生に承諾の返事をした。
沢野先生は、
「申し訳ないけれどとてもありがたいよ。よろしくね」
と本当に申し訳なさそうに言った。
土曜日。
鈴木と買った明るいベージュのスーツを着て私は指定されたホテルに向かった。もう少し華やかな格好が良かったかもしれないが、手持ちの服が少ない私は自前では明るい色のそのスーツを選んだ。
ホテルのラウンジにいる沢野先生を見つけて駆け寄る。
「すみません。スーツしか持ってなくて、この格好になりました」
「いいんですよ、どんな格好だって」
沢野先生の隣に座り、紅茶を注文する。
「あまり緊張しないで、ありのままの鈴木さんでいいですから」
沢野先生は言ったけれど、逆に困ってしまう。ありのままの自分って何だろう?
「あ、来ました」
沢野先生が言って立ち上がったので、私も立った。
どう思われようと関係ないのに胸がドキドキしてくる。
いかにも医者の両親といった感じの二人だ。
沢野先生の父親は紺のスーツ。母親は薄いピンクに花柄の着物だった。
沢野先生は父親似かな。眼鏡が似合うダンディな感じ。若い時はモテたんじゃないかな。
母親は品の良さが感じられる和風美人だった。
「僕がお付き合いをしている方です。彼女は鈴木理緒さんと言います」
沢野先生の言葉に私は沢野先生の両親に深くお辞儀をした。
「初めまして。鈴木理緒です。よろしくお願いいたします」
「あらあら可愛らしいお嬢さんだこと」
沢野先生の母親が口に手をあてて笑った。二人が腰かけたので、私と沢野先生も座った。
「おいくつですか?」
沢野先生の父親の質問に、
「今年で25になりました」
と答える。
「まあ、ほんとにお若い。ご職業は何をなさっているのかしら?」
私は正直に答えていいか分からず、困って沢野先生を見た。
「彼女は千薬製薬のMRをしています」
沢野先生が答えると、沢野先生の両親は顔を見合わせた。
「MR……」
なんとも言えない顔をされて、私は下を向いた。そんな私の背に沢野先生が優しく触れた。私は慌てて前を向く。
「そ、それで、このお嬢さんと結婚する気なのかね?」
沢野先生のお父様が沢野先生に尋ねた。
「まだそういう話はでていません。結婚出来たらいいなと僕は思いますけれど」
沢野先生の言葉に両親は黙った。私はただその様子を見守るだけだ。
「その~、彼女は若すぎるのではないかな? 言いにくいが修治は二度目の結婚だ。でもお嬢さんは初婚だろう? うまくいくだろうか」
言いにくそうに沢野先生のお父様が言う。沢野先生はそれに対し、
「それは僕たちの問題で、お父さんの心配することではありませんよ」
と答えた。
「とにかく、僕は今は見合いをしたいとは思えません。彼女がいるのですから」
再び沢野先生の両親は黙った。
「あ、それから、僕たちが付き合っているのは秘密なんです。彼女は僕の大学のMRでもありますから。なので、くれぐれも他の人に言わないようにしてください」
「それは、まあ……」
沢野先生のお母様は頷いた。たぶん言わないだろう。MRが恋人だとは。
沢野先生の両親は苦渋に満ちた顔をしていて、私はなんだか申し訳なく思った。偽りの恋人なのにこんなに悩ませてしまっている。
「分かった。えっと、理緒さんと言ったかな? くれぐれも修治のことを頼みます」
二人に頭を下げられ、私はそれ以上に深くお辞儀をした。
沢野先生の両親がホテルを出ていくと、沢野先生はふぅと小さなため息をこぼした。
先生は少し疲れた顔をしていた。
「これで良かったのでしょうか? 私はなんだか申し訳ないです」
私の言葉に、
「すべて僕の仕組んだことなので、鈴木さんは何も悪いことはしていません。大丈夫です。これで見合い話が減るなら僕にとってはありがたいことです」
と沢野先生は微笑んだ。私は複雑な気持ちになった。見合い話が来なくなったら、沢野先生はいつ結婚できるのだろう。
「鈴木さん?」
「あ、いえ。すみません。ちょっと考え事を……」
「鈴木さんはこの後何か予定がありますか?」
てっきり昼食を一緒に食べるのかと思っていたので、時間があると言えばある。鈴木のアパートに行くことになっているけれど、それは言えないし……。
「僕のうちにピアノがあるんです。最近弾いていないんじゃないですか? もしよかったら、弾きに来ませんか?」
私は返答に困った。一人暮らしの男性の部屋に彼氏がいるのに行くのはどうなのだろう。
でも、ここで断ったら、沢野先生のことを信頼していないことになるし、自意識過剰かもしれない。
私はもう一度沢野先生の顔を見た。沢野先生は首を傾げて笑っている。
私は、
「では少しお邪魔させていただきます」
と答えた。




