魔の匂い
オレことジョニー・ウォーカーの生家であるウォーカー公爵家といえば、将軍を何人も排出してきた軍事の名門であり、本来ならば、三男坊であるオレも衆目へ晒されることに対し、相応の耐性を備えていて然るべきである。
が、毒の抗体というものは、毒を受けた後に生まれるものであって、その逆はあり得ない。
つまり、何が言いたいかというとだ。
これまで“恥ずべき愚弟”だの“ウォーカー家の出来損ない”だのと家庭内で呼ばれ、社交界を始めとする貴族家男子らしい交流の全てから爪弾きにされてきたオレは、野次馬たちや記者たちの視線にすっかり萎縮したのであった。
しかも、ここへ連れてきたカティの目論見を思えば、この後、殺人事件の現場を目撃させられることになるのだ。
臆病風に吹かれたとしても、そしられるいわれはない。
オレは兄たちと違い、実戦経験はないのである。
「なあ、おい。
本当にやらなきゃ駄目なのか?
オレとしては、ホワイト警部みたいな熟練の捜査官に任せて、素人は引っ込むべき場面に思えるんだけどよ」
だから、先に馬車を降りていたカティに、無駄と知りつつもそう抗議した。
それが懸命な判断であると思ったならば、上官から不評を買うことも辞さずに上申するべし!
……と、いうのは、唯一家族内で優しかった亡き祖父の言葉なのである。
届くか……? この想い……?
「……はあ」
カティが、かわいらしい眉をひそめつつ、小さなため息を吐き出す。
それから、タクトを握る指揮者のような仕草で右手を持ち上げたのだが、そこから嗅ぎ取ったのは、恐ろしく高圧的で加虐的な匂い。
ま、まずい!
そう思った時には、もう遅い。
首のあたりが、強烈な力で引っ張られる。
ただ、前に引かれたのではない。
前側かつ、下方に向けて引かれたのだ。
その力の強さたるや、牛馬にも匹敵するのではないか。
「――ぐべ!」
嗚呼……。
こんな時、オレが貴族らしく魔術を使えたならば、身体能力を強化して対抗したり、あるいは、何か他の魔術で抗えたかもしれない。
しかし、現実として、オレはウォーカー家が誇る出来損ない。
貴族家に生まれながら、一寸の魔力も宿らなかった不良品である。
で、あるから、身体能力を強化することも、何か他の魔術で抗することも当然ながらできず、ぬかるんだ地面へと、引きずり倒されそうになったのだ。
……あともう少し踏ん張りが足らなかったら、水たまりの中へと頭からダイブしていたな。
当然、お気に入りのスーツもシャツも台無しである。
「やろうと思えば、踏ん張れるではないですか」
涼しげな声で話すカティ手元には、太い……非常に太い鎖。
小柄な少女の手には余るだろう重量のそれが、生き物のごとくうごめいてオレの首へと伸びていた。
そして、オレの喉には――首輪。
時に奇抜な装いが流行することもある帝都であるが、犬の飼育に用いられそうな意匠のこれが人間間で流行った記憶はない。
また、オレ自身がファッションとしてこれを選択した覚えもなかった。
そもそも、ほんの一瞬前まで、オレの喉にはネクタイも含め、自由を束縛する何物も存在しなかったのだ。
魔術である。
その証拠に――と言っても、これはオレ以外感知できないが――首輪からも鎖からも、さっきから周辺に漂ってるそれを打ち消しかねないほど濃密な魔力の匂いが漂っていた。
カティが魔術を行使し、具現化させた鎖と首輪により、オレは飼い犬のごとく服従させられているのだ。
「……そりゃ、水たまりの中へ落とされそうになったら、踏ん張りもするだろうよ」
首輪へつながる鎖を掴むと、鋼鉄そのものの触感と重さを持つそれがじゃらりと音を立てる。
「これは、おかしなことを言いますね。
あなたという人間の人生は、まさに水たまりの中へ落ちそうになっているところだというのに、つい先ほどまで臆して逃げたがっていたではありませんか?」
ぐいぐいと、指先で鎖を引きながら、挑発的な目線で見上げるカティ。
術者である彼女には鎖の重さなど関係ないし、自由自在にこれを操れるのであった。
つまり、オレの動きは今、完全に彼女が掌握しているのである。
「人生転落寸前だって?
他人の人生を偉そうに評価する資格が、君にあるってのか?」
「わたしがしているのは、批評ではありません。
単純な事実を告げているだけです。
今、あなたは正義を行うことができる立場にあります。
いいえ、あなた以外に、この場で正義を果たすことはできないと言ってもよいでしょう。
ここであなたが臆すれば、恐るべき殺人者が野放しとなるのですよ?
貴族家の男子として、一人の男として、それをよしとしますか?
ジョニー・ウォーカー、わたしはあなたの人間性を確認しているのです」
すらすらと、よどみなく告げるカティ。
「…………」
オレはそれに答えることなく、ついと目を逸らした。
「おっほん」
咳払いしながら割って入ったのが、ホワイト警部だ。
「いいかな?
繰り返しになりますが、現場は私の魔術によって、完全な形で保存されています。
このホワイト・ホースが到着してから今に至るまで、何者の工作も許していないことを、親愛なる女王陛下に誓いましょう」
警部がそう言うと、周辺で見張りに立つ彼の魔術分身たちが、力強く自分の胸を叩く。
うん、見事な屈強さ。
彼の分身魔術を制するには、完全武装した陸軍の一個小隊が必要となるだろう。
「つまり、誰も見張っていない時間は、こちらの巡査殿が応援を呼ぶために離れていた間だけなのですね?」
「――は、はい!」
カティから目線を向けられ、完全に蚊帳の外だった巡査さんが背を正した。
カティの親父さんは、現職の警視総監。そんなことは、帝都の紳士ならば誰でも知っている。
つまり、彼からすれば組織で長を務める人間の娘さんなわけで、緊張するのは当然であった。
もし、何か粗相があれば、雀の涙ほどだという巡査の給料から、さらに引かれるのだ。
「ですが、自分が死体を発見し、応援を呼んでから戻ってくるまでの間は、30分もなかったと思われます」
この帝都は、そこら中に市警の派出所が存在し、24時間体制で治安が守られている。
彼の証言は、おおよそ信頼に足るものだと思えた。
「よろしい。
では、早速調査を開始するとしましょうか」
言いながら、カティが鎖を空中に放り投げた。
すると、魔力を具現化させたそれが霞のごとく消え去り、オレは自由を取り戻したのである。
「どうです? ジョニーさん?
こちら巡査殿が報告したところによれば、現場は密室だったようですが?
匂いは感じられますか?」
カティに聞かれ、鼻をひくつかせた。
貴族として生まれながら魔力を持たなかったオレにとって、唯一の特技――あるいは、特異体質。
魔力と魔術の残滓が、匂いならぬ匂いとして感じられる。
まず、最も強烈なのが高圧的で加虐的な匂い。
辿ればカティの手元にまで至れるこの匂いは、先ほどの具現化魔術の残滓だ。
次いで感じられるのが、誇りと責任感に満ちた匂い。
これは、現場周辺に分散し、今も人型を保っている。
ホワイト警部の分身魔術だ。
最後に、やや薄くなってはいるが、オレの鼻ならば問題なく嗅ぎ取れる匂いがもう一つ。
爽快感、後ろ暗さ、何より……恐怖心がブレンドされた匂い。
恐怖といっても、種類は色々とある。
例えば、オレがカティに抱いているような暴力への恐怖と、幽霊に対する恐怖心では明確に種類が異なった。
この場合の恐怖とは、秘密が明らかになることを恐れる感情。
匂いの発生源は……。
「失礼ですが、巡査。
あなたは貴族家の子弟ですか?
あるいは、どこぞの貴族が作った隠し子とか?」
匂いの発生源。
若き巡査に、オレはそう尋ねたのである。
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