第4話 本気で打ち込めるものがほしかったんだ
ミミさんという名のタクシー兼ギャングに連れられたのは、かの花壇がある場所だった。花壇前にベンチがあり、到着と同時にそこに放り出された。
乗り物酔いしたのか、クルミさんの顔は真っ青になっていた。それで下を向いているものだから、傍から見る彼女は、晩年のボクサーのようだった。
「ほい」
グロッキーになっていた私とクルミさんに差し出されたのはお水。ミミさんが気を利かせて買ってくれたみたいだ。男前だ……と思いつつも、もっと他に気を遣うところがあったんじゃないか、という気もした。
「ありがとうございます。ミミさん、ちょっと待ってくださいね」
そう言って、私はスカートのポッケをまさぐった。財布くんとお金くんを捜索するためだ。
だけどミミさんは、「ちょいちょい。たかが水だよ? こーゆーのは返さなくていーのっ!」と笑って拒否した。
お、男前だ……。紛れまなく男前だ……。と思っていたら、「マナちゃんに家買ってもらおーっと。どれにしよう、あっ、億ションにしよう」と小声で呟くミミさん。
やっぱり男前じゃないよ! 詐欺だよ!
ともあれ私は「ありがとう」と会釈をした。すると、クルミさんも続くようにして、「ありがとうございますね。今度、お茶を淹れますね」と言って水を飲んだ。
あはは。みるみるうちにクルミさんの顔色が良くなってる。
それにしても、それにしてもだよね。クルミさんを連れ出すことはできたけれど、これからが本当の勝負、本番だよね。
私は、ペットボトルをぎゅっと握って、ミミさんに「耳を貸してください」と呼びかけた。
「えへへ。貸す貸すー。耳なんていくらでも貸すよ?」と、まるでやましいことでも考えているかのように、ニヤニヤ顔のまま頬を寄せてくるミミさん。
……あ、良い香り。こんなに顔を近づけたことがなかったから気付かなかったけれど、何だか落ち着く香りがするなあ……。でも、香水とは違う感じがする……。ミミさん本来の香りだ……。
……って、私の方がやましいじゃんっ!
頭上にクエスチョンマークを浮かべるクルミさん。彼女をこれ以上待たせるわけにはいかないと思い、私は急いでひそひそ話をした。
「クルミさんを何とか略奪できましたが、これからどうするんですか?」
「マナちゃん。近くで見るともっと可愛いね」
「えっ。な、な、な、急にそんなこと……!」
「いまわかった。目に入れても痛くないってこういうことなんだって」
「……はあ」
「だから、目に入れさせてくれる?」
「入れさせませんよっ! くだらないこと言ってないで、どうするんですかっ!」
「どうするもこうするも、略奪の後は、略奪しかないでしょ」
「略奪の後に略奪……? どういう意味です?」
「言ったじゃん。クルミちゃんを懐柔して、二人に復縁してもらって、カミーアちゃんに部活動を認めてもらうの。つまり次の略奪は、クルミちゃんを百合部に勧誘すること。ってか、クルミちゃんとカミーアちゃんがいないと、部活の規定人数の四人以上という条件をクリアできないからね」
「ですが……強制するのも気が引けます」
「大丈夫っ! そこらはあたしが上手くやるから、任せてよ!」
「……わかりました」
ミミさんは頷いてから、クルミさんの方に向き直り、手を差し出した。
「ようこそ我が百合部へっ!」
「へ……?」
退屈そうにクリーム色の髪を触っていたクルミさんは唖然とした。
それでもミミさんは、いつも通りマイペースに続けた。
「クルミちゃんには、百合百合する部活に入ってもらいますっ! これは強制ではありません、既定事項ですっ!」
……。……。……えっ、ええええぇええっ!!!
強制じゃなくて、まさかまさかの既定事項っ?!?!
この強引さには……というか、この理不尽さには、クルミさんも動揺が隠せなかったらしい。「えー」とか「はー」とか「ひえー」とか、ひとしきり喚いた後、クルミさんはとんがり帽を被り直した。そのとき、彼女の瞳がキラッと光った気がした。
「ミミフェン・スアサンさん。中学生のときから、優れた運動神経を活かして、運動部に入っては大会で優勝して、また別の部活でも優勝して……。数々の偉業を成し遂げてきたあなたが、クラスのみならず学校中の人気者だったあなたが、どうして百合部を……? もっとあなたの才能を活かせる部活をするべきではないですかね」
「へー、あたしのことも知ってるんだ」
私は、クルミさんの言葉に耳を疑った。けれど、ミミさんがその逸話を否定しなかったことで、私のそばにいる女の子がどれだけのことをやってきた人物なのか、受け入れざるを得なかった。
視界に、もやがかかっていく。そのまま、私は花壇の方に目をやった。
どうやらミミさんは、私と住む世界が違うらしい。
ミミさんは、私よりも遥か遠くにいる。その舞台で、スポットライトを浴びている。
きっと、桜だ。ミミさんは桜なんだ。
そして私は、花壇の花――。
「……おーい。……マ……ちゃ……ん……。マナちゃーん!」
はっ……!
ミミさんの声で、私は我に返った。そして、何ごともなかったかのように微笑んでみせた。
「ごめんなさい。私は……私は、クルミさんの言う通り、ミミさんには――」
「あー、ぼけーっとして聞いてなかったんでしょー。クルミちゃんの提言はありがたかったけれど、あたしは却下したのっ!」
「却下って、どうしてですか……! 私は、ミミさんがその気なら、百合部だって諦めます。そもそも……そもそも、部活じゃなくたっていいじゃないですかっ! ミミさんが運動部で活躍して、その合間にちょこっとだけ同好会をやる。それですべてが上手くいくんです」
「マナちゃん……どうしちゃったの……? あたしはさ……」
言葉に詰まりながらも、何とか弁解しようとするミミさん。クルミさんも「ミミさんは……」と説明しようとしてくれた。でも私は、それを聞かずに走り出した。
無我夢中で走って、辿り着いた先は屋上だった。
不用心ながらもこの場所へと続く扉は施錠されていなかった。その代わりでもないけれど、間違っても事故が起こらないよう、屋上は鉄柵で包囲されていた。
私は、つまらないことを考えた。
もしも、ミミさんが私を追う気なら、運動能力的にすぐに捕まったはずだ。だけど、私はこうしてここにいる。要するに、即座に追うことはしなかった、ということになる。
……わかってるよ。だからどうしたのって話だよ……。それがわかったところで、どうということでもないのに。
だって私は、構ってほしいから逃げ出したんじゃない。構ってほしいなら、あのままミミさんの希望を呑んで、百合部を認めてもらうために動けばいいから。
……でも。自業自得なのに、私、寂しいよ……。
ガチャ。
再び、屋上の扉が開かれた。
私は振り返らなかった。
ううん。違う。それは違う。
本当は、振り返ることができなかったの。
だって、空の音しか聞こえないこの屋上で、女の子の叫びにも似た泣き声が響いていたかから。
そしてその子が誰がかは、私にはわかってしまったから。
「重いですねー、うう……。そろそろおりてほしいですね」
……クルミさんの声、一緒だったんだ。
背後から足音がゆっくりと近づいてくる。その足音から察するに、歩いているのは、二人じゃなくて一人だ。でも、二人いるはずなのに……辻褄が合わない……?
「よいしょ」
私の隣まで牛歩で前進してきたクルミさんが、ミミさんを背中からおろした。ミミさんは、項垂れながら、まだ涙を流していた。
……何も言うつもりはなかったけれど、我慢していたけれど……ダメだ。
「さっきはごめんね、突然怒ったりして……」
私の謝罪でようやく顔を上げたミミさん。せっかくの天使の顔が……私のせいで悲惨なことになっていた。
「あっ……あだじの……ほうごぞ……ごめっ……ごめんね……」
「ううん……。ミミさんは悪くないです。私がミミさんと一緒にいたいって、そんな高望みをしたばっかりに、勝手に苦しんで……勝手に……」
ミミさんとクルミさんの姿が滲んでいく……。まるで、雨が降り注いだ窓のように、ぽつぽつと水滴が流れて、じわじわと滲んでいく。
私、泣いてる……?
こんな感覚、いつぶりだろう……。涙を流すなんて、いつぶりだろう……。
ただただ立ち尽くすしかなかった私を、ミミさんはきつく抱きしめた。
「あだじも……マナちゃんと……一緒にいだい! でも……それを叶えるには。……それを叶えるには、あたしたちの活動を部活にしなきゃダメなの!」
「どうして……? ミミさんは、ミミさんが評価される世界に行くべきだよ……」
「……誰かに評価されるために生きるなんて、あたしにはできない。あたしは……あたしは……近くにいてくれる人に……愛してくれる人に……理解されたい……理解、されていたい……。それ以外は、何も、何もいらない」
「ミミさん……。それなら……部活じゃなくて、同好会から始めませんか……? その方がクルミさんを巻き込まなくて済みます」
酷い顔のまま私から距離を取ったミミさんは、諦めたように頷いて、「わかったよマナちゃん。じゃあ、同好会から――」と言いかけたところで、傍観していたクルミさんが割って入ってきた。
「ミミさんもされるがままじゃないですかね。私、言いましたよ。ミミさんが納得してるなら、面白そうだし入りますねって」
……。……。……え。ええっ?! そんなこと言ってたの?!
私は、上半期で一番取り乱しながら訊いた。
「いつ入ると言いました……?」
「やっぱり。聞こえてなかったんですね。マナさん、さっきぼーっとしてましたよね。そのときにはっきり言いました。ね、ミミさん?」
ウインクするクルミさん。それに戸惑いながらも、ミミさんは小さく首肯した。
「……そう。一応、了承はもらったけれど……あたしはマナちゃんに従うよ」
なおも消極的なミミさんに、クルミさんはまなじりを上げて言った。
「部活を渡り歩いてわかったんですよね? どれだけ優勝しても、その部活にいる子たちの熱量には勝てないって。それが羨ましかったんですよね? だからミミさんも、本気で打ち込めるを部活で、本気で『好き』を追求したかったんですよね? その気持ちって、抑え込んでいいんですかね?」
「それは……」
ミミさんは答えかねていた。多分、心のなかでは主張したいことがあって、けれど私に遠慮して吐露できないんだろう。私がミミさんの足かせになっちゃダメだよ……!
「……クルミさんの了承が得られていて、ミミさんがやりたいということなら、私はその気持ちを尊重したいです。これが、私の答えです。ミミさんは……?」
「あたしは……二人に……甘えたい……」
「決まり、ですね」
あーあ、泣きすぎちゃった。
溜め込んでたぶん、泣いちゃった。
私もミミさんも冷静になったころ、クルミさんがスカートからステッキを取り出した。魔女さんがもっているような、うねった形状の棒だ。
「私は魔女なんですね。といってもまだ見習いですけれどもね……。ともかく、多少の魔法なら使えるんですね。お二人とも酷い顔なので、私の魔法で可愛い顔に戻してあげますね」
「そんなことできるの?!」「おお、楽しみです!」
「それではいきますねー。ヘオカ・ナイレキ!」
クルミさんがステッキをぶんぶん振り回して、呪文っぽいものを唱えると、私とミミさんの二人は、たちまち白い煙に包まれた。主に顔周辺を……。
そして、煙が徐々に消えていって。
「クルミちゃん、どう?」「元に戻りましたか?」
「ええっと……あのー……そのー……」
おどおどを通りこして、私たちの周りをぐるぐるとランニングし始めるクルミさん。
悪寒がした私とミミさんは、互いの顔を見つめると……。
な、な、な、何これーっ?!
顔が……馬になっていました……。
【この後、すぐに元通りになりました】
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