今日から『マリア』
「ん……」
意識を取り戻し起き上がると、辺り一面綺麗な花が咲いている。
「――天国?」
目をぱちくりとさせながら自分の身体を見ると傷一つない。それどころか豪華なドレスを纏っている。
「は? え?」
周りの建物……いや、全体的な雰囲気もどこかおかしい。
間違いなく言えることは、今まで私がいた世界ではないということ。
……天国でもない気がする。死んでる感じしないし。
――もしかして私、生まれ変わった?
髪の毛も長くなってるし……む、胸もかなり大きくなっている。上から見下ろすと今まで見たことのない自分のであろう谷間が視界にドーンと飛び込んできた。
よくわからないけど、ここには私の知ってる人はきっといない。自分の姿も違うんだから私は最早私じゃない――つまり。
私は解放されたんだ。作り上げられた“私”という虚像から。
「……やったぁぁあーー!」
喜びの声を上げ、私はそのまま倒れるように野原に寝転がった。
草の香りが気持ちいい。今までじゃ服の汚れやキャラを気にしてこんな小さなことすらできなかったのに。
「こら! そこに寝そべるんじゃないよ! みっともないねぇ。お嬢様だってのに」
すると突如近くから怒鳴り声が聞こえたかと思うと、緑と戯れる私の前に、綺麗に髪の毛を後ろで低めのお団子にまとめお洒落なロングワンピースを着たおばあさんが立っていた。
――私、この世界でもお嬢様のままなのか。こんなドレス着てるんだしちょっと勘付いてはいたけど。
「いいじゃない。お花咲いてるとこにダイブしたんじゃないし」
とりあえず目の前で眉間に皺を寄せるおばあさんに自分も眉間に皺を寄せ言い返すと、おばあさんは私の言葉を聞いて大きなため息を吐いた。
「……ここには少しだけど小さな花が咲いてるんだよ」
「え、そうだったの? ごめん気づかなくて」
焦って自分が座っている周辺に花がないか確認する。
幸いにも花は咲いておらず、一つも潰さずに済んだようだ。
「ま、目立たないひっそりと咲いてる花だから、気づかなくて当たり前なんだけどね」
「いやそれでも潰しちゃったらさすがに罪悪感が……ていうか、おばあ――おばさん誰?」
出逢ったばかりの人におばあさんと呼ぶのもマナーとしてどうなんだろうと思い、女性に優しい私はすぐさま言い直す。
「あたしは城の敷地内の花畑……つまりこの場所を管理してるんだ。名前はラナ。お嬢様はアル王子に呼ばれた一人だろう?」
「アル王子?」
「王子が開くパーティーだよ。お陰で今日から大忙し。華やかなお嬢様が城にわんさか来てるよ」
パーティー? アル王子? そしてラナおばさん……どこかで聞いたことある名前とシチュエーションな気がするんだけど思い出せない。
「お嬢様の名前はなんていうんだい?」
「へっ!? 私? 私は……」
まずい。名前も答えられなかったら間違いなく怪しまれる。
その前にちっとも現状理解できないまま話だけ進んでるような……
どうしよう。城金真莉愛なわけないし……ああ、わからないっ!
「――!」
焦って無意識に掴んだドレスの一部分に、少し重みを感じる箇所を見つけた。
まさかと思い手を伸ばすと、隠すように作られたポケットの中から出て来たのはドレスに負けないくらい高そうなハンカチ。
そこには刺繍で、Maria.Hainesと書かれていた。
「……マリア・ヘインズよ」
「ヘインズ家のご令嬢様か! またすごいお嬢様が来たもんだ」
「マリアでいいわよ。畏まった態度や言葉遣いもいらないわ」
「……変わってる子だねマリア。じゃあ二人でいる時間だけはお言葉に甘えさせてもらうよ」
ヘインズ家の令嬢――ヘインズ家がまずわからないけど、おばさんの反応的にそこそこ名家なのかしら。
「にしても、マリアはいつここに? あたしはずっと近くにいたんだけど、あんたが入って来たことにちっとも気づかなかったよ」
「それは……私もわからないわ。あまりにも綺麗だから、誘われるようにいつの間にかここに来てたのよ。多分」
「嬉しいこと言ってくれる。大事に守ってる花畑だからねぇ……」
おばさんは嬉しそうに笑いながら、自分が育てているたくさんの花達を見つめる。
「おばさんが一人で?」
「今はね。昔は旦那と一緒だったんだ。もう死んじまったけど」
「……そう」
「さっき少しだけどここにも花が咲いてるって言ったろ? きっちり管理してる花畑じゃなくて、それは野原に自然に咲く青い小さな花なんだ。旦那はその花が大好きでねぇ……大事に育ててる花より勝手に生えてくる花がいいなんて変わってるだろ」
「そう? 私も好きよ。そういうの」
自分だけで力強く生きてる感じがして――私も前までは周りに育てられて綺麗に咲かされた花だったけど、今度は自然に、何もされなくても自力で咲けるような花になりたい。
「でもここ数年――城の花畑は月に何度か開放されるようになってね。街の人達がいっぱい来るようになったんだけど、花がないところで小さな子供達が駆け回るうちに知らず知らず踏み潰されてって……もう僅かしか咲かなくなってね」
「えっ……? 絶滅しかけてるってこと?」
「しょうがないんだよ。子供は元気なのが一番。マリアがさっきしたように野原の上に寝転ぶのは気持ちいもんさ。ドレスで寝そべる子は初めて見たけど。旦那との思い出の花を気にしろなんてのはあたしのエゴでしかないんだよ。怒鳴って悪かったね」
「…………」
「あはは。何でこんな話初対面のご令嬢にしちまってんだろうね。誰にも言ってなかったのに。マリア、内緒にしといておくれよ」
「――わかった」
笑ってるけど寂しそうに見えるラナおばさん。
確かに言う通りかもしれないけど、旦那さんとの思い出でつい怒鳴っちゃうくらい大事に想ってるのにこのままでいいんだろうか。
こんな広い城の敷地なら、別の場所に子供が遊べる場所作ればいいんじゃないの? って部外者の私目線では思うけど。
そう簡単に、使用人が意見できる世界ではないのよね――きっと。
「ラナおばさん、こんにちは」
哀愁漂う空気を変えるように、ふわっと甘い香りをさせた女の子がおばさんの後ろからひょっこりと姿を現した。
「ああリリー! 久しぶりだねぇ! 元気だったかい?」
――リリー?
私は目の前にいるリリーと呼ばれた女の子を見て驚愕する。
見たことがある。この可愛さ。小さくて、ふわふわしてて。透き通るようなくるくるに巻かれたセミロングの金髪。まんまるな緑の瞳。ピンク色のドレスがよく似合っている。
舞は――このリリーによく似ていた。だから私は舞に特別感を抱いてしまって……
! この世界、まさか。
私が華の女子高生時代にプレイしたゲーム『もし運命を信じるならば~小さなセカイで愛を誓う〜』略して『もし運』の世界じゃないの!?
正しくは“途中までプレイした”だけど!
絶対にそうだ。だって私はこの主人公であるリリーの可愛さに一目惚れしてこのゲームを買ったんだもの。
ジャケ買いしていざプレイしたら、リリーを操作してイケメンを落とす俗にいう“乙女ゲーム”だったから男に愛想ふりまくの嫌ですぐやめちゃったんだよね。リリーを落としたかったんだよ私は。
さっきおばさんが言っていたアルっていうのは……メインキャラの王子か。あんまり覚えてないけど。
ラナおばさんも普通に登場キャラでいた気がする。周りの男達からの好感度とかを教えてくれるポジションの人だったような……
「ええ元気よ! 今日をすっごく楽しみにしていたの!」
初めて聞いたリリーの声。可愛くてたまらない……っ!
――ん? でも待って。リリーがここにいるってことは、私は?
マリア・ヘインズって……リリーをいじめてたいわゆる“悪役令嬢”だった気が――
いや間違いない。この自分でも確認できる長い髪が彼女のビジュアルまんまだ。
はっ! あそこにある湖を覗き込めば……!
私はちゃんと足元に花がないかを気にしながら急いで湖まで行くと、水面に浮かぶゆらゆらとした自分の姿を確認した。
おへそ近くまである紫のロングヘアー。綺麗に分かれた前髪。吊り上がる猫目。朱色がきつい唇の下にある無駄にセクシーなほくろ……
ここまではっきり映ってるわけないのだけれど、ぼんやりとした姿を見た瞬間、記憶の奥底で眠っていた“マリア・ヘインズ”の姿を私は鮮明に思い出したのだ。
マリアはアル王子を追いかけ回し、他の令嬢と共に可愛いリリーをいじめるボス。
最後どうなったのかは……やってないからわからないけど、優しいリリーと正反対で腹黒く性格の悪い、男キャラからも嫌われる運命(になる筈)のキャラ。
――つまり私は。
嫌われていい……いや、寧ろ嫌われるべきポジション。
前みたいに作られた聖母マリアとは真逆。人に好かれ、敬われるようにしなくたっていい。
嫌われれば鬱陶しい男共は近づいてこないし……最高じゃない!
念願の、好き放題生きられるってのはこのことよ!
「ホーホッホッホッホ!」
想像の何倍も最高の人生を送られそうな喜び。そりゃあ悪役みたいな高笑いもしてしまう。
今日はここ最近で一番気分がいい。今なら本心から誰にでも優しくできそ――あ、悪役だからしないけど。
「ねえ、先客さん? 貴女もこのお花畑に来たことがあるの?」
トントンと遠慮がちに肩を叩かれ、振り返るとそこには私に向かって笑いかけるリリーがいた。
「い、いや、私は初めてで」
「じゃあパーティーに呼ばれた子ね! わたしはリリー・ホワイト。リリーって呼んで」
あ、もう勝手にそう呼んでます。 そんなことよりリリーと話せる日が来るなんて……!
「私はマリア・ヘインズ。マリアでいいわ」
「よろしくマリア! 嬉しい。女の子の知り合いが一人もいなくて心細かったの。わたし達お友達になりましょう」
とも、だち?
友達ってこんな簡単になれるものなの?
思えば私、友達ってちゃんと呼べる人が真莉愛の頃はいなかったな。私は悪役。 リリーと友達になるなんて――
「喜んで」
「ありがとう! マリア!」
リリーをいじめなきゃいけないってのは忘れて後で考えよう。
今はこの第二の人生を純粋に楽しみたい。
「ディナー会開始まで時間があるわ。綺麗なお花を眺めながらお話しない?」
「お花よりリリーの方が綺麗よ」
過去男に似たようなことを言われ虫唾が走った言葉をまさか自分が言うなんて。それでもリリーは照れくさそうに笑ってくれる。
「やだマリアってば。貴女には敵わないわ。わたしは見た目がまだ子供っぽいでしょ? マリアは大人っぽくて色気があって……羨ましい」
頬に手を当てるリリーが天使にしか見えない。
以前私も天使と呼ばれてたけど、本物の天使ってのはこういう子のことをいうのよ。
「それはただ私が老け顔なだけよ。ていうか、お呼ばれした私達は今日これからどうしたらいい感じ?」
「もう、マリアは忘れっぽいのね。今日はディナー会があって、その後は各自部屋に帰っていいのよ。移動で疲れもあるだろうからって王子からの気遣い。明日からは毎日お城で自由に生活して夜はパーティーが開かれるの」
「毎日って……一体これ、何のパーティーなの?」
「アル王子の花嫁を探すパーティーよ。その為に各地からご令嬢が集まってるんじゃない。ちゃんと招待状を見た?」
花嫁探しパーティー……確かにそんな内容の話だった気が。
そうか。それで女達の醜い王子取り合いサバイバルが始まるんだった。
じゃあ明日から王子にアタックする日々が本格的に始まって今日はライバルの顔合わせってとこね。まぁ私には関係ないけど。
「王様がアル王子が花嫁を決めるまで毎日パーティー続けるって張り切ってるみたい。だからしばらくマリアと一緒にいられそうね」
リリーといられるなら永遠に嫁なんて決めないで欲しい。一日で決めやがったらぶっ殺す。
「二人共、仲良くなるのはいいけどそろそろ部屋に戻って身だしなみ整えなさいな」
ラナおばさんにそう言われ、私とリリーは「はーい」と声を合わせて返事をすると二人で顔を見合わせて笑い合う。
「行きましょう、マリア」
リリーに手を差し伸べられ、小さくか弱いその手を掴もうとした瞬間――私は見つけてしまった。
さっきおばさんが言っていた青い花が、リリーの足元にあるのを。
『踏み潰されてって……もう僅かしか咲かなくなってね』
おばさんの声が頭の中でリプレイする。
――このままじゃ、リリーが踏んでしまう。
私は咄嗟に、掴んだリリーの手を自分の方に引くと、思ったより軽かったリリーの身体は前のめりに倒れてしまった。
「リリー! ごめん、だいじょ――「何をしている!」」
私の声を遮って、一人の男がリリーの元に駆け寄る。
「ご無事ですか。リリー様」
優しくリリーの肩を抱き心配そうにリリーを見つめた後、キッと鋭い瞳で私を睨みつけた。
「……貴様、わざとリリー様を転ばせたな」
「はぁ!? そういうつもりじゃ」
「言いがかりはよせ! 俺は見ていたんだ。貴様が手を引いたのを」
「……っ」
確かにそうだけど――リリーを転ばせたくてやったわけじゃない。
「やめてロイ。誤解よ」
「ですがリリー様」
「軽く倒れただけよ。擦り傷一つないわ。わたしは平気だからマリアをこれ以上責めないで」
「……心優しいリリー様に感謝しろ。この件は私の口から王子に伝えさせてもらう」
王子にって、そんなの伝えたら好感度ダダ下がり……え、好都合なんですけど。
でもリリーに誤解されるのは悲しいし辛い。
「ロイ、何て口を聞くの」
「はっ……すみません。ついカッとなってしまい」
「マリア。気を悪くしないで。彼は私の執事であり付き人のロイ。今回は私の護衛もかねて一緒に来たの」
ロイ……こいつのことも覚えている。
常にリリーにべったりな割に存在感は薄く、根暗っぽい緑髪執事。
執事服はよく似合ってるし、前髪で顔が見づらいけどまぁまぁ整った顔立ちをしていた気が――今は殺意に満ちた表情しか向けてこないから確認できないけど。
「マリアの付き人は? 連れて来てないの?」
「うーん。そうみたい」
「付き人がいないなんて余程大事にされていないのか――それとも一人じゃないといけない理由や何か目的があり付き人が邪魔だったのか」
「ロイ! 口を慎みなさい!」
……なるほど。ロイの言ってることは一理ある。
私としても、好き放題するにはそれを見張る付き人なんていたら邪魔で仕方ないからいなくてよかった。原作のマリアもきっと同じ理由ね。
「リリー、本当にごめんね。怪我しないでよかったわ……じゃあ」
私を警戒しているのか、その場から動こうとしないロイを見て埒が明かないと思った私は先に部屋へと戻ることにした。
――せっかくリリーが花を潰さないようにしたのに、できることなら先に二人が出て行って欲しかったのだけど。
後はまぁ、踏まないよう祈るしかないか。明日また無事か確認しに来よう。
無事だったらおばさんに報告してあげるんだ。ここに咲いてたよって。
「マリア、あんた……」
「ん?」
去って行く私に、おばさんが何か言いたげに声をかけてくる。
「――いや、何でもない。パーティー楽しむんだよ。気が向いたらまたいつでもここにおいで」
「もちろん! またね。おばさん」
にしし、と悪戯な笑みを浮かべ、私は花畑を後にした。