情緒不安定
その日シスは気分良く外を歩いていた。
ヒールハイの周辺にシスの天敵であるドラゴンはおらずその眷属であるワイバーンもいない。
魔物に襲われはしたが怪我をする事なくシスの朝食になり、次は喉を潤す為川へ向かおうとした時だった。
突如前方からとてつもない魔力を感じ、シスの全身の毛がブワッと逆立った。
尻尾を真っ直ぐ伸ばし前方を見つめていたが、スンと鼻を鳴らすと顔色を変え人の姿になると同時に急いで魔力の方へ向かって駆け出した。
「ムメイ!?」
丁度シスが向かおうとしていた川のすぐそばでムメイは怯えたようにうずくまり、頭を抱えていた。
「う……あ、ああ……」
「ムメイ、何かあったのか? 何処か怪我でも……」
「私は、私は誰なの? 精霊じゃないの?」
「え?」
顔を上げたムメイは不安げで泣きそうな表情をしているが焦点が合っておらず、シスの背筋に冷や汗が流れる。
「ずっとフローラの記憶が強く、強く存在していて。でもこれはただの記憶で私はフローラじゃないって、だから私は私だと、そう思っていた。思えていた。でも、転生したフローラに会って、記憶がないと知って。もしかして、とうに自由の精霊はフローラの記憶に負けていなくなっていたの? それなら私は、私は……」
「っ、ムメイ!」
錯乱状態になっているらしいムメイが自分の頬をガリガリと引っ掻きはじめ、シスは咄嗟にムメイを引き寄せ思い切り抱き締めた。
「あ……」
「心臓の鼓動は相手を落ち着かせる働きがあるってゼビウスが言ってた。……俺が初めてゼビウスに会った時も、傷が開くのも構わず暴れたらこうやって抱き締めて落ち着かせてくれたんだ」
そう言ってシスは鼓動がより聞こえるようにムメイの頭を胸へと移動させる。
「その、ムメイ……。俺はムメイの事をあまり知らなくて……フローラが誰なのかも知らない。けど、ムメイの中には意思、というのか上手く言えないんだが……心が二つある。初めて会った時から、今も」
「……?」
「ムメイは覚えていないと思うけど、ずっと昔に一度会っているんだ。一瞬だけだったけど今でもはっきり覚えている」
「…………」
「あの時俺は頭が一つ増えた事にまだ慣れていなくて、こうなっているのは俺だけなんだと思っていた」
この頃のシスは群れから追い出されしばらく経ってはいたが三つ目の頭の思考がまだ上手く馴染まず、それもあってか強い孤独感に苛まれかなり危ない状態になっていた。
「でもムメイに会って、俺だけじゃないんだと分かって、それで……」
「……シス」
「俺は……って、わ、悪い! 苦しかったか!?」
モゾモゾと動き出したムメイにシスは現状を思い出し慌てて手を離し立ち上がった。
同じく立ち上がったムメイは先程と違い錯乱した様子もなく落ち着いている。
「それって本当?」
「え?」
「私には心が二つあって、今も変わらず二つあるの?」
「あ、ああ。でも全く変わっていないわけじゃない。初めて会った時はこう、せめぎ合うみたいに二つの心がお互い潰そうとしているようだったけど、今はどちらも静かで共存しているように感じる」
「そっか……」
そのまま再び俯いてしまったムメイに先程とは違う冷や汗が流れる。
もしかしたら今の言葉でまたムメイを不安にさせるような事を言ってしまったのだろうかと焦り、何か声をかけようと手を伸ばそうとしたがその前にムメイが抱きつきシスはビシッと固まった。
「ム、ムメイ!?」
「私はちゃんといるのね。消えかかっているわけでもなく、しっかりと存在しているのね……」
中途半端に上がった手をどうするべきか分からず狼狽えている間にムメイはあっさり離れてしまった。
「ありがとう、シス。本当はもう少し話していたいけれど話の途中で逃げて来ちゃったからクラウスの所に戻らないと……また後でね」
「あ、ああ……また、後で」
何とか返事をするもシスはさっきの中途半端な体勢のまま全く動かず、ムメイが去った後も動く様子がない。
しかしジワジワと顔だけでなく耳までも赤くなっていき、くずれ落ちると同時にオルトロスの姿に戻りまた動かなくなった。




