私の心
次の日。
私はひどい胃痛と頭痛で目が覚めた。身体が重い。
目が覚めたら全て夢だったなら良かったのに。残念ながら記憶がある。
仕事に行きたくないと思った。
誰にも会いたくない。
特に鈴木には。
私は初めて有給を使った。
どうするか考えなければならないけれど、疲れていた。
私は水だけ飲んで再びベッドに潜り込んだ。
でも眠気は来なかった。
私はぼんやりと天井を見つめる。
しろに電話したい。
でも、それは甘えのような気がした。
自分で答えを出して、その報告の電話ぐらいにしないと。
私はもそもそと起き上がって、タオルケットを身体に巻きつけたままノートを取り出した。
・沢野先生は私が好き、なよう。プロポーズをされた。
・鈴木は友達をやめると言った。私のことを異性として好きらしい。付き合わないと沢野先生のことを言いふらす?!
書き出して、まず、私は沢野先生への答えを考えた。
沢野先生のことは大好きだ。癒される。でも、恋かといえば、違う。沢野先生に悲しい顔をされるときっと切ない。キスもイヤと思わなかった。むしろ甘やかだった。
ただ結婚となると自信がない。確かに趣味は似ているから一緒にいて楽しいだろう。でも、結婚は生活だ。結婚した場合、私はその後どうなるのだろう。MRをやめるのかな。
鈴木のことは友達として信頼しているし、人間として好きだ。恋愛感情ではないけれど、いつも気遣ってくれるのには感謝しているし、鈴木の言葉は私の生き方に大きな変化をくれた。大切な存在だ。
鈴木からのキスは嫌というより、無理矢理されたのがショックだった。
でも。昨夜の鈴木の顔を思い出す。あんな鈴木の顔は初めて見た。思い出すだけで心が締め付けられる。
あんな表情をさせたのが自分だと思うと、どうしよもなく胸が痛む。なんでこんなに苦しくなるんだろう。
沢野先生の立場を悪くするのはイヤ。
鈴木とはできれば友達を続けたい。でも、鈴木は私と友達ではいたくないのだ。それを思うと苦しい。
友達でなくなったらどうなるんだろう。
私は営業中、鈴木が私から目を逸らして去ってしまう想像をした。
心臓が凍りそうな恐怖を覚えた。不覚にも涙まで滲む。
鈴木と色んな話をしてきた。くだらない会話が多かった。でもそれは私の心を暖かくした。どこかで繋がっている安心感があったのに、今はこんなに心もとない。友達じゃなくなったら、私と鈴木の間には何が残るの?
何も、残らない?
それは嫌だ。怖い。
鈴木に無視されるのは、嫌。鈴木と話せなくなるのは、嫌。鈴木に昨日のような顔をさせるのも、嫌。
イヤ。
い・や!
心に自分の声がこだまして私は驚いた。
私は鈴木という友達を失うのが怖い。鈴木という存在を失うのが怖い。沢野先生を失うよりも……!
愕然とする。
沢野先生に断りの返事をしたら沢野先生を傷つける。それは悲しいと思う。けれど。
私の心を今占めているのは鈴木だった。
恋人になりたいかというとそうではない。でも、一番近くで私を見守ってくれいて、それが当たり前に続くと思ってしまっていた。なんて傲慢だったんだろう。
鈴木はあんなに苦しそうだったのに。
鈴木には笑っていてほしい。幸せそうにしていてほしい。
その時とき電話が鳴った。
スマートフォンの画面には鈴木の名前が出ていた。
私は躊躇ったが電話に出た。
「もしもし」
『……鈴木だけど』
「うん……」
『……体調崩したのか? 大丈夫?』
「胃と頭が痛くてね」
『俺のせいでも、ある? ごめん。無理矢理キスしたのは悪かったよ。でも、俺の鈴木に対する気持ちは本気だから。身体、お大事に』
「うん……」
鈴木が私のことを心配してくれているのが声で分かった。なんだか涙が出そうになった。
私は鈴木との繋がりを残したい。
それが答えなんだと思った。
胃は痛いけれど、流石に二食抜くとお腹がすいた。
私はおかゆを作って食べる。
昼になってしろに電話をした。
昨日あったことと、私の下した決断を伝える。
『理緒。頑張ったな。やっぱり鈴木さんは理緒が好きだったんだな。しかし、プロポーズかあ。沢野先生って人も思い切ったな』
「二人とも私のどこが良かったのか全然分からない」
『理緒のスレてないところ、可愛いと思うけどな』
私は驚いた。
「しろからそんな言葉聞くの初めて」
『普段言ってたらそれこそおかしいだろ? 鈴木さんと付き合うにしても、上手くいかなかったら別れたらいいさ』
私は別れると言う言葉にズキンとくる。
そうだ。友達と恋人の大きな違い。
「しろは今の彼女ともし別れても、その子と友達になれる?」
『難しい質問だが、俺はなれるかな。鈴木さんはどうか知らないけど』
「そう……」
『理緒。まず、身体を治すことだな。それから、初めてのことは誰だって戸惑う。でも、理緒の気持ちを大切に。自分の選択に自信を持って』
「うん。ありがとう、しろ」
私は電話を切るとタオルケットを頭まで被った。眠りがゆっくりと近づいてきた。
夜になって、香澄から電話があった。寝ていたのでぼんやりしながら電話に出る。
『大丈夫?』
「うん……。ちょっと色々あって胃が痛くて……」
『明日土曜だけど、ランチはできそうにないね』
「そうだね。来週でもいい?」
『話だけ聞きに行こうか? お腹によさそうなもの持って』
私はちょっと考えて、来週話すより明日話したほうがいいかなと思った。
「もし香澄がいいなら、お願いしようかな」
『わかった』
電話を切って時間を確認すると20時11分だった。
お腹はすいた。でも、気持ち悪くて食べる気になれずにそのままタオルケットを引き上げる。
香澄はなんて言うかな。
彼女のことだ、きっとバサッと私の悩みなんて切ってくれるかもしれない。
私はまたうとうとと夢に落ちる。
夢では鈴木と普段通りくだらないおしゃべりで盛り上がっていて、目が覚めるとなんだか涙が出た。
***
香澄が来る前にシャワーだけかかった。
すぐそばの駅まで香澄を迎えに行く。一日家から出なかったら、午前中の太陽がやけに眩しく感じられた。
「ごめんね~、病人なのに出てきてもらって」
「こちらこそ、来てもらってありがとう。部屋汚いけど」
オートロックの鍵を開けて、3階の部屋に案内する。
「おじゃまします」
香澄は靴を綺麗にそろえて部屋に入った。
「どうぞ~」
「雑炊作ってきたんだけど、食べれる?」
「え、わざわざありがとう」
香澄はタッパーに入った雑炊と、スイーツ入った紙袋を渡してくれた。
「プリンなら食べれるかなと思って」
「なんか気を遣わせちゃったね」
「いいのいいの」
私と香澄は丸い折りたたみテーブルを挟んで向かい側に座った。
「それで、何があったの?」
私はどこまで話していいか一瞬迷ったけれど、全てを話した。
「えーっと……」
香澄は何回か目を瞬いて、
「大変だったわね、理緒」
と私の肩を叩いた。
「うーん。個人的な話をするぐらいなら分かるけど、プロポーズ……。それも一度のキスで? そんな純なドクターいるんだ?」
香澄は呆れたように言う。
「とてもいい先生なの。MRを尊重してくれる、みんなにやさしい先生」
香澄は私の言葉に目を細めて、いたずらっ子のように笑った。
「私なら、そのドクターとの結婚の方とるかも。大事にしてくれそうじゃない?」
「それは……そう思う」
私も素直に頷く。
「でも、理緒はそれをしない」
「鈴木とはほんとは恋人になりたいわけじゃないんだけどな。二人とも勝手だよ」
「うーん。勝手、ねえ。まあ、タイミングが一緒になったのは同情する。でも、どっちみち二人ともいつかは理緒に告ったんじゃない? 理緒も橘先生に恋に落ちた。恋ってそんなものでしょ。プロポーズはいきなりするものなのかは私には分からないけど」
それを言われると私は何も言えなかった。
「まあ、鈴木君とは友達として仲良かったんだし、恋人もその延長だと考えればなんとかなるよ」
「そうだといいんだけれど」
と言った私のお腹がぐうと鳴った。
「雑炊食べたら?」
「そうする」
私は雑炊を電子レンジで加熱した。出汁のいい香りがする。
「美味しそう。いただくね」
「私もプリン食べていい?」
「香澄が買ってきたんじゃん。どうぞどうぞ」
私たちはしばらく無言で食べた。
先にプリンを食べ終わった香澄は、
「実は私も話があるんだよね」
とあらたまって言った。
「私、遠恋してる彼がいるって言ったよね」
香澄の彼の話は香澄の家以来だ。
「うん」
とドキドキしながら先を促す。
「それで、理緒の話と被るんだけど、プロポーズされて……」
「わあ! 良かったね!」
私は思わず声を上げた。香澄は珍しく照れた顔をして笑った。
「ありがと。……だから、私、今月いっぱいで退職することになったの」
その言葉に、私は固まった。
「……え?」
「有給消化もするから、実質的にはあと10日ほどで会社には来なくなる」
嬉しいことなのに、香澄が辞めちゃうんだと思うと私は急に寂しくなった。
「そ、そうなんだ……」
「理緒~、なんて顔してんのよ~!」
香澄が私の手を握って言う。私の目にはじわりと涙が浮かんでいた。
「だって、香澄はMRになって初めてできた友だちで……」
「永遠の別れじゃないんだから~! 電話だってできるし、辞めてからも会いに来るから」
「それでもやっぱり寂しいよ~!」
「ごめんね。理緒が色々悩んでる時に重なっちゃって」
「そんな、それは香澄が悪いんじゃないから」
私と香澄は手をぎゅっと握り合う。
「今日、理緒の話聞いてかなり心配になった。いつでも相談していいからね」
「うん……」
「それと。引っ越しを手伝いに来てくれると嬉しいかも」
「分かった、行く」
「欲しいものあったら持ってっていいよ?」
「ありがとう」
私は気持ちを切り替えようとしたけれど、香澄と簡単に会えなくなるのはやはり寂しくて、いつまでもぐすぐすしていた。香澄は困ったように笑っていた。




