六十八話 第一の碑文
竜の巣へと戻ってきた俺たちは、早速アンナの碑文の前に集まった。
「さあ、読み解くがよい」
ドラゴンが言った。
ちょ、ちょっと待ってくれ。
俺は辞書と文法書を広げて、解読を始めた。
――第一章 魔大陸の悪意について:まずはここまで辿り着いた諸君らの類稀なる冒険家としての力を讃えたい。今、諸君らはドラゴンが寝息を立てているそばでこれを読んでいるだろうか?それともまさか、屍のそばで?
いや、もしかすると隣でしげしげと見つめているということもあるかもしれない。ドラゴンは何より、自分のことに興味のある生き物だから。諸君らがこれを読めると知ったなら、ドラゴンはここに書き記されたことを自分に聞かせるようにせがむことだろう。――
アンナの碑文はそんな挨拶から始まった。
ドラゴンは今、まさしく隣で俺が解読した内容を朗読するのを聞いている。「いけすかん女だ」と鼻を鳴らすドラゴンの声が聞こえた。
――第一章では、魔大陸の悪意とはどのようなものか解説する。魔大陸では、探索者は様々な人知を超えた現象に苦しめられる。大地が突如として浮かび上がり、灼熱の砂漠であったはずの場所が極寒の雪原に変化する。北へ行けども北へは行けず、西へ行けども西へは行けず。私はかくのごとき現象を魔大陸の悪意と呼んでいる。――
ふんふん。
――序文でも既に述べた通り、この呼び名は私がそう比喩しただけのことではない。魔大陸には、大きな力を持った意思、あるいは意思を持った大きな力が存在する。私は魔大陸ででくわす種々の現象がそれらによって引き起こされていることに気づき、それらを悪意と呼んだのだ。――
意思を持つ力、ねえ。
はいはい、それで?
――さて、魔大陸の悪意について語る前に、まずは我々が呪文を唱えて魔法を発動する時のことを考えたい。なぜなら、呪文が何を意味するかについての理解が、魔大陸の悪意とはなにかを理解する助けとなるからだ。――
おっと?
いきなり話が飛んだな。呪文魔法の呪文が何を意味するか、だって?
――我々は、たとえば≪ウフェンデ≫と唱えた時、その呪文の意味するところは、詠唱者の敵を打ちのめせという命令である。したがって呪文魔法は、そして実のところ他の形式の魔法も殆どはそうであるのだが、詠唱者の指令に服従する何かが魔法的な現象を引き起こしているのだ――
た、確かに!
≪ウフェンデ≫、≪エルケ≫、≪エルデ≫、≪フォルメーレ≫。俺たちが使う呪文は全部命令形だ。
――とはいえ、何か、がなんであるかは明白であり、決して深遠な謎かけなどではない。我々が普段魔力と呼ぶものが、まさしくそうである。我々は魔法を行使する時、魔力に命令しているのだ。魔力は、考えぬ意思とでもいうべき存在である。――
考えぬ意思、か。
――魔力は自ら考えぬが故に、我々の指令に従順である。ところが、この世界には自ら考える力というものが存在する。そういった力は、我々の命令を拒絶し、自らの思うままに為す。魔大陸の悪意は、換言するならば意思を持つ魔力である。――
意思を持つ魔力。それが魔大陸の悪意?
つまり、俺たちが特に魔法を使わなくても、魔力の側が勝手に魔法を発動しちまう、ってことか。
というか、命令を拒絶するってことは。
――魔大陸には考えぬ意思、すなわち普通の魔力は全くと言っていいほど存在しない。意思を持つ魔力に満ち満ちた場所であり、そのような場所で我々が魔法を行使しようとしても、ただ悪意に嘲笑われるだけだ。――
やっぱり!
魔法の発動の原理が魔力への命令なら、その命令を拒絶してしまう意思を持つ魔力に満ちた魔大陸では、魔法が使えないってことになる。
でも、魔法なしで魔大陸の探索なんてできるのか?何か対策とかあるんだろうか。
――しかし、このことは、魔大陸においてはどのようにしても魔法を使えないということを意味するのではない。重要なのは、魔大陸の魔力は意思を持つということを理解し、我々はそれらに対して命令するのではなく対話し、希求しなければならないということを理解することである。――
はあ。
つまり、意思を持つ魔力にお願いしなくちゃならない、ってことか?
――魔大陸の悪意と対話するには、姿も声も持たぬ意思を認識しなければならない。そして、いかにして認識するかまるで見当のつかない者たちのために私が提案するのは、我々の周りにある、意思を持った魔力と対話する訓練を行うことである。――
んなこと言われても。意思を持った魔力なんてそこら辺にあるか?
――それは存外にも我々の身近に存在する。我々はそれを妖精と呼んでいる。諸君、魔大陸に赴かんとするならば、妖精の言葉を解せよ。――
「……妖精ですって?」
シェスフィが呟いた。
妖精。
確かに、そういうのがいるとされている。
だけど、この世界では、羽の生えた小さな女の子の姿をしたアレを妖精と呼んでいるわけじゃない。
現象、というかなんというか。こっちでの慣用表現で、理由の分からない出来事のことをよく“妖精のいたずら”と表現する。
例えば、普通のペンがいつのまにか魔法のペンにすり替わってたりだとか、そういう時だ。まあ、あれは悪ガキのいたずらだったけど。
何がどうなってそうなったのかまるで分からない、みたいな出来事がたまにある。そんな現象を起こす原因のことを妖精と呼んでいる。
だから、俺は妖精のことを概念的というか、迷信みたいなもんだと思ってたんだが。その正体は意思を持った魔力なのか?
俺はドラゴンの方に「知ってる?」と視線をやった。
「ふむ。確かに存在はする。自ら行為をなす魔力というものはな。それに意思のようなものを感じぬこともない。だが、少なくとも我の解する限りでは、あれの持つ意思と、我やヒトが持つ意思はまるで違うものだ。魔法の呪文がいくら特別な力を持っていようと、そもそも言葉が通じるとは思えん」
おお、知ってた。
が、言葉が通じないとキッパリ言われてしまった。
「……とはいえ、まるきり意思疎通が不可能というわけではないようだぞ。“フェアリートーカー”なる者がいると聞いたことがある」
なに。フェアリートーカー、だって?
……おっと、まだ続きがある。
――第一章はこれで終わる。続く第二章はドムルドラ大陸のウムゼネ大森林にある遺跡に、第三章はオディガ=レムドレーラ大陸のケストラ大潟湖の底にある。これらは内容的には独立しているので、どちらから読んでも構わない。到達の手間も同程度である。
この二つの秘境では、諸君らはいたずらな妖精たちの悪意に晒されることになるだろう。妖精の言葉を解する技術を身につけてから訪れることを強く勧める。――
なるほど。
ドムルドラ大陸のウムゼネ大森林。
オディガ=レムドレーラ大陸のケストラ大潟湖。
次はこの二つか。そして、攻略のために俺は妖精の言葉を理解できるようにならなくちゃいけない。




