十九話 司書さんの秘密
図書館についた頃には、もう閉館まで一時間を切っていたが、俺は手早く本を探し出しいつもの机に向かった。
机の反対側にいたマリーが、こちらに一瞬視線を移して軽く会釈してきた。
俺もちょこんと頭を下げて会釈を返すと、座って持ってきた本を読み始めた。
俺が持ってきたのは『円陣魔法の実践』だ。
今まで俺は、円陣魔法が苦手で発動に時間がかかるので、特に戦いにおいては使用を考えてなかったのだが、流石に今日の“決闘クラブ”を経験するとちょっとくらい使えるようになっておくべきだと思ったし、それ以上に真面目に対策を講じるべきだと思った。
円陣魔法を素早く発動するには、魔法陣を描く線の迅速な演算、つまり数学的想起とでも言うべき技能が求められるが――
「……はあ」
「……疲れてますね」
マリーが本の向こうから声を掛けてきた。
「まあね、決闘クラブで二回も人材マニアに絡まれてさ」
「人材マニア、ですか?」
「あー、なんか貴族の人にウチこいよ的なこと言われて、そんでその後に魔法技術大臣が視察に来てて」
俺がそう言うと、マリーは大きく目を見開いた。
「ま、魔法技術大臣、ですか……!?す、すごい……!」
「いや、多分マリーも会えば一発で内定もらえると思うけど」
「そ、そうでしょうか?」
「うん。――」
俺たちは会話を切り上げて、それぞれの作業に戻った。
円陣魔法の恐ろしさは、何と言ってもやはり同時に複数発動できることだ。俺がベルの乱射魔法陣に追い込まれたように、数の暴力というのは単純に凶悪だ。
魔法陣は≪ディレー≫の呪文で消失させることができるが、なんたって杖は一本しかない。まあ普通円陣魔法というのは魔法陣の展開に時間がかかるものだから、その隙をつけと言われるが、バーリス、そしてベルも十分に早すぎる。呪文魔法だけで対策するのはかなり――
「閉館十分前です!」
司書さんの呼びかけだ。
「そういえば俺たちの篭りっぷりも大概だけど、司書さんもずっとここにいないか?仕事とはいえさ。俺、あの人を図書館の外で見たことないんだけど」
「言われてみれば、そうですね……。わたしも、見たことないです。でも、閉館した後にどこかに帰るんじゃないでしょうか?それに、休日はお休みですし」
まあ、そりゃそうか。
「ふふ、私が住んでいる部屋はカウンターの奥にあるんですよ」
うわっ。
視界の端で揺れるグレーのポニーテール。
いつのまにか、横に司書さんがいた。
「それに休日も、お掃除と書架の整理のための日ですから図書館にいます。あなたたちが図書館の外で私を見かけないのも無理はない話ですわ」
おお、そりゃ大変だ。
「え、えっと……、お手伝いの人とか、いないんですか?」
「いません。この図書館に勤める職員は私一人です」
えぇ、それってすっげーブラックじゃね?
しかし、司書さんはにっこり笑ってこう答えた。
「ですが、名誉ある仕事です。この学院の蔵書数は約百万冊。その中には極めて貴重な書物や、危険な書物もあります。私はそういった書物を悪意ある者たちから守り、また人々を書物から守る番人なのです。箒が持てるだけでは到底務まりません」
なるほど。
貴重だけど本棚の奥で埃かぶってるような本をこっそり売っちゃうとか、それこそ闇の魔法の扱い方について詳しく書かれているような本を読んで、闇の魔法に傾倒したりしてしまう人が出てきてしまうかもしれないしな。
そういうことにならないように目を光らせる人に、一番必要なことは?
それは、その人自身が、その悪人にならないことだ。つまり、よっぽどの信用のある人じゃないといけない。
「これは自慢になりますが。魔法技術大臣の専属護衛の一人に私の姉がいます。実は、私も大臣に護衛の仕事のオファーを受けました」
マジか、すげえ。
あの中に混じってたのかな?次大臣見たときは探してみよう。
けど、少なくとも新卒って歳じゃないだろ、この人。あの大臣、そんな昔っからスカウト活動してたのかよ。確かに、お姉さんと同じくらい優秀だったんなら揃えたがりそうだけどさ。
が、それよりも。
オファーを受けたはずの司書さんが今ここにいるってことは。
「それを蹴って司書になったんですか?」
俺の言葉に、司書さんは即答した。
「それだけの仕事です。少なくとも私にとっては」
ほええ。
感心してその場に立ち尽くしていると、司書さんは「呼び止めてしまって御免なさいね、たまには自慢話がしたいのです」と言ってカウンターの奥に引っ込んでいった。
「す、すごいお話を聞いちゃいましたね!」
俺たちは寮への帰り道で司書さんから聞いたことについて話していた。
「ああ。……というか、俺はなんとなくあの仕事、マリーに向いてそうだと思った」
「そ、そうですか?」
「まあ、官庁で上司や同僚の腹の探り合いするよりはいいんじゃない、とは思う」
俺がそう言うと、マリーはびっくりしたような顔をした。
「ええ?そんなところなんですか!?」
「あれ、知らない?決闘クラブとか覗いてみたらすぐ分かる、意外と魔境っぽいな、ってことが」
「そ、そうだったんですか……!でも、私に司書さんなんてなれるのかな。勉強はたくさんしてるけど、みんながもっと頭良かったら……」
マリーは腕に抱えたノートや本を抱きしめて俯いた。
おっと。だいぶ後ろ向きだな。
「少なくとも高学年が使う教科書理解できてるんだから、他より頭悪いってことはないだろ。つっても、実際どうなのかは試験とか受けてみないことにはな、確か一ヶ月後くらいだったか」
そう、この学院にも当然のことながら試験の類がある。年四回あって、一ヶ月後に控えているのは第一回の中間試験だ。
「……自信ありますか?」
自信、か。
そりゃあ、あるとも。まずスタートラインからして違うし、結果的に勉強量もすごいことになっているしな。
それに、これが一番大きいと思うのだが、俺は日本で地獄の受験期を経験してるから、試験を受けた経験は豊富だ。
「ある。それで俺から言わせてもらえば、マリーはやり過ぎなくらい勉強してるから知識は絶対大丈夫。怖いのはパニクって全然実力発揮できないパターンな」
「あ、上がらないように、ってことですか?それってどうすれば」
「うーん、そうだなぁ、周りあんま気にしないこととか?他人の頭の良し悪しなんて自分じゃどうにもならないことだし。あとは――」
俺は日本の受験界で流布していたいくつかのテクニックを話してみた。
試験かぁ。
あー、めんどくさっ。受験期とか思い出したくねぇ。
まーでも、しょうがないからちょっとは勉強すっか。情報収集とか割と行き詰まってて読む本なくなってきたしな、最近。