らしくない二人
「はいそこ! 走ってもいいけど葉っぱの気持ち考えて! 自分の足元を気にしなさい!
「ねぇママー! 今日は優しいおばあちゃんだけじゃなくてうるさい女の人がいるー!」
今日は城の花畑開放日。
私は街の人が自由におばさんの管理する花畑に出入りできるようになる午後十二時ぴったりに花畑に向かい、こうして走り回る子供達に口うるさく言っていた。
そう、名付けて『ラナおばさん思い出の青い花の被害を少しでも減らそう大作戦』である。
しかし子供達からは「うるさい女」とブーイングを受け、私を花畑から追い出せなんてクレームもおばさんの元に飛んでいる有様だ。
迷惑をかけないと約束した私は困った顔をしているおばさんを見てまずいと思い、すぐに次の作戦に出ることにした。
「子供達! 今日は天気がいいからそこの湖で泳いで遊ばない? 今なら出血大サービスでこの美人で色気ムンムンなマリアおねーさんが相手してあげるわよ」
野原を駆け回る元気が有り余っている子供達に声をかけるとどうやら作戦は成功したようで、したことのない城での水遊びに興味を持った子供達は走るのをやめ私の方を見た。
「湖で遊べるの!?」
「ぼくも遊びたい!」
「おねーさんっ! 早く早く!」
素直な子供達はうるさい女扱いしていた私を可愛く“おねーさん”と呼び、さっきまで近寄っても来なかった私の服を引っ張って湖までの道のりを急かす。
ちなみにこの湖が子供が遊んでも平気なくらい浅い人口湖であろうことは昨日の夜にこっそり確認済みだ。
「じゃあ私が先に入るからみんなは順番にゆっくり入るのよ! いいわね?」
「はーい!」
聞き分けのよくなった子供達の返事を聞き、私はワンピースを着たまま湖に入る。
それを合図に次々と子供達がはしゃぎながら湖に飛び込んでくる。水しぶきであっという間に服がびしょびしょになったが仕方ない。
照りつける太陽によって汗ばんだ身体を冷たい水が流してくれて気持ちいい。
子供達も野原を走っている時より表情が生き生きとして楽しそうにしている。水遊び作戦はこのまま大成功で終わる――予定だった。
「マリア・ヘインズ! 勝手に何をしている!」
私が楽しんでいる時に大声で叱ってくる奴は一人しかいない。ハロルドだ。
どうして私がいるところばかりに現れるのか。ハロルドの登場によって湖の心地よい冷たさが一気に凍り付く寒さに変わりそうだ。
「見てわからないかしら? 天気がいいから子供達と湖で遊んでるだけだけど?」
「許可を得ているのか? 先ほど一人の女性から花畑に変な女がいるという苦情を受け嫌な予感がして来てみたらやはりお前がいた。どれだけトラブルを起こせば気が済むんだ」
「別に楽しく一緒に遊んでるだけじゃない。何がいけないのよ」
「まずラナに、そして国民に迷惑をかけるな。勝手に水遊びをしてもし子供が溺れたりしたら責任が取れるのか? どう考えてもいけないことばかりだろう」
いつもネチネチとうざったいだけで響くことないハロルドの言葉だったが、今回は違った。
確かにいくら確認を取ったといっても水の中が百パーセント安全なんてことはあり得ない。ハロルドの言うことは最もで、私の考えが甘すぎたことは事実だ。
「――わ、私は」
「おねーちゃんをいじめないで!」
言葉を詰まらせる私に助け船を出してくれたのは、予想外にも最初は私を邪魔な目で見ていた子供達だった。
一人がハロルドから庇うように私の前に立つと、次々と子供達が私の近くに集まって来る。
「おねーちゃんのお陰で、今日すっごく楽しいんだよ! だからいじめないで!」
「……別に俺はいじめているわけでは」
「いじめてるよ! だってすっごい怖い顔してるもん!」
「…………これがいつもの俺の顔だが」
最もなことを言ったのにも関わらずに、子供に責められたじたじなハロルドからさっきまでの威厳が感じられるわけもなく、私は我慢できずに笑ってしまう。
「あはははっ! こ、子供って正直ねっ……ふふっ」
「気色悪い笑い方をするな! 大体笑いごとではない。王子がこれを知ったらお前なんてすぐに追放だ!」
「誰が追放だって? ハロルド」
「ア……王子。何故ここに」
いつからここにいたのか、アルがハロルドの背後からひょこりと姿を現した。
というかこの世界の住人達っていつも突然現れるけど、普通に登場できないんだろうか。
「今日は花畑の開放日だから様子を見に来たら焦ってるラナを見つけてね。マリアがハロルドに怒られてるけどマリアに悪気はないから助けてやってくれって頼まれたんだ」
「ラナまでこの女を庇ったのか!? ……おかしい。一体この女のどこにそんな力が……」
考え込むハロルドを無視して、アルは湖のすぐそこまで足を進めると私の姿をじっと見つめて口を開く。
「随分刺激的な格好だね」
「――えっ?」
下を向くと、たくさん水にかかったせいか着ていたワンピースからうっすらと黒い下着が透けていた。
すぐさまバッと手で胸の部分を隠すと、そんな私を見ながらアルは呑気に笑っている。
「へ、変態王子! じっくり見るなんて最低!」
「ごめん。僕も予想だにしなかったマリアのセクシー姿に驚いちゃって。はい、これ羽織って」
アルは自分が羽織っていた上着を脱ぐと湖の中にいる私に向かって投げる。
慌てつつも湖に落とすことなく無事それをキャッチした私は、アルに背中を向け急いで上着を着て前についているボタンを留めた。
「ハロルド! 僕も今からここで遊んでもいい? いいよね」
「まっ……王子! 勝手なことは」
ハロルドの返事を聞く前に、アルは靴を脱ぎ服を着たまま湖に足をつける。
「天気がいい日の水の中は最高だね。いい案だよマリア」
「王子、もし子供の身に何かあれば」
「心配ないよハロルド。僕とマリアがちゃんと見てる。それに君も見張ってくれれば大丈夫だろ?」
「――ハァ。少しだけだぞ」
アルの頼みならば聞くしかないのか、ハロルドは観念して湖の近くから子供、というより私を見張っているように見えるけど。とにかく見張りをしながら待機することになった。
アルは高価な服が汚れることもお構いなしに、子供達に溶け込み無邪気に遊んでいる。
汚れも気にせず、街の子供達にも自分と対等な立場で接する……王子なのに、この人はいい意味で王子らしさがない。
私の想像していた“アルフレッド・オーズリー”と全然違う隣にいるアルに戸惑いながら、私とアルはその後も湖で子供達との時間を目一杯楽しんだ。
****
子供達が帰った後、濡れた服を着替える為にラナおばさんが私とアルに代わりの服を用意してくれていた。
おばさんの部屋でサラサラな新しい服に着替えまた外に出ると、子供達がいなくなり清閑とした花畑で僅かに吹く風を浴びる。
同じく着替えを済ませたアルが私の姿を見つけてか部屋から出て来ると何も言わずに私の隣に立ちつくし、少し時間が経ってから口を開いた。
「君に会ってから、いろんな人の知らない表情に出逢えてる気がするよ」
「そう。私も貴方の意外な顔ばかり見てる気がするわ。それより今日は一緒に湖に入るなんてどういうつもり? 私が王やハロルドに怒られないよう庇ったの?」
「半分正解。これ以上問題を起こして君を城から追い出さねばならなくなることだけは避けたい。……もう半分は純粋に僕も湖で遊びたかったんだ。子供の頃を思い出してね。マリアはどうして湖で遊ぶなんてことを考えたの?」
それはおばさんの花を守る為に野原から遠ざけたかっただけ、だけど。
この話はおばさんに口止めされていて、アルには話せない。
「――別に、私も自分が入りたかっただけよ。ていうかアルって見た目は完璧な王子様なのに、思ったより王子らしくないのね」
そう言うと、アルは首を傾げ考えるように言う。
「……僕らしいって、王子らしいって何だろう。逆に、こんなにも王子らしくない僕は何年ぶりだろう」
顔を上げると、アルと視線がぶつかった。
「君といるとどうしてか全部忘れてる。自分が王子ってことも。ただの男になってるんだ」
二人の間を大きくて生ぬるい風が吹き抜け、互いの髪を揺らす。
「王子っていうのは大変なの?」
これが、私が初めてアル自身にちゃんと興味を持って聞いた初めての質問だったかもしれない。
「わからない。他の王子をよく知らないからね。ただ幼い頃からいろんなことを学んだよ。学ばなきゃいけなかった。僕が僕として生まれたからには」
「自分が、自分として生まれたから……?」
「僕には国を守る責任がある。幸いにもこの国は平和で裕福で戦争もない。結婚相手を自分で選べることなんて感謝しかないよ。政略結婚で溢れているこの世の中で」
「――政略結婚っていうのは、利益の為ってことよね」
マリアの両親達がマリアにさせようとしていることも、政略結婚だ。
マリアの意思は関係なく、アルの財産しか見えていない。自分達の保身の為に。
「僕はそんなの嫌だ。綺麗ごとだけど、許される環境なら好きになった人と一緒になりたい。そうさせてくれるチャンスをもらえた今、必ず愛する人と共に人生を歩んで行きたい」
リリーのことだろうか。アルの話を聞きながら私は思った。
「本当は旅にでも出て自分で運命の人を探しに行きたかったけどできなかった。でも代わりにこうして素敵な女性達がたくさん来てくれて……その中にマリアがいた。来てくれて本当にありがとう」
「……どうしてアルは私なの? 今も一緒にいるの? まだ二人きりになってない女性はたくさんいるじゃない」
「君を知るには一緒にいるのが一番だと思ったからだよ」
「言ったじゃない。私貴方に興味ないって。何ならこのパーティーをめちゃくちゃにしてやろうと企んでいるのよ。貴方が愛する人と一緒になりたいと願うこのパーティーを」
顎を上げ、下からアルをせせら笑うように言うと、アルは私の挑発などものともせずにニッと口角を上げた。
「そう。だったら――望むところだよ。マリア」
余裕全開で私の頭を撫でするりと指に髪を絡めながら、そのまま頭にキスを落とす。
「なっ……! 何してっ」
「僕を挑発するんだったら、これくらいで赤くなってちゃダメだよ? じゃあね。また夜に」
アルは勝ち誇った顔をして私が反撃をする前に去って行く。
最初に会った時もそうだった。あの時は手の甲にキスされて――でも、こんなにカッと熱くはならなかった。
まだ二日しか経ってないのに、避けても何を言っても結局距離は縮まる一方。
時々、心を許してしまいたくなる感覚にも陥る。
ダメだ私。このままじゃアルルートまっしぐらじゃない! 何してんのよ悪役令嬢!
周りの男からはしっかりと嫌われてるのに、アルはどうして? リリー一筋で、ゲームの時はマリアなんて全く相手にしてなかったじゃない。
――アルは、このままの私を大丈夫だっていうの?
心が僅かに乱れたまま自分の部屋に戻ろうとすると、入れ違いで来たリリーとばったり遭遇した。
「リリー……」
「マリアっ! ここでまた会えるなんて嬉しいわ」
「……そうね。私もよ」
可愛くて大好きなリリー。憧れの女の子。
小さくて、ふわふわで。私がなりたかった女の子。
「ねぇリリー。一つ聞いてもいい?」
「もちろん。どうしたの?」
「リリーは、アルのことが好きなの?」
どうしてこのタイミングでリリーにこの質問をしたんだろう。
きっと私はただ、確認したかった。
「――アルは素敵な人よ。今も昔も変わらず。一緒になることを……望んでる」
リリーの返事はどこかはっきりしない様子も見られたが、それは一応花嫁候補者である私への気遣いだったのかもしれない。
「そう。やっぱり好きなのね。リリーってば、隠しても無駄なんだから!」
「でもマリアは随分アルに気に入られてるじゃない。昔から知り合いのわたしより仲良く見えるもの」
「ないない! 私はリリーの前座だってば。ハロルドとノエルにも嫌われてるし、ロイも私のこと嫌いでしょ? 嫌われてる私を優しい王子が憐れんでるだけよ」
「わたしはマリアのこと大好きよ。ふふ」
リリーが私に見せる笑顔に嘘はない。
それなら私は、絶対にリリーを裏切るようなことはしたくない。
――きっとアルも私を面白がっているだけで、本当に私を好きになるなんてことはない。
私自身も……それを望んでいないのだから。
野原を揺らしながら私とリリーの間を吹き抜ける風は、少しの温かさも残さずに、すっかり冷たくなっていた。