【短編版】オレだけがここがエロゲの世界だと気づいた ~覚醒したスキルがオレにエロゲの美少女を救わせようとするけど、原作知識と固有スキルでみんなの笑顔を守りつつ自由に生きようと思います~
もっとも印象に残っているゲームは何ですか。
現代に生きるオレたちは、多かれ少なかれゲームに人生を左右されがちだ。ゲーム配信で収益化を目指すために学校をやめる生徒もいると聞く。
誰しも、印象に残っているゲームがあるんじゃないかな。もしかしたらそれは複数あって、どれも甲乙つけがたいものかもしれないけれど、思いつかなくて返答できない人は少数派なんじゃないかと思う。
『ぱんどら★ばーすと』
それがオレのやりこんだゲームの名前だった。
この作品に関して、オレは語るに語りつくせぬ悲喜こもごもの思いがあるのだけれど、この余白にそれを書くにはあまりに狭すぎる。
だからあえて、一言で済まそう。
オレ、このゲームの住人なんだ。
*
三重県伊勢市生まれの楪灰想矢。
12歳の時、オレはこの世界がゲームだと気づいた。
ある日、突然、ふいに。
天恵のように一つのスキルが覚醒したのだ。
『【アドミニストレータ】を習得しました』
「アドミニストレータ……?」
アドミニストレータという単語に聞き覚えの無かったオレは、周りの大人にどんなスキルかを聞いて回ったんだ。
だけど、誰もこのスキルのことを知らなかった。
学校の図書室で調べてみても、インターネットで調べてみてもそれは同じ。分かったのはアドミニストレータが管理者を意味する言葉ってだけ。
正直言って、オレはワクワクしていた。
胸が奥の方から熱くなったのを覚えている。
誰も知らないオンリーワンのユニークスキルが発現したんだ。自分は特別なのかもって思うのも、仕方のないことだろう?
「【アドミニストレータ】、発動!」
刹那、広がる視界に変化が起きた。
世界が色を失い、すべてが灰色に染まる。
粘性を帯びたように、時の流れがドロリと淀む。
プラズマが背後からオレを追い越した。
迸る燐光が折り重なり、オレの眼前で収束する。
一枚のプレートウィンドウが目の前に現れた。
「『ぱんどら★ばーすと』? はじめから? CGモード? MUSICモード? エンディングコレクション? え、オレのスキルってゲームをプレイするためだけの物ってこと⁉」
すうっと、胸の奥にあったドロリとした熱量が覚めていくのを感じた。
外れだ。大外れスキルだ。
こんなスキルがあって何の役に立つ。
むしろみんなにバレたら「遊び人」ってからかわれるだけのマイナススキルじゃないか。
冗談じゃない。
この世界の創造主はオレが嫌いなのか?
いや、いやいや。
まだ決めつけるには早い。
見た目はゲームでも、中身は別物かもしれない。
まだ希望を捨てるな。
結論から言おう。
ゲームだったわ。
主人公の天月悠斗はある日、呪いと遭遇する。
呪いとは生き物が生み出した、未練や妄執といった負の感情の総称だ。それは最初、形のない概念に過ぎない曖昧な存在だ。
だが一度人に取り付くと、記憶から実体を創造し、やがて人間を襲い始める。
呪いに対抗する唯一の手段、超常の柩を手にした主人公は、平凡な日々から戦いの日常に巻き込まれていくのだった。
ぶっちゃけ言おう。
「めっちゃおもしろい」
このゲームのキーアイテムとなる超常の柩で封印した呪いは、箱を開けることでその力を自分に宿せるのだ。これを利用し、主人公はより強力な呪いと戦っていくことになる。
強力な呪いには強力な反動があり、使うタイミングを見極めなければいけない。戦略的要素もある。
ゲームシステムもストーリーも面白いんだ。
ただ、ただね?
『ひゃ……あっ……ダメぇ……、んぁ、やぁ……』
ヒロインが徒手空拳の鍛錬を積んでいるだけの健全なシーンだ。やましいことは何もない。だが一つだけ気になることがある。
「この神藤ちなつってキャラ、同級生の笹島ちなつに似てるな」
順当に成長すればこうなるだろうなって未来図がそこにあった。苗字こそ違うが妙な縁みたいなものを感じる。
オレはちなつルートを進めることにした。
他にも攻略対象のヒロインが大勢いて、おそらく複数人攻略ルートとかもありそうな雰囲気だ。だけどそれは2週目以降でいいや。今回はちなつ一筋で行く。
気づけば夢中になって遊んでいた。
どうせ現実の時間は停止したままだ。
誰はばかることなく好きに遊ばせてもらおう。
「ぐあっ、ゲームオーバー!!」
意外とこのゲーム難しい。
結構まじめに取り組んだのに割とあっさり敗北してしまった。
あ、エンディング流れるんだ。
ゲームオーバーでバッドエンドが流れるタイプのゲームなのね。
「ん? なんだこれ。実績解除、エンディングを1パターン解放。タイトルに【エディットモード】が解放されました?」
エディットモード?
何かを編集する機能かな?
一度タイトルに戻る。
見れば選択肢に、エディットモードが追加されていた。オレはなんとなくエディットモードを起動する。
「……は? オレ?」
ディスプレイに映し出されたのは、オレの姿だった。年齢、住所、それから、オレすら知らないステータス。それらが画面に表示されていた。
「所持金2500円て、なんでそんなことが分かって……いや、これオレのスキルだったか。だったらそれがわかっても当然。でも、その隣の倉庫14213円ってなんだ?」
倉庫の欄はタップすると、数値を入力できるようになっていた。『いくら引き出しますか?』と聞かれたのでキリよく1万円を指定してみる。
「……え?」
貯金箱を確認すると、1万円札が追加されていた。
代わりに倉庫が4213円になっている。
「もしかして、もしかして!」
持ち物欄をタップする。
持ち物は何も表示されない。
だがその横にある倉庫欄には、オレがゲーム内で獲得したアイテムがリストになって並んでいた。
当然、その中にはあのアイテムも存在する。
喉を唾液が下る。
震える手で、オレはそれを選択した。
いや、いやいやいや。
夢だ。こんなの夢に決まっている。
だから、これを追加したところで現実に変化なんて起こるはずがない。
そんな予想は、あっけなく崩れた。
つい半秒前まで何もなかったオレの手には、光をすべて飲み込むように真っ黒な立方体が握られていた。
「超常の柩……!」
まさか、【アドミニストレータ】はゲームの世界を現実に反映するスキルなのか? いや、それとも、この世界自体がゲームそのものなのか?
「スキル一覧って、もしかして」
わくわくしながら選択する。
そこには予想通りの文字が並んでいた。
まず、左側にオレのスキル。
これは現状【アドミニストレータ】の一つだ。
そして、右側には主人公の天月悠斗が獲得したスキル一覧が並んでいる。その中の一つ、【剣術Lv2】をドラッグしてオレのスキルに移す。
「は、はは。まじか? これ、ゲーム内で取得したお金、アイテム、スキルを現実に持ってこれるのか?」
*
「んー、おかげ横丁に来るのも久々だな」
オレはスキルの効果を検証するべく、【アドミニストレータ】を一度止めて、町へ出た。
向かった先はおかげ横丁。
江戸時代から明治期の風情を残した57店舗からなる、飲食店が連なる通り道だ。
とりあえず検証するのは二つだ。
引き出した紙幣がきちんと使えるのかと、本当に【剣術Lv2】を使えるのか。
お金の検証先は決めている。
この先にある機巧竹刀を扱う店だ。
振り方次第で内部に仕込んだ刃を出せるデビルかっけぇ竹刀で、ずっと欲しかったんだけど7980円はオレの小遣いだと厳しくて手を出せずにいたんだよね。
「おじさん! 機巧竹刀ちょうだい!」
「お金はあるかい?」
「うん!」
ゲーム内通貨だけど。
さて、使えるかな。
(このおじさんは【鑑定】スキル持ちって噂だから、これでこの1万円が本物かどうかわかる)
まあ違ったら違ったで自分も被害者だって泣き喚けば許されるでしょ。子供のアドバンテージを全力でいかしていこうぜ。
「ふむ、はいよ。重いから気を付けてね」
「え……とと、わぁ」
驚いた。
機巧竹刀の重さもだが、お金が使えてしまった。
あの紙幣、本物なんだ。
ということは、剣術スキルも本物?
検証したいけど、検証する当てがなぁ……。
ん?
店の外が騒がしいな。
なんだろう。
「どけぇ! 邪魔だぁ!!」
「きゃああ! ひったくりよ!! 誰か捕まえてー!」
扉を開けると、こちらに向かってくる窃盗犯と目が合った。
えぇ……。
おかげ横丁と言えば伊勢神宮の近くだ。
天照大神のお膝元とも言える。
そんな場所で窃盗する輩がいるの……?
「クソガキ!! 死にたくなきゃ道を開けろ!!」
ん?
これって剣術スキルを検証するチャンスでは?
腰だめに竹刀を構える。
握ったばかりで刃渡りも把握していない竹刀なのに間合いがわかる。剣を構えた経験なんて皆無なのに、どう構えればいいかが直感でわかる。
剣閃の予測線と言えばいいだろうか。
振り抜けばどんな軌跡を描くかが網膜に映る。
「どけっつってんだろうがぁ!!」
「はぁぁぁぁっ!!」
右足を大きく踏み込む。
左ひざは地面すれすれという超低姿勢。
そこから放たれる、亜音速に迫る一閃。
「ぐはぁっ⁉」
竹の刃が窃盗犯の横腹を薙ぎ払う。
男は鈍い悲鳴を上げて吹っ飛んだ。
お、おう。
さすがに自分でもびっくりだ。
「おおおお! 坊主やるじゃねえか!」
「剣術スキル持ちか何かか⁉」
「その年でスキル持ちたぁやるな!」
「うわ、え、ちょ」
なんか周りから集まってきた大人にもみくちゃにされてるんだけど。ちょ、ええい!
息苦しいっつうの!
ふぅ、なんとか抜け出したか。
お、窃盗犯も大の大人数人に抑え込まれてる。
ひったくったハンドバッグは持ち主の元に返ったようだ。うんうん、めでたしめでたし。
「ちょっとこっちに来てー!」
「うおっ?」
と、事の成り行きを眺めていると腕を引かれた。
突然の引力に逆らえず、なされるがままに路地に引きずり込まれてしまう。
「……笹島ちなつ?」
「はえ? どうしてフルネーム呼びなの?」
どうしてって……、童貞だからじゃね?
童貞は女性をフルネームで呼びがち。
やめた方がいいのは分かるんだけどさ。
突拍子もなく出てこられるとこっちも心構え出来てないから呼び方がそうなってしまうのも許してほしい。
「えっと、オレに何か用?」
「もっちろんだよー!」
「ですよねー」
ちなつは目をキラキラさせてオレを見ていた。
両手に握りこぶしを作ってあごの高さに構えていて、全身をうずうずさせている。
なにこれ。今から私刑されるの?
「ねえねえ! さっきのどうやったの?」
ちなつが身を乗り出した。
すわジャブを打たれるかと警戒をしつつバックステップを踏むと、間合いを詰められた。くっ、やるな。
いや待て。
相手は対話をしようとしてくれているんだ。
何かしら誤解が生まれているかもしれない。
ひとまず言葉を紡ごう。
「なんか、剣術、生えた」
「生えた⁉ なんでカタコト? インディアン⁉」
「いや日本人だけど」
「知ってるよー!」
「見てこの黒髪」
「知ってるってばー!!」
両手を強く握って地団太を踏むちなつ。
小動物みたいでかわいい。
あれ? もしかして殴りこみに来たわけじゃない?
ごめんと口にして、彼女の怒りが引くのを待つ。
「むぅ、調子狂っちゃうよー。えっと確認なんだけど、想矢は剣術スキルを持ってる、よね?」
女の子に名前で呼ばれた。
わーい。
「だいたいあってる」
「だいたいって何⁉」
「ふとももの音読み?」
「それは初めて知った!」
大腿骨とかいうじゃん。
あれだよあれ。
にしても剣術スキルか。
持っていると言えば持っている。
ただ、剣を学んだ結果手に入れたスキルじゃなくて、ゲームで遊んで身につけたスキルなんだよな。
うーん、これを剣術スキル持ってますと声を大にして言っていいものか。
「あのね?」
悩んでいると、ちなつが顔をずいと寄せた。
驚いて一歩退くと、彼女は距離を詰めるように一歩にじり寄る。
数歩も下がれば、建物の壁が背後に迫った。
「わたしにも、剣を教えてほしいの!」
……は?
「剣? なんでオレ?」
「イヤ?」
「嫌とかじゃないけど」
歯切れの悪い感じになったオレに、ちなつは嫌じゃないなら何が問題なのかとでも言いたげな表情を向けてくる。
「普通に剣道の先生に習った方がいいと思うけど」
「それは……、えっとね! あの先生が剣術スキルを覚えたのは15才なの! 想矢のほうが早いよねっ!」
「教える才能はまた別だと思うけど」
オレのほうが早く覚えたとしても、あの先生にはそれを補ってなお有り余る経験があるし、ぶっちゃけオレに習う意味はないと思うんだが。
「うぅ……分かったよ。事情を話すから」
「事情?」
「わたし、あの先生に、というより、人から戦闘技術を習えないの」
「習い事を習うお金がないとか?」
「ちがうよー、わたしはこんなだけど神藤の分家の令嬢なんだよ?」
「……は? 神藤?」
なんで、こいつの口からその名前が。
え、だって、それって。
(神藤って、ゲームの中の話じゃないのか?)
神藤ちなつを幼くした容姿の笹島ちなつ。
ただのそっくりさんだと思っていた。
だけど、もし。
(この先、何かしらの理由で、笹島ちなつが神藤姓を名乗らないといけなくなるとしたら?)
例えば――。
「分かってるんだ。わたしが令嬢に似つかわしくないなんて、わたし自身が一番、ね?」
「あ、いや、べつにそんなつもりじゃ」
思案にふけるオレをちなつはどう受け取ったのか、口をとがらせ、ぷいと視線をそらしてしまう。血縁関係で厄介ごとを抱えているのは間違いなさそうだ。剣を習おうとするのもそれが原因か。
「……ごめん。詳しく聞かせてもらってもいいか?」
ちなつがオレをちらりと一瞥する。
なんだかバツが悪くなって、顔をそらしたくなる。
だけど、なんとなく、目をそらしてはいけない気がした。
ちなつはしばらくオレの目を見ていた。
それから、瞳を揺らし、口を二度三度開いたり閉じたりして、それから、呟くように口を開いた。
「信じてもらえないかもしれないけど――」
ちなつはぽつりぽつりと話した。
オレは時折うんうんと頷いたり、あーと曖昧に同意を示したりしながら各所に相槌を打って話を聞いた。
それから、最後に一つ。
「まじかよ」
口をついて出たのはそんな言葉だった。
「まとめるとこうか? 神藤家は代々『呪い』っていう超常現象と戦う組織で、ちなつさんの従姉が今度、初めての実戦におもむく。心配で駆け付けたいけど、危険な戦場に自分の身も守れない状況でそうもいかない」
「うん。でもやっぱり、呪いとか信じられないよね」
ちなつはえへへと苦しそうに笑った。
その様子に、オレはなんとなくこれから起こることを察してしまった。
(これ、ちなつの従姉さん死ぬやつじゃん)
オレは知ってるんだよ。
神藤ちなつが、家族の話を聞くたびに悲しそうな挿絵に切り替わるのを。すぐにいつもの明るい表情に変わるけど、親族に何かしら悲しいことがあったのは間違いない。
そして、そう考えればちなつの苗字が神藤に変わっているのも納得できる。
本家の従姉さんが呪いとの戦いで死んでしまう。
血筋の途絶えた本家は分家からちなつを引き取り、ちなつは神藤姓を名乗ることになった。
そう考えればすべての辻褄が合ってしまう。
「オレ――」
信じるよ。
そう言おうとして、口をつぐんだ。
(もしここがゲームの原作前の世界だとして、原作ブレイクしてもなお【アドミニストレータ】は有効なのだろうか)
ちなつの従姉を救うということは、神藤ちなつの生まれる未来を否定することだ。それはアドミニストレータが描くゲームの世界とは別物。
せっかく手に入れた、チートスキルが、効能を失ってしまうかもしれない。それでもいいのか?
「オレ、信じるよ」
悩んだのは一瞬だった。
「……想矢って、オカルトとか信じるタイプなんだ」
「そういうわけじゃないけど」
「だったら、どうして?」
どうしてって、そんなの決まっているじゃないか。
「こっちはキャラクターじゃなくて人間だからな。魂だってあれば、感情だってある」
泣きそうになっている子が目の前にいるのに、見て見ぬふりをするなんて最低にダサいじゃんか。理由なんてそれだけあれば十分だ。
だけど少しして、だんだんと自分の発言が恥ずかしくなって、顔をそむけた。すると、くすくすと笑うちなつの声が聞こえた。
「なにそれ、全然カッコつけれてないよ」
「……うるせぇ」
「でも、ちょっと頼りがいがあるかも」
ちなつが笑うと、お日様が顔をのぞかせたような明るい気持ちになれた。覚悟ができた。
「おう、任せとけ」
原作ブレイク?
上等だ。
(ヒロインの悲しむ過去なんて、一切合切、オレが奪ってやるぜ!)
「【アドミニストレータ】」
ちなつに剣を教えると決まり、オレがとった選択は至って分かりやすいものだ。要するに、一度ゲームをクリアしてしまおうというもの。
クリアする頃には剣術スキルのレベルもうんと上がっているだろうし、指導系のスキルが手に入る可能性もある。
「スキルとアイテムを一度ゲームに戻して……ん?」
エディットモードを開いて、気づいた。
「もしかして、現実で手に入れた機巧竹刀もゲーム側に預けられる……?」
思い付きだった。
竹刀を手に持ってみると、ディスプレイの持ち物欄に機巧竹刀が追加される。ということはこれを倉庫に移動すれば……。
「預けられちゃったよ。しかも現状手に入る武器と比べて数段階攻撃力高いし」
ゲームの能力で現実を無双するだけじゃなく、現実の物品でゲーム世界でもチートができる。一石二鳥かよ。これならサクサククリアできそうだ。
*
どれだけ時間が経っただろうか。
どれだけの回数ロードを繰り返しただろうか。
「つ、ついに、ラスボスを倒したぞ!」
長く苦しい戦いだった。
しかしなるほど『ぱんどら☆ばーすと』。
ぱんどらって古代ギリシャ語なのね。
だったらばーすとが英語じゃなくてギリシャ語なのも道理だ。
エンドロールが流れる。
見覚えのないキャラ名は、今回のルートでは遭遇しなかった他のヒロインや、他陣営のキャラだろう。
いや、本当にいい話だった。
あ、オレの名前はないんですね。
オレはゲーム世界ではネームドですらないモブですか。いいもんね、現実世界で無双するもんね。
「お? 実績解除ちなつヒロインルート。エディットモードに神藤ちなつ(笹島ちなつ)が追加されました……だと?」
え、それマジで言ってるの?
オレが特に指導しなくても剣術スキルを付与できちゃうわけ?
おお?
いやでもちなつはそれで納得するかな。
目的は自衛手段の確保っぽいから、剣術スキルが身に付きさえすれば方法は問わなさそうだけど。
一応本人に聞いてみるか。
「【アドミニストレータ】解除」
目の前のウィンドウがプラズマに弾ける。
モノトーンの世界が色彩を取り戻していく。
雪解けのように、時が流れを思い出す。
「ちなつさん、先に聞いときたいんだけど、仮に今すぐ剣術スキルを覚える手段があるとして、練習の過程をすっ飛ばしてでも入手したい?」
「そ、そんなウラ技みたいな方法があるの⁉」
「例えばの話だって」
すごく食いつきがいい。
「そ、そうだよね。そんな方法あるわけないよね。うん、分かってる、そう簡単にスキルが手に入るわけないなんて。厳しい修行でも耐えてみせるよっ!」
「なるほど。だいたいわかった」
やっぱり彼女にとって大事なのは自衛手段の確保みたいだ。訓練という過程はそのために必要な筋道にすぎず、ショートカットがあるならそれを選択するのもやぶさかではない。そんな様子が言外に伝わってくる。
「もっかい【アドミニストレータ】起動っと。ちなつに【剣術Lv8】と【身体強化Lv7】、それから【超直感】あたり付けとけばいいか」
そんじょそこらの敵には負けないでしょ。
なにせゲームのラスボスと戦ったときのスキルだからな。地のステータスが低いとはいえ、戦闘能力としてはオーバーすぎるくらいだと思う。
「オレのほうは【ラプラス】だけ用意しておけばいいかな」
ラプラスはゲーム中盤で手に入りながら、終盤まで大活躍する有能スキルだ。効果は現時点におけるすべての情報確認と、そこから導き出される未来の予測。
ラスボス相手には効かないスキルだけど、それ以外の相手には圧倒的な効力を発揮する。
「【アドミニストレータ】解除」
「ねえ、さっきから何をして……、え? なにこれ」
ちなつ視点だとオレは壊れたように「あどみにすとれーた」と呟く奇人に見えてるかもしれないな。 【アドミニストレータ】発動中は世界の時間が停止するからね。
「んひゃぁっ! なに、体の奥から、力が湧いて」
肩を抱き、頬を染め、口をきゅっと結ぶちなつ。
ときおり色っぽい吐息が零れる。
「想矢……なに、したの?」
「んー、簡単に言うと、ウラ技を使った」
「ウラ技……?」
「うん。いまのちなつさんは剣術において世界トップクラスの技量を持ってるはずだよ」
言いつつ、機巧竹刀を彼女に渡す。
彼女が受け取ったのを見って、手ごろな大きさの小石を彼女に向かって放つ。すると、彼女の間合いに入った瞬間、小石は一刀のもとに斬り伏せられていた。
目を見開くちなつ。
「すごい、すごいよ想矢!! ありがとう!!」
「うわっぷ、ちょ、ちなつさん?」
「ちなつでいいよ!!」
最初、タックルでもされたのかと錯覚した。
それが間違いだと気づいたのは、特殊スキル【ラプラス】を発動させたからだ。
どうやらちなつは、オレに対して強く抱擁しただけらしい。【身体強化】のスキルをつけているだけで、ハグは殺人術の域まで発展するらしい。
まあ、一周回って安心か。
こんだけやれば従姉さんの身に危険があってもちなつが助けに行けるだろ。
「……は?」
ザザザと視界に走るノイズ。
【ラプラス】が、知覚しうるすべての確定した現在から導き出した未来予想。
それは――。
「もー、ちなつ呼びに不満があるのー⁉」
笹島ちなつが、神藤ちなつに変わる未来だった。
原作はどうあがいても打ち破れないのだろうか。
「想矢? どうかした?」
「あ、いや。なんでもない」
笹島ちなつが神藤ちなつになるのは確定した結末なのだろうか。
いや、そんなことは無いはずだ。
未来が確定しているというのなら、どうして原作前の、エンドロールに名前も載らないモブのオレにこんなスキルを目覚めさせたんだ。
絶望に抗う手段だろ。
「あのさ、ちなつさんの従姉が呪いと戦うっていうその日、オレもついて行ってもいいかな?」
「えーと、うーん。どうかな」
「自分の身は自分で守る。神藤家に迷惑はかけない」
どうにもおかしい。
【ラプラス】にノイズがかかっているということは、何らかの情報を見落としている、あるいは誤った情報を信じていて、未来が不確定ということだ。
そして、その不確定な未来では笹島ちなつが従姉を失う可能性が濃厚と示している。
この戦いで、確実に予想外のことが起こる。
「そんなに『呪い』が気になるの? そんな楽しいものじゃないと思うけど……」
「嫌な予感がするんだ」
「うーん、じゃあ、こうしよ?」
ちなつはくるりと回って、にししと口角を上げた。
「こっそりついてきて、見守っててよ。それで、もし危なくなったら助けに来て! ね、騎士さま?」
すごく、絵になっていた。
もしこれがゲームの世界なら間違いなく一枚絵が挿入されている場面だ。いや、ゲームの世界なんだけどさ。
この笑顔が傷つくところを見たくない。
本気で、そう思えた。
ちなつから「連絡先を交換しよう」と言われたけれど、あいにくオレはスマホを持っていない。ちなつは「そっかぁ」と口にすると、すこし考え事をしているように見えた。
「また明日ね! 想矢!」
しばらくして、朗らかな表情で彼女はそう言った。
(……明日って学校じゃね?)
訳も分からず「また明日」とオレも返してその場を後にした。
*
さて。
授業中に他の科目の宿題をやったり、落書きしたりすることをオレの地域では内職と呼んでいた。
他の地区の学校については知らないから、もしかしたら全国一般的な呼び方なのかもしれないけれど。
オレは内職肯定派だ。
ぶっちゃけ授業とか聞いてても暇だし。
自分で読んだら5分で終わることをどうしてあんなに長々と進めるのやら。
時間を浪費するくらいなら他のことに費やしたほうがよっぽど建設的ではないだろうか。
『【時空魔法Lv1】が【時空魔法Lv2】になりました』
おお!
できた! できたよ!!
何ができたって?
(ゲームから持ってきたスキルのレベル上げ、現実でもできるじゃん!!)
オレがこの授業中にやっていたことは簡単だ。
教室内に時空魔法で領域を指定して解除する。
時空魔法Lv1でできる、たったそれだけの簡易な作業だ。
だが、ゲームで獲得したスキルはゲーム内でしか熟練度が上がらないという可能性もあった。だからこれはある種の賭けだったんだけど、まさかの大勝利である。
本来であればとっくのとうに魔力切れを起こしているはずだが、その辺は【魔力回復Lv8】があるから気にせず熟練度上げに励める。
Lv3以降はレベルアップに必要な熟練度が跳ねあがるけど、授業中でもスキルレベル上げができると分かったのは大きい。
よし、このまま続けて頑張るぞ。
オレがやる気を出した矢先だった。
昼休憩を告げる鐘が構内に響き渡る。
もう昼なのか。
レベリングに没頭してると時間がたつのってあっという間だよな。
「想矢! いっしょにお昼食べよっ!!」
「ぶふっ」
だだだだだとローカを誰かが走っているなと思ったら、教室の扉が開かれて、ちなつが現れた。
そして先の爆弾発言を残した。
クラスのみんなの視線がオレに集まる。
それはそう。
ちなつはエロゲのヒロインを張る美貌の持ち主だ。
いくら原作前でも、天性のそれはすでに如実に表れていて、修学旅行の人気投票ではぶっちぎりの一位だった。
そんな学校の天使が、冴えないオレに、声をかけているこの状況。
ギャルゲーか! いやエロゲなんだけどさ。
オレは主人公でも何でもないモブだっての。
「ごめん、オレ購買行かないと!」
「え⁉ そうなの⁉」
「うん、そういうわけだから……」
「じゃあ私もいっしょに行く!!」
「……えー」
なにそれすごく目立つ。
承認欲求が希薄なわけじゃない。
だけど衆目にさらされたいわけじゃないんだ。
ちなつと並んで歩くのは望むところじゃない。
「イヤ?」
そうやって聞いてくるのはずるい。
返答に窮する。
「嫌じゃないけど……」
そういうと、ちなつの表情がほころんだ。
陽に照らされて、花が咲くように。
「やったー! じゃあ、いっしょにゴー!!」
*
断り切れず、結局一緒に購買に来てしまった。
他の学年の人ですらローカ側によって集まって「ちなつちゃんの横にいる男だれ⁉」みたいなことを言っていた。もう許して。
「わぁ、すごい人だねぇ!」
購買に並んだ列を見て、ちなつが目を光らせる。
「いつも通りだと思うけど」
「そうなのっ⁉ わたし、購買って初めてなんだー!」
「ああ、そういえばお嬢様だったっけ」
神藤の分家。
オレのイメージする分家って、だいたい本家と遠縁で廃れがちなんだけど、笹島は結構な金持ちっぽい。
まあ『ぱんどら☆ばーすと』をクリアしたオレも、馬鹿にならない金額を持ってるわけだけど。
「笹島さん⁉ どうしてここに!」
「お前ら! 笹島さんがお通りだ!! 道を開けろ!」
「ささ、どうぞどうぞ!」
そんなことを考えていると、列に並んでいた生徒がちなつを見かけて道を譲れと口にした。
それを皮切りに、列が崩れてちなつ専用のルートが開拓される。
「わぁ! みんな親切さんだねっ!」
「オレの知ってる購買じゃない……」
「はえ? 何か言った?」
「なにも」
ちなつが人気なのは知ってたけどここまでなのか。
さすがエロゲのヒロイン。
人望が厚い。
自分と比べて涙がちょちょ切れるね。
「行こっ?」
「え、あ、ちょ」
ひぃっ。
ちなつに手を引かれてここを歩く⁉
粛清対象になりそうなんだが⁉
「うーん、何にしようかなー?」
ちなつが商品を前にして悩んでいる。
後で人が待ってるからサクッと決めてしまおうね。
「桃まん奢るから、もう戻ろう」
「桃まん?」
「ん?」
神藤ちなつの好物は桃まんだったはずだけど?
桃まんを指さしてちなつに知らせる。
「わぁ、かわいいね!」
んん⁉
なにその初対面みたいな反応。
(あれ、もしかしてこの時点ではまだ桃まんを食べたことなかったパターン?)
原作開始までは数年ある。
その間に桃まんを知るはずだった可能性も大いにある。
桃まんを初めて知るエピソードにオレが刻まれる。
それはできれば回避したい。
だってそうだろ?
推しキャラがどこの馬の骨ともわからないやつに夢中になっていたらもやっとした気持ちになるはずだ。
あくまでオレが止めたいのはヒロインの悲劇の過去であって、それ以上の関係は望んでないんだよな。
「なあやっぱり――」
「桃まん! 10個くださいな!」
「ちょ」
止めようとするより前にちなつは注文していた。
判断が早い。
てか払うのオレなんだが。
まあ10個くらい今のオレからしたら大した額じゃないけど……。
「はわわぁ! これが桃まん……っ! いっただきまーす!! んー! おいしいっ!」
スキル【ラプラス】は、彼女の好感度が上がったことを告げていた。そうだろうなぁ。プロフィールに書くほどの好物を知るきっかけになった人物だもんな。
「想矢! ありがとっ!!」
「どういたしまして」
あー、もういっか。
彼女の笑顔を見ていたら、なんかいろいろどうでもよくなった。今を生きているオレへのご褒美ってことで割り切ろう。
*
昼休みが終わるころ、オレの同類がオレのことを「ちなつに桃まんをくわえさせたやつ」と呼ぶ声が聞こえた。解せぬ。
*【SIDEちなつ】*
笹島ちなつ。12才。
最近気になる男の子ができました。
楪灰想矢。
低学年の頃に一度だけ同じクラスだったけど、そのころの彼は、ハッキリ言ってこれといった印象がありませんでした。
意識するようになったのは、本当に数日前。
何気なくおかげ横丁に向かうと、窃盗犯相手に立ち向かう彼の姿が目に入りました。風が吹けば倒れてしまいそうな彼が、悪漢に敵うわけがありません。
逃げて。
掛けようとした声は、形になりませんでした。
おびえて声が出せなかったわけではありません。
それよりも早く、彼が窃盗犯を打ちのめしてしまったからです。
「ちょっとこっちに来てー!」
気づけばわたしは、彼を呼び出していました。
わたしから男子に声をかけるのなんていつぶりかな。
「……笹島ちなつ?」
彼はわたしをそう呼びました。
どこか距離感を測りかねている。
フルネーム呼びにはそんな印象を受けました。
「むぅ、調子狂っちゃうよー。えっと確認なんだけど……想矢は剣術スキルを持ってる、よね?」
もっとフランクに行こうよ。
そういうつもりで、名前で呼びました。
彼は鳩が豆鉄砲を食ったように一瞬怯みました。
しかしそれは一瞬のことで、すぐにのっぺりとした表情になってしまいます。
「あのね?」
うんうんと悩む彼に、私は身を乗り出しました。
彼は面食らった様子で一歩退くので、わたしは距離を詰めるように一歩にじり寄ります。
数歩も進めば、建物の壁が彼の逃げ道を遮った。
「わたしにも、剣を教えてほしいの!」
わたしには従姉がいます。
強くて優しくて綺麗な、大好きなお姉ちゃんです。
ですが、彼女は分家の笹島とは違い本家の神藤ですから、呪いと戦い、日ノ本を背負って立つ責務があります。
不安でたまりません。
呪いとの戦いは常に命がけと聞きました。
危険と知って歩を進めなければいけないなんて、そんなのあんまりです。
わたしは弱かったので、戦場に旅立つ姉を黙って見守るほかにありませんでした。
分家が本家より力を持つのは好まれません。
武芸を習おうとすると、水面下で悪だくみをしていると他の家からいらぬ疑いを掛けられてしまいます。
じれったい身分です。
ですが、同級生から習うというのであればどうでしょう。子供のごっこあそび。見過ごしてもらえるのではないでしょうか。
呪いとの戦いは1週間後。
スキルは得られなくても、自分の身を自分で守るだけの力を身につけられるかもしれません。
そう、思っての相談でした。
「まじかよ」
神藤家と呪いの話を聞いた彼は呟きました。
「やっぱり、呪いとか信じられないよね」
分かっていました。
突拍子もない話です。
現実味が無さすぎて、受け入れられないでしょう。
「オレ、信じるよ」
ですが、彼が悩んだのは一瞬でした。
オカルトを信じるタイプなのかなと思いましたが、そういうわけでもないらしいです。
だったら、どうして。
どうして信じようと思えたの?
「こっちはキャラクターじゃなくて人間だからな。魂だってあれば、感情だってある」
正直言って、私は彼の意図を正確には汲み取れませんでした。こっちとは何を指しているのでしょう。なぜ精神論なのでしょう。
「なにそれ、全然カッコつけれてないよ」
思わず、笑ってしまいました。
彼はぶすっとしてしまいましたが、わたしは嬉しかったです。
わたしを気にかけてくれる人がいる。
相談に、真剣に耳を傾けてくれる人がいる。
「でも、ちょっと頼りがいがあるかも」
そう伝えると、今度は笑ってくれました。
どんな鍛錬が始まるのかな。
わくわくとどきどきでいっぱいです。
(絶対に、お姉ちゃんの初陣についていくんだ!)
そのためだったら、厳しい訓練も上等です。
そう、意気込んでいたのですが……。
「んひゃぁっ! なに、体の奥から、力が湧いて」
唐突に、体の奥底から熱い何かが全身にたぎりました。体の変化についていけず、思わず吐息が零れます。
彼が何かをしたのでしょうか。
そう思い問いかけてみると、今のわたしは世界トップレベルの剣術の使い手になったと言います。
本当かな?
わたしはまず疑いました。
ですが、疑念は長続きはしませんでした。
彼の言葉が本当だと、自分の目と体で分からされたからです。
彼から渡された竹刀。
次の瞬間には、彼が投げた小石がわたしに迫っていました。意識したのは一瞬です。最初に感じたのは「なにをするの!」という驚き。
そして次に感じたのは、無意識下で小石を斬り払っていた自分自身への驚きでした。
剣が届く範囲に害意が迫っている。
そう知覚した瞬間、わたしの体はわたしの意識とは無関係に剣を振り抜いていました。
後に残ったのは切り捨てられた小石だけ。
「すごい、すごいよ想矢!! ありがとう!!」
「うわっぷ、ちょ、ちなつさん?」
「ちなつでいいよ!!」
原理は分かりません。
ですが、わたしは間に合ったのです。
(よかった、これでお姉ちゃんの初陣に参加できる!)
「また明日ね! 想矢!」
その日は、とても眠れませんでした。
うるさいくらいに心臓がどくどくと音を立てていたからです。
(むぅ……)
かの作曲家は扉を叩く音を運命と呼んだそうです。
今ならその気持ちがわかる気がします。
この胸の高鳴りは、きっと。
(って! ばかばか! 何へんな妄想してるの!)
この思いは胸にしまっておこう。
きっと気づいてしまったら、今の関係性が崩れてしまうから。
だけど、お昼ごはんに誘うくらいならいいかな?
でも、断られたらどうしよう。
でもでも、もっと彼のことが知りたいな。
結局、一晩中同じことをぐるぐると考え続けて、不足した睡眠時間は授業中に補いました。わたしって天才かもしれない。
「想矢! いっしょにお昼食べよっ!!」
そうして迎えた昼休み。
勝ったのは彼のことをもっと知りたいという欲求で、わたしはチャイムが鳴ると同時に彼の教室に向かいました。
「ごめん、オレ購買行かないと!」
「え⁉ そうなの⁉」
「うん、そういうわけだから……」
「じゃあ私もいっしょに行く!!」
なんと彼は購買に行くと言います。
入学時からずっと気になってはいたものの、笹島家に取り入ろうとする学友のみんなは購買を唾棄すべきもののように言っていて、これまで一度も寄れませんでした。
ですが、彼と一緒なら、正々堂々と利用できます。
そうして向かった購買で、わたしは二度目の運命の出会いを果たしました。
「はわわぁ! これが桃まん……っ! いっただきまーす!! んー! おいしいっ!」
見た目はかわいくて味はおいしい。
こんな完璧な食べ物があったなんて。
彼はわたしにいろいろなことを教えてくれます。
「想矢! ありがとっ!!」
顔がほころぶのは、もうどうしようもないや。
だって、本当に、嬉しいことばっかりなんだもん。
「だからね! わたし、剣を使えるようになったの」
その日の夜。
久々に帰ってきたお父様へ、わたしは直談判に向かいました。
「絶対、自分の身は自分で守るから! お姉ちゃんの初陣、わたしも参加していいよね⁉」
あとは許可さえもらえればそれでいい。
討伐隊の後方支援組に組み込んでもらって、それでお姉ちゃんが無事かどうか見極める。それだけでいいんだ。
「だめだ」
「……ぇ?」
……わけがわからなかった。
いま、わたしはなんて言われたの?
だめ? だめって言われたの? どうして?
「呪いとの戦いはちなつが思っている以上に危険だ。そんなところに向かわせるわけにはいかない」
「だ、大丈夫だよ! ねぇ、見てて! 【剣術Lv8】ってすごいんだよ⁉ うん! 見てくれたら絶対大丈夫ってわかるはずだから……」
「だめだ。今回の遠征だけは、絶対に許さない」
「……どうして」
わかんない。
わかんないよ。
どうしてそんなひどいこと言うの。
「呪いとの戦いが危険なんでしょ⁉ そこにお姉ちゃんが向かうんだよ⁉ お姉ちゃんがどうなってもいいの⁉」
「それが神藤に生まれた者の定めだ。だがお前は笹島だ。張り合う必要はない」
「っ! この、わからずや!!」
……なんで。
どうして。
自分の身を守る手段さえあれば、全部、解決すると思ってた。
それなのに、どうして。
「たすけてよ、想矢……」
切なさは、この胸の中に。
*【SIDE OUT】*
「遠征についていけなくなった?」
翌日の昼休みもまたちなつに呼び出された。
断っても受けても地獄って地獄だな。
周りの視線が痛い。
「お父様に連れて行ってほしいって言ったんだけど、危ないからダメだって」
「んー?」
何か違和感を覚える。
なんだ、なんだったっけ。
(本家が途絶えた後、神藤家にちなつを送り出したのが父親だったはず)
原作の話だが、神藤ちなつがそう言っていた。
本家の意志を途絶えさせてはいけない。
受け継いでいけるのは分家だけだ。
そんな理由でちなつは神藤に引き取られたはずだ。
(ちなつを神藤家に送るのは肯定的なのに、今回の遠征に参加させるのは否定的だと?)
どこかちぐはぐだ。
神藤家に引き取られれば呪いとの争いは免れない。
話を聞く限り、ちなつの父がそれを分かっていないとは思えない。
神藤の血筋が途絶える前と後で状況が違うってのもあるだろうけど、人物像がかけ離れている。
「想矢、わたし、どうすればいいのかな?」
呟く彼女の瞳は揺れていた。
「よし、隠れてついて行こう」
それで全部解決だ。
*
土曜が終わり、日曜が始まる。
いよいよ呪い討伐の日となった。
「ねぇ、想矢、本当にバレない?」
「よっぽど上位のスキル持ちさえいなければ」
オレは【時空魔法Lv3】の空間偽装能力を使い、討伐隊の後を追いかけた。
レベルが上がったのはギリギリだったが、時空魔法自体が上位スキルなのもあり、ここまで上がればそう簡単には看破されないはず。
「――ぁ、お父様」
「え?」
ちなつが小さな声を出して、一人の男を指さした。
ハクトウワシのような精悍な顔立ちをした男性だ。
「どうしてお父様がこの遠征に参加しているの?」
彼がここにいる理由は、ちなつにもわからないらしい。だが、分かることが一つだけある。
どうにもこの一件はきな臭い。
「追いかけよう。真相はその先にあるはずだ」
ちなつは頷いた。
それから、彼らの後を追いかける。
伊勢神宮を取り囲む森を、彼らはずんずんと歩いていく。夜の森は不気味だ。昼の穏やかな緑は鳴りを潜め、ざわめく漆黒の影がどこまでも広がっている。
「神藤」
「はい」
彼らはやがて一点で陣を敷き、ちなつの従姉さんが一歩分前に出た。よくよく見れば、その大樹には護符のようなものが張られている。
そのお札を、ちなつの従姉さんが引っぺがした。
「――ッ⁉」
地響きのような耳鳴り。
空間が軋む錯覚。
心臓が押しつぶされるような重圧がオレを責める。
「……あれが、呪い、なのか?」
ふいに差した月明かり。
先ほどまでの暗闇が嘘のように、煌々とした月明かりが照らしている。
白月が照らし出す異空間。
そこに、異形の影があった。
蛇だ。体長5メートルはあろうかという、闇色の大蛇がとぐろを巻いている。
「はぁぁぁぁぁっ!!」
従姉さんが飛び出した。
相対する呪いの対処も素早い。
長い舌先をちろちろとさせながら、従姉さんを迎え撃つ。
二人が交錯する、その瞬間。
従姉さんの体がぶれた。
スキル【ラプラス】を使っていたのに、見失ったのだ。
(上⁉)
【ラプラス】が示した先を見上げる。
そこには白月を背に抱えた女性がいた。
「貫け、≪穿天燕≫」
落下のエネルギーを十全にいかした掌底打ちが、大蛇の三角形の頭を穿つ。
質量を持った異形の影が大地に叩きつけられる。
従姉さんは重力の法則を無視したかのようにふわりと着地すると、懐から無数の札を取り出した。
「爆ぜろ、≪灯鶲楼≫」
放たれた札は大蛇を取り囲むように宙空を舞踊り、弾け合って大蛇を屠る。
大蛇が声にならない声を上げてのたうち回る。
その間、従姉さんは眉一つ動かさなかった。
「今だ神藤! 超常の柩に封印を!」
「委細承知」
従姉さんが手を前方にかざす。
その手には黒色の柩が握られている。
柩が駆動する。
青い光が弾け、質量保存則を無視するかのように柩は顎門を開くように変貌する。
燐光が大蛇を取り囲む。
一言で表せば捕食だ。
漆塗りの柩が呪いという異形の影を飲み込もうとしている。
否、漆塗りの柩が呪いという異形を飲み込んだ。
「は、はは、で、できました!」
明るく弾んだ声。
オレは最初、それがちなつの従姉さんのものだとは気づかなかった。
呪いと対峙している最中は気づかなかったけれど、彼女もちなつとそれほど年が離れていない。
年相応の、年頃の女の子だったのだ。
遅まきながらそのことに気づく。
「お姉ちゃん、すごい」
ちなつの意見に同意する。
なんだあの動き。
本当に人間か?
「おじさま! 私できました!!」
「ああ、よくやった。さすが神藤の者だ」
「えへへぇ」
ちなつの父親のもとに駆け寄る従姉さん。
瞬間、【ラプラス】が起動する。
*
「……ぇ?」
見通したのは、半秒先の未来。
「……おじ、さま?」
「くか、くはははははっ」
ちなつの父が、ちなつの従姉さんを刺し殺していた。彼の手には黒色の柩が握られている。従姉さんの物とは別物だ。おそらく、彼自身の黒柩。
その柩は花色の光を発していて、するどい爪を彼に与えていた。
漆黒の爪が、神藤の彼女の胸を貫いている。
「笹島! 貴様! 気でも触れたか!!」
「お嬢様!!」
どくどくとあふれるワインレッド。
目を見開く彼女の口から、どろりとねばつく赤色が零れる。
「気でも触れたか? そうだな。そうとも言える」
ちなつの父が不敵に笑う。
「私は神藤の血筋に生まれなかった。生まれた時には敗北が決まっていた。ならば私は何のために生まれてきた。私の生涯に何の意味があった。無価値のまま終わらせてなるものか。ちなつに私のみじめさを味わわせてなるものか」
「笹島! おぬし!!」
「そうだ。本家の血筋をすべて断つ。そうすれば後に残るのはちなつ一人。ちなつが神藤と成り、この日ノ本を平和に――」
*
【ラプラス】の効果が切れる。
戻ってきた。元の時間に。
時間の猶予は、わずかもなかった。
おじのもとへ駆け寄るちなつの従姉。
そこに向けられる、透明な殺意。
「――ッ!! 【時空魔法】≪捻転≫!!」
ちなつの父親の腕周りの時空を歪曲させる。
二人の距離はほぼゼロ距離。
だが、その間に無限長の疑似空間を差し込みさえすればそれでいい。
「……なん、だと!」
「おじさま……?」
不意の一撃のはずだった。
虎視眈々と窺っていた一瞬の好機。
それを挫かれたちなつの父は狼狽した。
現状を理解できていないのは彼以外も同じだった。
眼前に広がる異様な景色。
どこからともなく取り出した黒の柩を稼働させている笹島という男。
彼らが現状を飲み込むのに要した間は、オレが戦場に飛び込むのに十分な隙だった。
「何者だ!!」
「楪灰想矢。通りすがりの一般人だ。でもな、もう一人は違うぜ?」
「何を言って――」
「お父様? どういう、こと、ですか?」
「ちなつ⁉ どうしてここに⁉」
「答えてください!!」
ちなつが実の父を詰る。
父は答えに困った様子を一瞬だけ見せたが、すぐに落ち着きを払った。
「ちなつ、ここで起きたことは忘れて家に戻りなさい。明日にはすべてが片付いている」
「お姉さまを殺してですか⁉」
「神藤は呪いとの戦いで命を散らした。それが明日からの真実だ」
「お父様!!」
ずっと感じていた違和感の正体が掴めた。
呪いと戦う責務を負った神藤。
その神藤が初陣に赴くのだから、呪い相手に引けを取らないと本家の人間が判断したに決まっている。
だが、原作においては神藤の血筋は途絶えていた。
原作の神藤ちなつは「従姉は呪いとの戦いで命を散らした」と聞かされていて、それを真実として扱っていた。だが、真相は違ったのだ。
ちなつの父親が、ちなつを神藤にするために仕組んだ、悪意のある計画。
「ちなつ、実の父に刃を向ける気か?」
「お父様が誤った道を進もうとするのなら、それを止めるのが娘としての正道です」
「……っ! 私はおまえのためを思って……! どうしてそれが分からない!!」
「分かりませんわ!! どうしてその優しさを、お姉さまに向けられないんですか!!」
白月の異空間が帳を下ろす。
再び世界に、静寂の闇が広がる。
「……いきます」
金属音が鳴り響いた。
一つは笹島父のもつ超常の柩。
爪を有する呪いの力を解放しているのだろう。
鋭い爪が生えた手甲をまとい、ちなつの斬撃を受け流している。
ちなつが振るっているのは機巧竹刀。
振り方ひとつで刃が飛び出すその竹刀は、黒刃を剥き出しにして、滑る様に斬撃を繰り広げていた。
「ぐっ、いつの間に、これほどの力を――」
「はぁぁぁぁっ!!」
ちなつの振るった剣が黒爪を弾いた。
もろ手を挙げて隙をさらす笹島父。
ちなつは腰だめに剣を構えると、そのまま柄を笹島父のみぞおちに叩きこんだ。
「――ッ!!」
笹島父がうずくまる。
「……お父様。わたしは、神藤になりたいなど、一度も思ってなどいません」
「ぜぇ……ふっ……だが」
「お姉さまがいて、お父様がいて、それだけで十分なのです。何一つ、失いたくなどありません!」
暗がりが広がっている。
彼女の表情など、見えるはずもない。
だけど、彼女は泣いていた。
「ですから、もう、やめましょう?」
【ラプラス】の瞳には、手を差し伸べる少女が映っていた。笹島父は、その手を取る様に手を伸ばし、そして、やめた。
「断る」
「お父様!」
「私の人生を、無意味に終わらせてなるものか。爪痕も残せず終わってなるものか。……く、おおぉぉ」
彼の黒柩が光輪を展開する。
ガチャガチャと駆動音を上げて、その体積を大きくしていく。
弾ける瘴気。
迸るプラズマは、紫色に染まっていた。
このエフェクトには見覚えがあった。
ゲームの終盤で使われる、諸刃の奥義。
「呪いと融合する気か⁉ よせっ!!」
使えば最後、9割の者が命を落とす。
残った1割についても、7割の人間は廃人になり、2割の人間が後遺症を残す、禁忌。
それが呪いとの融合。
「うおおぉぉぉぉぉっ!! 超常の柩、展開!!」
それを、笹島父は使った。
超常の柩に飲み込まれる。
「ちなつっ!!」
「お姉さま!!」
ちなつのもとに従姉さんが駆け寄る。
「護れ! ≪八咫烏≫!!」
従姉さんが15枚の札を宙に展開する。
それぞれ5枚1組になったそれらは五芒星をそれぞれで描き、三重の結界が展開された。
一目でわかる、上等な結界だ。
「しゃらくさい!!」
「ああぁぁぁぁあぁっ!!」
その結界を、笹島父は虫を払うように破り捨てた。
地面を転がるちなつと従姉さんの服がはだける。
「それならっ、大蛇!! 力を貸しなさい!!」
すぐさま立ち上がった従姉さんが柩を発動する。
六角形の形をした鱗が彼女の表皮に現れ、蛇腹の物体が彼女の周りを浮遊する。
「無駄だ!!」
「ぐぁっ、そん、な」
だが、いわばこの状態は超常の柩の力の一部しか発揮していない状況だ。呪いと融合した笹島父のほうが、呪いの力を万全に使いこなせている。
「くっ、笹島ァァァァ!!」
「お嬢様を守れぇぇぇ!!」
「虫けらが、目障りだ」
「ぐああぁぁぁぁっ」
奮起した神藤にまつわる家の人も、笹島父の前にあっけなく散らされてしまう。
「……ああ、そんな」
「神藤、死ね、死ね! 死んでしまえっ!!」
「……っ」
「お姉ちゃん!!」
「……大丈夫よ、ちなつ。ちなつは、私が守るから」
「違う、ちがうよ! 一緒じゃなきゃ嫌だよ!!」
「ごめんね。お姉ちゃんの、最初で最後の、わがままだから」
一人立ち上がった彼女は、笹島父の前に立つ。
「おじさま、いえ、笹島。あなたが私の死を望むなら、それを受け入れましょう。ですから、私の要望も飲んでいただきたい。他の方は、見逃してください」
「カカカ、その要望をのむ必要がどこにある! 交渉は、対等な立場同士で行われるべきもの!!」
「……そう、ですね。わかりました。では、対等になりましょうか」
「……は?」
瞬間、彼女は笑った。
儚く溶けていく雪のように。
「超常の柩、展か――」
「ちょっと待った」
「――ぇ?」
「あー、無粋なのは分かってんだ。それぞれ、強い決意をもってこの盤上に上がっていて、モブが出しゃばっていい場面じゃないってのも分かってんだ。でもさ、それってさ」
オレは双方の中間に立っていた。
「ムカつくじゃんね」
「また貴様か!! 超常の柩も持たぬ一般人ごときに、何ができる!!」
「超常の柩? あるぜ? とびきりのがな」
「は?」
虚空から超常の柩を呼び出す。
これも【時空魔法】のちょっとした応用だ。
「行くぜ、バースト。力を貸せよ」
そして、オレは超常の柩を開いた。
ラスボスの宿る禁断の箱をだ。
バースト――バステトと言った方が伝わるだろうか。
エジプトに伝わる猫の姿を持った神だ。
パンドラとは開けてはならない箱だ。
バーストとは猫を表している。
「シュレディンガーの猫は、元気か? ってな」
「貴様っ、どこでそれを……!」
「さあなっ!!」
疾駆。
発達した足を駆使し、やつのみぞおちに蹴りを叩き込んだ。
「無駄だ――っぐふぁ⁉」
「なんだって?」
「何故、呪いと同化していない貴様が、呪いと同化したわたしをどうして上回る!!」
「ああ、そりゃ簡単だ」
【時空魔法】を使い、やつを空間に固定する。
三味線に付き合って、その隙をつかれるなんて間抜けを犯すつもりはない。
「呪いにも格があるのは知ってるだろ。呪いとの同化はこの格を約1.5段階引き上げるメソッドだ。それより上の呪いを用いれば封殺することなんてたやすい」
「ふざけるな! 私の呪いは――」
「悪いね。与太話に付き合うほど余裕はねえんだ」
バーストは世界最強の呪いだ。
野良の呪いで太刀打ちできるわけがない。
「砕けろ」
笹島父をぶん殴る。
ただそれだけで、彼を飲み込んでいた超常の柩にひびが入り、ほどなくして、砕けた。
「ぐあっ、そんな! 抜けていく! 私から、力が抜けていく!!」
「安心しろ。反動軽減は施した。元の生活に戻るくらい、できるだろ」
「ふざけるな、私は、私はっ!!」
「うるせえよ。ちなつを泣かせるくらいなら、笑顔を守ってみせろよ。ろくでなし」
「――っ!!」
笹島父の超常の柩が砕けるのを見送って、オレ自身もバーストの超常の柩に再び鍵をかける。
あー、全身が重くてだるくて痛い。
反動ってこんなにつらいのかよ。
「……想矢、あなた、いったい、何者なの?」
ちなつの声は震えていた。
……怖がらせたかなぁ。
嫌われたかも。
まあ、いいか。
「通りすがりの、一般人だよ」
もともと、オレはモブキャラだ。
ヒロインの好意を受け止めるなんて荷が重い。
*
どうして日曜日の次は月曜日なのだろう。
なぜ創造主たる神は安息日の翌日に「よし、働くぞ」と思ってしまったのだろう。
もしかしたら神様はおちゃめなのかもしれない。
とすれば、懸念すべきはただ一つ。
神様は爺さんか幼女か。
それが問題だ。
そう。
そのことに比べれば、オレが学校を欠席したことなんて些末な問題なのである。
「ううっ」
分かっていた。
自分はゲームにとってのイレギュラーであり、ヒロインと必要以上に仲良くなってはいけないことなんて、分かっていた。
これが正しい結末だってことも分かっている。
だけど、感情はそれを良しとはしない。
バーストを使った反動もあって、行動を起こすのが億劫になって、自室にこもってふて寝を続けていた。
――ピンポーン。
家のチャイムが鳴った。
来客だろうか。違うだろうな。
楪灰家に押しかけて来る人なんて新聞や宗教の勧誘に来る人か、あるいは電気ガス水道関係が9割だ。
こういう時は居留守を使うに限る。
――ピンポーン。
家のチャイムが鳴った。
来客だろうか。違うだろうな。
楪灰家に押しかけて来る人なんて新聞や宗教の勧誘に来る人か、あるいは電気ガス水道関係が9割だ。
ただですら相手にするのが億劫な相手だ。
まして、二度もチャイムを鳴らす執拗な相手。
こういう時は居留守を使うに限る。
――ピンポーン。
家のチャイムが――。
『想矢! いるんでしょ!! 出てきてよ!!』
家の外で、大声を上げる少女がいた。
「……ちなつ?」
笹島ちなつである。
……笹島なのかな?
オレは結局、彼女の未来を変えられたのかな。
『話したいことも、聞きたいこともいっぱいあるの』
オレだってあるさ。
でも、もし「もう関わらないで」なんて明言されたときには、心が折れてしまう。
『それとも、わたしのこと嫌いになっちゃった?』
……ああ、もう。
彼女はズルい。
いつもそうだ。
「……嫌いになったわけじゃないよ」
「想矢!」
扉を開けた。
笑顔がかわいい、彼女がそこにいた。
*
どういうわけか、オレはちなつと伊勢の町を歩いていた。話題は呪いや神藤家、ではない。
「ほら見て、あの人はきっと約束の時間に遅れそうなのよ。時計と信号を交互に見ているもの」
「うん」
「あっちは付き合いたてのカップルかな? お互い距離感をはかってる感じが初々しいよね」
「うん」
そんな感じの、たわいもない話だった。
「あの人は……」
彼女の視線の先には浮浪者がいた。
交差点に座り込み、数枚の小銭が入った皿を置いて道行く人に視線を送っている。
「何をしているのかしら! ちょっと聞いてくるわ」
「ばかやめろ。本気でやめろ」
ちなつのことだから、そのまま大金を渡しかねない。場合によっては「うちで雇うことにしたわ!」なんて言い出しかねない。
「ダメよ! そんなの! あの人、きっと困っているもの! 困ってる人を見捨てておけないわ」
ああ、もう。
やっぱりな。
そう言うと思ったよ。
「すみませーん。少しいいですか?」
ちなつが浮浪者に声をかけた。
ほんと、優しいよなぁ。
「チッ」
「え、あ、あの?」
だけど、浮浪者のほうは「ふん!」と鼻を鳴らしてそそくさとその場を去ってしまった。
おおよそ、「じゃまだからどけ」って言われるとでも思ったんだろうな。
気持ちはわからんでもない。
オレだってちなつに声を掛けられたとき警戒したし、ただでさえ褒められた行いをしている自覚がなければ嫌味を言われると思って仕方ないだろう。
ちなつがもう少し大きければ相手も激高したかもしれないけれど、子供相手にむきになるような相手ではなかったらしい。
「わたし、何か悪いことしたかな?」
「……救われる側にも、救いの手を選ぶ権利はあるってことだと思うよ」
そうだよな。
ドラマでもよく聞いた。
あんたの手は借りないなんて言葉。
「そっかぁ」
「うん」
「じゃあさ、特定の誰かに、救いの手を求める権利も、あるのかな?」
「うーん? あるんじゃね?」
相手が受けてくれるかは知らんけど。
誰かをあてにするのも、頼りにするのも、悪いことじゃないでしょ。
「そっか。じゃあね、あのね?」
ととっと、ちなつが前に躍り出た。
半回転しながらオレに向かう。
「わたし、想矢ともっといっしょにいたい」
……ん?
ちょっと待って。
どうしてこの流れでそんな話になる?
「わたし一人じゃどうしようもなかった。守りたいもの、何一つ守れなかった。でも、でもね? 全部、想矢が守ってくれたの」
「それは……オレがしたくて、自分勝手に起こした行動だから、ちなつが負い目を感じる必要は――」
「ううん。負い目じゃないよ。あのね? 私の中で、想矢の存在が、どんどん大きくなっていくの。いつのまにか想矢のいる毎日が当たり前になってて、この当たり前がずっと続けばいいのにって思ってて」
えへへとはにかむ彼女。
お父様とお姉ちゃんがいればいいって言ってたのに、欲張りだよねと頬をかく彼女。
だから、ね、と手を差し伸べる彼女。
「これからも、一緒にいてくれないかな?」
ああ、ズルいなぁ。
そんな聞きかたされたら、さ。
断れるわけ、ないじゃんか。
「……うん。善処するよ」
「そこは確約してほしかったなぁ」
「あはは」
ふぅ、まったく。
エロゲのモブには荷が重い。
お読みいただきありがとうございます。
ご好評につき連載版を開始しました。
広告下のリンクからどうぞ応援よろしくお願いします。