鈴木と夕飯
今日も一日が終わる。
他社の説明会の前後にドクターに声かけをして、今野さんに午後からの営業報告をした。
「沢野先生とエクサシールWの話できたんだね。良かった」
「では、私は支店に車を置いてから帰ります」
今野さんと別れて駐車場に来て、はたと私は鈴木との約束を思い出した。
慌てて電話をする。
『あー、終わった? 俺もさっき駐車場に着いたとこ』
白のプリウスから鈴木が出てきた。
「えーと、俺の後ろ車でついてこれる?」
運転の上手くない私は、
「無理だと思う」
と即答した。
「じゃあさ、俺の車で行ってここに戻ってくることにしようか」
「そっちの方が助かる」
鈴木にドアを開けられて、ちょっと驚いた。やっぱり彼女持ちは違う。私は助手席に座った。
「鈴木、今日の香水、なんだろう。甘いけどお香のような香り」
「鼻いいね。ゲランのサムサラっての付けてる。サンダルウッドがお香みたいに香るのかな」
「落ち着く大人の香り」
「ありがとう」
鈴木の運転は丁寧で乗り心地が良かった。
「鈴木、運転上手いね」
「上手くはないよ。でも、運転するのは好きかな」
大学病院のあるところは市街地なので、お店に行くには少し先の光の群れを目指して走ることになる。
「ねえ、鈴木、彼女いるのに、私とご飯一緒に食べて大丈夫なの?」
鈴木はちらりと私の方を見て、
「食事は同僚とも行くでしょ。ただ、お酒は二人で飲むのはダメって約束がある。それに……」
「それに?」
「いや、なんでも」
「まあ、それなら大丈夫か。二人とも車だし、お酒は飲まないから」
話しているうちに、鈴木は中華料理屋のようなそれでいて微妙に違うような店に入った。
中に入ると食欲をそそられるようないい香りがした。漢方薬っぽい匂いもする。
「へえ、こんな店知ってるんだね」
丸いテーブルについて、メニューを見る。コース料理も気になるけれどその値段の方がさらに気になり、今回はやめることにした。
「なんか鈴木のオススメとかある?」
「鳥肉が入った薬膳粥、俺は好きなんだけど」
「じゃあ、私それにしよう」
「俺もそうしようかな」
「鈴木はもっとガッツリなものいったら?」
「いや、今日はいいや。寝不足だし」
運ばれてきたお茶を飲むと、後味がほの甘い、飲んだことのない味がして驚いた。
「不思議な味のお茶」
「慣れると癖になるよ」
そうかも、と思いながらまた飲む。
「それで、今日はなんで食事に誘ってくれたの?」
「ああ、前から行きたいなと思ってたんだけどね。なかなか言い出せなくて」
「そうなの?」
「なんかさ、鈴木はもう少しリラックスして営業した方がいい気がしてさ」
「ああ、それ? 私、そんなに余裕ないかな? 鈴木は結構気、抜いてる感じだもんね」
「それは言い過ぎ。まあ、でも、うちは上司の白崎さん、うるさくないしね」
「今野さんもうるさいわけじゃないんだけど……。でも、なんか期待されてる感はあるかな」
「それは分かるかも」
私はちらっと鈴木を見て、どうしようか迷った挙句、口を開く。
「……私ね、どこまで頑張ればいいか分からないんだよね」
鈴木は少し首を傾げて次の言葉を促す。
「前、存在意義について話したの覚えてる?」
「ああ、あの小難しい話」
「そう。私、家に居場所がなくてさ。出来のいい兄と、その兄を溺愛する母に、いつもお前は能無しだって言われてて」
「父親は?」
「言いはしなかったけど、庇ってもくれなかった。気が弱い人で」
「じゃあ、家出て正解だったな」
「うん。わざと違う県に配属される千薬に入ったの」
「そっか」
頼んだ粥が運ばれてきて、私は一度話を切った。不思議な香りが湯気とともに漂ってくる。でも嫌な香りじゃない。卵やクコの実が入っていて、粥だが、なんだか色が鮮やかだ。
「美味しそう」
「だろ? まあ、食べよう」
蓮華ですくって、息を吹きかけて一口食べる。
「熱っ。でも美味しい」
鳥の出汁がよくきいている。薬膳料理というからもっと食べにくいのかと思ったら、ふんわりと優しい味だった。
「それで?」
粥を食べながら鈴木が尋ねてくる。
「えっと」
美味しく食べているとどこまで話していたか忘れてしまった。
「家出たんだよな? だったら解決したんじゃないの?」
鈴木の言葉に私は粥を食べる手を止めた。そして、ぐるぐると蓮華で粥を混ぜる。
「うん……。それが、解決はしてないみたいで……」
ぐるぐる。私は混ざり合う粥を見ながら、我ながら何故だろうと思う。何故解決しないんだろう。
「残ってるんだよね。頭の奥に。言われたこととか。だから。能無しじゃなくなるためには、頑張らなきゃって。死ぬ気で頑張らなきゃって」
鈴木が私の方を向いたのがわかった。でも、私は鈴木の顔を見られなかった。涙が出てしまう気がして。
「役に立たなきゃって。でも死ぬ気でってどこまでやればいいのか分からないんだよね。だから、頑張っても頑張ってもまだ足りないような気がするの」
私は言ってから、食事の楽しい時間を台無しにしたなあと思って無理に笑顔を作った。
「本当に美味しいね。このお粥」
「……あんたさ、馬鹿だね」
鈴木に言われて、
「だよね」
と反射的に笑って返す。
「だよね、じゃない。笑わなくていい」
「え?」
「無理して笑う必要ない」
「あ……」
自分の表情が消えるのが分かった。
鈴木は先ほど私がしていたように残りの粥を蓮華で混ぜた。そして一口食べると、私の方を再び見た。
「俺さ、前に言ったけど、俺の存在意義は仕事で役に立ってるかじゃないって」
「うん、言ったね」
「もう一つ付け加えると、仕事以外でも役に立ってなくても俺はいいと思ってる」
私にはとても思えない考えだ。私は戸惑い、黙った。
「鈴木は何かしないと生きてちゃいけないわけ?」
私は答えられない。
「生まれたんでしょ? この世に。だったら生きてればそれでいいんじゃない?」
「生きてれば……?」
「鈴木の世界は鈴木の母親と兄が全てじゃないでしょ? ほら、しろさんだっているし、俺も、今野さんも、あんたが仲良くなったドクターも? 別に母親と兄だけじゃないでしょ?」
「まあ、うん」
「鈴木は世界中の人に能無しって言われたの? 言われてないでしょ? まあ、じゃあ、言われたとしてもいいよ。だから何? 他の人のために生きてんじゃないんだから。生まれたから生きてるんだから。生きればいいじゃん。自分がしたいように」
衝撃的だった。鈴木の言葉は頭に直接響いて、私の脳をかき回した。
「生まれたから生きる……」
私は呟きながら、鈴木を凝視した。鈴木は黙って見つめ返してくる。
「自分のしたいこと……」
「分かんないの? したいこと」
鈴木は言いながら残りの粥を口に頬張った。
「まず家から出た。それってしたいことしたんじゃないの? それなのに母親と兄に縛られてんの? もったいないね」
鈴木の言い方は決してやさしくなかった。私に同情なんてかけらもしてなかった。でも、私のことを考えてくれているのだけは分かった。
「ほんと……。ほんとだね」
私は自分の頬を涙が伝うのが分かった。
鈴木は私の涙にひるむことなく続ける。
「俺さ、鈴木が何かに追い立てられるように営業してるの、なんでかなと思ってた。まあ、今日分かって良かったよ。……俺は、頑張るなって言ってんじゃないよ。鈴木自身が頑張りたいって思って頑張るならそれはそれでいいと思う。ただ、身体は壊すなよ」
「うん……」
私は残りの粥を蓮華で掬った。粥は少し冷めて、涙でしょっぱかった。でも、その味は心に染み渡った。
「ありがとう、鈴木」
「俺、何もしてないけど」
「ううん。ありがとう。鈴木が友達で良かった。ねえ、またこの店来たいな」
「鈴木が望むなら」
私はすぐには考えを変えられないと思う。母と兄のことも忘れるのは難しいと思う。でも、それでも、生まれたからには自分で生きよう。鈴木の言葉でそう思えた。
鈴木はすごい。
「最近色んなことがバケツをひっくり返したみたいに起こって、びっくりだよ」
鈴木の車に再び乗って、私は呟いた。
「何? そんなになんかあったの?」
私はそうだね、と笑う。鈴木になら言っていいかな。
「失恋したんだ」
「え? ええ~?!」
今日、一番大きな鈴木の声。
「彼氏いないって言ってなかった?」
「うん」
「え? 振られたってこと? 好きな人いたの? 誰? 俺の知ってる人?」
矢継ぎ早に鈴木は言った後、
「あ、ごめん。訊かれたくないよな」
と言い直した。
「べつにいいよ。橘先生」
「ええー?!」
鈴木が、今日一番の大きな声を更新した。
「失恋も何も、橘先生、妻子持ちじゃん! 何? 不倫してたの?!」
運転に集中できなくなったのか、鈴木は路肩に車を止めて、ハザードランプを点け、私を見た。
「不倫なんてするわけないじゃん! 片想いがバレちゃって振られたの」
「……橘先生て、何才くらいだろ」
はあ~と脱力して鈴木が言う。
「うーん、写真に写ってた子供が小学生の高学年くらいだったから、四十くらいじゃない?」
「随分と年上だけど……」
鈴木に言われてこの時私は自分の悪い癖を思い出した。
「そうだった! 私、年上の頭のいい、やさしい人を好きになっちゃうんだった!」
「え? 今までも?」
「そう。学校の先生とか」
「……そりゃ彼氏できないよな」
鈴木がボソッと呟く。
「まあ、でも、橘先生見直した。ヤバイドクターだったら、鈴木、利用されてポイだぞ?」
「本当にそうなのかな?」
「だよ」
私は鈴木に言えて少しスッキリしている自分に気がつく。
「鈴木、今日、誘ってくれてありがとう。なんか、色々軽くなった感じ」
「そりゃあ良かったね」
鈴木がハンドルを再び握り、車を運転しだした。
「はあ~」
鈴木は大きなため息をついている。
「な、何?」
「いや、はあ。そうか……」
「?」
大学の患者用の駐車場タワーにつくと、
「運転、気をつけてな」
と鈴木が言った。
「うん。本当に今日はありがとう! また食事行こう! 今度は鈴木の愚痴聞かせてね」
私が営業車のプリウスに乗るのを見て、鈴木は一度手を挙げて車を出した。
私はその後支店に車を置いて、地下鉄で帰った。家に着くと時計は夜の11時を回っていた。
大きな欠伸が出る。そう言えば昨日あまり寝てないんだった。
私はシャワーだけで浴びて、ベッドに横たわった。そして数分で眠りについた。




