第五話:森の戦闘
鬱蒼とした森の中、老人が残した足跡を辿る主人公は……
鬱蒼とした森の中を、あの老人が残していった足跡を頼りに進んで行く。無論、警戒は怠っていない。何が出て来るか分からない……。あの家の本棚に有った本に載っていた魔物……彼らに遭遇すれば間違いなく戦闘になるだろうから。
当然ながら戦闘経験なんて無いし、出来れば、少なくともこの鬱蒼とした森の中での戦闘は避けたい。体力を消耗したく無いというのもあるけれど、今の俺には仲間が居ないし、装備している物も家に有った物を取り敢えずで持っているだけ……これらの装備がどの程度のモノなのか分からない、杖は持っている感じ、かなりしっかりしているように思うけれど……唯一の武器だ、失いたくは無い。だからこそ、人里に辿り着くまでは戦闘を避けたい。
静かに、でも足早に森の中を進んで行く。足跡はクッキリと残っている。恐らくここ数日の間に雨が降っていたのだろう、地面の土が泥の様になっている。そのお陰で迷わず、この鬱蒼とした森から脱出する事が出来そうなのだけれど……どうしても音が立つのが少し心配だった。グチョ、グチョ、と泥と化した地面と靴が離れる度に音が、静かな森の中で響く。
……不意に、ナニカが後ろから飛んでくるのを感じた。慌てて避けると、ビチャ! という勢いのある音と共に、泥が跳ねる。飛んで来たのは石……後ろを振り返れば、大柄で大きな木の板を構えた……そう、元の世界のRPGや小説ではゴブリンと呼ばれていそうな、緑色の肌に、長い鼻、短い耳を持つ、正しく魔物が現れた。
よくよく見ると、木の板……盾を構えたゴブリン、盾ゴブリンの後ろにも、別のゴブリンがいるのが見える。彼らは、俺に気付かれたと知るや否や、盾ゴブリンの後ろから石を投げ始め、更には木で出来た弓矢まで飛んで来た。幸い精度はそこまでのものではなく、問題無く避ける事が出来そうだけれど、問題なのは彼らが明らかに連携を取っているという事。
物は試しと近付けば、盾ゴブリンが盾を構えて此方の攻撃を防ごうとしてくるし、その隙を狙って後ろに居るゴブリン達から石と弓矢が飛んで来る。
「ちょっと……いや、だいぶマズイなぁ……」
今はまだ膠着状態、相手も此方の出方を窺いつつ、石や弓矢による攻撃をしてくるだけで、積極的に攻めて来ようとはしていない。ただもし、この戦いの音を、別のゴブリンや、他の魔物が聞いて、援軍として向かって来たら?
今の俺の、この身体の能力は高いとは思う、そう感じる。ただ戦いにおいて最も大事なのは、一騎当千の将ではなく、大量の兵士だ、数は正義。だからこそ、この戦闘を出来るだけ速やかに終わらせる必要がある。
相手は五体。布陣は俺の真正面に大柄な盾持ちのゴブリンが一体、その少し後ろに小柄な石を投げるゴブリンが二体、更に少し離れ、中背の弓を持ったゴブリンが一体、そして一番後ろに棒を持ったゴブリン、恐らく魔法を使うゴブリンなのだと思う。何故ならそのゴブリンが棒を振ると、盾ゴブリンの身体が少し光るから……何というか、人間のパーティーの様。
「盾ゴブリンを倒すのは……正直! 現実的じゃ! 無いよなっ!」
この盾ゴブリン、兎に角俺からの攻撃を防ぐ事に専念しているのか、俺の正面から絶対に動かない。此方から攻撃を仕掛けた時だけ、その攻撃を防ごうと動く。勿論此方も全力で、杖を振るっているものの、魔法の効果か、それとも盾ゴブリンの丈夫さ故か、杖が当たったとしてもあまり効いているような気がしない。その隙を狙って、石と弓矢が飛んで来るしっ……!
大振りにし過ぎた所為か、弓が頬を掠めた。左手で右頬を拭えば、赤い血が、手の甲に付いている。早く、決着を付けなければいけない……焦るな、落ち着け……! ……指揮官を、殺そう。指揮を出しているのは……中背の弓ゴブリン、アイツに近付いて、この杖で殺す……そこまでの道をどう作るか? それを考えなければ、さて……。
「@^%!“^@!」
膠着状態に痺れを切らしたのか、或いは俺を獲物だと見たのか、弓ゴブリンが声を揚げた。……少しだけ、意識を耳に集中させれば、ガサガサとした草木を掻き分ける音と、グチョグチョと泥と化した地面を進む音が聞こえる。ナニカが……いや、間違いなく、このゴブリン達の援軍が近付いて来ている。もう時間が無い。
弓ゴブリンまでは距離がある、盾ゴブリンを抜いたとしても、石ゴブリンが二体、その後ろだ……。そして盾ゴブリンを突破する事は難しい……なら!
「乾坤一擲! 俺の! この身体と! 杖の強度を! 信じる!」
全力で駆け出す。盾ゴブリンに突貫すると見せかける為に……当然盾ゴブリンは盾を構える……そこを!
「届けぇぇぇぇぇ!」
狙いはお前じゃ無い! 盾ゴブリンの肩を踏み台に、ジャンプ一番! 一瞬呆気に取られた石ゴブリン達と弓ゴブリンの、その隙を狙って! 杖を石ゴブリンの脳天に叩きつける! グチャリとした手応えと、緑色の液体が、俺の身体を纏う真っ黒なローブに付着する。
「#%!?」
突然の味方の死に慌てるもう一体の石ゴブリン。踏み台にされた盾ゴブリンも、慌てて此方に視線を向けた気配がする……が、もう遅い!
「死ねぇぇぇぇぇ!」
勢いそのままにもう一体の石ゴブリンも両手で薙ぎ払うように叩き飛ばし、着地すると同時に弓ゴブリン目掛けて突撃する! 声を揚げて! 敵を威嚇する! 俺の方がお前よりも強いと! 弓ゴブリンは弓矢を構え、矢を放ったが、当たらない! 遅い! 何もかもがスローモーションの様に、杖を振りかぶる右手とは逆の! 空いた左手で弓矢を掴む! 口をあんぐりと開けた、間抜け面の弓ゴブリンの腰の辺りに目掛けて、杖を叩きつける!
「ギッ! ……ギ……ギ……」
弓ゴブリンは暫くフラフラとした後、仰向けに倒れこんだ。俺の杖は、弓ゴブリンの横っ腹の肉を潰した様で、内臓が見える。グロい光景のはずだけれど、そんな事はどうでも良い。此奴は死んだ。前と、後ろを睨みつける。お前達の指揮官は死んだのだと、俺が殺したのだと。
先程までの喧騒がまるで無かったかのようだった。指揮官である弓ゴブリンと、石ゴブリンを二体殺され、少しずつ、俺から距離を取り始める二体のゴブリン。俺はそれらをジッと睨みつけていた、もう終わったのだと、そんな意志を込めて。
彼らは、鬱蒼とした森の中へと消えて行った。先程聞こえていた、ゴブリン達の援軍の足音も、今は聞こえない……俺は勝ったんだ。
「おぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!」
一人で揚げる鬨の声。俺は強いのだと、この森に居る魔物達に知らしめるように、力一杯、声を張り上げた。足音がもう聞こえない、俺以外、誰も居ないようだった。彼らは認めたのだ。俺は獲物では無く、むしろ自分達こそが獲物に成りえると。
並んだ死骸を改めて見る、気持ちが悪い。一瞬吐きそうになるも、堪える。背負ったままだったリュックの中から、水筒に入った水を一杯、ゆっくりと、落ち着きを取り戻す為に飲む……美味い。思考がクリアになる。……彼らの死骸に使えそうな物は無い。なら早くこの場から移動して、人里へと向かうべきだ。そう頭の中を切り替え、俺は老人の足跡を辿ることを再開した。
先程までとは違い、力強い足取りで……。
ゴブリンのパーティーに勝ち、鬱蒼とした森の支配者となった。