鈴木の告白
ふわふわした感覚のまま営業時間は過ぎて、捗らないから帰ろうと思っているときだった。
歩いていると腕を掴まれた。
鈴木だった。鈴木は思い詰めたような目で私を見ていた。
「鈴木、帰るなら駐車場まで一緒に帰ろう」
こんな鈴木初めて見る。
「どうかしたの? いいけど。今野さんに声かけてくるから、出口で待ってて」
「分かった」
駐車場タワーまでは、ドクターの駐車場を横切って行く方法と、夜は人気のあまりない狭い道路を歩く方法とがある。夜は怖いので私は使わない。
鈴木はこの日、なぜか狭い道の方を選んだ。
「……何かあったの? なんでこっちの道……?」
少し怖くなって私は口を開いた。
「あまり人に聞かれたくない話題だろうと思って。……何かあったのはそっち、だろ?」
鈴木が沢野先生のことを知っているはずがない。だとすれば何だろう。私は分からず困惑した。
「え? 本当に、何?」
「……沢野先生と何かあったんじゃないの?」
私の足が止まる。
「な、何で?」
「何かされただろ?」
私は何を根拠に鈴木がそんなことを言うのか分からず、
「何でそんなこと言うの?」
と不安になって返した。
「鈴木の香りがふっとしたよ。あの人」
心臓がドクンと跳ねた。鈴木の顔を見る。鈴木は青ざめたようなどこまでも真剣な顔をしていた。
「部屋で何してんの?」
「く、薬の話に決まってるじゃん」
「話してるだけで香水の香りがつくんだ? おかしなことされたんじゃないの?」
「す、鈴木に関係ないでしょ?」
「関係ない? 心配してんだろ! 何もないならこんなに動揺しないよな? ……変な営業してんなよ!」
最後の言葉は私を傷つけた。
鈴木、そんな風に思ってるの?
「……鈴木だって前、糸田先生と抱き合ってたの見たよ? 」
言いたくないのに言葉が出てしまった。
「あれは勝手に抱きついてきただけで……って、鈴木見てたの? 」
「見えただけ。……私帰る」
私はなんだか悲しみと怒りを覚えて早足で歩き出した。その私の腕を鈴木が掴んだ。
「医者になら何されてもいいのかよ?」
ぐいと引かれて私はきゃっ! と声を上げた。
「そんなわけないでしょ! は、離して!」
鈴木の手の力に、彼が男なんだと今更思い出して、怖くなった。私はなんて学習力がないんだろう。橘先生にも言われたばかりなのに。
「何されたんだよ」
鈴木の声がいつもより低く、切羽詰まっていた。
私の知っているどこか飄々とした、でも憎めない鈴木の顔ではなかった。
今日の鈴木、なんだか怖い。どうしちゃったんだろう。
「キス、許したの?」
鈴木は私の顔を覗き込むように見て言った。
「口紅はげてるよ?」
どきりとして、私は掴まれた手に力を入れた。
私は鈴木から逃れようとする。が、鈴木はそれを許さなかった。
「したんだ」
「す、鈴木に関係ない!」
「なくない。なくないんだよ……」
次の瞬間には、私は鈴木に唇を塞がれていた。
「んん! ん~!」
私が身をよじると、鈴木は唇を離したけれど、手は離さなかった。
鈴木は追い詰められた獣のような顔をしていた。そこに余裕はまったくない。
私は困惑した。
「俺じゃ嫌がるのになんであの人とすんの平気なの? おかしいよ。そこまでして処方とりたいの?」
また処方のことを言われて私は傷つく。
「そんなわけないでしょ?! お願い、手を離して」
「嫌だ。沢野先生が好きなの?」
「違う! 失恋したばかりって言ったじゃない! でも、沢野先生は私を癒してくれるの! MRだからって馬鹿にしないの! ……私だって、こんなことになるなんて……!」
沢野先生の部屋は癒しだったのに!
涙が浮かんだ。
「悩んでるなら俺に言えば良かっただろ! MRだから理解し合えることだってあるだろ!」
「こんなこと言えないよ。それに友達の鈴木に恋愛についてとやかく言われる必要ない!」
私は涙を零しながら叫んだ。すると、さらに鈴木の手に力が入った。
「はっ、友達! 俺、営業の合間の鈴木との話、楽しかったよ。友達だから心を許してくれんのわかってても、嬉しかったよ。でも今は苛立って仕方ない! 俺、男だよ! 男、なんだよ! 男と女で本当に友情なんか成立すると思うの?」
鈴木の大きな声。
「しろは私にこんなことしない!」
「ああ、史郎さんね。彼と俺は違うんだな。俺はもう友達はやってられない! もう耐えられない! 好きな女に何もできないなら、友達なんてやめるよ」
鈴木は私の手を離した。
好きな女? 友達やめる?
「そんな、何言って……」
鈴木は私の涙を震える手で不器用に拭った。
「俺、鈴木が好きなんだ。どうしようもなく好きなんだよ! 沢野先生のこと、言いふらされたくなかったら、俺と付き合って」
「な、何言って……」
私は鈴木の言葉が信じられなかった。
「手段なんかもう、どうでもいい。MRと変な仲になったって知れ渡ったら沢野先生、大丈夫かな?」
「や、やめて! そんなことしたら先生は……!」
鈴木に言い返す。
けれど、沢野先生が心配なのに、それ以上に鈴木の表情が気になった。鈴木は今にも泣きそうな顔をしていた。
どうして、そんなこと言うの? そんな顔するの?
私はどうしようもなく胸が締め付けられるのを感じた。心が、痛い。痛いよ。
「鈴木、考え直して? 今日変だよ? 鈴木には彼女がいるじゃない」
「変? ずっと、ずっと言いたかったことだよ! 鈴木には俺が彼女がいるのにこんなこと言うように見えるわけ?! もう別れてるよ! ……くそっ! こんなはずじゃ……。かっこ悪りぃ、俺。こんな告白。ちゃんと言いたかったのに。でも、もう戻れない。……考えといて」
鈴木から苦痛に満ちた声が絞り出された。
情報が多すぎて訳がわからない。
沢野先生からのプロポーズ。鈴木の告白。
いったいどうなってるの?!
「ま、待って、鈴木!」
鈴木は私の言葉を無視して歩き出す。
私は暫く茫然と佇んでいた。
月明かりが痛いと思ったのは初めてだった。
帰り道をどう帰ったのか分からない。
アパートに着いて、まず何をしたらいいか考えた。鈴木はああ言ったけど、沢野先生のことを言いふらしたりしないはず。そう思っても不安になった。鈴木にメールだけしようと思った。
『お願い。返事、一週間待って』
そして、スーツを脱いでシャワールームに入った。
シャワーの音が遠くで聞こえる。
自分に今日何が起こったのか。思い出して震えた。
沢野先生の告白と深いキス。そしてプロポーズ。未だに信じられない。沢野先生はどうして私との未来を考えたのだろう。分からない。でも、ちゃんと答えを出さないと。
そう。プロポーズされたことが一番衝撃的なはずなのに。
私は手の震えを押さえようとした。
でも、鈴木に掴まれた感覚が未だに残っている。
鈴木。
私の知らない鈴木だった。
低い大きな声も、苦悩と悲しみに満ちた顔も。
鈴木はいつも笑顔で、どこか頼りなくて、男っぽくなくて、だから私の中で安全な存在で。酔って口づけされたけど、それは酔っていたからで。
でも今日は違う。鈴木はシラフで。
獣のようなキスは、鈴木は男なんだって、思いたくないのに思わされた。
「鈴木……友達やめるなんて、言わないで……」
私は気がついたら泣いていた。
どうして二人とも今の関係を壊そうとするんだろう。
やさしくて癒してくれた沢野先生。沢野先生の部屋での時間はかけがえのない時間だったのに。
鈴木。営業の合間のおしゃべり。一緒にしたゲーム。気の合う友達ができたって嬉しかったのに。
こんなの望んでない。
私は泣き疲れてシャワーを止めて、頭をタオルでゴシゴシ拭いた。鏡に映る私は全然魅力的に見えない。
「馬鹿! 馬鹿!」
誰にぶつけていいか分からない怒りと悲しみを私は口に出して、鏡の中の自分に放った。




