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異質なダンジョンと蝿


 このダンジョンが異質なことには、なんとなく気付いていた。

 俺が捕まっていた独房を出たらここに出た時点で意味不明だし、ちょっと歩いただけでもこのダンジョンが異常なことは嫌でも思い知らされる。

 常に誰かに見られているという感覚。歩くものを意図的に迷わせるようにしている道。聴覚や嗅覚に明らかにデバフを受けているかのように思える魔物。

 意味不明な物ばかりだ。


 それなのに俺が今までこのダンジョンをそこまでヤバいダンジョンだと思わなかったのは、単に俺が他のダンジョンを知らなかったからに他ならない。比べる対象を知らなければ、これが普通だと思ってしまうのは良くあることだ。


 じゃあ、なんで今更になってこのダンジョンが異常だと言い始めのかと

 今俺の目の前にいる魔物の存在があまりにも常識外れで意味不明で、兎に角逃げ出したいぐらいに化け物じみていたからだ。


 ぶぅぅん。ぶぅぅん。ぶぶぅぅぅん。


 生理的嫌悪を催す羽音が殴ってくるかのように耳に入ってくる。俺が初めてその音を聞いたとき、思わず耳元でシッシッと手を振ったものだ。でももうやらない。やる意味が無いのを何回も確認して知ってしまったからだ。

 耳を塞ぐこともしない。耳を塞いだ程度では無意味なぐらい大きな羽音だからだ。ほんとうに嫌な音だと思う。


 でも、羽音を聞くよりも、もっと嫌なことがある。


 俺は通行の邪魔をする魔物を恨めしそうな目で見つめた。


「あたまがおかしすぎる……。何をどうやったらあんなのが生まれるんだよ……」


 巨大な蝿だ。見ているだけで身震いしたくなるような糞のように醜悪な姿をした蝿が、生理的嫌悪を抱かせる音を出している。こんなのがもし街中に居たらそれはもう災害レベルだ。周囲の人たちの精神崩壊により一瞬にして人間としての尊厳を失うと言っても過言ではない。

 そんな化け物が俺の通らなければならない道の先に鎮座している。

 控えめに言って俺は死にたかった。


「おかしい……。絶対おかしいって。何でだよ。この道は俺がオークを殺した場所だろ。なんで、そこにあんなでかい蝿がいるんだよ……。そんな気配は少しもなかったろ」


 俺は先程行き止まりに合い、歩いた道をそのまま戻ってきた。先に進んでいる間にいくつか分帰路はあったが、その道は全て攻略済みだ。俺が独房から出て最初にあった分岐は右の道と左の道で、俺は左の道を通ったのだが、そっちの道はハズレだったということだ。

 だから俺は右の道が正解なのだろうと思い、独房を出たばかりの場所まで戻ってきた。独房を出たばかりの場所と言うのは、俺がオークを殺した場所だ。ダンジョンの仕組みはまだ理解できていないが、運が良かったらまたオーク肉が食えてラッキーとウキウキする程度には思っていた。


 なのに、戻ってきたらこれである。


 蝿と言うのは存在そのものが醜悪だ。見た目もさることながら、その特性にも抗いがたい気持ち悪さがある。こいつが近づいてきて手でシッシッと寄せ付けないようにするのは人類全員の共通動作だろう。別に誰に教わったわけでもなく、気付いたら人類全員がこいつを嫌ってこいつの存在を遠ざけようとする。蝿からしてみれば何も悪さをしてないのに酷い扱いを受けているのは不服だろうが、そんなことは俺には関係ない。嫌いなものは嫌いだし、見たくないものは見たくない。


 俺は鎮座したまま動かない巨大な蝿を睨んだ。


「……まあ、殺すか」


 何がともあれ、殺せば良かろう。糞でか蝿の死体をまたいで先に進まないといけないのは嫌だが、災難だったと割り切る他ない。……いや、何か他にあの蝿を退けて先に進む方法はないのか? やっぱないか……。


 しょうがない。俺は銃を構えた。ちっとも空を飛ぼうともしない巨大な蝿に照準を合わせる。一発でも外せば驚いた蝿が俺を襲いに来るのは明白。この一発は絶対に外してはいけない。外したが最後、俺は向かってくる蝿を撃ち殺して、その薄汚い血を全身に浴びながら、慣性で突撃してくる蝿の死体を受け止めなければならない。

 そんな地獄を受けた俺の精神が持つとは思えない。


 だから、この一発は絶対に外せない。外したら俺が死ぬと思え。


 俺は精神を統一し、全身全霊を持って一発を撃つ構えを取った。俺は独学で銃を扱っているため、銃を撃つのに最適とされる構えを知らないが、恐らく今の俺はその境地に限りなく近づいていることだろう。

 両足を開き、重心を中央に置き、片手で銃を持って、両目で狙いを定める。両手で持うのが理想だったが仕方ない。狙う先は蝿の眉間。俺は虫の身体の構造がどうなっているのか知らないが、眉間の裏に脳があるのは間違いないだろう。脳は眼から最も近い場所にあるのが効率が良いからだ。


 絶対に外すことのできない局面で、俺は最適なフォームを持って挑んだ。


 そして、撃つ。


 音が鳴って、蝿の身体が吹き飛んだ。真っ赤な血が辺りにぶちまけられる。蝿とは思えないほどに赤い血と白い骨だった。見事なまでの爆発だ。流石にこれなら蝿が何事もなく死んだのが明らかにわかる。これで生きていたら発狂する。


 でも、俺は念のため十分程度待った。


「……よし」


 時間が経っても再生するような兆しはない。


「行くか……」


 俺は蝿の死骸をまたいで先へ進んだ。蝿の死骸をまたぐときも何もなかった。

 あれは一体なんだったのだろうか。



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