第2話 州都ブラビルにて
ウィルは除隊式を終えると私物を麻袋に詰め込み制服の濃紺のリネンのシャツとズボンの上に私服である漂白も染色もされていない薄灰色のウールの外套を引っかけてブラビル行の馬車に乗るために駐屯地の停留所へ歩いた。
停留所には二頭立ての荷馬車が停まっていて傍に濃紺の略帽とギャンベソンを着て赤い腕章を付けた下士官が立っていた。下士官は左腰にロングソードを納めた黒い鞘を吊るしていた。鞘も剣も軍規格のものである。
「そこの除隊兵、乗るなら早く乗れ。お前で丁度定員だ」
下士官に急き立てられウィルは慌てて幌付きの荷台に乗り込むと馬車にはウィルと同じように除隊した兵士たちが私物を詰め込んだ麻袋と共に所狭しにうずくまっていた。
「これで10人だな。よし、出発しろ」
下士官の命令をうけると御者を務める輜重兵は軍隊流に大声で返事をしてから馬に鞭を当てた。鋼鉄の車輪が小砂利が敷き占められた路面を齧りながらのろのろと荷馬車は動き出した。
北東の風の中で半日ほど馬車で揺られてようやくブラビルで降ろされた。各人が痛くなったお尻をさすりながら散って行った。ウィルは花崗岩の石板で舗装された足元を踏みしめてから見上げると中央広場にある白い時計台が陽に照らされて眩しかった。
州都ブラビルは地方都市としては栄えていて、軍団の将兵は休暇になると給料袋を握りしめてこの都の歓楽街に“遠征”するのが恒例だった。
ウィルは日が暮れる前に宿を取った。ブラビルに来るたびに泊まる「酔いどれドワーフ亭」という古びた木造の安宿で一階は居酒屋で二階が宿屋という古典的な造りの店である。 簡単な鍵が付いた狭い個室にベットは藁のクッションにシーツと設備は貧乏臭いが掃除は行き届いて一泊10セントつまり銅貨10枚、居酒屋で鶏ガラスープセットを注文すると味は少し塩っぱ目で主菜はジャガイモだが量は十分にあって3セント、自家製エールはジョッキ一杯で2セントと冒険者御用達のような店で実際利用客は冒険者が多かった。もっとも近年は冒険者ギルドによる宿泊施設や飲食設備が設けられようになってからはこの手の店に以前ほど利用客はいなくなったが。ウィルは荷物を二階の部屋に置いてから一階に降りて厨房に声を掛けた。
「おやっさん、夕飯は何時からだい?昼飯抜きで腹ペコなんだ」
「もう少し待ってくれ、若いの。日が沈んだら開店だ」
「兵隊さん、茹でジャガイモと鶏ガラスープならすぐに出せるよ」
「おばさん、それで良いや。熱々なのをお願いね」
ウィルは銅貨を出してカウンターの席につき即座に出された遅めの昼飯を胃袋に流し込んだ。ほんのりと生姜の香りがする鶏肉のスープは肉はほんの少しでレンズ豆とキャベツばかりだったが鶏ガラの出汁が利いていてまずまずの味だった。
1キロほどの茹でジャガイモを平らげて一息ついてから壁際のテーブルを拭いている40過ぎのおばさんに話しかけた。
「今日も冒険者って来てる?色々と話が聞きたいんだよな」
「あぁ、さっき何組かギルドに仕事があるか見に行ったよ。あんたも冒険者になりたいのかい? 」
おばさんは隅のテーブルに陣取っている旅装束のハーフマンにエールのジョッキを渡しながら答えた。ハーフマンの男はキタラを抱えていてどうやら吟遊詩人らしかった。
「うん、今日で兵隊稼業ともおさらばさ。それで冒険者の心構えというか準備とかどうすれば良いのか知りたいんだ」
冒険者という言葉を聞いたハーフマンの吟遊詩人はキタラを手に立ち上がってウィルに話しかけた。
「そこのお兄さん、冒険者になるの?冒険から帰ってきたら一番においらに武勇伝を聞かせてね。お礼に一曲歌うからさ。そうだ、今ここで歌っちゃおう! 」
そう捲し立てるとウィルに何も言わせずにキタラを弾きながら歌いだした。良く知られた冒険者の労働歌だった。
♫
冒険者は因果な商売
西に妖魔を潰し東に食人鬼を倒し
僅かな銀貨と引き換えに命のやりとり
勇者だ英雄だとおだてられて
その実やっていることは汚れ仕事
そのうち南の竜を倒して
お姫様を射止めたらと夢見ても
今日も仕事は山賊退治
せめて今夜は良い酒飲んで
夢の中で王侯貴族
♫
歌声を聞いて厨房から白髪交じりの親爺が顔を出した。この宿屋の主だ。親爺は銅鑼声で言った。
「だったらまずは鎧を買いな。お前が買える一番高いやつだ。武器はその次が鉄則だ。鎧に武器にロープに松明に水袋、全部ギルドの傍の鍛冶屋で売っているぞ。主は無愛想だが面倒見は良い。まだやっているから早く行って来い」
「わかったよ」
宿屋の親爺は冒険者の体験談を何十年も聞いている。親爺の助言はおそらく無数の冒険者の最大公約数的な経験則に違いない。四の五を言わずに素直に聞いた方が良いだろう。ウィルは立ち上がり外套を羽織って宿屋を後にした。ハーフマンの吟遊詩人はウィルが出て行ったことに気付かずナルシーに熱唱していた。
冒険者ギルドがどこにあるかは良く知っていた。歩いて直ぐにギルドのシンボルマークである剣と杖が交差された模様が描かれた看板が掛った赤レンガの3階建ての建物が見つかった。北東の風がそよぐ中で赤レンガの壁が夕日に照らされていた。隣の2階建て建物に金床とハンマーが描かれた看板が掛っている。どうやらそこがお目当ての店らしい。ウィルは扉を開けると店内からなめし革と鉄の匂いが大量に流れ出てきた。
「いらっしゃい。お兄さん、冒険に入用な物は何でもあるよ」
黒い短髪の男の子が声をかけてきた。店の中には鎧兜を着た木製マネキンが立ち並び、壁には大剣や大斧が飾られていた。奥にカンターがありそこに声を掛けてきた売り子のハーフマンが立っていた。ハーフマンの店子は愛想は良いが誠実さに欠けていることで知られていた。
「防具は何があるんだ? 」
売り子は笑みを浮かべながらウィルに近づきながら喋り始めた。
「なんでもありますよ。鉄兜に革兜、ピカピカの胸甲、革鎧に鎖帷子、全身を守る板金鎧も。お兄さんはガタイが良いから板金鎧が良いじゃないですか?今ならお安くできますよ」
(除隊したばかりの平民の俺に板金鎧を買える金があるわけがないだろ。やっぱりハーフマンの売り子は相手にしない方が良いな)
昨日まで円盾兵だったウィルは見え透いたお世辞とセールストークに舌打ちした。
「鎖帷子は無いか?帝国軍のやつだ」
「お客さんお目が高い。もちろんありますよ。こちらにございます」
見せられた防具は青のリネンのシャッツの裏地に鉄環を縫い付けた護身用の鎖帷子でこれに命を託す気にはならない。と言うよりそもそも帝国軍モデルじゃ無い。ウィルは少しイライラしてきた。するとカウンターの裏から太い声が響いた。
「トーデン、ギルドに行って注文リストを貰ってこい」
トーデンと呼ばれた先ほどの売り子はウィルにぺこりとお辞儀すると走り去り、代わりに奥から背は低いが筋肉で出来た樽のような体躯に白髪交じりの初老の男が出てきた。絵に描いたような頑固で偏屈なドワーフの鍛冶屋。ウィルは少し安心しつつも緊張した。
「初めて見る顔だな。冒険者志望か? 」
ぶっきらぼうでいかにも強面な風情である。やっぱりドワーフの爺さんは怖いと思いつつウィルは頷いた。
「宿屋のおやっさんからここが良い店だと言われてね」
「ふん」
鍛冶屋は不機嫌そうに腕を組んでから話を続けた。
「それでさっき帝国軍鎖帷子と言っていたが、使った経験はあるのか? 」
尋問口調で質すようにドワーフは言った。十中八九この場に子供がいたら泣くだろう。
「軍で何年も着て走り回っていたから心配はいらない」
ウィルは顔をひきつらせながら答えた。曹長よりも怖いドワーフである。
「重装歩兵で名誉除隊か。ならば良いだろう。金は持ってきているのだろうな?値段は鉄兜込みで60レアルだ。値引きはしない。もちろん前払いだ。除隊したばかりなら退職金があるはずだ。新しいのをちょうど仕上げている最中だ。見てみるか? 」
下手に口答えしたらあのぶっとい腕-ドワーフの丸太と俗称される-で鉄拳制裁されるのは確実だろう。
「……是非」
ドワーフはウィルの頭から白いリネンの鎧下を被せると奥の鍛冶場に連れて行き製作途中の鎖帷子を取り上げてウィルの体に合わせは印を付けていった。
「よし、これでいい。明日の朝には仕上がる。鎖帷子は引き合いが多いが作るのには何日もかかる。すぐに手に入れたければ今払いな」
問答無用である。厳ついドワーフに圧倒されたウィルはびくびくしながら払った。ウィルはすっかり軽くなった硬貨袋を見てこっそりとため息をついた。ドワーフはウィルの様子には全く構わずに続けた。
「駆け出しの冒険者は手柄を立てるよりもまずは生き延びる事を考えろ。そして生きて帰りたければ盾も買え。重装歩兵なら扱える特製の盾だ。鋼鉄の頑丈な円盾だ」
これにはウィルも聞きたいことがあった。
「片手に盾、片手に武器。じゃあ松明はどうすりゃいいんだ? 」
ウィルはドワーフに怒鳴られると身構えていたが返ってきたのは意外に機嫌の良い声だった。
「だから仲間が必要だ。遺跡や洞窟に潜る前に盾に魔法使いに照明の呪文をかけてもらえ。魔法使いがいなかったら後ろの仲間にランタンを持ってもらえ。良いか?お前がどんなに強くてもお前一人で立ち向かうな。組んだパーティでお前はどんな役割を果たすのかよく考えて装備を整えろ。お前が重装歩兵ならパーティの盾役だ。盾役は盾が無ければ話にならん。この鋼鉄の盾でお前と仲間の安全が買える。その代価が15レアルだ。銀貨15枚の重みよりもお前の命の方が重い。そうだろ? 」
やはりこのドワーフは手ごわい。結局盾も買わざるを得なかった。渡された鋼鉄の円盾は盾としてはかなり重く確かに重装歩兵でなければ扱えそうもない。その一方で防御力は折り紙つきだろう。盾の裏を見てみると投げ矢を装着できる金具が付いてあった。念のために確認してみた。
「この金具に投げ矢を付けられるのか? 」
「もちろんだ。ミルスペック(軍規格)の投げ矢を5本セットできる。投げ矢はオプションだ。1本20セントだ。どうする?」
「得物を決めてから考える」
「ならば得物はどうする?大きいものも小さいものもあるぞ」
ロングソードと言いたいところだが値札を見るととても買えそうもなかった。片手剣はそれよりも安かったが10レアルと書かれた値札を見ると諦めるしかなかった。剣の他に使い慣れているのはパイクとメイスだがパイクは冒険者に向いた武器とは言えなかった。
「懐具合が厳しい。刀剣かメイスで何か手ごろなのが欲しい。お勧めはないか? 」
ドワーフはウィルの左腰にぶら下がっている年季の入った手斧を見てから答えた。
「それならばこの刀剣とヘビーメイスがある。持ってみろ」
言われるままに渡された刀剣を鞘から抜いてみた。グリップはスケールタン構造で、鋼鉄の茎を良く研磨された2枚の樫の板で挟んで真鍮のリベットで鋲接されていた。柄頭は省略されて言わば大型のナイフのような質素な造りだがデザインが良いのか握りやすい。鍔は単純な棒鍔で軍団兵用の剣のそれと似ていた。僅かに外反りしている刀身は剣鉈を伸ばしたような形状で先端から約20センチは両刃になっていて斬るだけでなく突きにも十分に使えそうだった。刃渡りは80センチ程で標準的な片手剣のリーチだ。ファルシオンに類似した刀剣である。ウィルは剣を前方に突き出して「突き受け」の構えをしてみた。軽くてバランスも良く扱い易そうである。続いて刃の出来を検めてみると刃は鋭いのは良いが刃厚は思ったよりも薄くて若干不安になった。ウィルは考え込みながら鞘に納めてドワーフに返した。次に渡されたヘビーメイスは全長90センチ程で軍で使ったものと同じフランジ式の全鋼鉄製の重厚な造りだった。柄頭で殴打しても大丈夫だろうし柄で斬撃をガード出来そうである。これなら命を託せそうだった。鍛冶屋はウィルの表情を確認すると頃合い良しとばかりに太い声で付け足した。
「その刀剣はグロスメッサーと言う。3レアルだ。藪を切り払ったりゴブリンを袈裟懸けにするには便利だが軍馬の脛骨を斬るのには向かない。化け物の骨を圧し折りたければヘビーメイスだ。そいつは帝国軍モデル、重装歩兵用と同じ仕様だ。5レアルだ。お前は左腰の手斧を予備の武器とするのだからメインの武器は手斧より強力なものが良いだろう」
手斧よりも強力な武器と言えば帝国軍モデルのメイスだ。値段は5レアルつまり銀貨5枚。払えないことは無いが少々厳しい。ウィルはしばし悩んだ。
「鎖帷子は本当に明日で出来るのか?でなきゃ明日から野宿暮らしだ」
「安心しろ。明日の日の出に来れば引き渡せる。念のために防具にランタンが取り付けられる様にもしてやろう」
「……わかった。こいつをくれ」
「まいどあり。大事に使ってくれ」
ウィルは買ったばかりのヘビーメイスを右腰にぶる下げて鎧下の上に外套を羽織り鍛冶屋を後にした。外は南西の風がそよいでいた。店からかなり離れてから「無愛想なんてレベルじゃねーだろ、あのオヤジ」とこっそり独りごちた。
銀貨1枚=1レアルというよりも銀貨といえば普通は1レアル銀貨なんです、この国。同様に銅貨といえば特に但し書きが無ければ1セント銅貨です。1レアル=100セントは言うまでもありません。
作中に登場するハーフマンとは要するにホビットやハーフリング、グラスランナー、ハーフフットに該当する種族です。作中の人間世界での評価は「一緒に遊ぶなら最高、一緒に仕事するのは悪夢」とされています。鍛冶屋のドワーフさんは、ああ見えても心が広いのですね。