七十二話 妖精魔法
夜。
俺は学院が建っている島の西、エルフェトリア湖の湖岸の桟橋に来ていた。
「こんばんは」
桟橋には、すでにメイガン先生が来ていた。
夜空に浮かぶ月と、それを反射する湖面からの青白い明かりだけが、儚げにメイガン先生を照らしている。うわあ、雰囲気あるなあ。
「え、えっと。こんばんは」
「……舟に乗りましょうか」
桟橋の方を見ると、確かに小さな舟がある。
学院を囲むエルフェトリア湖では、舟を貸してもらってクルージングができる。俺もたまに湖の上でゆったり読書とかするが、こんな夜に来たことはないな。
舟に乗った俺とメイガン先生は、夜の湖へと漕ぎ出した。
まあ、漕ぎ出したと言っても、魔法で漕いでるんだが。舟はエンジンがついているかのように爆進し、船尾と水面が接しているところではジャバジャバと水しぶきが上がっている。
夜の湖は、学院がほのかに明かりを放っている他には、月しか光源となる物が無い。
夜空と、黒インクのような湖の水。闇の中、自分が今どこにいるのか、空間の感覚がだんだん消えていった。
「このあたりね」
しばらくして、メイガン先生は舟を止めた。
「さて、リオくん。いま、周りに私たちが普段妖精と呼んでいる、意思を持った魔力があります。わかりますか?」
メイガン先生は俺にそう聞いてきた。
周りに意思を持った魔力があるそうだが。
……うーん。全くわからん!
「……わかりません」
「ふふ、そんなものです。私にも、何か見えていたり聞こえていたりしているわけではありません。そういったものとは違う感覚で感じ取っているんです。……ごめんなさいね。言語技能の先生なのに、なんて言えばいいのかがわからなくて」
五感では感じ取れないのか。それは、いわゆる第六感とか、そういうやつなのだろうか。くそ、魔法の世界にあってなおオカルトな存在だな、妖精ってのは!
「それでは、妖精魔法をお見せしますね。妖精魔法自体は、妖精さんの存在さえ認識できればそんなに難しくないんですよ。ただ、お願いするだけです。――≪フリース エウラム≫」
メイガン先生はそう呪文を唱えた。
すると、呪文が意味する通り、風が吹き始めた。髪がちょっとなびくくらいのそよ風だ。
「……普通の呪文と変わらないでしょう?普通の魔力も、妖精さんも、同じ魔力ですから。起きる現象に違いはないんです」
考えてみれば確かにそうだ。意思の有無だけで、魔力であることに変わりはないなら、起きることも同じなのか。
「じゃあ、過程の違いだけで結果は全く変わらないんですか?」
「そう思うでしょう?でも、妖精さんに意思があるからこそ起きる、おもしろい現象もあるんですよ。……今から同じ呪文を二回唱えます。違いに注目してみてくださいね?――≪イクスキティース フラークトゥム≫」
メイガン先生が呪文を唱え、波が起きた。
舟がちょっと揺れる。まあ、フツーに波だ。
「それでは、もう一度唱えます。……ちょっと掴まっててくださいな、――≪イクスキティース フラークトゥム≫」
メイガン先生がそう言ったので、俺は舟のふちに掴まった。
そして、再び同じ呪文が唱えられると、今度はものすごい波が起きた。
うわわ、これはすごい!
舟はぐわんぐわん揺れ、宙を舞った。メイガン先生が魔法をかけてくれたのか、俺たちは濡れなかったが舟は思いっきり水をかぶった。
「……今の二つの違いを説明しますね。一回目は、私は呪文を唱えたとき、想起をしませんでした。そして二回目は、強い波を想起して呪文を唱えました」
ほうほう。
「……想起しないで呪文が発動できるんですか?」
「いい質問です。妖精魔法では、それが可能なんです。なぜだか分かりますか?」
ええと。
……もしかして。
「妖精が想起を肩代わりしているんですか?」
「……正解!さすがリオくん。そうです。妖精魔法では、妖精さんが代わりに想起してくれます。すると、妖精さんは自分の中にある記憶か何かを元に想起していることになります。なので、こんなことが起きます。――≪エルデアース オグネム≫」
メイガン先生は炎の呪文を唱えたが、ちょっとオレンジ色の光がぽっ、と現れただけで終わってしまった。
「湖の上にいる妖精さんは、炎のことをよく知らないんです。だから、想起をしないで発動してしまうとこうなってしまうんですね」
な、なるほど。
「妖精魔法についてはこんなところかな。何か質問はありますか?」
「妖精魔法を想起発動することってできるんですか?」
俺は気になっていたことを聞いてみた。
妖精が意思を持って自立している存在なら、なんとなくちゃんと口に出さないといけないような気もするが。
「なかなか鋭い!……魔力と妖精の違いはなんですか?」
メイガン先生は俺に聞き返してきた。
魔力と妖精の違いは、意思の有無だよな。となると、普通の魔力も、言い方を変えれば意思を持たない妖精と言えるのかもしれない。だとすると。
「できる、ってことですか?」
「ええ。それも、普通の魔法よりずうっと簡単にできます。だって、呪文さえ頭の中に浮かべちゃえば、あとは妖精さんが勝手にやってくれるんですから」
うわ、それはすげえ。
「なので、妖精魔法はコツさえつかめばとっても強力なんですよ。……それじゃあ、戻りましょうか」
メイガン先生が杖を一振りすると、舟が再び動き出した。
想起発動の欠点は、習得の困難さだ。そこを無視できるのは、はっきりいってかなりズルい。つか、妖精がいるところだったらメイガン先生ってムチャクチャ強いんじゃないか?もしかして。
が、しかし。
妖精魔法は妖精魔法で、習得は簡単じゃなさそうだ。
「……呪文をああいう風に唱えるだけじゃフェアリー・トーカーにはなれないんですよね?」
俺はメイガン先生にそう聞いた。
「はい、そうです。妖精さんに魔法を発動してもらう、というのはあくまでフェアリー・トーカーができることの一つでしかないんです。それに、ああやって妖精魔法を発動するには、そもそも妖精さんの存在をしっかり認識しないといけないんです」
やはりそうか。
人と話すときはしっかり相手の目を見ろ、じゃないが、妖精魔法を発動するにはどの妖精に発動してもらいたいのか、しっかり意識して呪文を唱えないとダメなんだろう。妖精に魔法言語で表現できるような名前なんかがあれば、話は違うのかもしれないけど。
となると、どうやって妖精を認識するのかが問題になるわけだが。
「その、妖精を認識する方法っていうのは……」
俺の質問に、メイガン先生はもじもじしながら答えた。
「……うう、ごめんなさい。それだけは本当に、特別な感覚、としか言いようがないの。でも、私の考えでは、少なくとも魔法使いなら実は誰もが持ってる感覚だと思います。まあ、だからこそ難しいとも言えるんだけど」
特別な感覚、か。
そしてそれは、実は俺の中にすでにあるものらしい。逆に言えば、何かのきっかけで突然目覚めてそれに気づく、ってことが無いわけだが。
なるほど。これは難しいな。




