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第5章 この世界の為に、俺は戦う

「ハアアアアアアアアアア!」


双刃が廊下に躍り出る。


二本の剣撃により、異形の者――ゴブリンが次々に倒されていく。


鬼の形相で勇猛果敢に進む女剣士――アイサは、両手に力を込めて目の前の敵を屠る。


足の歩みを止めることなく斬り進むその姿は、敵の目からは死神に映るに違いない。


アイサの後に続く悠里は、アイサの強さに身震いする。


「アイサさんってこんなにも強いのか……。敵を全部一撃で倒してるぞ」


「アイサはこの国を守る近衛兵団の副長です。異形の者なんかには負けるはずないですよ!」


悠里の隣で何故か誇らしげなアイリスは、悠里に手を引かれて懸命にアイサの後を追う。


「喋りながら走るな。黙って付いて来い」


前方を行くアイサにその会話が届いていたらしく、前を向きながらアイサが怒鳴る。


条件反射なのか、アイリスが空いている方の手で口を軽く塞ぐ。


だが、すぐに手を離して息を整えようと呼吸が激しくなる。


(無理もない――か)


悠里もアイリスの走るペースが若干ながら遅れ始めていることに気づいている。


繋いでいる手に徐々に力が入っているのだ。


体力はあまりなさそうなのは見た目にでも分かるほど華奢なアイリスが、敵との遭遇戦をしながら目的地まで駆け抜けるという行為はかなり心臓に負担が掛かっている。


「はっ……はっはっ……」


慣れ親しんでいる城内のはずだが、アイリスの息が上がり始める。


奇襲されなければ、アイリスは今頃はギリアム公王――アイリスの父親との交渉をしている段階になっている手はずだった。


それでいなくとも、悠里からの突然の告白に戸惑い、更には敵の奇襲だ。


思考回路が追いつかない程に目まぐるしく変化していく状況に、アイリスも神経をすり減らしている。


それが如実にも体への負担へと変わっているのは、見ればわかる通りだ。


悠里はアイリスに合わせようとペースダウンしようとするが、いつ敵が背後から襲って来るか分からない以上、それなりのペースで走らなければならないことは理解していた。


それ故にアイサが先陣を切って切り込みをして活路を開いている。


このままペースが落ちれば、敵に包囲されてしまう危険がある。


そうなれば一巻の終わりだ。


そこで、悠里は思い切って立ち止まり、その場にしゃがみこむ。


「アイリス、俺の背に乗ってくれ。早く!」


「えっ……はっはっ……はいっ」


アイリスは一瞬戸惑うも、すぐさま悠里の背に乗る。


「いくぞ! しっかり捕まってくれ!」


「はいっ」


立ち止まった分を取り戻す勢いで悠里はアイサの背を追う。


アイリスを背に負った悠里は、自分の体力がどれほど持つか分からないでいたが、アイリスが思った以上に軽かった為、また完全な二次元の世界とも言わんばかりの事態に、不謹慎ながらも心が高揚していた為、多量にアドレナリンが分泌しており、アイサの背に追いついた時点でも、さほどの疲れは出ていなかった。


「あとどれくらいですか?」


「すぐそこだ。ここまでくれば心配はいらないだろう……。よし、あそこの扉だ。付いて来い」


廊下の突き当たりにある扉の前まで来ると、アイサは周囲に敵がいないかを確認し、ドアを開けて中へと入る。


悠里と、その背に負ぶさっているアイリスもまた同様に入ると、アイサがドアを閉めて呪文を唱える。


「……よし、簡易だがドアを結界で封印した。しばらくはここも持つだろう――さて、参りましょうか」


アイサは両手に持った剣を腰にある鞘へと入れると、口調も以前に戻った印象になり、悠里を案内する女中さながらに何事もなかったかのように歩き始める。


(公王直属の近衛兵団の副隊長か……戦闘モードと公務モードって感じで分けているのか)


変わり身の早さに悠里はそんなことを思ってしまう。


それを感じ取ったのか、背に乗っているアイリスが悠里の耳元に顔を近づけて囁く。


「アイサは訓練とかだと鬼教官になるんです。でも、それ以外のお仕事では優しくて表裏無い人だからあまり驚かないでくれると嬉しいです」


耳元で囁かれた悠里は、「なるほど……ぅぇっ」と納得しつつも顔を青くする。


思えば、敵との遭遇時は必死になって悠里は背中に負ぶったアイリスを守っていたので気にならなかったのだが、現在この時は、顔を近づけているせいもあり背中にお腹がぴったり密着している。


アイリスの温もり、背中に押し当てられる二つの膨らみの柔らかさ、耳元に近づく唇の気配と呼吸等が合わさり、つまり――。


「……吐きそう」


「わっわっ! ごめんなさい! すぐ降りますね」


「いや、俺の方こそごめん……ぅぇ」


「だ、大丈夫ですか……?」


女性恐怖症による症状と、アイリスを負ぶって走ったことによる疲労とが一気に押し寄せ、悠里は思わずその場に蹲る。が。


「休んでいる暇はありません。先を急ぎますよ」


容赦の無いアイサの一言。


(……本当に優しいのか?)


苦笑いを浮かべる悠里は、アイリスに支えられるように(あまり密着しないように)アイサの後を再び歩き始めた。


悠里達が入った部屋は、一見ただの応接間の様だが、奥にある机の裏側に隠し階段が存在する。


アイサが呪文を唱えると、軽い地鳴りと共に階段が出現し、辺りに気を配りながら一行は階段を降りてゆく。


キュアノエイデス城にはこうした地下へと続く隠し階段が無数に存在しており、呪文を唱えれば誰彼もが地下へと避難出来る仕組みになっており、その各通路は最終的に一つの広間へと繋がっている。


その広間の先に、聖域は存在する。


聖域は、アイリスが異世界へ渡るための書物を手に入れた場所でもあり、その手前の部屋は禁書やその目録、手記や伝記等が所狭しと置かれた書庫になっており、この部屋には特定の人物しか入室を許可されていない。


本来ならば、一般市民や一般兵、魔法兵は全般立ち入りを禁止されている区間だが、事態の重さをいち早く考えた公王は、場内の人をまとめあげて聖域へと避難すると決定を下した。


聖域という場所は、強固な結界に守られてある神が残した遺物を祀ってある神聖な区域だが、逆にその結界が人を守ってくれるという判断の上だ。


地下へと入る時点で入口には呪文が必要不可欠なので、地下にさえ居れば安全面は確保出来るものの、用心するに越したことはないと公王はこの区間を解放すると宣言する。


公王は、聖域より、民の命を尊重する王であるのは言うまでもない。


悠里達も歩くこと数分の後に、地下大広間へと移動できていた。


そこそこ広い地下空洞にはあまり人はおらず、兵士が数人見張っている程度のものだった。


その内の一人が、アイサの元へ駆け寄ると、背筋を伸ばして敬礼をする。


「ご苦労。避難の状況は?」


「はい。避難の方はあらかた済んでおります。しかし、予想よりかなり人数が少ない模様で、城下や城内へ捜索する部隊が今しがた出撃していきました」


兵士の報告を聞いて、アイサは唇を噛んだ。


まだこれから避難をしてくるという状況はあまり芳しくない。


本来ならば避難勧告を出した時点で避難誘導を強制的にやらなけば国民の安全は保証出来やしない所を、公王がそれぞれの自由としたせいで避難をしていない国民や一般兵が突然の敵襲に対応しきれていない証拠だ。


今からここへの避難誘導をするのでは明らかに遅すぎる。


敵がどれだけ攻め込んでいるかは不明だが、アイサがこの広間に来るまでの間でも軽く六、七体は屠っている。


最上階の王室から地下広間までとは言っても、直線的な距離で言えばさほど距離は無い。


それを城下やこの城の隅々まで捜索に当たらせるとなれば、それこそ幾重にも戦闘が開始されていることだろう。


アイサは幸いにも小型の異形の者――ゴブリンと戦闘し、ゴブリンの戦闘力程度ならば新兵卒でも余裕で相手に出来ると体感したが、敵にはそれ以上の実力を持つものも必ずいるはずだ。


でなければ、あの大国であるエリュトロン公国が苦戦するはずがない。


公王は国民の意思を汲んだが為にこの結果を招いたのは言うまでもないが、元々がこの国で生涯を終えたいという人たちが残っているので、各々の責任ということにはなるが――。


それでもアイサが唇を噛んだのは、一人の命でさえも、失って欲しくないからだ。


「……分かった。私も捜索隊を組む。適当な人材を見繕ってこの場所へ寄越せ。三十秒で出発する」


「はっ。只今」


アイサからの命令に返事と敬礼をした兵士は直様後ろを振り向いて奥の扉へと消えていった。


「アイサ、行ってしまうのですね」


「……アイリス、心配は無用だ。私達兵士は国民の安全性を保つ義務がある。戦いが兵士の仕事だ。アイリスとアオミ様は早く聖域へ行き、避難してくれ。ここも安全とは言い切れない。私の仕事を増やさないでくれよ」


皮肉を言うアイサに対し、アイリスは微笑みを浮かべてアイサを抱きしめる。


「……また、会いましょう。アイサ」


「ああ、無論だ。……この国は必ず守る。お嬢様、あなたの事も」


「はい」


アイリスを見下げるアイサの表情は、どこか優しげでそれでいてとても慈愛に溢れていた。


そっとアイサから離れたアイリスは、少しだけ目に涙を貯める。


「お待たせ致しましたアイサ副長。我々で宜しければ任務に就かせて頂きます」


いつの間にか鎧に身を包んだ男たちが五人アイサの傍へとやって来て、横一列に整列する。


アイサはアイリスに一瞥すると、戦闘時と同様の表情をして兵士に激を飛ばす。


「我々はこれから敵の掃討及び民間人の捜索に当たる。貴様らに拒否権は無い! 貴様らの命はたった今から私の所有物だ。死ぬ気で私の手足となれ、敵前逃亡はその場で斬首する。そして、私に断り無く死ぬな! 行くぞ!」


「「「「「はっ!!」」」」」


兵士たちは一斉に剣を抜き放つと、先陣を切って走ってゆくアイサの後を追いかけてゆく。


アイサ達が通路奥に消えてゆくまで、悠里とアイリスはじっとその方向を見ていた。


アイリスは武運を祈るように目を閉じ、胸の前で手を組み、アイサ達の無事を祈る。


悠里は、ただただ一連の流れを見ているでしかなかった。


本当に戦闘が――戦争が、始まっている。


悠里のいた国では想像だに出来無い事態が目の前で発生しているのを、まだ完全に飲み込めないでいた。


先のゴブリンとの戦闘も、アイサの圧倒的な強さの前に散った程度の敵ならば、心のどこかで余裕が生まれている。


アイサ達が居れば、この戦いには勝利できるのではないかという安易すぎる考えだったが、そうでも思わなければ心の中にある恐怖が溢れ出してしまいそうになっていたからだ。


悠里は、アイサ達の勝利を確信して疑わないでいた。


傍らにいる祈りを捧げているアイリスを見る。


「アイリス、そろそろ行こう」


「あ、はい……」


悠里に促され、アイリス達は更に奥にある扉へと足を動かす。


避難さえしていれば安全。


そう――勝利を疑わないということは、避難していれば事は全て安全の内に終わる。


今思えば楽観的過ぎる。と、自嘲して当然の考えを、悠里は後悔するとも知らずに。




☆★☆




キュアノエイデス公国、キュアノエイデス城、地下一階、聖域区。


広々として、暖かく明るいこの空間の中央を中心に、街や兵士達が寄り添うように固まっている。


中心から半径約二十メートル、天井高くまで伸びている光の円筒状の結界により守られているこの聖域に避難しているキュアノエイデス公国国民の中に、ギリアム・アーケンシュッツ公王その人もいる。


周りを囲むようにして座っている国民一人一人を励ますようにして語りかけているその様は、とても手の届かない国王というよりかは、皆の安心に寄り添う善き隣人の様でもあった。


「皆の者、安心せい。この地は神より賜りし聖なる結界に守られておる。邪悪な異形共など、踏み入ることすら叶わん。心して安心するが良い」


公王を取り囲んでいる国民達は、公王の言葉を聞き平常心を取り戻しつつあった。


公王がこの聖域に来る前に、既にあらかたの避難者が結界の中へ避難していた。


だが、不安や恐怖で辺りにいる兵士に当たり散らしていたり、すすり泣く声や、うめき声まで聞こえていた。


それぞれが、どの様な体験をしてきたかは分からないが、城内へ敵が攻め入ってる経緯からしても、皆がそれと同様の体験をしたに違いない。


実際目の当たりにする恐怖とは、人の精神を軽く振れさせる。


公王は自らが中心へと赴き、国民に語りかけるようにして心を静めることをしなければ、たちまちの内に非難の中心にあったかもしれない。


「我が公国きっての精鋭である近衛兵団が聖域への通路の防御に従事しておる。例え強大な敵であろうと、この聖域と近衛兵団がいる限り、決してこの地に異形の足は届かんて。仮に異形が攻めてこようとも、我が身が盾となり、必ずやそなたらを守り通す事を誓おう」


この言葉で、結界内に「公王様」が木霊する。


その言葉に涙する者や、尊敬の眼差しを向けている者、心の闘士に火が付いた者、各それぞれが先刻までの不安や恐怖など一切感じさせていなかった。


――公王、ただ一人を除いて。


(……我が言うには容易い事よ。だが、実際はそうもいかんだろう。聖域の結界がどこまで耐えられるか、国を相手に戦う異形に、過半数を割る近衛兵団でどこまで持ちこたえられるか。仮にこの聖域を敵が見失ったとしても、地上はもう――。されど、我はこの国の王。我が命果てたとしても、せめてここにおる民らを守ってはくれまいか。神よ――)


ギリアム公王は、周囲を見渡し、彼らの心に平常心が戻っていくのを感じ取ると、自身の内で神に祈った。


例え勝機のない戦いだとしても、必ず彼らが助かって欲しいと、切に願う。


神の遺物を守る結界に、最後の希望を託し、公王はその場にいる人々一人一人に声をかけ始める。


彼ら一人一人に、神のご加護があらんと祈る為に。





恐らく全員祈り終わったであろう時、結界の外側から大声で叫ぶ者が来た。


声のする方角の外側にいる人たちが、歓声を上げる。


「公女様! 公女様がおいでになった!」


その声が公王の耳に入ると、公王は民をかき分けて声のする方角の前列へと急いだ。


公王が次第に結界の外側に近づいてく度に、辺りの歓声はますます大きくなる。


しかし、その場に全員が立っているこの状況で、前に進めずにいた。


公王は急く心をなだませながら、前にいる屈強そうな男に声をかける。


「す、すまない、前を通しては貰えんか?」


「こ、公王様!? も、申し訳ございません! おい! 公王様がお通りになられる! 道を開けないか!」


「おお、ガラハムではないか。そなたも無事だったのだな」


ガラハムと呼ばれた大男は、膝をついて会釈する。


「はい。先ほど避難民を連れて聖域へ案内した所です。公王様も、よくぞご無事で……」


「うむ。我はこの国が死なん限り死にはせん。……そうじゃ、聖域の中心辺りに、そなたの嫁と子供がおったぞ。大層心配しておった故、顔を見せてやると良い」


「妻と子は無事だったのか――! ありがとうございます! 先から探していたのです。公王様、心から感謝致します――。あ、こんなことをしている場合ではないですね。さ、公王様、僭越ながら私目が先導いたしましょう」


「良いのか? そなたも早う会いたいだろうに……」


「何をおっしゃいます。公王様こそ、早くお会いになられたいのでしょう?」


「……すまないな。公王と言えど、やはり娘の事が気が気でならんのでな。私情ですまぬ」


「そういう公王様だからこそ、皆が好いているのですよ。では、参りましょうか。……公王様がお通りになられる! 道を開けないか!」


ガラハムの一言で、周りにいた人々が一斉に公王の存在に気づき、我先とその場から後ずさる。


「すまない、皆の者。ありがとう……」


公王はガラハムに先導されながら、結界の外側へと目指す。


外側付近では、手を振っている者や、「公女様」と大声を張り上げている者もおり、その存在を目で確認しなくとも、その先に居ることがはっきりと伝わってきていた。


そう――はっきりと。


「きゃああああああああああああああああああ!!」


「こ、公女様! お逃げになってください!」


「なんてことだ……公女様!」


歓声から一転して、外側にいる人達から悲鳴が沸き起こる。


「なっ、何事だ?!」


事の重大さを感じたガラハムは、公王と視線を交わすと、無理やり人をかき分けて進んでいく。


人々の悲鳴が上がる中、公王は最悪の事態を予感していた。


そして、ガラハムが人ごみを無造作に掻き分け、その後を必死で追う公王達が、結界の外側にたどり着き、その目に映った事態に、息を飲んだ。


事の状況を確認したガラハムが、いの一に結界から飛び出し、腰に携えてあった剣を引き抜き、前方にいる公女、悠里の方へ駆け出していく。


公王はただ、その場で現実に起きている悲劇を、見ているでしかなかった。



☆★☆




天井高く積み上げられている書庫に隠されてあった扉を開くと、俺は思わず声を上げた。


「あれが聖域です」


隣にいるアイリスが、何故か誇らしげに胸を張る。


地下へ降りてきた時の広間とは比べ物にならない規模の広さの空間に、中央部には円筒形のカーテンの様な光が流れていた。


言葉で説明しろって言われたら出来無いくらい、凄い光景だ。


無理やり言うなら、光の水が円筒状に滝の様に包み込んでいる……感じ? ごめん。やっぱ説明出来無い。


天井から地面まで隙間なく張ってあるその光の中に、人がいるのが見える。


「あれは、避難してきた人かな?」


「ええ、恐らくそうです。私達もあの中へ入るんですよ。あの光が結界なんです」


「ん? あの空中に浮いてるのは?」


「あ、あれは神の遺産です」


「ああ、あれが……」


薄目で見ないとよくわからないが、人がいる地面から数十メートルくらい空中に、何かが浮かんでいる。


あれがアイリスの言っていた神の遺物――なのかな?


あの遺物から異世界へ渡る方法を発見したんだっけか。


アイリスが俺の家に来て間もない頃の話を思い出しながら歩く。


――と。


「公女様……?」


「まさか、生きて――」


「おおーい! 公女様がこっちへ歩いてくるぞ!」


前方の結界の一番外側にいる人たちが、俺たちの存在――もとい、アイリスの存在に気づき、ざわついてくる。


次第にそのざわつきは歓声へと変わり、ドーム全体に響くまでの大歓声になるまでに時間はかからなかった。


怒号の様な大歓声に、俺は少したじろぐ。


公女という存在がどれほどの支持があるか予想していたつもりだったのだけれど、直で感じると何倍もの凄さを感じる。


ここには国民としてほんのひと握りの人達がいるだけなのに、まるで全国民から声援を受け取っているような感覚になる。


……いや、アイリスは身を呈してまで俺の世界に来たり、自分から国の為に常日頃尽くしていたに違いない。


それをこの国の人たちは知っているのかもしれないな。


だからこそ、みんながアイリスをこんなに慕っている。


アイリスを見ると、嬉しそうに手を振り返している。


ああそうか――と思った。


俺はアイリスと出会って過ごした今までは、何かしら違和感を感じていた。


それがやっとわかった。


アイリスは公女らくしない。


公女って、要はお姫様って事だ。


ファンタジーの世界のお姫様って、なんかこう高貴な存在で、厳かでいて手の届かない高嶺の花、顔を拝むことすら叶わないようなそんな人を想像するだろう。


俺だってそうだ。


ゲームやアニメなんかには、お姫様絡みの物語が多くてある意味では身近に感じてしまうが、そういうのは主人公が特別な力を持っていたり、囚われていたお姫様を救出してフラグが立つとかそんなベタな展開からでしか接触出来無いのが普通だ。


俺に関しては運が良かっただけの事で、物語の主人公の様な、そいつじゃなければ成り立たないんじゃなく、俺は俺じゃなくても成り立つ物語の上にいる。


だから、アイリスが公女と知った時には敬語とか、もっとなんかこう執事的なおもてなしをしなきゃいけないのかと考えたりもしたんだけれど、失礼な話アイリスと話していく内に、なんだかほんわかしてたり、人前で普通に落ち込むし、はしゃぐし、笑うしで、お姫様っていうよりは普通のヒロインって感じで――。


でも、だからこそなんだ。


みんなの手の届かない存在だからじゃない。


みんなの手の届く身近な存在だからこそ、こんなにもみんなが手を振って歓声を上げている。


俺は隣に立っているアイリスが、なんだか前よりも輝いて見えた。


いや、実際輝いて見える。


こんなにも華奢なのに、こんなに立派なんだから。


まだ絶賛片思い中で、他人な俺だけど、俺もなんだか誇らしくなった。


……ま、よく考えればアイリスはこれが日常なのかもしれないんだけどな。


ともあれ、アイリスと俺は目を合わせて大歓声の元へと走り出した。


――刹那。


後方から爆音が轟く。


心臓が口から出そうなくらいビックリして、駆け出しそうになった足を止めて俺は後ろを振り返る。


「な……んですか、あれ……」


アイリスも同じように俺と振り向いていた。


さっきまでの嬉々とした表情は消え失せ、不安と恐怖の表情に顔を曇らせている。


さっき俺たちが入ってきた扉は、既に上部にあった瓦礫に埋もれ、見えなくなっている。


だが、その上部に空いた穴から、何かがこちらを覗き込んでいる。


俺は、その正体を見た瞬間に、一言、口に出した。


「……ミノタウロス、かよ」


ミノタウロス。


神話やゲームによく出てくる首から上が牛の化物の事だ。


ミーノース王が白い牝牛をポセイドンから借りるが、それを自分の物にしてしまい、激高したポセイドンがミーノース王の后であるパーシパエーを牛と交わらせて出来た子供で、名をアステリオス。ミーノース王の牛という意味で、ミーノータウロス。ミノタウロスと呼ばれるようになる物語だ。


結局は迷宮で生贄の女たちに紛れ込んだテーセウスがミノタウロスを倒す事になるのだが、色々あって悲しい物語なんだが……。


「ギュギョオオオオオオオオオオオオオ!!」


……こいつの情報を脳内整理している場合では無さそうだ。


「アイリス、逃げるぞ!!」


俺は恐怖に震えるアイリスの手を無理やり引っ張ると、結界目掛けて走り出した。


ガラガラと瓦礫が崩れる音が後ろで響くと、ズシズシと化物がこっちに走ってくるのを感じ取れる。


なんだってこんな時に!


あと少しで安全地帯なのに、ツイてない!


苛立ちと恐怖心で押しつぶされながらも、俺たちは手を繋いで必死に結界へと走る。


避難している民衆からの悲痛な叫び声が事の悲惨さを想像させるのを容易にさせている。


そして、その悲鳴が次第に大きくなるにつれて、俺は背後に迫る殺気めいた何かを確実に感じ取っていた。


「嘘……だろ」


一際に民衆からの悲鳴が轟くと同時に、俺は後ろを振り返る。


俺たちが走り始めた位置がおおよそ入口と結界の中間地点付近だ。


実際、俺からしたらこの距離なら間に合うと思っていたし、全力で走ればギリギリどころか余裕で避難出来るだろうと踏んである程度は安心していた。


ドスドスと地鳴らせながら迫る怪物は、俺の想像を遥かに超えていたとしか言い様がない。


中間地点と結界の中程まで走っている俺たちの、背後おおよそ数十メートルまで既に迫ってきていたのだから。


ありえない。


その一言で精一杯だった。


あの巨躯で、手には見るだけで何十キロもの重さがあろう鉄斧を引っさげているというのに、この身体能力。


アイサさんが戦ったゴブリンとは比べる程もない化物。


この国は……こんなのに狙われていたのか。


クソ! クソが!! 


リアルはクソゲーだと何千回も口にした俺からして、これはクソゲーのなにでもない。


こんなクソゲーで無理ゲーでチートゲーなリアル、誰得なんだと叫びたい。


だが、この化物はすぐそこまで迫ってきていて、俺がこうして思考している間にも抜かさんとばかりの勢いは止まろうとはしてくれない。


「公女様! 早くこちらへ逃げてください!」


一際大きい声が前方から聞こえ、振り向くと、甲冑に身を包んだ中年の男が剣を手に持ちこっちへと駆けてきた。


恐らくは近衛騎士の一人だろう、その男は俺たちに避難を促しながら全力で向かってきてくれている。


――――が。


俺の頭で考える間でもなく、その男も見ているから分かっているはずだ。


間に合わない。


既に俺たちの後方数十メートルまで迫ってきているこの化物の脚力はほんの数秒足らずで俺たちに得物を振り下ろすだろう。


当然、援護に打って出てくれた騎士が化物と対峙する前に。


迷っている暇はない。


俺はアイリスの手を離し、叫んだ。


「アイリス! 先に行け!」


「ユーリ様!?」


「振り返るな、行けええええええええええ!!」


俺の覚悟を汲み取ってか、アイリスは戸惑いながらも俺を置いて走る。


これでいいんだと、俺は安心した。


アイリスの背中を見送り、振り返る。


「オオオオオオオオオオオオオオオッ!!」


ミノタウロス風の化物は、勢いを落とすことなく俺へと突進してくる。


……よくあるベタな展開だな。と思う。


大事な人の為に命を投げ出して庇う。


こんなシーンってのは、お涙頂戴とか、その後の主人公を左右するフラグだったりして、そういうイベントって括りでしか俺は感じていない時が多い。


でもなんだ。そういうのは演出で、それでもってその後のフラグやフラグの処理に使われるっていう意味合いじゃないってのも分かっている。


自分を犠牲にして何かを守るってのは、そう簡単に決められるもんじゃない。


命一つ犠牲にするんだ。覚悟っていうよりは、使命感っていうのか?


そういう譲れない物があって、命を捨ててでも守りたい物の為に自分を犠牲にしているんだ。


もちろん、理由はそればかりじゃない。


俺も、片思いってだけで、まだ俺自身返事すら聞いてないし、なによりまだ他人だ。


自分の命を天秤に掛けてアイリスを守る理由はそれだけでいいのかっていう俺ももちろんいる。


でも、そういうんじゃないんだ。


俺は化物の前に立ち、両手を広げて睨みつける。


「来やがれ化物!! アイリスは俺が守る!!」


我ならがくっさいセリフを臆面もなく吐き捨て、震える手足を必死に踏ん張らせる。


そう、それだけじゃない。


俺は、アイリスにまだなにもしてやれてない。


俺がアイリスになにかしたか?


俺がこの国に来て、役に立ったか?


俺はまだなにもしてない! 俺は、俺はアイリスの覚悟をただただ見てきて、なにかしたいと思ってるだけでなにも行動してないただのヘタレ野郎だ!


今ここで、俺がアイリスが助かる可能性になれるなら、喜んで盾になってやる。


アイリスの希望の為じゃない。アイリスが希望だから、アイリスがいるからこそ、この国はまだ国でいられているんだ。


――――だから!


「行くぞ化物があああああああああああああ!!!!」


俺は走った。


はち切れそうな心臓の鼓動なんか無視して。


ただ、俺は何か、アイリスの何かになれるなら、なんでも良かったんだ。


惨めに家に引きこもって、陽の光を何日も浴びないで過ごしていた毎日。


家族にも見捨てられ、人生に目標すらなく、排他的で、自堕落な生活を謳歌し、それに浸っていた人生。


誰も手を差し伸べず、誰にも手を差し伸べなかった俺に、アイリスは、アイリスだけは俺を――――。


「うぉぉぉぉぉおおおおおおおおおお!!」


たった数秒、それでいい。


アイリスが助かるなら、俺は――――。


パンッ。


地鳴りの爆音と、化物が怒号する中に、一つ。弾ける。


分かってたさ。そのくらい。


俺一人、何にもできない一般人が盾になろうとも生身一つのこの体じゃ、何も守れない事くらい。


化物に対峙し、鉄斧の横殴りで空に弾き飛ばされた俺は、無情な放物線を描いて壁に叩きつけられた。


一瞬、呼吸が出来なくなり、地面へと落ちる時には全身に生涯味わった事のない激痛に包まれるが、体の一切が動かない。


……死ぬ、のか。


直感でも可能性でもなく、俺は本能でそれを理解した。


朦朧とする意識の最中、指一つですら動いてくれず、辛うじて目をか細く開けれる現実に、無力を感じた。


……結局、何も出来なかった、な。


悲痛だった。無表情のまま、生気のない目からは流れるように涙の筋が伝う。


彼女の希望だった俺は、援軍を呼べるでもなく、主人公になれる力があるでもなく、異世界へ避難させるべくもなく、盾にもなれずにここに朽ちた。


力なく項垂れる体に反して、心は荒ぶる。


無力すぎる。


本当に、無力すぎる。


何か一つでも役に立ててもなく、俺はここに横たわっている。


あの化物を、一秒でも、二秒でも足止めできると思っていたのに、結局は羽虫の様に弾かれて終わった。


涙は止まることなく両目から溢れ、力ないまま唇を噛み締めた。


薄ぼけて見える両目から得られる情報は無く、意識も途切れてきた。


――――悔しい。


俺は生きながらにしていらない粗大ゴミだったのか。


所詮、一般人の底辺が何しようと無理だったのか。


命を投げ出してまで守りたいものも守れず、俺の存在自体がこの世界からしたらどうでもよかった。


そんな感じさえする。


でも……それでも俺は守りたかったんだ……っ。


両目からは溢れる涙で視界が余計にボヤけ、世界が霞んでゆく。


悔しい、悔しすぎる。


……でも。


俺には、もう、何も出来無いんだ。


体からは不思議と痛みが消え、全身から力が無くなる。


このまま地面と一体化するような、そんな気分に、俺は恐怖を感じないでいる。


ある意味、もう解放されたんだ。


俺は、意味の無い、しがらみも、何かを理由にして生きる事が無くなるんだと思うと、心が少し軽くなって、なんだか眠くなってきた。


俺の人生、これからどうなろうとどうだってよかったんだと思って、ここで少しでも彼女の役に立ったのかなと思って、無に溶け込んでいく自分を少しずつ受け入れている。


なんだか、楽になってきた。


もう目を開ける必要も無い。流れる涙は止まらいけど、俺はもう、楽になっていいんだよな。


死ぬ時が来たんだなと、頭でなんとなく理解して、なんとなく目を閉じる。


俺の人生、生まれ変わったら今度はリア充でありますように――――。


「――――様! ――リ様!!」


ああ、なんだか、声がする。


「――きて! ――きてください!」


天国からの誘いなんだろうか?


体の感覚が無くなる中で、俺は頬に落ちる何かを感じる。


「ユーリ様っ……ユーリ様、起きて……起きてくださいっ……」


どうやら天国じゃないみたいだなと、気力を振り絞って両目を開ける。


アイリスが――――いた。


両膝を地面に着いて、俺の顔に涙を落としながら、顔をぐしゃぐしゃにして泣いている。


俺の――――俺の名前を呼びながら。


「ユーリ様ぁ……生きて……うぅっ、生きてぇっ」


大粒の涙が俺の頬に次々と落下し、それを必死で拭っているアイリスがそこにいた。


俺は、言葉が出なかった。


逃げたんじゃないのか? 化物はどうした? 避難しなくていいのか?


色々な思考が巡り、そのせいもあってか次第にはっきりとした意識が根付いてくる。


動かない体をそのままに、ハッとして目を見開いて辺りの様子を伺う。


目の前に泣きじゃくるアイリスの後方では、結界内から飛び出してきた近衛騎士らしき甲冑に身を包んだ騎士が、化物と剣をかち合わせている。


屈強な肉体を踊らせて、両手に持った大剣を軽々と振り、化物と対等に剣戟を繰り広げている。


「ユーリ様ぁ……死んじゃ、死んじゃやだぁぁぁ」


両目に手の甲を当てて泣きじゃくっているアイリスは、どうやら俺が死んだと思っているらしい。


いや、実際俺も死んだと思っていたんだが……中々どうして人間は丈夫に出来てるらしいな。


感覚の無い手をなんとか這わせて、アイリスの足を触る。


それに気づいたアイリスは、驚いて、俺の反応を確かめるように声を掛けた。


「生きて、生きてるんですか!?」


「なん……とか」


辛うじて返事をすると、アイリスはまた両目に大粒の涙を貯めて、溢れさせた。


「よかっ……よかった。ユーリ様ぁっ……」


「……逃げるんだ、アイリス」


今なら化物はあの近衛騎士が引きつけてくれている。逃げるなら今しかない。


――――だが。


「ダメです。ユーリ様も一緒に逃げましょう」


「何言って……」


アイリスは頬に流れた涙を両手で拭うと、真剣な面持ちで俺に言った。


「ユーリ様は、私を身を呈してまで助けてくれました。今度は、私の番です」


「アイリス……」


こんな役にも立たない俺でも、アイリスは自分を助けてくれたと思ってくれている。


そう思うと、目頭が熱くなってくる。


俺は、あれで彼女の役に立てていたんだなと、無駄なんかじゃなかったんだと、彼女の言葉でようやく実感出来た。


「ありがとう、アイリス」


涙を堪えながら、俺は笑う。


「お互い様ですよ、ユーリ様っ」


彼女もまた、笑う。


無駄なんかじゃなかった。彼女の為に命を掛けて盾になってよかったと、心の底から安心した。


「公女様、逃げてください!!」


野太い男の怒号が、聞こえた。


安堵していた矢先、不意打ちを食らった俺たちは、後ろを見る。


ミノタウロス。


その巨躯が、こちらへと迫っていた。


その後ろでは、膝を付いた近衛兵が血を流している。


嘘……だろ。


ミノタウロスは、俺たちの目の前に躍り出ると、鼻息を荒々しく吹付け、両手に持った斧を天高く持ち上げる。


なんで、だよ。


なんでこうなる。


俺はともかく、アイリスが――――。


「大丈夫です」


彼女は言った。


「今度は、私があなたを守る番です」


「アイリス……?」


彼女は悠然立ち上がり、俺とミノタウロスの間に立って、両手を広げる。


「ユーリ様が守ってくたように、今度は私があなたの盾になります」


何を言ってるんだ?


アイリスは、ただ、それだけ言って俺の方を見て、微笑んだ。


斧は、無情に振り下ろされる。


ふざけるな。


誰がこんなクソゲーを望んだ?


俺か? アイリスか? 化物か? 神か?


ぶさけるな。


俺は認めない。


これがリアル。


だから、諦めろと?


ふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなぁぁぁぁぁぁあああああああああああああ!!


「あっ……ぁぁぁぁあああああああああああああああああああ!!」


全身で叫んだ。


心の底から。


微笑む彼女の頭上に、無残にも迫る死の一撃が振り下ろされようとも。


俺は叫んだ。


その叫びに、俺の全てを詰め込んで。


悔しさ、無力さ、絶望も。それをもひっくり返す希望と欲望と奇跡と共に。


俺に、力があれば――――。


彼女は俺の為に盾になって死のうとしてくれているのに、俺はっ――――!!


俺はぁぁぁぁあああああああああああ!!


(力が、欲しいか?)


ドグンと俺の周囲が脈打ち、辺りが一辺の闇に包まれる。


「なんっ……!?」


「なんつって」


「うわぁっ!?」


俺の頭上から、逆さまになって一人の男が飄々と舌を出して笑いかけた。


「いやぁ。驚かせたね。いやでも一生に一回は言ってみたいセリフ百選の内の一つの『力が、欲しいか?』を言えて僕は満足」


「は? いや、え? って、ここは、どこ……だ?」


何が起きた? ここは? っていうか、俺普通に立ってるし体痛くないし、動くし、それ以前にアイリスは? あの化物は? ここは一体……?


「はいはい、そんな一辺に質問されても困るよ。簡単に言うと、ここは君の情報体の中で、まぁ分かりやすく言えば心の中とでも言っておこうかな。んで、僕。神様」


「……は?」


「ごめん。余計ややこしくしたね。でも、理解してもらう時間、無いんだ。君には守るべき人がいる。でしょ?」


「そうだ……アイリスっ! どこなんだ!?」


周囲を見渡しても、その先には真っ暗な闇が広がっており、俺とこの男の二人しかいない。


「お前、アイリスに何をした!」


その男に掴みかかろうとすると、男はくるりと一回転して華麗に避ける。


「理解する必要はない。僕は君だ。そして、僕は神様だ。つまり、簡単に言えば、君に力をあげる。それだけだよ」


「さっきから何言ってんだ?」


「はいはいはいはい。いい加減質問するのは無しでお願いね。時間無いんだから。じゃあこれ。はい」


男が俺に何かを投げる。


それを受け取った俺は、余計に頭が混乱した。


四角く、少し厚みのあるプラスチックの物体には、側面の窪みに見える基盤に、表面に懐かしい絵柄とタイトル文字がプリントされたシールが貼られている。


これは俺が中学生頃に発売された当時の大作RPG『フォース・サーガ』今は懐かしきのロムカセットのそれだった。


スーパーファンタジーコンピュータ。


通称スーファンのカセットで、当時のRPGでは珍しい戦闘システム、リアルタイムロールリングシステムという、戦闘中でも職業を変えながら戦闘出来るというのが売りでヒットした作品で、現在は開発した会社が大手に吸収され、続編の劣化が酷くなり2より1のが面白いゲームとして惜しまれつつも続編が続くことは無かったが、俺が中1の時にハマリにハマったRPGゲームだ。


懐かしいなぁ。


「って、そんなことはどうでもいい! なんだよこれ!」


「それ、インストールしてね」


「インストール!? ロムカセットだぞ!? これ自体が媒体だからインストールもなにも――――」


「だからぁ、ほい」


男は俺の手からカセットを取り上げると、基盤部分を俺の腹に押し込める。


ズブズブと入っていくカセット。


「ぎゃあああああああああああああ!?」


「インストール開始ぃ」


「何してんの!? どうなってんの!? 俺の中にカセット入ってきてんだけど!? インストールって俺に? 俺になの!? あっ、やめて! 入ってくる……入ってくりぅぅぅぅぅぅっ!!」


俺の中にカセットがズブズブ入っていったのを確認すると、男は微笑んだ。


「じゃあ、力はあげたから。僕はまた傍観することにするよ。……せっかく君を選んだんだ。もう少し楽しませてね」


それだけ言うと、男は薄笑いを浮かべながら消えるように薄くなっていく。


「ちょ、待てよ! それよりもここから――――」


チャチャチャチャッチャチャー。


景気の良さそうなファンファーレが盛大に空間に響くと、真っ暗だった辺りが一変して切り替わる。


景気の良さそうな音楽と共に、頭上に見覚えのあるドット調のロゴ『フォース・サーガ』と書かれた文字が出現する。


「ちょ、これって……」


しばらくすると、見覚えのある、懐かしいアニメーションが流れる。


誰も入ったことのない深い森。


龍が徘徊する大きな火山。


魔物が犇めく大海。


誰も到達したことのない暗きダンジョンの最下層。


そして、その先にある世界を苦しめるラスボス。


そして変幻自在に姿を変えながらモンスターと戦う主人公。


このタイトルのムービー見て、心が躍ったっけ。


ワクワクして、ドキドキして、このゲームを買う前日なんか、寝れなくて体がずっとムズムズしてて……。


買って本体にセットして電源を入れてからこのムービーを見て、どれだけ感動したか。


「でも、これがなんだっていうんだ……」


そもそもここはどこで、俺なにをしてるんだ?


昔のゲームに懐かしさを感じてる場合じゃない。


俺は無力で、殺されそうなアイリスを目の前にして。


――――そうだ。


力だ。


誰にも負けない。そして、英雄になれるような、RPGのような主人公の力が欲しい。


ピロリッ。


ムービーが終わり、最初の選択肢が出てくる。


『物語をはじめる』


(力が、欲しいか?)


「俺は、力が欲しい。無力で、何の役にも立たない、ただのモブにはなりたくない」


(簡単に言えば、君に力をあげる)


俺は一つしかない選択肢を指で触れる。


『フォース・サーガの世界へようこそ!』


「俺が世界をどうこうするってだいそれたことは望んでない。俺はただ――――」


『主人公の名前を入力してください』


「俺はっ、アイリスの主人公になりたい! そして――――」


五十音と濁点、半濁点、エクスクラメーションマーク、クエスチョンマーク、空白の正方形の文字列表に指を走らせる。


「アイリスの世界を、俺は守りたい!!」


ピロリッ。


『あなたはこの世界に生まれし光の使徒。邪悪なる存在から世界を救うために生まれました。――――【ユーリ】よ、今こそ立ち上がるのです。』



☆★☆



その光景を見ていた中年の騎士――ガラハムは絶望にかられた。


あの時、この聖域全体を揺さぶる程の地鳴りが遠方から聞こえた時以上だった。


隠し通路に連なられている中心部である聖域には、出入りに結界が随所に張り巡らされており、そもそもの時点で異形の者が入り込むことなど頭の片隅にも無かったのが最初だ。


現に、先の戦ではこちら側の魔法による様々な干渉については異形の者たちには有効で、その結界も例外ではなかったからだ。


そこに安心していた分、敵がそれを打開する等とは露程にも想定していない異常事態と言える。


外壁を破壊し、その禍々しい程の姿を曝け出した怪物は、こともあろうにこちらへと避難してくるはずだった公女と付き添いであろう従者一名を猛追。


ガラハムは事をいち早に察知し、救援に向かうべくその足で地面を抉るものの、異形の者の恐るべき戦闘能力の前に、間に合うまでもなかった。


従者であろう男が、公女を庇い、身を呈して侵入した異形の者を食い止めようとするも、まるで空気の様に吹き飛ばされる。


だが、この庇い立てが異形の者を秒コンマ単位での足止めに成功し、そのコンマ単位にガラハムの両足に掛かっている移動系付与魔法を発動し、辛くも公女より早く異形の者と対峙することが出来た。


ガラハムは両手に携えた身の丈と同等の大剣の柄を握り締め、はち切れんばかりに筋肉を奮わせて得物を振り下ろす。


異形の化物もこれに反応し、巨大な鉄斧の柄で受け止め、軽々と払うと片手で乱暴に斧を横殴りに放つ。


ガラハムはこれを身をひねり躱すと一度下がり、体制と呼吸を整えて自分よりふた回りの化物へと剣戟を繰り出す。


その最中に、公女は従者へと駆け寄って行く。


だが、その従者はどう見ても即死に近い打撃を食らいピクリとも動かない。


ガラハムは公女に死者は見捨て、聖域内へと避難するように呼びかけをしようとした――瞬間。


異形の化物はガラハムの視線が外れるのを見て、その刹那に手に持つ得物をガラハムへと投げ放つ。


空気を裂きながら迫る巨大な鉄斧を紙一重で飛び退くと、その次には巨躯の化物は空を舞っていた。


両腕を振りかざし、体勢を崩したガラハム目掛けてその両腕を振り下ろす。


咄嗟にガラハムは大剣を頭上に構え、防御を取るも力の差は歴然。


大剣諸共地面を窪ませる程の威力の前では、いかに鍛え抜かれた戦士といえども無傷では済まなかった。


頭上に構えた大剣は中心から折れ、受けきれない衝撃に体の骨が砕ける音がする。


意識を繋ぎ止めるのもやっとの状態で、死を覚悟したガラハムは目を閉じる。


――しかし。


追撃が来ない。


何故と言わんばかりに目を見開くと、異形の化物はガラハムに背を向け、事もあろうに壁際で横たわる従者とその傍で泣きじゃくる公女へと向かっていったのだ。


異形の化物の狙いは鼻から公女。


異形の化物は、邪魔をする者が戦闘不能だと認識したのか、ガラハムに無防備にも背を預けてその足を公女の元へと進める。


今なら確実に殺れる――はずだった。


異形の化物が悠々と背を向けているのは、当然、ガラハムは既にこの化物を背後から襲う力など残ってはいない。


地面に突き刺さった鉄斧を引き抜き、一歩一歩確実に近づく異形の化物に、まだ公女は気づいていない。


ガラハムは叫ぼうにも先の攻撃で肺を押しつぶされ、思うように呼吸も出来ず、声すら出ない。



(やめろ……やめてくれ!)


結界内の外側では、大多数の民衆、そして、なにより公王が見ている。


公王にもその様子は両目にしかと映っており、この後の結末がどうなるか、最早予想するに容易い。


公女が従者を引っ張り始める。


「公女様、逃げてください!」


押しつぶされた肺に鞭打ち、血反吐を撒きながらガラハムは叫んだ。


それと同時に、異形の化物は引き抜いた得物を両手で握ると、それを天井高く持ち上げる。


結界内で、無力な悲鳴がこの全体を包む。


その悲鳴に気づいた公女は、何を思ったか、従者の前に立ち両腕を広げる。


信じられない光景にガラハムは言葉を失う。


だが、その悲痛な叫びに応える訳もなく、非情にも、その斧は振り下ろされた。


そして、その線上に捉えられている公女は、得物に裂かれて絶命――。


キィィィィィィィンッ。


甲高い金属音が響く。


圧倒的なまでの異形の化物による攻撃は、確かにその軌跡に公女を捉えていた。


誰もがその時、公女は得物に裂かれて死に絶えた――。


そう想像していた。


だが、現実は――。


「大丈夫か?」


異形の化物の巨躯から振り下ろされた剣戟を、一人の男の手に持つ剣により阻まれている。


皆が目を疑った。


結界内の外側にいる事の目撃者は皆、ガラハム同様にその光景を。


「――アイリス、大丈夫か?」


その一言で我に返った公女は、力無く地面にへたり込む。


「ユー……リ、様?」


既に聴き慣れた声音、見ていると安心を覚える顔立ち、そこから見える優しい瞳は、公女の知る碧海悠里その人だった。


だが、先ほどの戦闘で負傷し、斧で殴り飛ばされ、外壁に叩きつけられ、公女が傍に駆けつけた時には既に、虫の息だったはず。


全身が無残にも血に塗れ、口からは血反吐が溢れ、生を失った虚ろな瞳で横たわっていた。なのに――。


「どう……して?」


「今は説明してる場合じゃない、とりあえずこの化物をどうにかしてからだ」


何が起きているのか。公女は思考がまとまらないでいる中で、金属同士がぶつかり合う甲高い音が響いた。


悠里は腰ほどの長さの長剣で振るい、受け止めていた斧を振り払う。


振り払いざまに俊敏に懐に潜り込むと、剣を垂直に引き、ミノタウロス目掛けて突き放つ。


剣先が見事にミノタウロスの脇腹に刺さると、悲鳴にも似た声でミノタウロスは絶叫する。


ミノタウロスは悠里を遠ざけるべく、手に持つ斧を横に払う。


「ギァァァァァァッ!」


悲鳴と共に放つ一撃を、悠里は回避せずに、片腕で叩き落とす。


その力たるや、傍で片膝を付いている近衛騎士――ガラハムですら受けきれなかった一撃を、いとも軽々と叩き伏せる。


「はぁぁぁぁぁああああああ!!」


悠里はミノタウロスに突き刺さる剣を引き抜くと、掛け声と共に渾身の力を柄を持つ手に込めて叫ぶ。


「《一閃》!!」


目一杯真横に振り抜いた剣の軌跡には淡く鋭い光の筋を残し、ミノタウロスを横断する。


腰を堺に描かれた光の線を中心に、上下に分かれたミノタウロスの上体がズルリと滑り落ち、地面に伏せる。


静まり返る聖域内。


チンと剣を鞘に収める音が小さく鳴ると、悠里は公女に振り返り、安堵の息を吐いた。


「怪我はなさそうだな。安心したよ」


そう告げた悠里の胸に、公女――アイリスは名前を呼びながら飛び込んでいった。






「本当に……心の底から感謝する。ありがとう、我が娘を守ってくれて……この恩は一生償っても償いきれんよ」


「身に余るお言葉、恐縮です。ですが、アイリ――公女様の傍に居たのは俺です。守るのは、当然の義務です」


「あの、ユーリ様……」


公王と悠里の会話に、おずおずとアイリスが割って入る。


「ユーリ様、一体何があったんですか? あの時、確かにユーリ様は瀕死の状態で、とても動けるはずじゃ……それに、あの異形の者を退けたその力は……」


「あ、あぁ。……これには俺もよく分からないんだ」


「ふむ? ユーリ殿が元々そういった力を持っていなかった様に聞こえるが」


「ええ、その通りです」


悠里はあの時に何が起きたかを説明した。


瀕死の最中、突如現れた謎の男や、理解出来るかは別として、簡単に言えば、ゲームの主人公同様の能力を得た事など憶測も含めて、悠里は今の自分の身に起きたことを理解できる範囲で。


「――という訳で、俺にもよくは分からないんですが……」


「ううむ。貴殿の世界にある『げぇむ』とやらの力が備わったという事だろうか? あの異形の化物を軽々と屠る辺り、凄まじい力だ」


「俺もそれには驚いています。まだ、あまり実感も湧いていなくて、少し混乱してますが……」


悠里自身、困惑の表情を隠しきれていなかった。


事実、悠里が住む世界での突如として異能の力に目覚めるという事象は、空想――ファンタジーの部類に属され、現実には決して起こりえない妄想なのだ。


それ自体、悠里はちゃんと区別していたし、割り切っていた。むしろ、割り切る以前にそれは常識で、当たり前だ。


未だ先の異形の者――ミノタウロス――と悠里は呼称していた化物を軽々と屠った己の力を、どこか受け入れがたい自分もいることに、悠里の心の中では整理しきれていないという状態にある。


「でも……あの、私を助けてくれた事は本当に感謝しきれないくらいです。――本当に、ありがとうございました。ユーリ様」


改めてアイリスは深々と頭を下げる。


「我からも礼を言おう。娘の命の危機を救ってくれたこと、公王という立場ではなく、一人の娘を持つただの父親として感謝に絶えん。この通りだ」


公王もまた、アイリスと同じく頭を深々と下げる。


公王とその娘の公女が頭を下げたとあって、周囲からはどよめきの声が上がる。


いくら親しみに満ちている国の最高権力者と言えど、簡単に頭を下げる行為は相応しくは無い。


周囲にいる民衆は、この光景に驚く者等で溢れ、何があったのかを詮索するのは当然、むしろ自然で、その対象はもちろん悠里であり、周囲は悠里に興味の塊の様な視線をぶつけられる。


なんだか大事になってしまい、突き刺さる周囲の人達からの視線に、悠里はどうするべくもなく、苦笑する。


(どうしたもんだか……)


こちらから頭を上げてくれと頼むのは、まるで公王よりも立場が上だと誇張してしまうんじゃないかと思い、悠里はバツの悪そうに頭を痒く。


チョンチョン。


「ん?」


慣れない空気に耐えかねていると、後ろから服の裾を軽く引っ張られる感覚に、悠里は徐ろに振り返る。


悠里の裾をキュッと掴んでいたのは、見た目にも幼い少女だった。


クリクリとした両目で悠里をじっと見つめている。


「こーじょ様を助けてくれてありがとう!」


その幼くあどけない顔が満面の笑みに代わり、屈託のない表情で悠里に感謝を述べる。


これには悠里も少し驚いたものの、なんだか感謝されることに抵抗を感じていた自分が恥ずかしくなり、自然と笑みが溢れる。


これに続くように、一つ、また一つと拍手が起き、それに連鎖する様に次第に音は大きくなり、気づけば周囲からは喝采の嵐が巻き起こった。


「公女様を助けてくれてありがとう!」


「俺らからも礼を言う! ありがとう!」


「英雄の誕生だ!」


皆が皆、悠里に対しての疑念も懸念も無くなり、公女様を助けた英雄として称えることに、なんの疑問も持たなくなった。


国の国王が頭を下げ、公女も頭を下げて感謝しているのに、自分達が感謝しないのは国民としての恥。


そういう思いもあるのかもしれない。


だが、その思いとは別に、純粋に国の公女を救ってくれた感謝。素直で、純粋で、真っ直ぐ届く気持ちに満ちている。


悠里は、その肌で、目で、耳で、全身で皆からの感謝の意を感じ取っていた。


自分は何も出来無い。役に立たない。コンプレックスと同様な、心の負の部分がフワリと軽くなる感覚に、擽ったくも感じてしまう。


社会に必要とされない。家族に必要とされない。自分自身、生きている事に意味があるのかさえ分からない。


明確な格差社会に置いて、悠里は紛れもない最下層の人間だった。


(でも、今は違う)


世の中に悪態をつく日々を過ごして五年は経過している人生に、アイリスという転機が訪れ、何か自分に出来るんじゃないかと自分なりに奔走した日々は、決して無駄じゃなかったんだ。と。


無論、それは全て謎の男がもたらしたこの『力』によるものだが、それでも今はこの感謝の渦に素直に喜んでいたいと、悠里は照れくさそうに頬を掻くのだった。





「さて、アオミ殿。準備はよろしいか?」


「はい。俺でよければこの国の役に立ててください」


「重ね重ね感謝する。それでは、これより遂行する作戦の最終確認を行う」


拍手喝采を浴びた悠里は、この国の為に出来る事があればと公王に自分に何か出来ることは無いかと進言した。


聖域の結界の東側の一番端に位置するこの場所は、国軍を中心とした簡易駐屯地としての役割を担っている。


簡素な布と木柱のテントがいくつも連なり、鎧甲冑に身を包んだ兵士や、慌ただしく往来する女中等が犇めく場所の一角で、先の戦闘でミノタウロスと対峙した近衛兵士――ガラハムとよばれた中年の騎士を中心に、円卓を囲むように長机に付けられた椅子に、それぞれ隙間なく集められた兵士達が座っている。


集められた兵士はどれも自分の部隊を持つ部隊長であり、この作戦に参加する為に招集された猛者達だ。


悠里もまた、この円卓に連なる者の一人、作戦の中心人物としてガラハムの横に座り、真剣に臨んでいる。


未だ遠征から帰らぬ近衛騎士兵団長及び、市民の探索及び敵の殲滅作戦に当たっているアイサ副長の不在の最中、古参であり公王の指名を受けたガラハムがこのテント内を仕切っている。


ガラハムは、いくつもの戦場をくぐり抜けた古参中の古参兵で、その実力たるや、ミノタウロスに率先して挑んだ勇猛果敢な性格からしても、国に対する忠誠心にしてもこの中では郡を抜いている人物だ。


所属するのは近衛兵団にあり、現在では戦場には赴く事は少ないものの、兵士たちの訓練長を努め、アイサ同様公国王直属の衛兵部隊長でもある。


国の大事には必ずと言ってもいい程関わってきた重要人物だ。


熊の様な強靭な肉体に厚い鎧がしっくりくる印象の兵士に、悠里は隣にいるせいか思わずとも緊張気味で会議に臨んでいる。


「ここに城下の地図がある。我々は城内地下聖域部に位置し、これより北西の出入り口から城下へと進行。目的は主に敵の殲滅と被害状況の確認及び、負傷兵の救護と市民の救援だ」


ガラハムは広げられた地図に指を突き立てると、道筋に沿って色のついたピンを次々に指してゆく。


長机に座っている部隊長の前には、それぞれに割り振られた色の正方形の布が置かれている。


地図に刺されていく箇所それぞれに、決められた部隊が配置され、行動する事になっている。


城下の通路が詳細に書かれた地図には、城を中心に全体図の三分の一程度で赤い線で囲んである。


赤い線が示すのは、城からの探索範囲を示すもので、これからの作戦はこの赤く囲われた線内の探索を行う手筈になっている。


一回で城下全てを回るには部隊数が少なすぎるのと、地域の安全確保が確認出来ていないからだ。


異形の者達が奇襲した時には、まだ街には避難誘導されている市民や兵士、取り残された市民の確認の為に編成された捜索班がいくつかに分かれて市街の探索に当たっていた。


いくつかの班は敵襲により城内へと避難してきたが、まだいくつもの班と連絡がつかず、安否さえ不明の状況にある。


恐らく異形の者との戦闘に巻き込まれたか、それぞれが城に戻るのは危険と判断し、どこか安全な場所へ籠城したかは不明だが、このまま見過ごして敵の侵攻を許すわけにはいかない。


まだ敵の攻撃が本格化していない今だからこそ、こちら側から行動し、出来うる限り市街地の安全地帯を確保し、防衛範囲を拡大して被害を食い止める必要がある。


だが、闇雲にただ捜索したり、防衛範囲を広げても兵士の数が限られているこの状況下では、全てを防衛出来るというこは不可能に近い。


そこで、今回の作戦の主な主軸内容は、敵の殲滅と味方の確保にあった。


斥候部隊と言えど、ミノタウロス程の強敵も敵に含まれている状況は、偵察というよりは、奇襲に近いものがある。


敵は、それ相応の戦力で市街侵攻を行っているものと推測された。


そこで必要とされたのはこれ以上敵が増える前に敵の数を減らし、尚且つこちらの戦闘参加人数を増強させる事が最優先であると判断された。


敵が本格的奇襲を仕掛けているのであれば、小型の低知能な異形の者――悠里がゴブリンと呼称する存在以外に、ミノタウロスの様な大型で強力な敵がまだ複数いると推測出来る。


ただの攪乱が目的で、王国が混乱させ、その間主力部隊が到着するまでの時間稼ぎにしては、明らかに狙いがあからさますぎるとガラハムは各部隊長と共に結論を下した。


先の聖域内での戦闘は、ミノタウロスの行動を見れば明らかだが、確実に公女を狙っていた。


これは戦力を削ぎに来たのではなく、国の根底を担う役割の中心とも言える公女を討ち取る事で、兵士のみならず国民全体、果ては公王も含めた全ての人の士気を著しく低下させる高度な戦術にあるとした上での作戦だと確定するに至った。


ただの攪乱、奇襲ついでに敵の兵力を削るのが目的ならば、ガラハムはとっくにこの世にはいないだろう。


そして、それ以上に確信した事実もある。


敵は確実にこの国を滅ぼすべく行動しているという事だ。


公女を狙った時点で、この事はもはや明確な事実として受け入れなければならない。


こうなった以上、もやは残る行動はただ一つ。


――戦争。


この単語が出た時、悠里はその身に実感していた。


ミノタウロスに羽虫の様に蹴散らされ、死を体験した時から今に至るまで。


限りなく醜いこの殺し合いこそが、この国が滅ぶか、生きるかの境界線であると。


その為に出来る行動は、今の内に出来うる限り迅速に的確にしなければ、この国の先は無いのかもしれない。


国の命運を分けるこの作戦はあまりにも重いが、悠里はそれを背負う覚悟は出来ていた。


その覚悟を感じ取り、またミノタウロスを容易く屠るその力に賭け、ガラハムは悠里には別に、特務を指示した。


そして、この戦争の運命を左右するかもしれない力を秘めているのは、ほかならない悠里だと、ガラハムは確信していた。


「よし、準備はいいか! これより市街戦に移り、各々の部隊の役割をキッチリこなせ!」


ガラハムが号令を掛けると、全員がその場に立ち上がり、目には不屈の炎を燃やす。


その視線をしっかりと確認すると、背負っている大剣を引き抜き、地面に突き刺す。


「行くぞ! キュアノエイデス公国の命運を懸けて、己が命をその剣に預けろ!!」


怒号に似た激を飛ばすと、それに答えるように部隊長は腰に携えた剣を引き抜き、ガラハムの応えるべく呼応する。


「「「「おおおおおおおおおおおお!!」」」」


この国を守る。


その強い意志を、


揺るぎない決意を、


何をも恐れぬ精神を支えに、


――全面戦争が今、幕を開けた。




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