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沢野先生の過去

 スマートフォンからLINE受信の音がして、私は何気なしに見た。

 しろからだった。


『暑くなる前に次の土日にそっちに遊びに行こうと思う』


 用件だけの簡潔なメールに、しろらしいなと口が緩む。


『いいよ~。おいで~。部屋には泊められないからホテルとってね』


 と返信した。

 どこに連れて行こうかな。もうこちらに来て半年は経つのに、どこにも行ったことがないことに気付く。

 そういえば、鈴木は大学がこちらだったっけ?

 後で聞いてみよう、と思いながらスマホをカバンにしまった。

 さあ、今日もしっかり働こう。



 資料を出して宣伝をすることはなかなかできないのだけれど、それでももし必要だったらと思うと荷物が多くなる。肩にカバン。両手に製品名の入った紙袋を持って10階まで階段を上がるのは結構な労力だ。

 10階のエレベーターホールで息を整えながら予定を確認していると、谷口先生がエレベーターから出てきた。

「お疲れ様です! 千薬です!」

「ああ、お疲れ様」


 谷口先生が医局に歩いて行くのに合わせて隣を歩く。 

「6月30日に講演会があるので、ぜひ来ていただければと思います」

「講演者は誰かな?」

「花咲大学の腎臓内科の千葉教授、東方病院循環器内科の江嶋講師にお願いしております。19時から駅前のインターナショナルホテルでになります」

「 分かりました。なるべくいきたいと思います。日にちが近くなったらまた声かけてくれる?」

「はい! 勿論です! それで、この講演会の案内のポスターを医局に貼らせて頂きたいのですが……」

「ああ、勿論いいよ」


 私は競合品のある他社の講演会案内の隣にわざと貼らせてもらった。


「あ、そうそう。説明会の日程出てるから、千薬さんも入れといたほうがいいよ?」

「あ、はい! では記入させて頂きます」


 間を空けて二回入れさせてもらった。


「それから、鈴木さん」

「はい?」

「渡部先生がエクサシールWを使いたい患者がいるとかで、話が聞きたいって言ってたよ」

「わあ、嬉しいです。ところで、腎臓内科で入っている自主研究の患者さん、集まりはどうですか?」

「昨日は三例の患者さんを組み入れたよ? はい、患者名と担当ドクター」

「ありがとうございます!」


 私はもらった紙をクリアファイルに挟んで大事にしまった。


「ありがとうございました!」


 私は谷口先生に深々と頭を下げて、


「また後で来ます」


 といって腎臓内科の医局を出た。


 4階のエレベーターホールに行くと、鈴木がいた。


「お疲れ様!」

「おう! 今日、呼吸器内科説明会、クラウスさんみたいだよ」

「じゃあ、夏目さんだね」

「そうだね」


 私と鈴木は病棟などにいたドクターがカンファレンスルームに入って行くのを捕まえては用事を伝えた。


 クラウスの説明会が始まった。漏れてくる声を聞こうとしたが、ちょっと無理だった。

 私は鈴木にこそっと、


「今度の土日、しろが遊びに来るんだけど、鈴木はどこに連れて行ったらいいと思う?」


 と尋ねた。

 鈴木は目だけこちらに向けて、


「しろって、ゲーム一緒にしてるしろさん? 遊びに来るんだ? 仲良いね」


 と返事をした。


「うん。しろは大学の時の一番の親友なんだ。私、友達少ないんだけど、その数少ない一人なの」

「動植物園あるよ。大きな。あと、公園かな。城跡の」

「そうなんだ、じゃあそこ行ってみよう。地下鉄で行けるよね? ホテルはとってもらうんだけど駅前にいくつかあるよね?」

「一人なんだし、家に泊めたら? 鈴木んちそんなに汚いの?」

「汚いって、失礼ね。しろが男じゃなかったら泊めるけど、親友とは言え男だからさ」

「え!? しろさんって男なの?!」


 鈴木が驚いたように身体をこちらに向けた。声が少し大きい。私は指に人差し指を当てて、静かにと合図する。


「うん。言ってなかったっけ? 史郎だからしろって呼んでるんだ」

「……わざわざ泊まりで遊びに来るって、それって彼氏じゃないの? 男女の友達でなんかそういうの、考えられないんだけど」 


 苦虫を噛み潰したように鈴木が言う。


「えー? 違うよ。しろは親友で彼氏じゃない」


 私の言葉に鈴木はため息を一つつく。


「やっぱりあんた変わってるな」

「よく言われちゃうけど、鈴木に言われたくはないな」


 鈴木は少し考えるような仕草をした。


「……なあ、俺もしろさんに会ってみたいな。ゲームでお世話になってるし」

「しろにきいてみるね。たぶん、しろも会いたいって言うんじゃないかな」


 私は笑顔になって答えた。鈴木は、そんな私から目をそらして、


「今度の土日ね」


 と確認するように言った。



 その後説明会を終えて出てきたドクターにシルビルナの処方を声かけした。塩屋先生が珍しく、


「一例出した。自主研究の条件に当てはまったから」


 と言ってくれて嬉しかった。


 しろに鈴木が会いたがっていることを告げると、『俺も会ってみたい』という返事が返ってきた。私は何となくそうなる気がしていたので、特に驚かなかった。

 駅前に10時に集合で、三人でお茶してから、動植物園に行くことにしよう。

 鈴木にしろの許可がおりたことと、土曜日の待ち合わせ時間をLINEで伝えた。


『地下鉄で移動すんの?』


 というLINEに、流石に営業車では回れないからと返信した。どちらにしろ、鈴木はお茶した後帰るだろうから関係ないはず。


 私は動植物園への行き方と、その後の食事、最後に城跡に行き、夕飯を食べるという計画を立てた。昼食は鰻の美味しい店を探し、夕飯はハンバーグカレーの美味しいところを探した。どちらもしろの大好物だ。


 今日が木曜日だから、後何日もない。

 私は久しぶりにしろに会えるのが嬉しくて、営業時間も自然に笑顔になった。


「おう、なんか良いことあったのか?」


 医局に入ってきた橘先生に、


「土日に親友が遊びに来るんです」


 と答える。すると橘先生は優しく目を細めた。


「そうか。たまには息抜きも必要だな。楽しんでこいよ~」


 そういうと橘先生は医局をでていった。

 残っていた塩屋先生が、


「どこに行くか知らんが、井尻って抹茶パフェやってる店が駅の地下街の奥の方にあるから、行くといいぞ。あそこのは美味い」


 と教えてくれたので、


「ありがとうございます! 行ってみます!」


 驚いて返事した。


「塩屋先生は甘いもの、お好きなんですか?」

「甘すぎるのは嫌いだけどな」


 塩屋先生は自然体で、薬の話をしなければ普通に会話してくれるんだ、と思った。私は焦りすぎてたのかもしれない。


 午後からの営業で大学に行くと、ちょうど沢野先生が自室に入ろうとしているのを見かけた。


「沢野先生」


 沢野先生の背中に遠慮がちに声をかける。


「あ、鈴木さん。こんにちは。もしかして、エクサシールWの資料、持ってきてくれたのかな?」

「はい」

「どうぞ入ってください」

「失礼します」


 エクサシールWの臨床データの資料を出して説明する。

「利尿剤との合剤なので、副作用として、頻尿がエクサシールと比べるとみられます」

「うん。でも、使い易そうだね」

「先生がWの方が合いそうだと思われた方にはWをお使いください」

「そうすることにするよ」

 私は資料を片付けようとして、何気なく机に置かれた沢野先生の指を見た。沢野は色白なので指も白く、そして長かった。関節が太くなかったら女性のようだ。


「どうかしましたか?」

「あ、いえ、沢野先生の指、長いなと思いまして」

「ああ、指ですか?」


 沢野先生は組んでいた指をほどいて、私の前でグーパーをした。

 あれ?

 私は軽い違和感を覚える。

 指輪がない。でも、結婚しててもつけてない人もいるよね、と思い直す。特にドクターは手を使うことも多いし。

「?」

「あ、いえ、すみません。私は趣味でピアノを弾くのですが、沢野先生の指はピアノ向きだなと思います」

「あ~、実は弾けます」


 誤魔化すために言った言葉に予想外の答えが返ってきて私は驚いた。沢野先生は珍しく照れたように笑っていた。


「そうなんですね! 私は指の間に水かきがないので、指と指の間は開くんですが、長さがないので弾いていて届かない音もあって……。先生の指、羨ましいです!」


 私が言うと、


「どれどれ?」


 と沢野先生は私の手首を優しく掴んで、自分の手と私の手を合わせて見た。突然のことに、私は目を見張る。頬が熱くなるのが分かった。


「本当ですね。僕の指と長さが……」


 無邪気に沢野先生は笑って私を見て、


「あ」


 と途中で言葉を切った。


「す、すみません!」


 沢野先生は慌てて合わせていた手を離し、謝る。その顔は、もとが白い分、分かり易く真っ赤だった。


「い、いえ、大丈夫です」


 私は自分の顔の前で両手を振って答える。

 なんだか沢野先生の反応にこちらが恥ずかしくなってしまった。

 途中になっていた資料の片付けを再開する。


「先生方は……」

「はい?」

「邪魔になるから結婚指輪をされない方が多いのですか?」


 尋ねて、やっぱり訊かなければよかったとと思った。気まずい空気をどうにかしようと思って言葉を紡いだけど、話題を間違った気がする。

 私は自分って馬鹿だなと思いながら沢野先生の返事を待つ。


「……ああ。そうですよね。鈴木さんはまだ配属して間もないし、ご存知ないですよね」


 沢野先生の顔には複雑な笑みが宿っていた。


「僕、バツイチなんです」


 私はなんて答えていいか分からず黙った。空気が薄くなったような気がした。


「す、すみません。触れられたくないことですよね。私、個人的なこと、聞いてしまって……すみません!」


 沈黙に耐えきれず謝った私に、沢野先生は、


「いいんですよ。隠すことでもないので」


 と静かに答えた。寂しげな笑みに私はどうしていいか分からなくなってしまった。

 このまま部屋を出た方がいいのだろうか。

 でもこんなに気まずいまま出て、私は再び沢野先生に会えるだろうか。

 沢野先生の部屋の時計の音だけが響く。


「あの、もしよかったらもう少し話をしませんか?」


 沢野先生が控えめに言った。


「鈴木さんは付き合っている方はいますか?」

「え?」


 話を聞く側かと思っていたので突然の質問に私は戸惑う。


「ざ、残念ながら、いません」


 沢野先生は目を瞬かせて、


「そうなんですか? こんなにステキな女性なのに。皆さん見る目がないですねぇ」


 とお世辞を言ってくれた。


「僕は、大学生の時から付き合っていた人がいたんです。ここの大学の同級生で」

「それでは、相手の方も医学生だったのですか?」

「はい。研修医のときも同じ科を回って。忙しくて、初めてのことばかりで大変でしたが楽しかったですね」


 沢野先生は懐かしそうな目をして語る。


「そして、僕は循環器内科に、彼女は産婦人科に。医者になる時に婚姻届を提出して、簡素な式を挙げました。僕たちは違う科でも同じ大学病院だし、大丈夫だと思っていました。でも、お互い忙しくて、学生の時より一緒にいられなくなり……。僕はそれでも良かったんですけどね。絆があれば。でも、結局三年で別れることになりました。子供もいなかったからかもしれませんね」

「そう、だったのですね……」

「彼女は今、違う病院の産婦人科にいます。僕と別れてここには居づらかったようで、申し訳ないことをした」

「……」

「でも、彼女も頑張っているみたいです。噂は聞くので」


 沢野先生は少し誇らしげに笑った。


「僕はまだ結婚を諦めていないんです。 彼女とは別れてしまいましたが、でも、僕は結婚生活、楽しかったですから。年齢を重ねた分、今度はもう少し相手を想い合えるような結婚生活を送れるとも思うんです」


 沢野先生は言ってにっこり笑った。その笑顔に影はなかった。


「沢野先生ならきっと大丈夫だと思います。やさしいし、おモテになるのではないですか?」

「そうでもないですよ。仕事柄紹介される機会は多いのですが、僕はできれば恋愛結婚がしたいんです」

「あの、失礼ですが、沢野先生はお年は……」

「34です」


 もっと若いと思っていたが、講師になってるのだから、それくらいで当然だ。


「沢野先生、30くらいかと思っていました」

「嬉しいことを言ってくれますね」

「でも、お仕事ものってきて、一番男性として輝く時期なのではないですか? 素敵なお相手が見つかりますように」


 私は心からそう言った。沢野先生は、


「ありがとうございます」


 と笑った。


「不思議ですね。鈴木さんには話してしまいました」

「差し出がましいかもしれませんが、私でよければいつでもお話聞かせてください。沢野先生にはよくエクサシールの話を聞いていただき、本当に感謝しているんです」

「医者が薬の情報を得て勉強するのは当たり前のことですからね。でも、そうですね。時間のある時には薬以外の話もたまにはいいですね」


 沢野先生はいつもの穏やかな笑顔でそう答えた。


「それでは、今日は失礼します」

「お引き留めしてすみませんでした。また来てください」

 私は一礼してドアを閉めた。

 カンファレンスルームを出るとエレベーターホールには沢山のMRがドクターたちを待っていた。私はスマートフォンで時間を見て驚いた。沢野先生の所にかなり長居してしまったようだ。


「鈴木さんが沢野先生のところに入ってたんだね」


 他社MRが嫌味を言って沢野先生の部屋へ行く。それを横で聞いていた鈴木が、


「え? あれからずっといたの?」


 と横に来て声をかけてきた。


「あれからって……?」


 ほかのMRを気にしながら、鈴木に返すと、


「鈴木が沢野先生の部屋に入っていくとこ、ちょうど見たんだよ。俺、その後、色んな科回ってきたのに」


 と鈴木も他社MRに聞こえないようこそこそと言った。見られていたんだ。


「頼まれてた資料が結構あってね」

「ふうん」

「それにしても今日、MR多いね。3階」

「サンコーさんが説明会だからね」

「なるほど」


 説明会が始まるまで後40分はある。


「ちょっと私他のとこ回ってくる」

「おう」

「今野さんは見かけなかった?」

「さっき教授の部屋に入っていったよ」


 じゃあ、私がこの階にいなくてもますます大丈夫だ。教授に話が終わった後、今野さんはここに残るに違いない。

 私は階段を急いで10階まで上った。


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