もし運命を信じるならば
あれからどんなに叫んでドアを叩いても助けはやって来ず、逃げられる場所を探しても真っ暗で何もわからない。
さすがジェナジェマだ。二人が私を閉じ込めるのに最適と判断したこの小屋は、きっと二人の想像以上に私を苦しめている。
そして一番辛いのは、寒さ。
あの時おばさんの上着を借りておけば、と何度も思ったが、ないものはない。
寒さによってじわじわと体力を奪われて行った私は、少しでも寒さが凌げるように床に丸まって倒れていた。
苦しい。怖い。
このままずっと誰にも気づかれずここにいたら、私はどうなるんだろうか。
明日追い出される筈の私の姿がなければ、誰かが私を探してくれるだろうか。
でもそれは早くても明日の朝――それまでこの寒さに耐えられる自信がない。
あまりの寒さに歯はガチガチと鳴り、防寒具もない状況で自分で自分を強く抱き締める以外の術が見当たらない。
――同じ物置部屋で、こうも違うのか。昨日は温かくて幸せだったのに、今は気を抜くと凍え死んでしまいそうだ。
昨日、アルとキスを交わしたことが遠い昔のように感じる。
「は、ははっ……」
あまりに絶望的過ぎて、急に笑いがこみ上げてきた。
いいや、もう笑うしかなかった。マリアにはこんなバッドエンドもあったのかと。
「ゲームでも、マリアが選ばれてたらこうなる運命だったのかしら……なんだ。やっぱりちゃんと予習しとけばよかったなぁ。そしたら回避できたのに。あははっ! あははは!」
笑い飛ばさないと、最早生きてる心地がしなかった。
「ははは、はは……」
結局この世界でも私はまんまと一時でも信じた人が自分に見せる嘘の好意に騙され、裏切られ、自ら身を滅ぼしかけて。
ちゃんとした友達ができた気だけして――結局友達も作れなかった
リリーがいなければ、なんて最低なことを思った私に今更リリーを友達なんて呼ぶ資格はない。
ジェマが言っていた“自業自得”という言葉は、本当に今の私にこれ以上ないくらい似合いの言葉だ。
悪役令嬢になることを望んだくせに、私は悪役令嬢になりきれなかった。
結局みんなと同じ、いつの間にか私はただの王子に恋する一人の女に成り下がっていた。
悪役を演じきれなかったマリアは、この世界にはいらなかったんだ。
「……どうせ、こうなるなら、素直になればよかった」
せっかくラナおばさんが私に後悔が残らないよう後押ししてくれたのに、それを無駄にしてしまった。
「……言えば、よかった」
全身が冷たくなり、声を出すのも限界に近付いている。
いや、声だけじゃない。私の全てが限界だった。
視界が霞んでるように感じる。真っ暗だから、目を閉じてるのか開けてるのかもわからなくなる。
でもここで閉じて、眠ってしまったら。きっと私は。
ああ、まだ死にたくない。だって、まだアルに伝えていない。
「ちゃんと、すき、って」
自分を抱きかかえるようにしていた腕の力が抜けていく。
とんでもない眠気が襲い、遠のいていく意識の中で――アルが私を呼ぶ声が聞こえた。
「――リア!」
幻聴?
「マリア!」
幻覚?
「マリア、無事か! マリア!」
真っ暗な視界に光が差し込む。私は突然の眩しさに目を細め、僅かな視界で確かにアルの姿を確認した。
「……ア、ル?」
「マリア! よかった。意識はある……でも体温が下がりきってて危ない。待ってろ」
アルは自分のいつかの水遊びの時みたいに自分の上着を脱ぐと私に被せ、全身を包むように上着ごと私を抱きしめる。
「……あったかい」
「ここから城までは距離がある。マリア、僕が城までマリアを運んで――」
「大丈夫、だから。もうちょっと、ここで一緒にいさせて?」
「マリア、でも」
「城に戻ったら二人になれない。そうなったら、私は」
きっともう、貴方に好きと言えない。
「――わかった。でも様子がおかしくなったらすぐに運び出す。それまでは僕が、ずっとこうしてマリアを抱き締める」
夢みたいだ。もしかして、私夢を見てるのかな?
またこうやってアルに触れてもらえるなんて。顔を上げたらすぐそこに、私に笑いかける貴方がいるなんて。
きっと、これは夢――
ずっとこの夢が続きますようにと祈りながら、私はそのまま目を閉じた。
****
目が覚めると、見知らぬ天井が見える。
ふかふかのベッド、ふわふわの枕。
やたらと豪華なシャンデリアをぼーっと見つめていると――
「気が付いた?」
ずいっとアルの顔が私の視界にフレームインし、私はびっくりして起き上がる。
「ア、アルっ!? ていうか、ここは」
「僕の部屋だよ」
「アルの部屋!?」
どうりでこんな寝心地のいいベッドと煌びやかなシャンデリアがある筈だ。
広く綺麗に片付けられたアルの部屋を見渡していると、アルがベッドに腰かけ私の前髪をかき上げる。
「……うん。だいぶ顔色がよくなった。マリアってばあのまま気失っちゃって、僕の心臓が止まりかけたよ」
アルが助けに来てくれたのは、どうやら夢ではなかったみたいだ。
「他の人間は一人もいないし、僕がいいと言うまで絶対に入るなと言ってる。だからここには二人だけ……安心してくれ」
アルの部屋に二人きりとなると、逆に安心できないような……
「――マリア、何があったか教えてくれ」
「……それは」
「言いたくないのか?」
ここでジェナジェマの名前を出し、全てを話すことは簡単だ。
でも、そんなことしたら二人はどうなる?
きっと城から追い出されるだけでは済まない。
「いいかマリア。君は死ぬところだったんだ。自分を殺そうとした人物がもしいたとしたら――」
「私だよ」
「……何言って」
「もう何もかも嫌になって、死のうと思ったの。あの小屋には自分が入った。それだけよ」
どうして、二人を庇ったのかは自分でもわからない。
ただ私はあんな目に遭って尚、二人のことを嫌いにはなれなかった。
もしあのまま死んでいたら化けて出てやるとこだけど、私は今こうして生きている。
だったらもう、それだけで十分だ。
「……マリアがそう言うなら、僕はマリアの想いを尊重するよ」
そう言いながら、アルの表情は全く納得してはいなかったけれど。
「あ、そういえば、アルはどうして私があそこにいるのがわかったの?」
「――ラナが血相を変えて僕のところに走ってきてね。マリアが会いに来ていないかと。いくら何でも戻って来るのが遅すぎる、と」
ラナおばさん……そっか。いつまで経っても戻って来ない私を心配して、アルのところまで駆け付けてくれたんだ。
「“マリアは自分のところに戻って来ると約束した。マリアは約束を破るような子じゃない”ってね。僕はそれを聞いた瞬間に走り出してた。後から聞いたけど、君にあれだけ酷いことを言ったハロルドも目の色を変えて必死にマリアを探してたらしいんだ。だから、今日のハロルドの態度も許せるなら許してあげてほしい。あいつは、僕を想ってあんな言い方しかできなかったんだ」
「ハロルドが……」
ハロルドなら私が死にそうになっててもそれをおかずにご飯を食べてそうなのに。
必死に探してくれてたなんて……そんな姿、見て見たかったなぁ。
「ほら、あれはノエルからのお見舞い。ノエルもああ言ったものの、ずっとマリアのことを気にかけてたみたいだよ。――マリアは本当に政略結婚が目的だったのかって、一人で考え込んでた」
ベッド横にあるサイドテーブルの上には、大量のシュークリームが置いてあった。
こんなに食べきれるわけないでしょ。と心の中で突っ込みながら、私はノエルがこれを作っている姿を想像するだけで自然と笑みがこぼれた。
「……アル。私、アルに言いたいことがあって」
「……うん」
「あの手紙は、私のもので間違いないし、政略結婚を目的にここへ送りこまれたのも――多分事実」
目が覚めた時にはもう城の敷地内にいたから、その前のマリアのことは私にはわからなくて濁したような言い方になってしまった。
「でも、私が今日アルに言ったことは本心じゃ――!」
「知ってる」
「……へっ」
信じてもらえるか不安な気持ちを抱えながら勇気を出して言おうとした言葉を、見事に途中で遮られる。
知ってるって、どういう……頭の中がこんがらがる。
「あの時、マリアが仮面を着けたのがわかった」
「嘘。だってあの時のアルの反応は」
「言っただろう? 君が仮面を着ける時は、僕も共犯だと」
! と、いうことは。
アルも私と一緒に、偽りの自分を演じていた――?
「あんな手紙に君が大人しく従うとは思えないし、従っていたなら行動が謎すぎる。何より僕は一緒にいてマリアに違和感を感じたことは一度もない。でもあの時マリアは言い訳せずに――嘘を吐いた。何か、理由があると思ったんだ」
知らなかった。気づかなかった。
アルは私に合わせて演技をしていたというの?
「……すごい。すっかり騙されてた。私」
「僕だって傷つかなかったわけじゃないよ。例え嘘だとしても一切否定をしなかったってことは、僕との結婚を望んでないって言われたようなものだったから。でもそれより、誰がこの手紙を持ち出したかが気になって――」
「私もそれは気になる――あの手紙はずっと自分の部屋に置いていたわ。誰かが盗んだとしか思えない」
「僕もハロルドに渡されて、ハロルドに聞いても今朝広間に置いてあったって言うんだ。マリアを陥れようとした人間が城にいることを知って、あの後独断で調べていたら……その間にマリアがこんな目に……本当にごめん」
眉を下げ辛そうな顔をして謝るアルに向かって私は首を横に振る。
「アルは、何も悪くないよ」
「マリア――よかった。君が無事で、本当に」
アルは私が今ここにいることを確かめるように、強く私を抱き締めた。
「助けてくれてありがとう。アル」
私はここにいるよ、と。
アルの胸に顔を埋め、私もまたアルがここにいる喜びを噛みしめていた。
「――マリアはずっと、僕がどうして君を追いかけていたがわからなかったようだけど」
アルはそっと身体を離すと、私の両腕に手を添えたままそんなことを話しだす。
「僕は君がこの城に来たあの日、小部屋の窓から君のことを見ていたんだ」
昨日連れて行ってもらった、アルのお気に入りの場所。
あの窓からラナおばさんの花畑がよく見えることは、私も昨日見たから知っている。
「ロイが言っていたリリーを突き飛ばしたという話――君が庇ったのは、ラナの青い花だろう?」
「! どうしてアルがそれを」
「ラナの夫であるサムから聞いたんだ。ラナとの大切な思い出を僕だけに話す内緒話だって。マリアはラナから聞いたんだろう?」
アルはおばさんの旦那さんから、私より前にこの話を聞かされていたんだ。
「その時からずっと気になってた。そして誰も知らないこの話を知っていることを、花を見て微笑む君を見て確信した。僕だけが知っていて気にかけていた青い花を知っている人がいきなり現れたんだ。……もしも運命を信じるならば、これこそ運命だと思った」
あの日、私が花畑で目覚めたこと。
ラナおばさんが、私に思い出を託したこと。
全部にちゃんと意味があって、こうして今、繋がった。
「――国の平和を保つ為に、いろんな自由を犠牲にしてきた僕の世界は大きいようでちっぽけで……でもそんな小さな世界で、僕は君に出逢えた」
アルは私を自分の方へぐいっと抱き寄せ、顔を近づける。
吐息がかかりそうな距離と見つめられる熱い瞳に、私の心臓は破裂しそうだ。
「君が好きだマリア。――君の気持ちを聞かせて?」
アルに好きだと言われたのはこれで三回目なのに。
アルの言葉一つ一つがどうしようもなく嬉しくて、今まで我慢していた分の涙が一気に溢れ、私の頬を濡らす。
「私も、好き」
ずっと言えなかった。周りを気にして。この気持ちを認めたくなくて。
今、やっと言えた。
「貴方が大好きよ。アル」
一度言ってしまったら、何度だって伝えたい。
これが私の、ありのままの気持ち。
私の返事を聞いたアルは満足そうに笑い、頬を伝う私の涙を舐めるとそのまま何度も頬にキスを落とし、柔らかい唇はそのまま私の唇に重ねられた。
「んっ……んぅ」
唇が離れたかと思うとすぐにまた塞がれ、長いキスに頭がくらくらする。
「マリア――愛してる」
そのままアルと私はベッドに沈み込み、私は初めて、人に愛される悦びを知った。




