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第6章 全面戦争突入

キュアノエイデス公国――城下街。


「前方目測三十メートル敵数五体捕捉! 散開しろ!」


「移動阻害魔法詠唱開始します!」


六人の小隊が街に伸びるメインストリートで敵小隊に先制攻撃を仕掛ける。


小隊前方約三十メートル付近には、小型の異形の者――ゴブリンが五匹、周囲に出ていた出店を襲撃したのか、辺りに散乱した果物を貪っていた。


「移動阻害魔法発動します! 〈鈍重の戒め〉!!」


果物を頬張っていた五匹全てのゴブリンの足元から突如、地面を抉る様にして茨状の蔦が出現し、それぞれの両足に絡みつく。


ゴブリンは奇声を発し、接近する四人の騎士を迎え撃つべく腰の差した小型の斧を持つとその場を散開しようとする。


しかし、ゴブリンの足に絡みついた茨状の蔦がそれを許さず、その場で倒れ込む者や、必死に斧で蔦を切ろうと足掻く。


「させるかっ!」


いのいちに目標に接近した騎士が両手に握った長剣を構えると、上段から袈裟斬りを放つ。


袈裟斬りは見事ゴブリンに命中し、体を二つに割かれたゴブリンは短い悲鳴の後に絶命し、その場で液状化したのちに泡となって消えた。


続く騎士達も、それぞれを目標としたゴブリンに太刀を浴びせ、次々に切り伏せてゆく。


「状況報告! 周囲警戒を怠るな!」


目前の敵を屠った後に、すぐさま命令を下した部隊長である騎士は、睨みつける様に周囲を見渡す。


「報告! 周囲敵影無し!」


「報告! こちらも敵影無し!」


「状況報告! 目標鎮圧、周囲に敵影及び危険無し! 警戒を続けます!」


最低限の距離に散開した騎士が次々に声を上げ、周囲の安全を報告する。


部隊長である騎士は、剣を収め、ゴブリンが消えてなくなってゆく泡ぶくを眺める。


小型異形であるゴブリンは恐らく異形の者達の中では最弱の部類だと思われる。


この事は、城内聖域部の作戦会議中に報告された事だ。


部隊がゴブリンに遭遇して先陣を切った時にも、ゴブリンは周囲をまるで警戒などせずに食料を貪っていたことから、知能も然程と言っていいだろう。


消えゆくゴブリンの残骸を踏みつけ、部隊長である騎士は空を見上げる。


雲一つ無い澄んだ空は、いつもと変わらない青さを広げている。


いつもと変わらないはずの空気を深呼吸で確かめていると、警戒に当たっていた兵士が声を上げる。


「敵影確認! 小型3体……それに、大型確認! 異形大型を確認!」


(来たか……)


会議で上がった大型異形――ミノタウロス。


その強さは小型等ゆうに及ばず、歴戦の兵士であるガラハム訓練長を軽くあしらう程の攻撃性を持つ非常に危険な存在。


「……どうしますか、サイラス部隊長」


先程の戦闘で、阻害魔法を詠唱した魔法兵と魔法兵を護衛する兵士がサイラスと呼ぶ部隊長に近づく。


部隊の構成は基本六人。


四人は前衛の近接戦闘を主体とした騎士、一人は周囲警戒及び魔法兵の護衛騎士一人、そして、魔法兵一人の構成で部隊を組んでいる。


前衛四人の主な役割は目下敵影への近接攻撃による殲滅。


後衛騎士の役割は、魔法詠唱中の魔法兵の護衛と、後衛からの視覚支援による敵の増援や危険の伝達。


魔法兵は魔法による敵の行動阻害、攻撃。また、魔法による味方へのサポート。


戦術は至ってシンプルなもので、目標とする敵を前衛が接近し攻撃し、後衛騎士は他エリアからの増援があるか、前衛の死角からの危険を伝達し、かつ魔法兵の周囲の警戒及び魔法兵の守護を担当。魔法兵は後衛の安全圏から状況に応じて魔法で支援するスタイルだ。


これは小隊戦術としてキュアノエイデス公国の軍隊としては最もよく使われている小隊形戦術で、基本中の基本とされている。


また、魔法兵の数が少ないこの戦況下に置いては、極めて有効な部隊編成と言える。


難があるとすれば、魔法兵が一人という点だ。


魔法兵と呼称される兵士は、己の肉体に宿る魔法力と言われる魔法を発動する際に消費するエネルギーを糧にして、様々な事象を発現する兵士で、魔法による攻撃は、剣を振るう一般的な騎士の十人、二十人分もあるとされている。


もちろん、それは個体差によって違いあるものの、魔法というものはこの世界にとっての完全なイニシアチブを握る強力なものだという認識で間違いない。


しかし、個体による魔法力には限りがある為、如何に強力であったとしても、無限に使用出来るという訳ではない。


それ故に、戦闘では絶対的な存在とも言えなくは無いが、限りがあるとしても、その価値はもちろん国に取っても、この部隊に取ってもなくてはならない戦力である。


今のキュアノエイデス公国には、戦闘に借り出せる人数は限りなく少ない。


エリュトロン公国に派兵しているという点が非常に大きいのもあるが、魔法兵である過半数およそ千人の内、『異世界渡り』に参加した魔法兵が五百程度。


魔法陣の生成と異世界渡航の為の魔力補給要員で、公女であるアイリスたった一人を送る為にこの国のゆうに四分の一である魔法兵を動員した計算になる。


『異世界渡り』の為の莫大なる魔力は、国家規模の軍隊でなければ出来無いのと同時に、それに参加した魔法兵の全てはもれなく体内にある魔力その全てに近い量を搾取された状態にある。


キュアノエイデス公国の魔法兵事情は、最早国力とは呼べないほどの軍勢になってしまっていると言っても、過言ではない。


残る四分の一である魔法兵およそにして五百をどう割り振るかで、今回の戦争の行方は決まる。


しかし、単純に五百と言っても、その全てが城内にいた訳では無いのだ。


異形の者による奇襲時、多くの兵が城下に広がる広大で入り組んだ街に派兵されている。


基本的には魔法兵ではない、一般的な戦闘兵が一般市民の避難誘導を主な任務に就いてたが、そこには少なからず魔法兵も派兵している。


兵士での総当り虱つぶしの家屋探索で、一軒一軒回るのも手だったが

魔法を使えば大体どこに人がいるか分かる探知魔法があるのが理由だ。


広く、家同士がくっつく様に隣接し、犇めきう街を全て見て回るのは現実的ではない。


魔法兵力が少ない中、一般市民を発見し、避難誘導するには数と質の両方が備わってこそ本格的と言える。


だからこそ国王の命で希少な魔法兵およそ百数人をこれに当たらせ、それ以外の魔法兵は城内の結界強化と補強に当てていた最中だったのだ。


よもや、誰も異形の者がこんな短期的に攻めてくるとは露とも知らずに。


「カフカ、残存魔力量はどれくらいだ?」


「後退する際の最低魔力保有量を加味すると、中級魔法を二回が限界です」


「全部だと?」


「中級が三回と初歩魔法が二回程度かと」


「そうか……」


サイラスは顔を少し俯かせ、ほんの数秒考え込んだ後に、他の隊員に向き直る。


「撤退だ。情報が少ない中であいつらとこの小隊でどこまで戦えるかが分からない以上やむを得まい。ガファルとリシルは退路の確保、残りは周囲を警戒しつつ三十メートル間隔で進め」


即断された命令にサイラス以外の隊員が頷くと、前衛で奮戦していた隊員――ガファルとリシルは本部へと戻るルートの安全確保に向かった。


「隊長」


カフカが両手に持った杖を固く握り締め、サイラスに何かを問おうとする。


その表情には、言い表せない感情が渦巻いていた。


「……今無理に戦う必要はない。本部に戻り次第、別部隊と合流してからでも遅くはないだろう。お前の腕を信用していない訳じゃない。分かってくれ」


「……はい」


(カフカの住居はこの近くだったな……。家族が心配なのは分かるが、それは他の皆も同じことだ。軍隊は国を守るためにいる。それを忘れてはいけない)


焦りと悔しさと怒りが胸の中心で渦巻いている。


これは今この戦場で戦っている者、城の地下で、避難している人々、未だこの城下で取り残されている者、全ての人がそう感じている。


恐怖に飲まれてはいけない。


部隊の隊長でもあるサイラスは、己の感情をコントロールし、部下の感情をコントロールし、冷静で、常に最善の選択肢を選ばなくてはいけない。


決意にゆらぎが生まれれば、それは死に繋がっているとサイラスは知っているからだ。


「イヤアアアァッァアアアアァアアアアアア!!」


緊張が走った。


異形が這いよるうめき声の他に、一際につんざく悲鳴。


「なんだ!?」


はっとして、サイラスは先ほど確認した異形の小部隊が進行していた大通りを覗き込む。


「イヤァァァァ……来ないで、やめてええええ!」


その大通りは露店が多く立ち並んでいる通りで、普段ならば端々にひしめき合う様に店が開かれ、それを目当てに来る客でごった返しており、通りの奥まで見ることが出来無いのだが、戦争中の今は、見通しが良かった。


露店として構えてあった店は、異形が通る端から破壊されており、無残にも瓦礫の山が築かれている。


その露店の一つに、二体のゴブリンが奇声を上げながら何かを引っ張り出していた。


何かとは、もはや何かと呼称するまでもなく、人間だ。


ゴブリンに足や腕を掴まれて引きづられているのは、まだ二十代程の若い女性で、遠目から見ても分かるくらいに必死な形相で抵抗している。


だが、相手は小型とは言え異形の存在だ。


腕を振り解こうにも、足を蹴り飛ばそうとも、ゴブリンは顔色変えずに女性を両手で引っ張りながら、大通りへと連れ出そうとしている。


サイラスは焦った。


軍隊が軍隊たる所以に、規則というものがある。


軍規は軍を維持するために必要なルールであり、これに従わない場合にはそれ相応の罰が下る。


なぜ罰が下るのかと言えば、それはルールに違反したからだ。


違反すると罰せられる。この違反という根本的なルールの一つ一つは、全て軍ならず、軍隊なら軍隊、部隊なら部隊、小隊なら小隊にそれぞれ明確なルールが存在する。


サイラスは振り返った。


だが、遅かった。


あの光景を見ていた。


そう、彼女――カフカが。


サイラスは知っていた。あの露店はカフカの家族が営んでいた店だと。


カフカには両親と、年の近い妹がいることを。


そして、今ゴブリンに捕まり、引きづられているのがカフカの妹であるということを。


「カフカ、待つんだ。やめ――っ」


「あああああああああぁぁあああああぁぁぁあああああぁぁあああああああああああああぁぁあああああああああああ!!」


サイラスは部隊長だ。部隊員である他の部下の感情をコントロールしなければならない。


感情をコントロール出来無い時、それは軍規に違反するという行為になりかねないからだ。


そして、軍規に違反する行為としての理由の一つが、部隊の存続という重大な意味を持っている物であり、それを破った時、その部隊の安全が保証されるかどうか、分からないからだ。


カフカをこれを破ってしまった。


彼女が怒号を叫びながら、異形がいる通路に飛び出す。


同時に杖を前方に構え、己の全魔力を放出させるレベルの魔法陣を形成する。


異形の小部隊全員がこれに気づき、攻撃対象をカフカに移し、ゴブリン二体が女性を放って腰に携えた斧を持つと、奇声と共にカフカに襲いかかろうと走り出す。


ミノタウロスもそれに続く形で両手の大斧をしっかと握り締め、雄叫びを上げながら突進する。


異形の小部隊全員が襲いかかろうとしているこの状況で、カフカはその威圧に飲まれることなく、猛る全ての魔力の奔流を魔法陣に込め、そして――放った。


「創成する凍えし命よ。天地分ける往々たるパゴスの源よ。終結を紡げ、安寧を枯渇させ、魂さえも時の中に停止させよ!《冷徹なる茨蔦》!!」


カフカが詠唱を終わらせると同時に、杖の先にある巨大な魔法陣からバキンバキンと砕ける爆音を轟かせながら何本もの氷の柱が入り組む様にして突き進む。


不規則に入り乱れた氷の柱の先端は、全て鋭角に尖っており、前方から突進してきていた異形を貫きながら加速する。


魔法の炸裂音に混じって、異形の絶命する悲鳴が微かに聞こえる頃には、露店のあった通りに氷の柱が横一線に伸び、おびただしい冷気が靄になって辺り一面を隠していた。


サイラスは息を飲んだ。


魔法兵という存在は、兵士の何十人分にも相当する力がある。


だがそれは戦術的な立場から見ての見解であり、個人それぞれに個体差はあるものの、その保有魔力を一回で解き放った場合の威力においては計り知れないものがあると言われている。


残り少ない魔力でここまでの魔法を形成する力があるカフカは、才能に恵まれていると言っていい存在だが、それでもまだ上はいる。


もしこの魔法が万全の状態で解き放たれたなら、その威力はもはや想像出来無い位置にあるだろう。


頬を伝う一筋の冷や汗が、それを物語っていた。


「カフカ!」


我に返ったサイラスは、飛び出して行ったカフカの元へと駆け寄る。


事切れた後なのか、カフカはその場でぐったりと倒れ込み、上体を抱えても反応が無く、完全に意識を失っていた。


魔法兵の魔法にはその使う魔法の魔力量によって魔法が分類されている。


魔法に詳しくはないサイラスでも、先の魔法を見る限りでは確実に上級魔法の部類なのだと感じていた。


(魔法を形成する魔力量の大きさを決めると同時に、個人で形成出来る魔力量も決まっている。意識が無いのは、自分で形成出来る魔力量を超えた魔法を放ったからなのか。それとも、保有魔力を超える魔力を消費したからなのか……。いずれにせよ、カフカを本部へと連れていなかければ命に関わるかもしれん)


力なく倒れているカフカの心臓の鼓動と息を確認すると、弱々しくも心臓も肺もその臓器の役割を果たしていた。


「た、隊長。カフカは大丈夫ですか?」


魔法兵であるカフカの護衛位置にいる兵士と前衛の兵士二人が慌てた様子で駆け寄ってきた。


「ああ、大丈夫そうだ。だが、これだけの魔法を使った後だ、何かしらの後遺症が出るかもしれん。すぐに本部へと帰投する。私はカフカの妹を救助する、カフカはギア、お前が運んでくれ」


「了解しました!」


魔法兵の護衛位置にいる兵士――ギアと呼ばれた兵士は、意識の無いカフカをガファルに手伝ってもらいながらその背に乗せる。


「よし、ガファルはギアを護衛しながら本部へと帰投しろ。途中いかなる障害は一切無視しろ。それと、いいか。お前らは自分で出来る事は限られている。勝手な行動をするな。これは命令だ。分かったら行け。私とリシルは後から行く。以上だ。行動しろ!」


ガファル、リシル、ギアはそれぞれ力強く頷くと、ガファルとギアは本部へと走り出し、サイラスとリシルは、未だ氷の柱が残る露店通りへと駆け出す。


「これを、カフカが……?」


リシルがぽつりと呟くと、サイラスはその時の情景を思い浮かべた。


あの時のカフカは、怒りで我を忘れ、ただ自分の妹に仇なす敵を殲滅する為だけに全魔力を放出したに違いない。


その結果がこれだ。


冷気の靄で視界が悪いが、恐らくこの氷の柱の先端は確実に異形を貫き、泡と消えさせているに違いない。


異形をも飲み込むこの力と、未だこの場に留まる氷の塊のこれが、サイラスとリシルを圧倒した。


軍では、魔法兵と一般的な兵士はまず相容れる事がない。


戦術的な違いもあれば、そもそも魔法兵一般的な兵士と組むことはまずありえないからだ。


魔法兵は人数を掛け合わせる事で、一人では形成不可能な魔法でも発動を可能にする相乗効果があるのが一番の理由と言っていい。


剣を振るう兵士を多数扱うには、それを活かせるスペースが必要だ。


だが、魔法兵はその広さを選ばない。


入り組んだ細い道に一般的な兵士を何百人配置しても、戦闘で戦う人数には限りが出てくるが、魔法兵はその場にいればその人数全てを活かせる攻撃が可能になる。


だから魔法兵は希少な兵士であり、この世界のどの国でも重要なファクターになっている。


それだけに、サイラスはこの戦争の結末に不安を感じていた。


カフカ一人でさえこの威力の魔法を発動することが出来る。


そんな魔法兵が五千も超える数を有しているエリュトロン公国でさえ、キュアノエイデスの支援を求めたくらいだ。


考えたくない結末がサイラスの脳裏に浮かぶ。


(今このキュアノエイデスで仮に異形の軍団に勝利したとしても、それで終わりではない。情報は少ないが、世界一の大国から異形が攻めたとあれば、よほどの自信がなければ不可能だ。現にエリュトロン公国ですら未だに吉報が届かないとあれば、敵の軍勢はエリュトロン公国と拮抗する程強大だということ。それはつまり、エリュトロン公国が敗戦するような事があれば、世界は――)


「サイラス隊長」


サイラスの隣を歩いていたリシルが心配そうに顔を覗き込む。


「大丈夫ですか?」


「あ、あぁ……私は平気だ。すまないな」


平素を装っていても、リシルはサイラスの表情から漂う気持ちをその目で感じていた。


「隊長、俺たちは負けませんよ。大丈夫ですって、なんか、なんとかなるって思うんですよ。根拠ないですけど、カフカだって大型の異形と小型の二匹をいっぺんにやっちまったんですから。それだけ強いんですよ人間は。だからそんな顔しないでくださいよ。人間は――人間は強いんですから」


リシルは胸を張ってドンと叩いた。


何の根拠も無いが、それでもその言葉にサイラスは思った。


「そうだな。人間は強い――か。隊長として、お前はその部下として、そして軍隊の一員として、私たちには私たちに出来る事をするべきだな。ありがとう」


「いやっ、お礼とかいいですって! あ、ほら、あの子がそうじゃないですか? おーい、大丈夫か?」


頬を若干赤らめたリシルは、照れ隠しついでに倒れこむ女性の元へと駆け寄り、身体的に異常はないかと調べ始めた。


「大丈夫そうです。気は失っていますが、擦り傷くらいで済んでますよ」


「よし。戦線を離脱する。リシル、お前は彼女を頼む。殿は俺がやろう」


「了解っす!」


サイラスの手を借りてカフカの妹をリシルの背に乗せると、氷の蔦を縫うように引き返し、靄の視界から抜けた所で走る速度を上げる。


「いいか、異形が現れたとしても戦わずに行け。彼女はカフカが命を賭けて守った。我々も命を賭けて彼女をカフカに合わせる義務がある」


「ええ、合わせてやりましょう……カフカも無事ならいいんですけど」


「大丈夫だろう。今頃は本部の近くまで行っているはずだ。まぁ、カフカには軍規違反相当の罰は受けてもらうつもりだがな」


それを聞いたリシルは、懇願するような目でサイラスを横目で見る。


「……そんな目をしても駄目だ。彼女の勝手な暴走で民間人は一人救えたという結果は事実だ。だが、お陰で俺の隊はもはや隊とは呼べん戦力になった。この状況でもし――」


サイラスはゾッとした。


足を止め、背筋が悪寒で震えたその先を振り返り見る。


「たい……ちょ……」


リシルの顔も一瞬にして凍りつく。恐怖や絶望が身を包む。


一体どこから現れたのか、背後からはミノタウロスが二体、ゴブリンが数体、恐らくは異形の小隊が合流した規模の中隊が背後から奇声を上げながら迫ってきていた。


「隊長! 何やってんですか! 逃げますよ!!」


「……お前は先に行け」


「はぁ!? 何言ってんですか! 無駄に死にますよ! 本部まで逃げれば、あいつらなんて――」


「いいから行けぇ!! 隊長命令だ! 背いたら軍法会議に放り込むぞ!!」


「でも――」


それでも引き下がるリシルに、サイラスはその頬に一発くれてやる。


「――カフカの妹、頼んだぞ」


涙で滲み始めたリシルの目は、サイラスからの激を受けて奥に光が宿る。


リシルは、その背におぶっている命の重さを踏みしめながら、何も言わずにサイラスを置いて走っていった。


「さて……」


サイラスは腰に巻きつけてある革袋から、拳程の大きさの玉を取り出し、剣の先に刺してから上空高くへと放り投げる。


空に投げられた玉は数秒の後に爆ぜ、赤色の煙を空へ立ち上らせた。


救援を呼ぶ際に使用される赤色の救援玉だ。


混戦状態の現状で、気休めにしかならないとサイラスは分かってはいる。


だが、自分自身もここで死ぬわけにはいかないと、その手に握り締めている長剣を構え、迫り来る大型の異形を鋭い眼光で見据える。


真っ先に飛び出て来るゴブリンが奇声を高々と上げ突撃してきた――時。


「グエエェ!?」


「ギイイィィ……っ」


サイラスの前方数メートルの地点で、ゴブリンは断末魔を上げて地面に崩れ落ちる。


その骸の片隅に躍り出た、髪を真っ赤に染め、両手にはそれぞれに剣を握り締めたアイサが立っていた。


「無事かサイラス!」


「アイサ……か!? まさかお前が来てくれるとはな! しかしなんだ。戦場のお前は相変わらずだな《鮮血姫》さんよ」


「その名で呼ぶな。こいつらの血を浴びているのだと思うと吐き気がする」


苦虫を噛み潰した様な顔をし、アイサは傍らでもがいているゴブリンの頭蓋に剣を突き立てる。


味方を殺されたからか、新しい獲物が出てきたからか、前方から迫り来るミノタウロスがけたたましい咆哮を上げる。


「さて……勝ち目があるか分からんが、準備はいいだろうな?」


「ふっ、愚問だ。お前がやって来なければ二体とも俺が始末をつけていたわ」


「強がりはよせ、救援玉を放った口がよく言うな」


「戦場で女に助けられたとあっては騎士の名が廃れてしまうものでな」


「それを強がりと言うん……だっ!!」


飛び出た片方のミノタウロスが巨斧の斬撃を振り下ろす――が、アイサはその刃先を両剣で受け止め、即座に受け流し、地面に叩きつける。


すかさずサイラスは両腕に渾身の力を込め、未だ地面に突き刺さる斧を握る得物へと剣の切っ先を突き下ろした。


ミノタウロスが得物を握っていた二の腕を貫通し、耳元で悲鳴が響く。


「ふんっ!!」


間髪入れず、サイラスを剣をねじり、腕の筋が切れる感触がその手に伝わる。


「グギャアアアアアアアア!!」


悲鳴が断末魔に変わり、ミノタウロスは顎を空高々と上げ、大空に吠える。


「ハアアアアアアアアアアアアア!!」


サイラスの剣により、深く固定された腕を駆けるように昇ると、アイサはその双刃を構え、鋭い剣先をミノタウロスの両目に深々と突き刺した。


砕ける骨の感触が剣から手に伝わるのが一瞬、二つの刃はそれぞれに姿を現し、真紅の血が伝い流れた。



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