chapter 6
結局、あの教師は見つからなかった。
疲れ果てた俺は学校の屋上で座り込んで、炭酸飲料を開けた。炭酸飲料は学校にあった自販機で買えた。自販機も食べ物とかとおんなじシステムなんだろう。
屋上って、最近の学校やうちの元の世界の学校なんかは立ち入り禁止だった。だがここは何の注意書きもなく普通に入れた。もちろん屋上の端にはちゃんとバリケードはある。
(本当に…この世界は何なんだ…)
空を見上げた。こちらの不安な心には目もくれず、燦々と輝く太陽。俺たちはちゃんと生きて帰れるのだろうか。いやまず俺たちは生きているのか?もしかしたらここは死後の世界ということも…。
「ッだぁぁぁぁぁ〜〜」
嫌な想像をはらうように、俺は頭を掻きむしった。どうも俺はこういう時にポジティブに考えられない。
とも思ったが、やっぱりこの状況はそうなるだろう。納得してみたところで不安や怖さがパッと消えることはないが。
ため息が空へ消える。
…暑い。
もう30分くらいだらだらとここで座り込んでいた。自分の中の不安を紛らわすように飲み物を飲み、怖さを紛らわすように携帯をいじった。
色んなことが頭から離れない。ガラケーのメニューの片っ端から決定しては戻ってを繰り返していた。
そんな時、いじっていたガラケーがブルブルと震える。
新着メール 一件。
することもなかったし、俺はそのままメールを開いた。
送り主は谷田から。「シュウー大丈夫かー!?無理すんなよー!!いつでも話聞くからなー!」メッセージだけでなく、写真も添付されていた。
楽しそうに笑う谷田や実野、矢田たち。谷田と矢田、二人とも同じく陸上部だったから今でもなんだかんだ関係が続いている二人だ。
こうしてみると、クラスの中じゃ俺が一番確執がある方なんじゃないかと思えてきた。こうやって派閥的なグループを越えて仲の良い奴らもいるのに、孤立を極めた俺ときたらほんの一部の人間としか近い距離でいられない。
でも、俺は少しだけ微笑むことができた。
この世界に来る前も来てからも様々なことがあった。しかしそれでも谷田は俺を気にかけてくれていて、ちょっとズレてるところはあるが、友達に対してはちゃんと思いやりがある。
今にも俺を呼び込みそうな笑顔が写真にはあった。
「…ありがとな」
小さく呟き、その言葉をメッセージの返信とした。
ガラケーをパタンと閉じると同時に停滞した気持ちに切りをつけ、立ち上がる。
だからこそ、谷田みたいに俺を気にかけてくれている奴がいるからこそ、俺はまだ少しだけ踏ん張れる気がした。
「帰るか…」
俺はバックを担ぎ、踵を返した。
屋上を出る直前、バグのことが頭をよぎる。昨日今日とまだ一回もバグと戦っていない。
だが、戦う気にはまだなれなかった。
俺はそのまま屋上を出て、階段を下っていった。
「あなたの自宅」に帰って来て、昼飯もろくに食べずにベッドに寝転んでいた時だった。
またメールが来た。送り主は角屋優香。
用件はこうだ。
「このメールはX組全員に送ってます。
今日の一件を踏まえて、また色々みんなで情報共有をしておきたいなと思います。また全員での結束を深めるためにみんなで夕飯でも食べようと思ってます。
待ち合わせは今日の16時半にX組の教室です。
X組のみなさん、来てください。」
なんだ、角屋は連絡係にでもなったのか。
またアイツらが色々話して決めたんだろう。でも、この文章を見る限り、前向きにこの状況を進展させようとしているようには見えた。真面目は真面目なんだろう、みんなバラバラではあるが。だからこそ結束を深めようとしているんだなと感じた。
もちろん俺は行くのを躊躇った。だが、参加しなかったことで、たとえば俺だけこの世界に置いていかれることになったら、これ以上X組の奴らと距離が広がったら、そう考えるとそれも嫌だった。
何か変わるかもしれない、と一縷の望みを胸に、その集まりに足を運ぶことにした。
・・・
16時、これまた早い時間に俺は家を出た。虫の鳴き声の聞こえ始めたいかにも夏という夕方だ。夏だから日は長く、程よく日差しが傾いている。昼より少しだけ涼しくなった風が頬を撫でた。
家の前の道を歩き出す。道の右には田んぼが広がって、遠くには明かりの灯り始めた町並み。あそこには人が住んでいるのか、いないのか。考えてもわからなかった。時間のある時に行ってみてもいいかもしれない。遠くを眺め歩きながら思った。
この場所は一体なんなのだろう。この場所に対して、どこか懐かしい雰囲気はずっと感じていたし、どこかそれが、今直面している物事を何故かふんわりと落ち着けてくれる。
ここらへんの景色を見ていると、なぜか切なく儚くなって、不安や怖さを忘れてぼーっと眺めてしまうことがあるのだ。今日だってあんなことがあったというのに。
もう1週間はこの世界にいる。けど、何もわからない。謎は深まり、仲間であるはずとのアイツらとはさらに微妙な関係になってしまうばかり。
こうやって歩いているこの一歩を踏むたびに、現状を打破する意欲を少しずつ失っているかのようだった。そしてただぼーっとここにいればいい。そう思ってしまいそうだ。
そんな変な懐かしさと感傷が俺の歩く姿を彩っていた。
16時12分くらいには学校に着いていた。でも俺はすんなりと教室へは向かわない。
寄った先は今日の昼、一連の騒動があった保健室。
俺は警戒をしながら中を覗き込んだ。しかしながら、部屋の中にはもちろん誰もいないかったし、昼間のポッドのようなものもなくなっていた。あんなデカブツをいったいどうやって持ち出したというのか。
俺は保健室に入ってみた。
一見するとただの保健室で静寂に包まれていた。
怪我に使う薬剤や綿などが置かれた白い棚に、洗面台。ベッドが二つに、ピンクのカーテンが天井のレールから下げられている。
だが入り口からは見えなかった部分に、明らかに普通の保健室にはない特殊な吸入器のような装置があった。
黒くて、ただの吸入器とも違うゴツゴツとした大きな装置。おそらく人の口に当てて吸入をするであろう部分が二つ、その装置から透明なチューブで繋がっている。何かをはめるような凹みが二つ、装置の真ん中にあった。その装置は二つあるベッドの間の枕元にもあった。
一体なんだろう。
別の棚には保健室では見慣れない、携帯できそうな小さく黒い装置が幾つも置かれていた。アタッシュケースに似たバックの形。大きな装置と似たような吸入をするためのマスク部分が、その装置にもついていた。
俺が保健室の中をじっくりと見ていると、窓から人影が見えた。この校舎から体育館へと向かう渡り廊下あたりだ。
一瞬身構えたが、その人影は間野だった。以前見た、光って半分透けていた前川ゆみのような姿でもなく、普通の間野の姿を見て安心をした。俺の知っている間野だ。
だが何か様子がおかしい。何かに怯えている?逃げている?どうしたのだろう。俺は様子をしっかりと伺うため、窓越しに移動した。
後ろを向きながら走っていた間野の足がもつれて、転ぶ。反射的に一歩足が前に出た。
転んでもなお、足を引きずりながら後ずさる間野。その視線の先には。
「バグ…!?」
不気味な黒い影がゆっくりと間野へにじり寄っていく。「間野ッ!!」、口をついて叫んでしまう。
だが、焦り出した俺の心境に何かが混ざり込む。
万事休す旧友の身を案じた俺の心は、いや、待て、と引き止められた。
消滅したところで、やり直しになるだけ。
痛みは感じるが、死にはしない。
それにアイツは、俺を笑ったんだ。
ずっと辛かったのに、アイツはいつも何も気にせず笑い続けてた。人の苦しみも、人の悲しみも知らずに。
アイツは。
俺では必要ない。俺では物足りない。
そうとも言ったな。
そんなに俺は出来損ないか。そんなに俺は醜いか。
だから笑うんだろう?
だから笑っているんだろう?
あの時も、今も、
醜くもがき苦しむ俺のことを。
踏み出そうとしたその足はいつの間にか止まっていた。
いい気味だ。
たまには味わってみろよ。
置いていかれる気分。
笑えない気分ってやつを。
踏み出そうとしたその足は動く気力さえ失いかけていた。
待てよ…
ちょっと待てよ…
それで良いのかよ…
それで本当に満足なのかよ…
バグは力を溜めてエネルギーの凝縮された球体を作り出す。
俺は…
俺の大切なものは…
俺の守りたいものは…
(俺は…!!)
踏み出そうとしたその足は―――
―――
間野奈々は逃げていた、バグから。
普段であれば走ることなど何ともないのに、今は意識をしなければ足が動いてくれない。
(やばい…やばい…やばい!?)
攻撃をする暇もなく、逃げることしかできない。他に何も思いつかない。
消滅しても死ぬわけではない、そうはいっても痛みは伴い、バグ修正もやり直しだ。何より、消滅に対する恐怖の感覚はおそらく何かに殺されるそれに限りなく近い。
だから身の危険を感じ、反射的に、本能的に逃げてしまう。
こう身の危険が迫ると、「どうして」という疑問もいつも以上に浮かんできてしまう。どうしてこんな世界にいるの?どうしてこの世界でバグと戦わなきゃいけないの?なんでこんな怖い思いをしなければならないの?と。
間野の瞳には滲むものがあった。
渡り廊下へと差し掛かり、ふと後ろを振り返る。距離はあるがバグがまだ追ってきている。
(やばいよ…私殺されちゃう…!!)
嫌だ、嫌だ、とそんな思いがあり得ないくらい沸き出てきて、それがまた早まる心臓の鼓動にも似ていた。
「きゃッ!?」
ろくに足に力が入らないまま、前を見ないで走っていたのが仇となった。恐怖に蝕まれた足をもつらせて転んでしまう。
バグはただ淡々と目標を消滅させるためににじり寄ってくる。
もう足を擦りながら後ずさることしかできず、絶望が間野を襲う。
頬を伝う涙。溜めきれなくなった両目から一筋の流れをつくって、涙は伝っていく。
(嫌…嫌…)
声もろくに出ず、呆然と目の前バグが作るエネルギーの塊を見ていることしかできない。
ついにバグが凝縮したエネルギーの球体を放つ。
間野は瞳を瞑り、顔を逸らした。呆然としていた表情が、極限の悲しみの表情へと変わる。
…
だが、何も感じなかった。痛くない。でも、体の感覚はある。手は地面に触れているし、足も地面に張りついたままだ。
(私…まだ…生きてる?)
間野はゆっくりと目を開けてみる。