フリックトンロードの殺人事件
フリックトンロードといえば、帝都の東部側に存在する地区である。
となると、それは同時に、産業革命以降大量発生した貧困層が住まう土地であることを意味していた。
単純労働以外を生業とする階層は、帝都西部に住まうものなのだ。
事件が起こったのは、そんな貧しい者たちが住まう土地の一画。
とある長屋の一室であった。
といっても、この長屋そのものにしばらく人が住んでいなかったようで、石造りの建物からは、目に見えぬ傷みのようなものが感じられる。
人が住まない家屋というのは、いともたやすく朽ちていくものなのだ。
なぜ、この長屋を所有する大家がこんな状況を放置しているのかといえば、それは、一にも二にも立地が悪いからであろう。
長屋の周囲には、石畳の一枚も見当たらず、昨夜降った雨がそこら中に水たまりを作っている有り様。
雨が多い帝都で水はけが悪いという時点で致命的であり、加えて、近場に商店なども存在しないのだから、空き家と化すのもうなずけた。
これは同時に、殺人を行うのにも最適な立地であるということ。
何しろ人が寄らないような場所なので、犯行時刻に夜中を選んでしまえば、目撃者の心配はなくなるのだ。
「ああ、前々から幽霊でも出そうな所だとは思ってたけど、これで本当に出るようになっちまったな」
「今頃、大家は頭を抱えているだろうさ」
ゆえに、野次馬たちが交わすのはそのような会話。
いつか、こういう事件が発生するに違いないと思っていた空き家なのである。
「被害者は、まだ運ばれていないようだが……」
「現場の中で、発見された状態のままだとよ。
市警が睨んでいるから、写真を撮ったりすることもできん」
一方、駆けつけた新聞記者たちが気にしているのは、遺体を始めとする現場の状態。
帝都の市民たちへ新鮮な情報を届けるのは、彼らが負った重大な使命なのだ。
もっとも、現場となっている長屋の周囲では、見るからに屈強な警部たちが見張りへ立っているので、勝手に入り込んだり覗き込んだり、という真似は一切できなくなっているが。
奇妙なのは、この見張りを行っている警部たち。
名のあるテーラーで仕立てたのだろうスーツのシルエットも、被っている鹿撃ち帽のデザインも、全員まったく同じ。
ばかりか、いずれもが整った口ひげを蓄えており、帽子の下にうかがえる顔立ちもそっくり同じなのだ。
全員が兄弟なのか?
一見すれば、そのような感想を抱きかねない光景である。
だが、そうではないことが、新聞記者たちの会話で理解できた。
「ホワイト・ホース警部お得意の分身魔術か」
「お貴族様が自ら見張りに立つとは、気合いが入っている」
「まあ、ホワイト警部は正義の人だからな。
魔術を使えるというだけで偉そうにする普通の貴族とは、ちょっと違う」
「で、玄関で警部の本体と一緒に立っている警官が、第一発見者か」
記者の一人が、鉛筆で長屋の玄関を示す。
そこには、確かにホワイト警部の本体と、若き警官が並び立っていたのだ。
もっとも、警官の方は、この状況へいささか首をかしげているようだったが……。
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「警部。
取り決めでは、速やかに応援を呼び、遺体の回収などへ務める場面では?
どうして、単独でお越しになられたのですか?」
野次馬や新聞記者たちの視線を浴びながら、若き警官が隣に立つホワイトへそう話しかけてきた。
ただし、その声は緊張からか、少し震えている。
無理もない。
巡査である彼からすれば、ホワイトは三つ上の階級。
しかも、支給のコートもヘルメットも真新しいことを考えれば、彼は配属されたばかりの新米である。
普段は関わりがない上司である上、親子ほども歳が離れていることを考えると、緊張するなと言う方が無理であった。
まして彼は、つい先ほど死体を発見したばかりなのだ。
それを踏まえると、はっきり規定破りの行動であると意見してくる度胸は、買うべきであると思える。
「スワロー巡査だったか?
君が疑問に思うのは、しごくもっとも。
しかしな、これには理由があるのだ」
「理由、ですか?」
「そう。
我々は、さる二人組が到着するまで、現場の保存に務めなければならないのだよ」
「二人組? どういうことです」
「まあ、じきに分かる。
使いの者を走らせたから、そろそろ到着されるはずだ」
言いながら、取り出した懐中時計を開く。
使いの者が屋敷に到着するまでの時間……。
それから、件の人物たちが馬車を走らせる時間も逆算すると、まさに、もう到着しておかしくない時刻であった。
そして実際、その計算は正しく、待ちわびていた馬車が姿を現したのである。
「あれは、辻馬車じゃないな?」
「こんな所に、自家用の馬車?」
「しかも、あの家紋は……サーク家のものだぞ」
野次馬や記者たちが、そのような会話を交わした通り……。
馬車は赤色に染め上げられた派手なもので、しかも、剣を背にしたグリフォンという意匠のプレートが取り付けられている。
これは、現警視総監であるサーク家の家紋なのだ。
人々が驚く中、馬車は当然の権利がごとく現場の前へと停まった。
それから、年老いた御者が扉を開くと、一人の輝かしい美少女が姿を現したのである。
年頃は14か15歳ほど。小柄で細身の少女だ
身にまとっているのは高価そうな布がたっぷりと使われた赤いドレスで、これはところどころに黒いフリルがあしらわれ、アクセントとなっている。
肌は陶器のように白く、子猫を思わせる愛らしい顔立ち。
黄金よりもまばゆい金髪は長く伸ばされており、額から左右へ分ける形で縦ロールにまとめられていた。
まるで、高貴さという概念をその身で体現しているかのような、絶対的美少女。
あまりの可憐さに、あれほど騒がしかった野次馬や記者たちは揃って言葉を失い、事件現場に静寂が訪れる。
「カティ嬢。
お待ちしておりましたよ」
それを破ったのが、このご令嬢を出迎えに出てきたホワイトだ。
「カティ・サーク嬢……」
「あれが、噂に聞くサーク公爵の一人娘か」
「確か、先日社交界デビューを済ませたとか」
「本物は、噂以上にかわいらしいな」
その言葉を受けて、記者たちがひそひそとささやき合う。
貴き者たちの醜聞や噂話は、彼らにとって重要な飯のタネなのだ。
「ごきげんよう、ホワイト警部。
首尾の方はよろしくて」
スカートの裾をつまみ、優雅なお辞儀をしてみせたカティ嬢が、耳朶を心地良くくすぐる涼やかな声で尋ねてくる。
「無論です。
このホワイト・ホースが到着してから、誰一人現場内とその周囲を荒らした者はいないと、七人のホワイトが断言いたします」
そう言ってホワイトが胸を張ったのに合わせ、各所で見張りに立つ魔術分身たちも、気をつけの姿勢を取った。
「よろしい。
――さあ、出番ですよ」
満足そうにうなずいたカティ嬢が、馬車の中に向かって声をかける。
そう、この馬車に乗っているのは、彼女だけではない。
彼女の婚約者もまた、同乗しているのだ。
いや、飼い犬か。
「……へいへい」
そう言いながら、姿を現した人物……。
それは、十代後半だろう少年であった。
赤みがかった茶色の髪は、ざんばらに乱れており、櫛というものの存在を知らぬのかと思わされる。
明らかにホワイトのそれより上等なスーツを着ているというのに、ジャケットのボタンを止めず、シャツの裾もズボンに入れず出しっぱなしなのだから、これは仕立て人に対する冒涜と言えた。
そんなのだから、当然、ノーネクタイで胸元を開いているのだが、そこからうかがえる胸筋は細身ながらもよく鍛えられている。
そして、目つきは――悪い。
まるで、世の全てに不満と怒りを抱いているかのようだ。
総じて、不良。
名門サーク家の馬車に、そこのご令嬢と同乗してくるには、あまりにふさわしくない少年であった。
とはいえ、目つきと着こなしが悪いだけで、彼もまた、ホワイトなど足元にも及ばぬ名門貴族家の生まれなのだが。
「警部、この方々は一体?
サーク家のご令嬢と……?」
あらゆる意味で置いていかれるのが嫌だったか、いつの間にか隣へ歩み寄ってきていたスワロー巡査が、そう尋ねてくる。
「ジョニーです。
ジョニー・ウォーカー」
そんな新米巡査に、少年は自ら名乗るのであった。
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