ディノまっしぐら!
開け放した窓から気持ちのいい風が入って頬を撫でる。
季節はすっかり初夏になった。
市場には瑞々しい葉物野菜がたくさん並び始めて八百屋さんの店頭は鮮やかな緑で溢れている。
アイナブルゴヤの生活にもリズムができて食堂のお手伝いに、作った薬を持っての薬師ギルド通い、たまにバイエル商会の倉庫へ行って色ガラスの補充をしたり、と、のんびりだけどヒマすぎない日々を過ごしている。
「さてと、明日は食堂のお手伝いだから今日はお部屋の片付けとお薬を作っておこうかな」
まずお部屋全体をクリーンしてと。
そうだ、そろそろ床に敷いたラグを冬のから春夏物へ変えていいかもしれない。
次はどんなのにしようかな?
ディノが帰ってきたら、どこのお店がいいか聞いておかなきゃ。
創造した方が早いけど、バイエルのおじさまから「なるべくお金を使ってくださいね」と頼まれてる。
お金がひとところにじっとしてるのはあんまり良くないんだって。
「ガラスの代金も次々に入金してますし、このままだとお城でも建てないといけなくなりますよ?」と脅された。
お城なんて建てても困るだけだから、頑張って少しずつ使うようにしてる。
市場では値段を気にせずにぽんぽんと買い物をするミアはすっかり皆から「さすがバイエル商会のお嬢様」と認知されている。
ディノはミアのせいで口が肥えて困っているみたい。
「ミアが帰っちまったら前と同じ食事で満足できる気がしねぇ……」と思い詰めた顔をする。
……ミアが村へ帰る時には時間停止の魔法収納袋にいっぱいご飯を作っておいておくからね。
ディノのブーツにクリーンをかけて、革のお手入れ用のオイルを襤褸切れで薄く塗り込めてゆく。
まんべんなく塗れたら次は別の乾いた布で磨きあげる。
“もったいない”は、みりあもよく言われたけど、物を大切にするのは断然こっちの人。
靴も鞄も服も、みんな手入れをして大事に大事に使う。
「うふふ、キレーになった」
履きこまれたブーツはオイルが染みてしんなりして一段と色を濃くした。
しばらく陰干しして出来上がり。
これで少しの雨ならへっちゃらだよ。
そうだ、エルフの国に行くときにゲーテおばさんからもらった鞄もついでに手入れをしておこう。
帰ってからゲーテおばさんに返そうとしたけれど「それはもうミアちゃんのだよ」と大銀貨の入った林檎のマスコットもそのまま譲り受けた。
この鞄を見るたびに優しいゲーテおばさんを思い出す。
「今度は何年で帰れるかなぁ……」
この間きた手紙には、怒ったカイ兄ちゃんはイオさんともハンナさんともずっと口をきいていないって書いてあった。
深いため息を掻き消すように、乾拭きの手に力がこもる。しばらく磨き続ければミアの鞄も艶が出てピカピカになった。
「さて、次はお薬でも作ろっかな」
下へ行くために立ち上がると、窓から飛び込んできた小鳥とぶつかりそうになる。
「わっ、ごめんね、あれ?」
くるっと器用に旋回してミアの腕に止まった小鳥は茶色で喉元が白。
すっかり見慣れた伝言鳥だった。
「おじさまからだ」
「ディノーーっ!ディノ!ディノ!ディーーノーーーッッ!!」
商業ギルドに入ったとたん、ディノをみつけるために大声を出したミアを中にいる人達が一斉に見つめる。
「ちょっとミアちゃん、そんな大きな声ださないでちょうだい」
もうすっかり顔馴染みになったお団子のお姉さんが渋い顔をする。
ごめんなさい!
でも、急いで知らせたいことがある。
ミアも全力で駆けてきたからまだ息が荒い。
「ディノは!?」
「今日は外出の予定はないからここにいるはずだけど……」
「こら、ギルドでうるさくしたらダメじゃねぇか」
奥の部屋にいたらしいディノが姿を現した。
いた!
「ディノ! 見つかった!」
「あ?」
「銀のお皿が見つかったって!」
そう告げた途端ディノはひゅっと息を飲み、持っていた書類にくしゃりと皺が入るのがわかった。
「あっ、でも、ディノに確認してもらうまでは本当にじぃじのかわからないから……っ」
そう言うとディノは、詰めていた息をほぅと吐き出した。
しまった、もっとちゃんと伝えないといけなかった。
ディノにぬか喜びさせちゃった……。
「知らせが来たのか?」
「うん、さっき。おじさまがアイナブルゴヤに持ってきてるからディノに確認して欲しいって」
「わかった、すぐ行く。ミアは辻馬車を捕まえといてくれ」
「わかった!」
辻馬車の御者さんにバイエル商会までと告げた後はディノ黙ったままだった。
ミアも「これからすぐ行きます」と伝言鳥を飛ばしてからは黙ってた。
馬車の中にはガラガラと車輪が回る音が響いた。
バイエル商会に着くと、すぐにおじさまのいる応接室まで通された。
「急に呼び出してすみませんね」
おじさまはにこやかに迎えてくれて、挨拶もそこそこにテーブルへディノが描いたお皿の絵を広げる。
「そしてこれが見つかった物です」と、傍らに置いてあった布の包みを目の前に移動させると結び目を解いた。
「どうですか?」
柔らかそうな布の中には鈍く光る銀色のお皿が1枚。
楕円のお皿の左右には南天のような葉と実が浮き彫りになっている。
ディノは恐る恐るお皿を手にとってひっくり返した。
真ん中に飾り文字でイニシャルが彫られている。
ディノが描いた絵にそっくりに見えるけど、どうなのかな?
ぽたりとお皿を持つディノの手に滴が落ちた。
「これだ……」
まばたきを忘れてしまったかのようなディノはお皿を見つめたまま、大粒の涙を溢す。
「これ、じぃじのお皿?」
「間違いない。……久しぶりに見たが間違えっこねぇ。あぁ、そうだ、小せぇ頃、お袋がこれにボアのステーキを盛り付けてコケモモのソースをかけて……役人は満足して料理を誉めたんだ。親父もお袋に頷いて、お袋はぱっと笑顔になって……」
瞳からぽろぽろと落ちる涙も構わずにディノは遠い日のことを回想してる。
「残念ながら、見つかったのはこれ1枚なのです。普人の銀器蒐集家が珍しい意匠だと王都で買い求めたようです」
「ありがとうございます」
ディノは静かに深く頭を下げた。
ミアも慌てて「ありがとうございます」と頭を下げた。
「いやぁ、見つかってよかった。これでミアちゃんへの借りが一つ返せました」
チリリンと小さなベルを鳴らしながらおじさまはにこにこと笑う。
ディノにハンカチを渡しながら「借り? ミア何かおじさまに貸してた物あったっけ?」と尋ねると「色ガラスですよ、“くるり”も未だに売れ続けてますが、あの色ガラスで作った商品が飛ぶように売れているのです」
「そうなの?」
「えぇ、エルフの国でも外交の使者に色ガラスで作った大きな花瓶を持たせてますし、芸術的な作品を作れるとドワーフの工芸協会からも感謝されるしでいいことづくめです。今年のデビュタントは色味の揃ったガラスのビジューアクセサリーが最先端の流行になりました」
従業員の人がお茶とお菓子を運んできてくれて、熱いお茶でようやくディノも落ち着いたみたい。
少し恥ずかしそうにミアにハンカチを返してくれた。
「あ、ねぇねぇ、おじさまにドワーフさんを紹介してもらって、これと同じで新しいのをあと4枚作ってもらおうよ! 」
オリジナルが1枚あれば、そっくりに作ってもらえるよね?
「いいですね、とびきり腕のよいドワーフを知っていますよ」
おじさまもお茶に口をつけるとミアの思い付きに賛成してくれた。
「よし、返してもらった金もあるし、そうするか!」
ディノもいい考えだって思ってくれた!
「じゃあ、ドワーフさんにお揃いのナイフとフォークを一緒に頼む!」
お皿とナイフとフォークのセットのにしたら、きっとすごく豪華に見えるよね!
「おぉ、それもいいな、金は俺が出すからな?」
念押しするようにディノは言うけど、ここはミアも譲れない。
「ううん、そこはミアが出す! ミアだってじぃじにプレゼントしたいし、お城よりナイフとフォークのが役にたつし!」
「はぁ? なんでそんなのと城と比べてるんだ?」
わけがわからないと首を傾げるディノを見て、おじさまと二人で笑いあった。
ふふふ、じぃじへのお土産が決まった!
喜んでくれるかな?
きっと、絶対、喜んでくれるよね!




