やきもち
「最近調子がいいね。何かいいことあったのかな?」
今野さんに言われて、
「そうですか? 特に変わったことはないですが……」
と何食わぬ顔で返す。
「竹部先生も時々シルビルナを出してくれてるみたいだし、僕としてはとても助かるよ」
「よかったです。でも、私の力ではないですよ」
竹部先生は論文を出したいだけなのだ。
「それでも僕は鈴木さんの頑張りのおかげだと思うよ。今後も頑張って!」
今野さんの言葉に笑顔で頷く。ドクターたちの反応が良くなってきているのは分かっていた。
また、鈴木と付き合うようになって言われるようになったのが、
「鈴木さん、なんか綺麗になったね」
という言葉。化粧も香澄に習った通りのままだし、爪にマニキュアを塗るようになっただけなのだけれど、そう言われるのが不思議だった。
その話を鈴木にしたら、
「いや、理緒綺麗になったと思うよ、俺も。やっぱ、幸せホルモンが出てるんじゃないか? なんてね」
と返され、私はなんて答えていいかわからなかった。なんだか恥ずかしい。
ただ、いいことばかりではない気もする。
以前は気にならなかったことが気になるようになってしまった。
どこにいてもついつい鈴木を探してしまう。周りに気づかれないようにしないとと思って誤魔化してはいるけれど、自分は誤魔化せない。橘先生を追っていた目が確実に鈴木を追うようになっているのだ。同時に鈴木が女医と話しているのを見ると嫌な気持ちになるのにも気が付いた。以前は全く平気だったのに。
鈴木は外見がいいし、若くてもの腰が柔らかいので女性ドクターたちに人気がある。鈴木から声をかけなくても声をかけられているのをよく見る。鈴木が上手くかわしながら営業だけをしているのは分かっているけれど、それでも面白くない。となると、鈴木はもっとこんな気持ちを持て余しているんだろうか。男性のドクターは女性のドクターに比べてかなり多いのだから。
それに片想いとやっぱり違うと感じている。橘先生は好きになったときから妻帯者だと分かっていたので、諦めに似た気持ちもあったのか、そこまで嫉妬はしなかった。
でも、鈴木の場合は鈴木から告白されたというのもあって、自分を誰より好きでいてほしいというやっかいな気持ちが付きまとう。私ってこんなに我儘な女だったのかなと時々不安になる。そして、自分で思っている以上に鈴木のことを好きになっていることにも驚く。
「ダメだなあ」
ため息とともに声が出て、通りかかった谷口先生に、
「何が駄目なんだい?」
と訊かれてしまった。
「いえ、なんというか、自分の気持ちを持て余しているという感じで……」
と答えてしまい、
「鈴木さんは恋をしているのかな?」
と言われてしまった。
「いえ、その。もっと処方が欲しいなと思ってしまうのです」
と慌てて言う。
「処方か……。エクサシールは順調に出ていると思うけどねえ。鈴木さんは真面目に営業に来ているしね」
「ありがとうございます。でも今以上にと思ってしまうのですよ。欲張りですね、人間て」
私の言葉に谷口先生も笑った。
「確かに人間は欲張りだね。まあ、もっと処方を増やす手立てを考えてみてごらん。若手のドクターにも積極的に声掛けして」
「はい。ありがとうございます」
「それじゃ。あ、そうだ。夏目さんを見なかったかい?」
谷口先生の言葉に私は少し考えて、
「いえ、今日は見ていないです」
と答えた。
「そしたら、見かけたらでいいから、僕が探していたと声をかけてくれる?」
「分かりました」
各階を回りながら夏目さんを探して階段を上っていると、
「ねえ。今度の日曜一緒に出かけない?」
と女性の声がした。
夏目さんの声ではないから、女性のドクターだろう。
「困ります。俺彼女いるんで」
断る声に私の耳が反応した。鈴木の声だった。
どこから聞こえるのだろう。見ない方がいいと思うのに探してしまう。
上からのような気がする。
私はよせばいいのに、そっと階段を上がった。
そして見てしまった。腕を無理やり組むようにして糸田先生が鈴木に言い寄っているのを。
鈴木は明らかに困った顔で腕を振りほどこうとしていた。その鈴木と目が合う。
「!」
鈴木の目に焦りが浮かんで、私に何か言おうとする。その前に糸田先生が口を開いた。
「あ、千薬さん。やだ、見られちゃった」
「お疲れ様です」
「鈴木君、なかなか心を開いてくれないんだ。彼女って千薬さんじゃないよね?」
私はきゅっと唇を噛んだ。
「……違います」
「よね~! 彼女がいるなんて嘘なんじゃないの? ねえ、一度ぐらいいいじゃない」
私が居ようが居まいが関係ないらしい。糸田先生は鈴木に猛アプローチをしている。私はやっぱり見るんじゃなかったと思って、
「私、用事があるので失礼します」
と二人の後ろを通って階段を上った。
胸の奥がちりちりする。鈴木がモテるのは分かっていること。いちいち嫌な気分になっても仕方ない。そう。仕方ないのに。
糸田先生はドクターになって一年目のまだ若い女医だ。肩まである長い髪はふわふわで、童顔で可愛らしい守ってあげたくなるような外見だけれど、性格は意外にサバサバしている感じ。
鈴木は困ってはいた。でもどうなのかな。あんなに可愛いドクターに言い寄られたら悪い気はしないと思う。腕だって組まれちゃって。
「おう、鈴木。体調悪いのか?」
黒いもやもやしたものが胸に広がっていたとき、橘先生に声をかけられた。
「まあ、部屋に来い」
私は橘先生の部屋に入らせてもらった。
「なんだ、彼氏と上手くいってないのか?」
「え? そういうわけではない、です」
「そうか。ならなんでそんな青ざめた顔してんだ?」
橘先生が煙草の箱から一本取り出して火をつける。
「先生。好きな人がモテるって先生ならどう思いますか?」
「ああ? モテないよりモテた方が俺は嬉しいがな」
「先生はヤキモチ妬かないんですか?」
「いいや」
橘先生は煙草の煙をくゆらせる。私はその煙をじっと見つめた。
「私、彼氏ができたの初めてですが、こんなに自分が嫉妬深いなんて思いませんでした」
「ヤキモチ妬かせるほうも悪いとは思うがな」
「いえ、悪いのは私です。こんな嫌な自分……」
「おい、泣くなよ?」
「だ、大丈夫です」
「恋人ができれば鈴木の低い自己肯定感も少しは上がると思ったんだが、そうでもないようだな。もっと彼に大切に、優しくしてもらえ」
「……はい」
私は橘先生の部屋を出た。
自己肯定感が低い自覚はある。
あれだけ母と兄に駄目な子だと言われ続けたのだ。自分に自信が持てない。鈴木は私を選んでくれたのだからと思っても、少しのことで心が揺らぐ。
自分と糸田先生を比較すると、どうして鈴木が私を選んだのか分からなくなる。
容姿は確実に負けてる。
糸田先生だけではない。鈴木はモテるのに、彼女もいたのに、なぜ私を好きになったのだろう。
考えだすと悪いほうにばかり思考が落ちていく。
エレベーターホールでぼんやり床を見ていると、
「鈴木」
と声をかけられた。
「誤解すんなよ?」
「何を?」
鈴木の言葉につっけんどんに返してしまう。
可愛くないな、こういうところ。自分でも分かっているけど、上手く対応できない。
鈴木は傷ついた顔を一瞬して、
「……夜電話する」
と小声で耳打ちして医局の方へ歩いて行った。
私は自己嫌悪でいっぱいになった。
営業だけは普通にしなくては。
私は階段を降りて循環器内科の医局へ入った。
珍しく准教授の今本先生がいて、話しかけられた。
「君はK大を出てるんだってね? 凄いな」
大学の話はされたくない。どうしても兄のことがちらつく。兄に比べれば私の大学なんて。しかも浪人して入ったのだし。
「MRじゃなくて他の職業につこうとは思わなかったの?」
どうして今日に限ってこうも傷をえぐられるのだろう。
「私は身体が強い方ではなくて、小さなころから薬にお世話になってきたんです。それで……」
「薬学部に入れば良かったのに」
「そこまでは頭が良くなかったんですよ~」
無理矢理笑顔を作る。私、ちゃんと笑えてるだろうか。
「先生、最近エクサシールはどうですか?」
「ん? ああ。処方してるよ」
嘘だと分かる。今本先生が贔屓にしている所は確か……。
「これからもよろしくお願いしますね」
私はそれだけ言うと医局を出た。
営業を終える頃には身も心もくたくたになって、私は帰りに買った菓子パンと缶チューハイをテーブルに置いて、シャワーだけ浴びた。
バスタオルで頭を拭いているとスマートフォンが鳴った。
鈴木の名前が表示されている。
私は両手が塞がっているのを理由に無視した。
鈴木は何も悪いことをしていないし、私が怒る理由はない。ただ、私が勝手にヤキモチを妬いてるだけだ。こんなもやもやした気持ちで話してもいいことない。
その後も二度着信があったが、私は取る気になれず、放置した。チューハイを飲みながら菓子パンを食べる。女としてどうかと思いつつ、酒に癒しを求める自分がいた。
と。
インターホンのチャイムが鳴った。カメラには鈴木が映っていた。
「開けないと騒ぐよ?」
鈴木の言葉に私は仕方なく鍵を開けた。
「どうして電話に出ないの?」
鈴木は少し怒った声で言った。
「……」
私は鈴木の方を見られずに、ただ黙ってチューハイに手を伸ばす。そんな私の手から鈴木はやさしくチューハイを取ってテーブルの端に置いた。
「ほら、こっち向けよ」
鈴木は一度ため息をついて、私の頬を両手で挟んで自分の方に向けた。
「俺は糸田先生のこと何もやましいことないよ」
「分かってる。分かってるけど……」
ようやく私は言葉を吐いた。
「けど?」
「嫌な気持ちになる自分がいるの」
鈴木は私を抱きしめた。
「ヤキモチ妬いてんだな? 馬鹿だな」
「馬鹿だもん」
「いいか、鈴木。俺には他の選択肢はないんだよ。鈴木しか見えてないから。……理緒が、理緒だけが好きなんだよ」
私の目から我慢していた涙が溢れる。
「何で? 私そんなに魅力ない」
「誰がそんなこと言ったの? 前話してたお母さんとお兄さん?」
鈴木が私の目を覗き込む。その目は少し悲しげに見えた。
「俺は理緒のお母さんでもお兄さんでもないよ。理緒、俺を見てくれよ」
「鈴木を……」
「そう。俺を。俺だけを」
私は鈴木の目を見返した。鈴木の目には私だけが映っていた。
鈴木の言葉は嬉しい。でも、まだ私の不安は取り除けない。
私は鈴木の首に手を回し、その唇に唇を重ねた。
そして、
「鈴木、私を抱いて」
と言った。
鈴木は私をやんわり離すと、
「そういうのは違うと思う」
と断った。
「え?」
「理緒の思考回路わかるよ。また自分が頑張ればどうにかなると思ってるんだろ? でもそういうのでセックスするのは違うよ」
「だって……」
「俺の気持ちは俺のもんだし、寝たからって俺が必ず理緒から離れないって補償はないんだよ? そういう交換条件みたいなセックスは意味がないよ」
「それじゃあどうすれば……」
鈴木は私とどうすればずっと一緒にいてくれるんだろうか。
「俺を信じて欲しい。俺の理緒に対する今の気持ちを信じて欲しい。大丈夫。何も見返りは求めてないから」
鈴木は私をあやすように抱きしめた。
「俺、今日、ここ泊まるから」
「え?! ベッド一つしかないけど……」
「うん。大丈夫。ベッドに一緒に入る。でも何もしないから。流石に下着だけは変えたいからコンビニ行ってくんね」
鈴木が出て行った後、私はおろおろしていた。
鈴木は約束を守ってくれるから、何もしてこないとは思う。でも同じベッドの上で寝るなんて、なんだか恥ずかしい。
鈴木はすぐに戻ってきて、スーツをハンガーにかけた。
「シャワー借りるな」
鈴木は当たり前のようにシャワールームに入ってそして、Tシャツとボクサーパンツの姿で出てきた。
私はそんな鈴木の姿に落ち着かない。
コンビニで買ってきたのか、おにぎりを二つと烏龍茶を鈴木は飲んだ。そして、私が先程から座っているベッドに入った。
「ほら、理緒も寝るぞ」
そう言って、鈴木は私を後ろからぎゅうっと抱きしめる。
「自分で言うのもなんだけど、したいのを我慢して、彼女を抱きしめて眠るなんて彼、なかなかいないと思うけどな?」
私はそうだねとやっと笑った。
鈴木の体温が私を安心させる。
私はいつのまにか眠りに落ちていた。
眼が覚めると、
「おはよう」
と鈴木の声がして、私は何が起こったのかしばらく分からず狼狽えてしまった。
「す、鈴木?」
「あれ、昨日のこと忘れてた?」
私は少し考えて、思い出す。
「そっか。来てくれたんだよね。そして何もせずに一緒に寝てくれた」
「寝顔見れて、俺幸せ」
「や、やだ」
私は頬が熱を持つのを感じた。そんな私に鈴木は唇を這わせてくる。
「んんん」
「おはようのキス」
「こんな深いキスするの?」
「ダメ?」
「……ダメじゃないけど、朝なのに」
鈴木は私を見て柔らかく微笑む。
「可愛い。毎日こうしたいぐらい」
もう一度唇を重ねてくる。
「もう起きないと」
「あ~あ。今日が土曜日ならこのままずっと過ごすのもいいのに」
言いながら鈴木は私を抱きしめる。
「あ~、理緒、柔らかくて気持ちいい」
「鈴木、な、なんか硬くなってる、よ?」
「うん。健康な証拠」
鈴木は言ってまたキスをした。
「ヤバイな。したくなる。けど、我慢」
「ごめんね、鈴木」
「理緒が謝ることじゃない」
鈴木は私の頭をくしゃりと撫でて、上半身を起こした。
「昨日と同じスーツだから、からかわれるかもしれないけど、糸田先生には逆に分かってもらえるかもしれないな」
「一度家に帰らないの?」
「車だけ取りに帰る。時間ないから」
一度起きると鈴木はささっとスーツを着て、
「じゃあ、大学で」
と言って軽いキスをした。
「うん。ありがとうね、鈴木」
鈴木が出て行くと急に寂しくなった。すぐに会えるというのに。
ベッドから出て、顔を洗う。鏡に映った自分を見る。こんなすっぴん顔を見られたんだと思うと恥ずかしい。でも鈴木は可愛いと言ってくれた。
鈴木を信じる。それは私にはまだ難しい。けれど、こんなにも大切にしてくれる鈴木には本当に感謝だ。いつか無条件に信じられるようになるといい。
私はメイクをしてスーツを着ると鈴木と買いに行った靴を履いてドアを開けた。




