第8話 羊飼いの証言
「あの集落かな? 」
トラップが手をかざしながら言った。
緩やかな勾配の登り道の先に平屋建ての木造の家屋が並んでいて遠目でも平凡な農村のようである。
近づくとヤギの鳴き声が堆肥の匂いと共に風に乗ってやってきた。
「そこの少年に聞いてみようか」
ウィルは集落の入り口近くの木にもたれかかっていた12,3才ぐらいの男の子を見ながら言った。
「じゃあ、私が声かけてみますわね、ウィルさん」
「ありがとう、シルフィール。男の戦士より女の僧侶の方が何かと良いだろう」
シルフィールはウィルに微笑してからトコトコと少年の傍まで近づいて声をかけた。
「こんにちわ。冒険者ギルドから来たのですけど村長さんはいらっしゃいますか? 」
「ちょっとここで待って、お姉さん」
少年はそうと言うと集落の中に走って行った。
しばらくすると戻ってきて「案内するからついて来て」と言った。
ウィル達は少年について行った。
集落の中では一番大きな家に入り、板の間の応接室の長椅子に言われるがままに座らされた。長椅子は良く磨かれてはいたが無垢の木製でありふれたものだった。4人が並んで座ると軋んだ音を立てたのでウィルは椅子が壊れはしないかと焦った。降ろした背負い袋を足元に寄せて室内を見回すと、漆喰の壁に狼や熊のトロフィーが飾ってあった。ブラビル周辺に熊はいない。客人に自慢するために金を払ってわざわざ取り寄せたに違いない。
長椅子の前には背の低い木製の小さ目のテーブルが置かれていた。テーブルには引き出しのようなものはなく四角い木板に脚を4本つけただけの簡素なもので、乾性油の類が塗ってあってテカテカ光っていたが良く見るとムラがあるのでお手製に違いなかった。
(もうじき村長が来る。何としても仕事を取らなければ)
ウィルは失礼のないように鉄兜を脱いで膝の上に置いて背筋を伸ばして待った。
しばらくすると農民にしては恰幅の良い初老の男が入ってきた。彼が村長なのだろう。
ウィルは立ち上がり踵を合わせて挨拶をした。
「はじめまして村長さん。私は冒険者ギルドから来ましたウィルです。この人たちは私の仲間です。なんでも狼を駆除して欲しいというご依頼だとか」
初老の男はうさん臭そうな顔をしてウィル達を見回してから口を開いた。
「依頼というのは他でもない。狼を何とかしてほしい」
「重複だとは重々承知していますがよろしければもう一度詳細をお願いしたいのですが。状況を知りたいのです。少しでも多く」
ウィルに問われて村長は咳払いをしてから続けた。
「この村の回りに先週から狼がうろつき始めた。最初は牧場犬で簡単に追い払えたから気にも留めなかった。ところが一昨日に羊飼いのリーザが青ざめてわしのところに駆け込んできた。狼の群れに襲われて私の羊が全滅だと。牧場犬もやられたと。わしも驚いたよ。牧場犬がやられるなんて聞いたことも無い。村の衆も怖がって一昨日からは満足に野良仕事もできない」
村長は一しきり言うと付け加えた。
「……何とかしてくれ。オプションも含めて報酬はギルドに伝えた通りだ。宿泊したければ別棟の来賓館に来客室があるからそこを使ってくれ。あと細かいことはこの子に訊いてくれ」
ウィルは一呼吸おいてから承諾した。村長の後ろに立っていた少年が来客室に案内すると言って歩き出すとウィルは村長に一礼してから後ろについて行った。仲間たちもウィルに続いた。
案内された来賓館にはダイニングルームと宿泊室二つがあった。男女別々の部屋に分かれ装備の点検を始めた。部屋には簡単な鍵が付いた棚があったのでウィルは袋に入った予備の衣服を仕舞うと背負い袋は大分小さくなった。トラップは火種の準備を済ませると部屋の椅子に座ってくつろいでいた。ウィルは冒険者セットと保存食の確認を済ませて背負い袋に収めなおすとトラップに声をかけて一緒にダイニングルームに移動した。ダイニングルームにはマチルダとシルフィールが座って談笑しながらウィル達を待っていた。先ほどの少年は立って待っていた。
「待たせな」
ウィルは少年に近づいて話しかけた
「ところで羊飼いのリーザから話を聞きたいのだが案内してくれないかい?それと麻袋が幾つかあると助かる。トロフィーを運ぶのに必要なんだ」
「わかったよ。ついて来て」
「みんな、行くぞ」
ウィルはシルフィールとマチルダを促してから少年についていった。
少年は小屋の前でリーザに呼びかけたが反応は無かったので扉を開けてずかずか入り込んで行った。ウィル達は顔を見合わせてから静かに続いた。羊飼いのリーザは小屋の中で力なく座っていた。窓から日の光が小屋の中に差していたがリーザはうつむいていた。少年がもう一度呼びかけるとリーザは泣き腫らした顔を上げて少年とウィル達の顔を見た。ウィルは自己紹介をしてから本題に入った。
「何があったのか教えてくれないか? 」
リーザはしばらくの沈黙の後に事情をボツボツと話し始めた。
「一昨日やられたの……夕方だったわ。何十頭もの狼に。パリスが頑張っている間あたしは小屋に逃げてしまった……翌朝心配した村の衆がやってきて……戻った時にはパリスはこと切れてたの。20頭も羊がいたのに一頭も助からなかった……村長さんの羊なのにどうしよう」
「パリスって誰だ? 」
トラップがつぶやくように言うと少年が代わりに答えた。
「牧場犬さ。セントバナードの雄だよ。いい子だったのに」
「襲われたのはどこなんだ? 」
ウィルが尋ねるとリーザは北の方に指を指した。
「……あっちの牧場」
「僕が案内するよ」
少年はそういうとしばらくの間リーザを励ましていた。彼女からはこれ以上は聞き出せそうもなかった。
「俺たちは外で待とう。お邪魔したなリーザ」
リーザにかける言葉を失ったウィルはそれだけを言って外に出た。
しばらくして少年が小屋から出てきたのでウィルは聞いてみた。
「この村に狩人はいるのか? 」
「村の人じゃないけど狩人のおじさんがいるよ。南の山に住んでいるみたい」
思い出しながら少年は答えた。
「じゃあ北の現場を見たら狩人のおじさんのところまで案内してくれ」
少年はそれには生返事で承諾してから「まずは牧場に案内するよ」と言って歩きはじめた。
ウィルは少年の後ろを歩きながら隣のトラップに話しかけた。
「さっきのリーザという女の子、可愛そうだったな。大切な羊も仲良くしていた犬も失ってさ」
「ああ、怖い思いもするわ、村長に怒られるわ、おまけにかわいい愛犬が死んだのだもんな。踏んだり蹴ったりだよな」
「俺も村で犬を飼っていたことがあってさ。小さな白犬でさ、幼い時一緒によく遊んだもんだ。つぶらな瞳の雌の子犬でとてもかわいかった」
「ほう。ウィルは犬派か。実は俺も犬派なんだ。その子犬、名前は何だ? 」
「マリーと呼んでいた。ある日、俺はマリーと一緒に山菜取りに裏山に行ったんだ」
「それで? 」
「そしたら猪が出てきて俺に目がけて突進してきたんだ」
「ああ」
「マリーが俺を庇う様に猪に跳びかかってさ、猪は驚いたらしく進路がずれて俺の脇を通り過ぎてそのまま去ってしまった」
「うん」
「我に返ってマリーを捜すと……血まみれでもうだめだった」
「そうか」
「あん時は泣いたな」
「そりゃあ泣くよなぁ。つぶらな瞳の子犬だもんなぁ」
「……」
元兵士の思い出話が一段落するとそれまで聞き耳を立てて彼らの後ろを歩いていたシルフィールが隣のマチルダに話しかけた。
「マチルダさんは犬と猫どちらが好きなのですか? 」
「……どちらかと言えば猫かしら。猫の自由気ままなところがちょっと羨ましく思うわ。貴女はどうなの? 」
「教会の施設には犬も猫もいたのですけど、犬はちょっと苦手ですわ。役に立つことは重々承知しているのですが、幼い時怖い思いをしたので。猫は鼠を捕ってくれるので便利な動物と思っていますわ」
「そうなの。実は動物の中で一番好きなのは白ウサギなの」
「ウサちゃん可愛いですよね。モフモフしていて。私も大好きですわ」
そこにトラップがニヤニヤ笑いながらからかった。
「ウサギは旨いよな。罠で簡単に獲れるし良い栄養補給だ」
「トラップさん!あなたは心を入れ替えないと神罰が落ちますよ!」
「そいつは困るな。避雷針を用意しないと」
「まったくもう!」
黙っているマチルダがトラップの茶化しに一番激怒しているかもしれない。ウィルはマチルダを宥めようかと後ろを振り返ったが、予想に反して彼女は心持ち頬を赤らめて微笑を浮かべていた。とりあえず怒ってはいないのは良い兆候だが奇妙ではある。
ウィルは首をかしげながら前を向きなおした。
ヤギは乳や肉・革の供給源として重要なのですが、休耕地の雑草を食べさせることで草刈の手間を省略させたり、食べた雑草を糞に替えることで休耕地のコンデションを改善させるのも大きな仕事です。そのため農村にヤギはよく見られるわけです。