所長さんと私#2
お手洗いをすませて、所長さんと合流する。
いよいよビニールハウスの中に入る。
所長さん、奥さん、みりあの順番で続けて入る。
ハウスの中の空気は少し暑くて、もわりとしていた。そしていちごの甘酸っぱい匂いと少し青臭い匂いが混じっている。
係の人がいちごの取り方を説明してくれる。ここのは水耕栽培っていって、土を使わずに育てたいちごなんだって。プラスチックのトレーを渡された。隅っこに仕切りがついてて、係の人がそこへ練乳を入れてくれた。
「さぁ、どうぞ時間まで食べ放題ですよ」って言われて、奥さんは「さぁ、一年分のいちごを食べるわよ!」って張り切ってる。最初の1つはどれにしようかな?いちごの棚の間を歩きながらきょろきょろと探してみる。スーパーで見かけるのよりどれもサイズが大きい。特大サイズのにしようかな。それとも真っ赤なやつにしようかな。
奥さんはもう食べ始めたみたいで「すごく甘いわっ」と、喜んでいる。所長さんも「今年もいい出来みたいだね」ともぐもぐしてる。
決めた。
鈴なりの中から、一番赤いのを選んだ。
へたを持って半分齧ってみる。
柔らかい果肉からじゅわっと果汁が溢れて、口の中が一瞬でいちごの甘酸っぱさで満たされる。
「……あまぁい」
ショートケーキの上に乗っている、齧ると固くて酸っぱさばっかりを感じるいちごとは全然違う!
もう半分も口に入れた。
「おいし」
もぐもぐしながら呟くと「でしょー?」と奥さんがニコニコしてこっちを見てた。
「どんどん食べましょうね!」
それから3人でいっぱいいちごを食べた。
「みりあ、もうお腹いっぱいかも」
「そうね、ずいぶん食べたものね」
トレーの上に残ってるへたの数を見て、お互いにふふふって笑う。
制限時間が来る前に、お腹が膨れてしまった。所長さんがお腹を擦りながら「あー、もう、しばらくいちごは食べなくていいなぁ」って言ったら、奥さんは「あら、できるなら、私は明日も食べたいわ」だって!
「えぇえ…」って所長さんはみりあにむかって困った顔をして見せた。
ビニールハウスを出たら、外が涼しく感じた。
「所長さん、奥さん、今日はありがとうございました。ポイントカードの分、帰ったら所長さんのお手伝いいっぱいするね」何かをしてもらったら、ちゃんとお礼を言わなきゃいけない。
施設でも学校でもよく言われる事だ。
「どういたしまして」と二人とも微笑んでくれた。
帰りの車の中でお腹がいっぱいでいつの間にか眠ってしまったみたい。
気がついたらもうすぐ施設、というところまで来ていた。
帰ったら宿題の絵日記を書こう。
皆には内緒だから、楽しい事があったとだけ書いて、真っ赤ないちごの絵を描こう。
素敵な思い出が出来た。
車を発進させてしばらくすると、すぅっと寝息が聞こえてきた。
妻が後ろを振り返り「よく寝てるみたい」と確認する。
「ねぇ、あなた、あなたの仕事はわかっているのよ?わかってはいるのだけど、あの子……みりあちゃんのことどうにかならないのかしら?」と言う。
施設では特定の子に特別扱いはできない。皆を公平に扱わなければいけない。それは破れないルールだ。
イチゴ狩りに連れてきた時点で、それはもうずいぶんと逸脱してしまったけれど。
最近は、何を言われても、何かあっても感情を揺らさなかった彼女が泣いたと聞いてどうにかしてあげたくなってしまった。
「そうだね、君の気持ちもわかるよ?だが仕事をしているうちはそうはいかないんだ」
「でも、あんな、まだ3年生なんでしょう?なのに、しっかりしすぎてる。あなたお金のこと何も言ってないんでしょう?」
「もちろんだよ、私も予想外だった。君が機転をきかせてポイントカードがあるって言ってくれなかったら、説得するのに時間がかかってしまったかもしれないな」
普通、彼女ぐらいの年齢なら大人と行動を共にしていたら、支払いのことなど気にしない、ならないはずだ。
もし気になってもせいぜい「いいの?」と聞くぐらいだ。
だけど、彼女は当然のように払おうとした。
「自分のことは自分で」
それは、周りの大人が口を酸っぱくして子供達に言い聞かせることだ。
確かにそうだ、大人になってから困らないように、施設で育ったからと侮られぬように、しっかりと強く、自分で立って生活ができるように。それは施設の役割だし、親から離れて暮らす子供達への願いでもある。
しかし、それしか彼女は言われてきてないのだ。
甘えることを一切誰にも許されず、彼女は育ってきたのだと、今日初めて気付かされた。
彼女は里親や養子の候補になって何回か相手と面談したあと断られることが多かった。その相手はどの人も口を揃えて「あの子には私達は必要だと感じない」というものだった。
背筋を伸ばし、きちんと名前を名乗り、勉強や今頑張っていることを一生懸命伝えていた彼女。
それなのに選ばれるのはいつも他の子だった。
私の後ろへ隠れてしまったり、泣き出してしまったりする子だ。
「あの子は両親がいなくても立派な大人になれるでしょう」とみんなが考えた。
何度かそんなことが繰り返されると彼女は「断られた」と伝えても泣かなくなった。
そしてそういった話があっても笑わなくなった。期待した分、傷ついてしまうと思い知らされたのだろう。
「……なぁ、君がよければなんだけど、仕事を引退した後、みりあちゃんの里親になってもいいだろうか?」
子供達の役に立つ仕事がしたいと選んだこの仕事だけれど、こんな小さな子に甘えることさえさせてあげられない自分の不甲斐なさが嫌になる。
その時は年金暮らしで贅沢はさせてあげられないけれど、愛情だけは注いであげられる。祖父母と孫のように暮らせればと思った。
「そうね、いいと思う。老後の楽しみができたわ」
「賛成してくれてうれしい。だけどまだ本人には言わないで欲しい、何度もそういう話がダメになってるんだ」
「わかったわ」
だが、私が仕事を引退する前に、彼女は亡くなった。
こんなに悲しい葬式は初めてだった。
彼女を特にかわいがっていた、普段は強がってばかりいるゆかりが人目を憚らずに号泣していた。
私の思いと同じ彼女の言葉が耳に残る。
「何で…どうして……?みりあだってこれから幸せになれたのに……」
棺にすがり動こうとしないゆかりを施設の仲間が抱えて起こしている。
「次こそ素敵な両親の元にいけるよう精一杯祈ってやろうぜ」
どうか、どうか、次の生があるならば彼女を心から愛してくれる人のところへ行けますように。
どうか神がこの祈りをお聞き届け下さいますように。
天へと昇る煙を見つめながら切に願った。




