第十一話 剣聖
ただいま僕は非常に困っている。
その原因は僕の後ろで得体のしれない雰囲気を醸し出している要だ。
この見た目普通の男子は僕のことを獲物を捕らえる肉食獣のような瞳でずっと見ている。
それでいて、話しかけることなく、後ろからは時々忍び笑いが漏れている。
授業中だというのに集中出来ない。怖すぎるぞ。早く席替えをしたい。
「ねぇ、春野君。少しお話しないかな」
授業が終わり早々に席を離脱しようとする僕。
そんな僕を見計らっていたかのように要が話しかけてきた。
…そんな満面の笑顔で話しかけられると逆に不安になるのだが。
「わ、悪いトイレに行くから後で「じゃあ僕も行くよ」
こぅええぇぇぇぇ!なんで頬を赤らめてんだよ!
お前は一体あの狭い空間で何する気なんだよ!
…どうしよう、流石にまだ何もしていない段階で泉に沈めるのは早いだろう。
いや、後顧の憂いを断つためと思えば安い買い物…
って違うだろ!三月じゃあるまいしそんなことして助かる保証なんてないんだし。
いやいや、保障の問題ではなくて人道的にだな…
「どうしたの…?ほらっ、行こうよ」
な、何で僕の腕をつかむんだよ!
まずい。このままじゃ…
「春野五月。何を教室でいちゃついているのですか。とても不愉快です」
そう言って近づいてきたのは我らが委員長 剣野 薫だ。
切れ長の鋭い瞳に、艶やかで長い黒髪を一本に束ねた剣野は、女子に多大な人気を寄せている。
今の僕にはそんな剣野が救いの女神のように見えていた。
「って、全くいちゃついてないから!お前の目はどんだけ節穴なんだよ!」
とりあえずこの事態から抜け出そうと剣野に矛先を変える。
だけど、安心した僕は剣野がどんな人物かということを失念していたのだ。
「…へぇ、随分失礼な物言いですね。以前から目に余るとは思っていましたが
どうやら矯正する必要がありそうですね。春野五月…それでは覚悟して下さい」
まずい。さっきとは全く違う危険地帯に足を踏み入れてしまった。
こいつは以前から僕の事を目の敵にしており、
事有るごとに矯正だ何だと言って僕に襲い掛かってくるのだ。
厄介なのは
どこからともなく現れた巨大な剣。
剣野の背丈ほどもある大剣が何もない空間に突如現れる。
それを手にした剣野は僕目掛けて大剣を振り下ろす。
「っつ!?殺す気か!」
後一瞬でも反応が遅れていたらあの世行きだったぞ。
現に風圧だけで吹き飛ばされそうになる程の剣速だった。
あれが直撃していたらと思うとぞっとする。
「安心して下さい。峰打ちです」
…完全に刃のほうだったぞ。
それに、そんな馬鹿でかい大剣だったら峰でも死ぬぞ。
ぼやぼやしてる暇はない。
休み時間が終わればこいつも諦める。
それまでは逃げなければならない。
風圧を利用し後方に跳躍する僕。
着地した足を軸に身体を回転。目指すは教室の扉だ。
「逃がすと思いますか。この私が。あなたを」
逃げなきゃ死ぬだろうが!
教室の机の上を器用に飛びこちらに向かってくる。
しかし、扉の前まで接近していた僕は勢いのまま転がりながら外に飛び出す。
剣野は僕以外に損害を与えないよう気を付けているため、馬鹿みたいに大剣を振り回すことはない。
今、剣を振るえば確実に教室の扉は破壊される。その一瞬の隙を突いて起き上がり、階段に向かう。
一直線の道や、何もない空間では身体能力の差でこちらが不利だ。
だから、なるべく曲がり道の多く、障害物の多い道に行く必要がある。
以前男子トイレに逃げ込んだら、更なる怒りを買うことになった。
なので、純粋に時間一杯を逃げ切る必要があるのだ。
階段を飛ぶように降りる僕。少しでも距離を稼いでおかないと死に繋がる。
しかし、剣野は階段の手すりの上を走っている。
下手したら落ちるかもしれないというのに全く気にしていないようだ。
なんとか一階分下に降りた僕。視界に剣を振る剣野の姿。
咄嗟に壁の陰に隠れる。壁を傷つけないよう剣を止める剣野。
こうすれば、ほんの数コンマ一秒は時間が稼げる。その差が後々響いてくるのだ。
よしっ、目的地に辿り着いた。部室棟だ。
ここは様々な部活のよく分らないものが所狭しと乱雑に置かれている。
しかし、剣野との追い駆けっこで幾度となくここを訪れる僕は配置を把握している。
それは剣野も同じだが、逃げるだけの僕は障害物を利用できる。
そのまま地の利を生かし、着かず離れずの距離を保てば僕の勝ちだ。
…まぁ、剣野が飛び道具を使わないこと前提の考えだが。
何分経っただろうか?未だ予鈴は鳴らず剣野も追いかけてくる。
全力疾走で障害物を避けながら移動するのは普通に走るより何倍も苦しい。
そろそろ、予鈴が鳴ってもおかしくないんだが。
そんな風に考え事をしながら走っていたのがまずかった。
突然何かに足を取られる僕。転倒しないように手を付くことは出来たがそれだけだ。
不味い早く起き上がらないと、
剣野が僕に肉薄する。
剣を振り上げ
僕目掛けて振り下ろし
予鈴の鳴る音。
剣は僕の髪数本を散らしただけで運動を停止した。
「!……」
本当に死ぬかと思った。
今回のは死んでもおかしくないほどの失敗だった。
ただ、僕の運が良かっただけだ。
「…春野五月」
剣を突き付けたまま無表情で僕を見下ろす剣野。
言うべきか言わざるべきかを迷うかのように口を噤む剣野。
あの、剣野が迷う姿なんて初めて見たかもしれない。
「…どんな悩み事が有るか知りませんが、あまり溜めこむのは
良くないと思います。もし私で力になれることであれば構わず相談して下さい。
そのための、委員長と言う役職ですからね。
…それでは予鈴も鳴りましたし急いで戻りましょう」
言うや否や背を向け歩き出す剣野。
実際、剣野は僕に対してだけ沸点がおかしいだけで
普段は責任感が強く、とても頼れる存在なのだ。
ちょっとおかしいのは僕限定なのだ。本当にそれだけが悔やまれる。
………
「どうしたのですか?授業をサボタージュするのは許しませんよ。」
中々立ち上がらない僕を如何わしそうに見る剣野。
言うべきか言わざるべきか。
まぁ剣野も言ったんだ。僕だけ言わないのはフェアじゃない。
「…腰が抜けた」
…そう。恥ずかしながら先程のショックで腰が抜けて立てないのだ。
「はぁ…」
呆れたように溜息を吐く剣野。
言わなきゃよかった滅茶苦茶恥ずかしい。
そんな剣野は剣を放り僕に近づき背を向け屈む。
「?」
「…早く乗ってください。授業に遅れます。」
…どうやらおぶされと言っているようだ。
「いや、でも剣野におぶさるのは…」
「私におぶさるのはそこまで嫌ですか…!」
やばい、違う意味にとられてる。
今にも再び拾い上げた剣で僕に切りかかりそうだ。
「ち、違くて、剣野も女の子だし僕をおぶるのは嫌じゃないかってことだよ」
「…そ、そうですか」
顔を背ける剣野。納得してもらえたのだろうか?
「言いたいことはわかりました。早く乗ってください」
わかってねぇ!そう抗議しようとした瞬間、僕の首に剣を当てる。
「折角拾った命ここで散らしたくないですよね?」
やっぱり、殺す気だったのかとは言わず一も二もなく首を縦に振る。
「よっと。それでは急ぎますよ」
僕を背負った剣野は物凄い速度で走りだした。
僕の顔に軽いGがかかり意識が少し飛びそうになった。
だから剣野の
「…女の子、ですか。そう思っているなら
もっともっと私の事を意識して欲しいですね・・・」
なんて言葉には全然気付かなかったんだ。
その後教室に着いた僕は再び要の恐怖と戦うことになった。
今日の鬼ごっこはやばいかもしれない…
結局ネガティブな僕だった。
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こんな小説を読んでいただいている読者様には頭が下がる思いです。本当に有難うございます。
これを励みにこれからも頑張らさせていただきます。