十一話 確執と記念と
翌朝、週二日目は“初級魔法幾何学”の授業から始まった。
要はベルハルトが得意な“円陣魔法”の基礎となる所だ。この科目は日本で学生だった頃に大の苦手だった数学そのものだ。こいつだけは家庭教育時代にもかなり苦戦させられた。まあ、その分みっちりと教え込まれたので、今ではそれほど苦手意識はない。決して得意ではないけど。
それに、今年やる内容は日本で言えば中学レベルにとどまっているから、まだかなり簡単だ。少なくとも受験数学に苦労していた俺からすれば。
この授業の担当はギルドック・バーリスという人なのだが――
「――ふむ、ふむ、ふむ、成程。今年も間抜けそうな者ばかりよく揃ったものだ。まぁ人間を見た目で推し量るのは忌避すべきことだ。が、多くは期待しまい。せめて見た目通りのマヌケでないことを――よしんば見た目以上の愚か者でないことを願うばかりである。では、出席を取るとしよう」
開口一番になんて教師だ。
髪は真っ黒、かなりテカってるオールバックで、声は嫌味ったらしい低音ボイス、目つきはまるで蛇。教室にいるだけで部屋の温度が数度は下がったように感じられるオーラを放っており、エインズウェル先生と同じか、それ以上のプレッシャーがあった。
今年はともかく、学年が上がって内容が高度になってきたらこの人の授業は御免だな。
「さて、諸君らはすでに教科書のはじめのページ程度は目を通していることと思うが、念の為この授業の概要を示すとしよう。“魔法幾何学”は“円陣魔法”、その原理となる学問領域である。“円陣魔法”は“呪文魔法”その他と異なり、厳密な幾何学的法則によって描かれる魔法陣によって全てを制御する。よって、あらゆる魔法の中でもっとも緻密で、再現性に優れ、そして明快である。もっとも、諸君らが幾何学に十分な理解を示せばの話であるが。――リオ・クライヴ!」
え、俺?
唐突に指名してきたバーリス先生はものすごい早口で問題を言った。
「“基層”を描画する為に必要な関数の数を答えよ」
ええと。
“基層”というのは魔法陣を描くとき絶対に必要な部分だ。プログラミング言語なんかで最初に記述するやつみたいなもんで、円の中に六芒星が描かれた図形だ。ヘキサグラムは線を六本引いて描くのが一番一般的で、それに円を描く分を加えて――
「七つです」
「結構、結構。まともに予習する感性があるだけマシというものだ。では、ベルハルト・ライゼル!――」
結局、授業が終わるまでには生徒全員がバーリス先生の精神攻撃を喰らい精神を消耗させられていた。
授業の終わりを告げる鐘が鳴るなりバーリス先生が教室をさっさと出ると、教室中で一斉にため息が漏れ、みんながしばらく座り込んでいた。
「というか。なんか俺とベルハルトにだけ特にあたり強くないか、あの先生」
集中が途切れる瞬間を突く指名、怒涛の嫌味、刺すような視線、問題演習時に無言で隣に立つなど、バーリス先生の精神攻撃は多様かつ対象を選ばなかったが、なぜか俺とベルハルトだけがあからさまに他の生徒より激しかった。
「……あの人は“紺色のドラゴン寮”の寮監なんだ。あそこの寮の連中は大抵“若草色のツバメ寮”を軽蔑してるらしいけど、もしかしたら日曜の時のことを小耳に挟んだのかもしれない。ほら、アレンは“紺色のドラゴン寮”だろ」
「はあ……、まあ筋は通ってるが。――そうだ、アレンといえば。お前、あいつに因縁つけられてたけど、そうなるとあいつも結構お坊ちゃんだったりするのか」
俺はふと気になったことをベルハルトに聞いてみた。
ベルハルトはとんでもない名家の生まれのようだが、アレンとの間にある根の深そうな因縁を考えると、あいつも割といい家の生まれというか、もしかしたら家と家の確執とかがあったりするのかもしれない。
「ああ、まあ、そうだね。マクヴァティ伯爵家も王国に名だたる名家の一つと言っていいと思うよ。で、うん……。なんというか、うちの家とは代々仲が悪いんだ。政敵、っていうのかな。僕たちだけじゃない、この学院には貴族の子弟がたくさんいるから、こういうのはよくあってね。それに、学院の成績はいい役職につけるかどうかにすごく影響するんだ。だから、みんな自分のライバルに勝とうと必死さ」
なるほど。
俺の推測はだいたい当たってたというわけだが。
「ったく、こんな歳から政治かよ!貴族に生まれるってのも大変だな」
「リオだって、今に他人事じゃなくなると思うよ」
「なんだって?」
そりゃどういう意味だ。
「官僚になれるのは貴族だけじゃない。家柄がそれほど良くなくたって優秀ならなれる。将来、宮廷での派閥争いのために優秀な人材を確保することも貴族の子供たちの務めなんだ。だから――君はそう望まないだろうけど――君も勧誘されると思うよ」
ひえっ。
ガチの政争じゃん。ちょーこわいんですけど。
「冗談じゃない。……というか、お前も人材探してたりするのか?」
「……まあ、そりゃ、大人たちからはそう言いつけられているけど。でも、君を勧誘することはしないよ、約束だ。――僕だってずっと腹の探り合いをしていたいわけじゃない。だから、その、僕とは友達でいてくれると、うれしいんだけど」
まったく。
「当たり前だろ、俺たちは友達だ。なあ、ベル」
俺がそう呼ぶと、ベルはキョトンとした顔をした。
「愛称。あると友達っぽいだろ。それともそういうのは好きじゃなかったりするか?」
「……いや、うれしいよ、ありがとう。ええと――」
ベルは困ったような顔をして言葉を詰まらせた。
「まあ、リオは短縮できねえよな。いいよ、そのままで」
俺たちは笑いあって、次の授業に向かった。
わーい、友達ができたぞ。今日は記念すべき一日になりそうだ。