第2話 全てが閃光とともに無と化した
漆黒の夜、鬱蒼とした森の中を無灯火のまま猛スピードで奥に向かう一台のリムジンがあった。東ヨーロッパの新興国ネオロマーニャ、そのほぼ中央に位置する同国最高峰、ブリッケン山。魔女の森と呼ばれ立ち入りが禁止されているその深い森に覆われた山の地下深くにネオロマーニャの秘密軍事基地があった。
リムジンの後部座席には、彫りの深い顔立ちに、窪んだ眼もと、鼻の下に短く整えられた口ひげを蓄え、黒の軍服に身を包んだ60歳代の男性が腕を組み目を閉じてすわっていた。
両肩に光る金銀の大きな肩章と、右肩から軍服の下に垂らした金色の飾緒そして軍帽には建国の母、レバンナ・マム(LebannaMom)の命を身を賭して救ったとされる『聖なる虹鳩 ラ・ピチョーナ』のひときわ大きな鳩章。
これら全ては、彼アルフォンス・ミムラーがネオロマーニャの総統になるために築き上げてきた名声と地位を象徴している。
そして両ほほについた真新しい傷跡は、それら全てが今失われようとしていることを物語っていた。
アルフォンス・ミムラー (Alphonse Mimler) (1875-1940) は東ヨーロッパの新興国 ネオロマーニャの貧しい農家に生まれる。国立中等学校を首席で卒業、陸軍士官学校に特待生として入学。卒業後は、当時勢力を伸ばしていた民族政党『世界平和党』に入党。その弁舌の才とカリスマ性で入党五年目で世界平和党党首に就任。その二年目にネオロマーニャの国家総統に上り詰める。
総統に就任すると『世界平和のための世界統一』をスローガンにヨーロッパにおいて『平和のための闘い』(ケムフ・フュル・デン・フリーデン)を開始。五十五歳の時ヨーロッパの大半を支配下におさめる。
ミムラーは同時に、当時各国で開発競争中の「量子構造爆弾」の開発を促進、他国に先がけてプロトタイプの製作に成功した。
しかし、対ネオロマーニャ連合軍が結成され、1936年には連合軍の大攻勢のため敗走。1940年連合軍に降伏。
リムジンの後部座席には他に親衛隊の補佐が二人、そのうちの一人の腕は彼が膝の上に持った黒いアタッシュケースに鎖でつながれていた。
森の奥深くまで来ると車は地下に向かうトンネルに突入、猛スピードのまま、急勾配の下り螺旋を垂直距離で200m降下する。
地下最下階ウォー・ルーム(war room =作戦室)に着くと、ミムラーは所定の認証プロセスの後、発射指示を電話で国家統合参謀本部長と軍事顧問に伝えると、総統室に入ってしばらく瞑想する。
『やることはやった。思い残すことはない。私は間違っていなかった。小さな国同士で喧嘩ばかりしていても平和は来ない。世界が強力な一つの国の下にまとまることこそ世界平和を実現する近道だ。』
しかし戦いは終わった。
ミムラーは賢い男だった。勝敗はもう覆らないことを知っていた。
だから参謀本部が主張している『激烈な報復』も無意味であることを知っていた・・・
・・・が、もう彼にはどうでもよかった。
右手で胸のホルスターからピストルを取り出す。
それを左手に持ち替えて、左のこめかみに銃口をあてた。
一瞬子供の頃の記憶が蘇る。
安い小作料で朝から晩まで働き、病気になっても薬も買えず死んでいった父と母。
「僕が大きくなったら、楽をさせてあげるから。」それを聞いて喜んでいた、でも待てずに逝ってしまった母の口癖を思い出す。
「Du bist ein herzensgutes Kind(ロン、おまえは心の優しい子だね。)」
突然ミムラーは、銃を下すと部屋の外の補佐に怒鳴った。
「Stoppt den Plan! (中止だ!ミサイルの発射は中止だ!)」
補佐はそれを聞いて、あわてて叫びながらウォー・ルームまで走って行った。
「中止だ! 作戦は中止。ミサイル発射は中止!」
しかし西ヨーロッパ向けのミサイル20発は既に発射されており、そのうちの4発は迎撃ミサイルを巧みに交わしながら猛スピードで、それぞれの目的地、マルタ、リスボン、マルセイユ、そしてローマに向かっていた。
そのミサイルの先端には開発されたばかりの量子構造爆弾が装備されていた。
補佐が報告のため総統室に向かっていると、そこから「パン」と言う短いピストルの音が聞こえた。補佐が総統室に着くとミムラーは机の上で既に事切れていた。
戦争終結の日
(前史)人類歴1940年 同日 地球 – ヨーロッパ
戦争終結のニュースはすぐに地球を駆けめぐった。世界のそれぞれの街で、いつもの生活に戻った朝が始まろうとしていた。
ローマの恋人たちの朝は早い
「ボブ(Bob)、待たせてごめんなさい」
「大丈夫。僕も戦争終結のニュース聞いてたんでさっき着いたばかりさ。
ところでアナベル(Annabel)、あの約束覚えてる?」
「どの約束?」
「戦争が終わったら結婚しようって」
「もちろん覚えているわ」
「アナベル、指を出してみて。おお!ぴったりだ」
「ああ、ボブ、とても素敵だわ。有難う」
マルセイユでは、娘と母の特別な一日が始まろうとしていた
「ママ、見て!」
「まあソフィア、とっても綺麗よ」
「ママ、有難う ・・・(涙)これまで二十五年間、私を育ててくれて」
「こちらこそ、ソフィア。(涙) マークと幸せになってね!」
「ええ、ママ。だからもう泣かないで 」
マルタでは、今日はトミーの六歳の誕生日
「ハッピーバースデー トゥユー・・・」
「誕生日おめでとう、トミー! そしてこれが誕生日プレゼント!」
「わあ、何だろう? あ、ポケモン図鑑だ」
「パパ、有難う。これ、僕欲しかったんだ。
ねえねえ、ママ、パパからポケモン図鑑もらっちゃった」
「良かったね、トミー。いい子にしなくっちゃね」
「うん。ねえ、ママ、ケーキ食べていい?」
「ええ、トミー。でもその前にママを手伝って」
リスボンでは、戦争の終わった今日から学校が始まった
小学校にも子供たちの明るい声が戻ってきた
「先生、お早うございます」
「お早う、テオ。 何だか嬉しそうだな、何かいいことあったのかな?」
「うん、先生、パパが家に帰って来るんだ。戦争が終わったから。」
「そうか、テオのパパは、『世界平和機構』で人類の平和のために世界を飛び回っているんだね。」
「先生、僕たくさん勉強して、大きくなったら、戦争のない世界を作るんだ。好きな算数の勉強をたくさんして。できるかなあ、先生」
「テオ、 もちろんだよ。もちろんだよ。テオ ・・・」
しかしその時ネオロマーニャの軍事基地から発射された四発のミサイルが、迎撃ミサイルを交わしながら彼らの街へ向かっていた。
そして、それから一時間後、巨大な四つの閃光と共に四つの町は地上から消えた。そこで暮らしていた人々と共に。
ローマの恋人たちの幸せな語らいも、マルセイユの娘を送り出す母の涙も、マルタの息子を見つめる父母の眼差しも、そして、リスボンで父を待つ少年の未来の夢も、すべてが閃光と共に無と化した。
(第3話に続く)