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第3章 リアルもそんなに悪くない

「死にたい……」


俺こと碧海悠里は肩を落として絶望の淵を臨んでいた。


昨日の脱衣所での出来事を思い返す度に、深い溜め息を吐く。


人生初の憧れだった生おっぱいをこの両手で掴み取ったはずなのに、俺は人生の終焉に赴く様な重い足取りで階段を降りる。


玄関口から隙間差す朝日が眩しい。


こんなにも清々しいはずの朝が、こんなにもどんよりした曇り模様に見えるのは俺の脳内が灰色だからに違いない。


動かしたくない足を引きずり、脱衣所兼洗面所へと足を運ぶ。


扉の前に立つと、昨日の忌まわしい出来事がフラッシュバックし、余計にダークネスな気分になってしまう。


「はぁ……」


溜め息を吐きながら、ドアノブを回して押し開ける。


きっとこのドアを開ける度に思い出すだろう。おっぱいの超絶な感触と、それを拒否してしまった自分自身を。


「はぁ……」


もう何度吐き捨てたか分からない溜め息を吐いて、歯ブラシで歯を磨きながら寝癖を直す。


口に含んだ歯磨き粉の味を堪能した後、それを水と一緒に吐き出し、また溜め息を吐く。


ある程度の身だしなみを鏡で確認し、脱衣所を後にしてリビングの扉まで歩く。


取っ手に手をかけた所で俺は立ちすくむ。


女性恐怖症。


俺はそういう病気?らしい。


おっぱいを触り、女性的な悲鳴を上げた俺は自室のベッドに数分篭った後、ちゃぶ台にあるPCをでこの症例を詳しく調べた。


どうやら、女性に対してのトラウマ等が原因で発症する心の病らしい。


その症例は人によりけりらしいが、俺の場合は喋るには平気だし、見るのも別に問題無い。触れると言っても、彼女と最初に出会った瞬間は平気だったのだから、そんな病気に掛かっているなどと微塵も思っていなかった。


しかし、あの脱衣所の件は別だ。


俺は彼女に触った。


裸の彼女を。


彼女のおっぱいを。


どう考えてもそれしか理由が思い浮かばない。


どうやら俺は、女の裸には触れないらしい。


そういう結論に至った。

手とか、顔とか、足とか、日常的に見えている部分は恐らく平気だと思う。


もしかしたら、服の上からなら平気なのかもしれない。これも含めて確かめてみなければ今はなんとも言えない。


だが、はっきりと分かるのは、生おっぱいにはもう触れないという事だ。


両手からあの柔らかい感触が消えない。本当は消したくないはずなのに、酷い嫌悪感を覚えて、今でも思い出すだけで背筋に寒気が走る。


気持ち悪かった訳では無い。むしろ、手触りな意味では気持ちよすぎるくらいだったのだが、自分でもどこにそんな感情があるんだ?ってくらい心の底から拒否反応が出てしまった。


何が原因なのかがさっぱりだ。


トラウマになるような過去なんか身に覚えが無い。


……どうしてこうなった。


「……はぁ」


一生分の溜め息を吐きながら、俺はドアノブを回してリビングへ入った。


窓から差し込む朝日が眩しい。


辺りを見回し、昨夜テレビ前のスペースを改造して作った、ソファーを2つくっつけただけの簡易ベッドに近づく。


「うぅん……」


ソファーの長さが足りず、足が放り出された状態で、体にブランケット1枚羽織って気持ちよさそうに寝ているアイリスは、何とも言えない幸せそうな表情でスヤスヤ寝息を立てている。


顔を覗いてみると、顔色も良く見える。


どうやら、ちゃんと寝れたみたいだな……。


俺は少しほっとして胸をなで下ろした。


昨晩の――脱衣所の件の後、嫌悪感がわずかばかり残る体を引きずって俺は部屋から這い出た。


彼女の前に行くと、「大丈夫ですか?」と実質加害者の俺に彼女は心配してくれたことには、今を思っても涙が出そうになる。


当然俺は日本形式の最上級謝罪である土下座をして、何度も床に額を叩きつけながら謝り、彼女はそれを戸惑いながらも微笑んで許してくれて、俺はこんないい子のおっぱいにダイブしたのだと思うと情けなさと嫌悪感で吐きたくなった。


まだ自分のこの症状について理解した訳じゃないけれど、一応調べた結果を彼女に説明して、理解を得ることには成功した。


なんとも情けない話だと、説明しながら涙が出そうになるのを堪えた自分を褒めてやりたい。


そこからは、晩御飯を出前で済まし、就寝するまでに時間は掛からず、寝るなら俺のベッドを使えば言いと言ったが、彼女は謙虚にリビングでいいと言って、男が寝ていたむさくるしいベッドに無理矢理寝かすよりかはいいかと、俺はソファーを二つ繋げてシーツをひいただけの簡易ベッドを作って、今に至る。


慣れない環境や、遠慮がちな彼女がすんなりと寝れるのか心配していたのだが、杞憂で済んだみたいで安心した。


「さて……朝食の準備をしておくかぁ~あ」


欠伸混じりに背伸びをして、俺は台所へと足を運ぶ。


家族は俺以外旅行に出かけている為、自宅警備員に配属されている俺の為にそこそこ冷蔵庫には食材が入っているのを思い出す。


世間じゃ夏休みなんて言われているこの時期でも、俺の仕事は変わらない。


起床している間はこの家一軒を守らなきゃ(留守番)いけないんだからな。


全く、ニートも楽じゃねぇな!


働いたら負けとか言う奴もいるが、もう十分労働だろ。全く。


などと世間に悪態をつきながら冷蔵庫をおもむろに開ける。


「おい……なんだこれは」


俺は冷蔵庫の中身を見るなり呆然とした。


両手を伸ばし、その先にある物を掴む。


卵2個。


……おいおい、なんの冗談だこれは。


手に取った二個の卵を握り締めながら、何も入っていない冷蔵庫を凝視する。


おかしい。


二日前の事だ。


玄関先で、既に準備を整え終わっている両親と妹が、旅行に出かけると言った。


「ああ、俺は今日も仕事(留守番)か。全く、俺にも休みが欲しいぜ」と、出かけていく家族を見送った。


出て行く時に、旅行中の食材は冷蔵庫や戸棚にインスタントがあるからそれを食べなさいと言われ、とりあえず無難にインスタントから攻める事にした俺は、言われるまでもなく冷蔵庫は開けていない。


……いや、ミネラルウォーターを取る分には開けるんだが、ほら、ペットボトルって扉側じゃん? だから、冷蔵庫を少し開けてその隙間から取り出すでしょ普通。時代はエコなんだから。


つまり、冷蔵庫の中が見える訳じゃないんだよね。うん。


自宅警備員ニートだしさ、やっぱ家を守る者としてこういう冷蔵庫の中身は素早く取り出してすぐ閉めるのは基本だしね。


だが、この時ばかりは後悔した。


なんで気付かなかったんだと。


それよりもまず、なぜ家族が俺を謀ってこんなドッキリを仕掛けていくのかと。


それよりも朝ごはんどうすんだと。一昨日も昨日もずっとカップラーメンで、今日もカップラーメンとか勘弁してくれよ……。


両手に持った卵が虚しい。


せめてベーコンがあれば少しはテンションも違ったのだが、無い物ねだりしてもしょうがないと、フライパンを手に取りコンロに乗せて卵を割り、火を点ける。


ジュワッ、と音を立てながら、白身が周りから固まっていく卵。


蓋をして放置している間に、食パンを2枚トースターに入れて5分で焼く。


戸棚からお皿を2枚出す頃には、アイリスが目を覚ましたようで「うぅん……」とか言いながら上体だけ起こしてほうけていた。


「おはよう。よく眠れたみたいだね?」


「あっ、お、おはようございます! 私すっかり寝てしまって……」


「いやいや、気にしなくていいよ。今、軽い朝ごはん作ってるから、顔洗ってくれば?」


「あ、それではお言葉に甘えて」


アイリスはいそいそとソファーから出ると、会釈をしながら洗面台の方へと駆けていった。


さて……。


この簡易ベットをどうするかなんだが、どうする? ダイブして嗅ぐか?


って、俺はまたなんて事考えてんだ!


昨日のエロゲ未消化だから溜まってるのも分かるが、流石に金髪美少女公女様アイリスたんがすやすや包まっていた毛布にダイブしてあろうことかクンカクンカハァハァ、モ、モエーッッ!! なんて出来るわけねぇだろ!


落ち着け俺。とにかく落ち着け。


何なんだ昨日から俺。どうかしてるぞ!?


い、いや、これというのも一つ屋根の下女の子と一緒というシチュエーションが駄目なんだ。


こんな家族が旅行でいない時に魔法陣から美少女が現れてお家に二人きりなんて一生に一度あるかないか……いや、ないな。うん。


そ、それはそれとしてもだからってこんな邪な思いを抱いていい相手ではない訳で――。


「はっ!?」


脳内で様々な言い訳が飛び交っている中、ふと我に返った俺は、その俺自身の身に何が起きているかを理解するのに数秒を要した。


ほんわり人肌の温もりが残るソファに敷いたシーツに、ふんわりと甘い香りが微かに残っている毛布の中に俺は包まれていた。


…。

……。

………。


ぎゃあああああああああっ!!! やっちまったああああああ!!


自分でも気づかない内に何故こうなった!? もしや脳内であれやこれは言い訳している間にまさか体が勝手に行動していたとは!?


ああでもやべぇ、めっちゃ気持ちいいナニコレ……!


あったかくていい匂いがして、まるで、まるでアイリスに優しく抱かれているようなはぁ~っクンカクンカぁぁぁ~~!


って、いやいやいやいやいや! 何やってんのホントに!? 駄目だろこれはっ! こんなの全年齢でも成年でもアウトでしょ!


普通で普通の普通に考えて普通こういう感じで異世界物からのハーレム系のラノベでも漫画でも女の子が寝ていた毛布にドギマギはしてもその先にある毛布に包まってあろうことかクンカクンカするくだりは脳内で再生していややめておこうっていう流れが普通だろ!?


俺は何その妄想を現実に変換しちゃってんの!?


脳内で妄想する分にはまだ紳士だけど、これじゃ本気で変態じゃねぇぇぇぇかぁぁぁぁぁああああああ!!


だが、脳内では冷静な理性がこの変態行為を辞めさせようと必死で電気信号を発信しているにも関わらず、その電気信号が体へと命令する過程にある脊髄の部分でシャットアウトしている。


代わりに体の節々へ命令をしているのは体の内に眠る俺の変態細胞だ。


三大欲求の内の一つである性欲を基礎としている変態細胞は、俺の性的、変態的欲求を満たすために普段は絶えず脳内で激しく動いているが、今回は脳内が理性的な思考で占拠されてしまった為に体へと溢れ出してしまった。


それを好機とみた俺の変態細胞は体の神経を乗っ取り、あろうことかアイリスたんが寝ていたソファへとダイブしてクンカクンカしてモエモエしてしまっている。


……そういうことにでもしておかないと今の俺の行為に言い訳なんて出来無い。うん。絶対に。


しかしなんだ。


実際問題女の子のベッドはいい匂いがすると言うが、これはガチだ。


まだほのかに温もりが残っている毛布を被れば、まるで女神に抱かれている様な優しい気持ちになり、匂いを嗅げばまるで甘い花の蜜に群がるミツバチになった気分だ。


特に――クンカクンカ――この何とも言えない――スゥゥゥゥゥッ!――女の子の匂いとでも言うのだろうか? この――…………――甘く、心満たされる匂いは何度嗅いでも飽きる気がしない!――ハァァァァァァァァッ!


俺はすっかり変態行為にのめり込み、朝食を作っている事も忘れ、ただひたすらアイリスの残り香が染み込んでいる毛布を必死で堪能した。


変態には二種類いる。


紳士である変態と、変態である変態。


俺は紳士な変態を旨とし、今日まで励んできた。


だが、なんだ。


変態をそのまま曝け出し、本能の赴くままに変態行為をするのも。


……悪くないな。


そう、例え。


既に顔を洗い終えたアイリスが俺のこの変態行為を目撃しているとしても、俺は自分を恥ずかしいだなんて思わない。


――何故かって?


ふっ……そんなの、認めたく無いからに決まってんだろぉぉぉぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!


いつだ?


いつから居た?


俺はそして何をやっている?


俺は馬鹿か? 変態か? あ、いや変態か。そんなことはどうでもいい! おいおいおいおい、これはもうやっちまったとかそういうレベルを凌駕してるぞ!


俺がアイリスの寝ていたソファに残されている毛布やらシーツやらに包まってモゾモゾしてるのを、いつからだろうか。アイリスが何とも言えない目でこちらを眺めている。


まるで――汚物でも見るような、それともこの現状を見ているが私は何も見ていませんよ的なヤンデレの様に深く黒い視線をこちらに送っている。


そんな目をしたアイリスにようやく気づいた俺は、その目を見ると思わず心の中で「ヒィィッ!!」と、悲鳴を上げた。


アイリスからは俺の行動に対して口からは何も言わないものの、その目からは「何やってんのこいつ……」と、言わんばかりの双眸で俺を突き刺す。


や、やめて! ヒキニートをそんな目で見ちゃらめえええええええ!!


家族から毎度お馴染みになっているとはいえ、流石にこういう視線は慣れない。


「私の育て方が悪かったのかな……」「血を分けた子供じゃなければタダ飯なんて食べさせる必要なんて無いのに……」「にーにぃ、キモイ」


などなどの侮蔑とセットなのが基本だが、「…………」なんて逆に無言だと尚の事心にくる物がある。


俺の心のライフはもうゼロだったが、この状況を打開しなければ俺とアイリスとの甘~い今後の余生へのフラグが完全に折りきってしまう!


せっかくこんなにも可愛くて綺麗な金髪少女と出会ったんだ、こんな所で終わらせてたまるか!


そして、俺の脳内が今までに無い速度で思考処理を演算した結果、まさに外道とも言える言い訳を考え、直ぐに実行する事にした。


まずは、毛布を取る。ついで、ソファーに敷いたシーツも取る。さらに、二つ並べたソファーを元の位置に戻し、毛布とシーツを畳んで置き、俺は何食わぬ顔でキッチンに戻って焼いていた目玉焼きとトーストを取り出し、トーストの上に目玉焼きを乗せただけのラピュタパンが完成する。


ふとアイリスを見る。


「……え? なんで何でもなかったようにしてるの?! 私が寝る時に使ってた毛布に包まってハァハァしてたくせに!」という様な何とも言えない不思議そうな恥ずかしそうな表情をしてこっちを見ていた。


「朝ごはん出来たから、食べよう」


皿に盛り付けた(というか乗せた)ラピュタパンをテーブルに置き、椅子に座る。


アイリスは納得がいかない顔をしつつも、促されるままに向かいの椅子に座る。


「いただきます」


なんとも質素な朝ごはんだが、これがケチャップと中濃ソースをかけると最高に美味い。


あらかじめ持ってきてあるそれらを目玉焼きにかけて、さぁいただこうかという時に。


「あ、ああああのっ」


来たか!


いつアイリスから話しかけられるかと思って内心ビクビクしていたが、食べる直前という所でアイリスが口を切った


「さっきの、あの……アレは、なんで……ですか?」


「さっきのアレ?」


「で、ですから……私が寝てた……その……」


俺は表情を普段通りに、極めて冷静に、かつ平常に接する。


「掛物に、包まって、あ、あああああまつさえ匂いまで嗅いでいませんでしたかっっ!?」


言っちゃったといわんばかりにアイリスはギュッと目を瞑り、叫ぶようにして俺に問いかけた。


かなり恥ずかしかったのか、顔は真っ赤で拳を作っている両手がプルプルと震えている。


選択しとしては、あのままスルーか今の状況になるかだったが、まぁ、そりゃ普通聞くわな。


自分の使っていたベッドで知りもしない他人が潜り込んでてクンカクンカしてた日には、何をしてたんだと理由を聞かないと眠れなくなること間違いなしだ。


「え? 何って……あぁ、そうか! 君が居た世界じゃそういうことはしないんだ?」


「えっ?」


「俺の世界じゃ、ああやって客人が使っていたベットに入るのは普通の事なんだよ」


「え……ええぇぇ」


これには流石にアイリスは絶句する。


「俺の世界、もとい国じゃ、ああやって客人として来てくれた人が慣れない環境での生活を共に共有するって意味でやるんだ。幸せな夢だったら分けてもらって、不幸な夢だったら半分背負うっていう意味があるんだよ」


まるで常識という口ぶりで俺は淡々と述べる。


もちろん、そんな意味ある訳ない。単純に変態行為でしかない。


だが、アイリスは。


「そ、そんな素敵な意味があったのですね……。ごめんなさい、私この国の事とか知らなくて、あの、てっきり危ない人なのかと……」


ごめんなさい。危ない人で間違いないです。


この世界の事を知らないという事を逆手に取った言い訳だが、我ながら外道の極みと言わざるおえない。


言い訳に関しては昔から瞬時に思いつく癖というか才能というのかが俺にはある。


子供の頃に玄関先の下駄箱の上に置いてある花瓶を割った時なんかは、すぐさまドアを開けて「猫! 猫が入ってきた!」なんて外を指差し、中学生の時にイタズラで友達が席で立っている時に椅子を引いて転ばせて教師に呼ばれた時も「ごめんなさい。椅子の下に消しゴムが落ちてちょっとどかしたです……」なんて平然と言えたし、高校を卒業して大学受験に失敗してニートになった時も、「大学が俺を選ばなかったんじゃねぇ。俺が大学を選ばなかったんだよ!」と涙ぐみながら……って、最後のはちょっと違うか。


ともかく、俺は普通に悪い事を故意にでも偶然でもやってしまった場合に、謝るより先に言い訳をしてしまう癖がある。


言えばなんだか筋は普通に通っていて違和感が無い分、余計にタチが悪い。


俺もこういうのは良くないと常日頃学生の頃から直そうとはしてきたが、癖とは言ったものでそう簡単には直らなかった。


当然嘘を付いて言い訳すれば、自己嫌悪に陥って頭を抱える。


自業自得なのだが、こればっかりはもうしょうがない。性分なんだと諦め、そうこうしている内に人間関係も希薄になり、他人と関わらない様な日々を少なからず過ごし、それが結果としてニートになって家族からも疎まれる存在になった。


そして今もこうしてアイリスに嘘を重ねている。


昔から何にも成長していないな。ホント。


俺の嘘をすっかり信じているアイリスは、申し訳なさそうにうつむいている。


本当に申し訳ないのは俺の方なんだよね。まだ出会って1日なのにどんだけ嘘をつけばいいんだろうか……。


罪悪感に頭を痛ませながらも、俺は笑顔でアイリスを見る。


「驚かせてごめんね。あぁ、朝ご飯冷めちゃうから食べよう。材料がなくてこんな物しか作れなかったんだけど、ごめんね」


「あっ、いえっ! 十分です! いただきます」


なんとか毛布をクンカクンカ事件の話題から逸らすことに成功し、俺はホッと胸を撫で下ろす。


アイリスは皿に乗っているラピュタパンを手に取って、俺はそこにソースとケチャップをかけてあげる。


「ありがとうございます」と笑顔で答えてくれて、それを口に頬張ると、ほっこりした表情で美味しそうに食べ始めた。


俺はそれを見て思わずニヤニヤしてしまいそうになるが、ぐっと堪えて脳内メモリーをそっと起動させるのだった。





「わっ、わぁ……」


口を開けながらアイリスは窓際の席から外を眺め、過ぎ行く景色に感嘆の声を上げる。


小気味よい振動に揺られながら、静かな電車内はどんどん情景を置いてきぼりにしていく。


ボックス席の一つを占領した俺たちは、目的地までの道のりを景色と共にくつろいでいる。


朝ご飯を食べた後、今日一日どうするかという話になった。


アイリスが異世界へ行き、一日の猶予を経て帰還する事になっており、僅かに異世界へ着いた日と次の日の二日間で支援要請に奔走しなければならなかったのだが、飛んだその日に俺の元に来たので、既にその任務は終わっており、今日一日を持て余す結果になった。


そこで、アイリスはこの世界に興味があるということで、街に出かける運びになった次第だ。


俺の家がある地元付近は、そこそこは栄えているものの、大した施設も無いので、電車に乗って隣町に繰り出す事にした。


ボックス席窓際の向かいに座っているアイリスは、薄ピンクのキャミソールに軽い羽織りと白いフリルスカートを履いている。


あの清楚は修道着でも良かったのだが、あれを着て街を歩いたら確実に浮いてしまうに違いない。


まだコスプレが寛容な街ならともかく、俺の住んでいる地域付近はそういった格好でうろつくと確実に白い目で見られるのは必死だ。


「こっ、この乗り物はとても速いです……! それに、全然揺れないんですね! ふわ~……」


まるで子供の様にはしゃぐアイリス。


今日一日をアイリスと街へ出かける。


これは、アレか。ネット民だろうがリアル民だろうが確実に「リア充」という単語を思わず使ってしまうアレなんだよな……!?


そう……そう、そうなんだよ! アレだよ! アレなんですよ?!


――――デート。


女の子と男の子が二人でお手手なんて繋いでキャッキャウフフするデートですよ!?


彼女いない歴=年齢+童貞の俺がデート……。


しかもこんな超Aクラス並みの可愛さ全開で、異世界の金髪美少女で、更には公国のお姫様! プリンセス! そんなアイリスとおデートですよ!?


家に閉じこもってはや五年の俺が、ネトゲ以外で女の子と会話している(母及び愚妹を除く)こと自体が奇跡だというのに、これはアレか? 死亡フラグか?


だが、例え死亡フラグだとしても、アイリスと今日一日をデート出来るなら死んでも俺は悔いなく大往生出来る自信がある。


ああ神よ……。俺に一生に一度あるかないかの奇跡を起こしてくれてありがとう……。


そんな俺の心の内を知らないアイリスは、外の様子が次第に変化しているのに気がついていた。


「な、なんですかっ、あの天までそびえ立つ塔は……っ」


アイリスが窓に顔をくっつけて電車の進行方向を見る。


俺も軽く窓の外を見てみると、だんだんとビル群が近づいてくる。


もうそろそろ目的の駅が近いみたいだ。


アイリスは何棟もそびえ立つビルに驚愕してますます窓に顔をひっつける。


この表情がまたなんとも言えない可愛さで、公女様なのに窓ガラスに顔びたーっとか、たまらないんですけど。


だが、ここはあえて彼女が言う塔の正体を教えないでおこう。


きっとビルを真下から見ると、もっといい表情をする気がする。


そう思いながら、俺は子供の様にずっと顔を窓に押し付けて外を見ているアイリスを、そっと脳内RECするのだった。





「あ、あのっ、これって、どれでもいいんですか?」


「あ、うん。どれでも好きなのを選んでいいよ」


「うわーうわー……ううん……」


「決まった?」


「あ、いえ、あの……えっとえっと……」


「あぁ、ごめん。ゆっくり選んでいいよ。俺もまだ決まってないからさ」


「あ、ありがとうございます……」


再びメニューとにらめっこするアイリス。


小奇麗な店舗内では、ファミレス独特な喧騒に包まれて、俺たちは一つのテーブルを陣取っている。


お昼時もあり、店内は込み入っていた。


夏休みという長期休暇で友達同士で集まって騒いでいる学生や、小学生くらいの子供とその両親一家で来店している客もいれば、みんなが休みを満喫している中でスーツをきめた中年の男性が汗をハンカチで拭いながら一息ついている客もいる。


夏真っ盛りな今日日、外気温は三十度を軽く超え、記録的とはならずも、猛暑日な一日になった。


午前中はホントに色々見て回ったなぁ……。


駅を出てからというもの、アイリスの好奇心はとどまる事を知らず、保育園の年少さんの様に「あの道の真ん中を行き交う乗り物らしき物はなんですか?!」「このびるという建物は、どうやってこんなに高く立てたのですか? しかも窓に全部ガラスがはめ込んでて、想像がつきません!」「このキチンと舗装されている道は、何で出来ているんですか?」とひっきりなしだ。


午前中はそんな感じで町並みを散策し、気になる店があれば覗いてを繰り返し、お腹も空き始めた頃合を見て、今の現状に至る。


店に入った瞬間に、クーラーが効いた人工的な涼しい空気がこんなに美味いと感じたのは生まれて初めてだったな……。


暑さを忘れるくらい、俺はこのデートを楽しんでいた。


だが、ファミレスに入るやいなや「さっきから気になっていたのですが、なんでお店に入るたびにお店の中はこんなにも涼しいのですか?」と矢継ぎ早に質問された時には、もう勘弁してくれと肩を落とした。


ともあれこうして涼しい飲食店でご飯を食べて休憩しているこの時が本日一番に幸せだ。


なにより、アイリスがメニューと真剣ににらめっこしているのを眺めているだけでHPがどんどん回復しているのが分かる。


あれでもないこれでもないと一枚めくっては一枚めくり、裏表紙まで行くと表表紙に折り返して繰り返すのだ。


俺はもう既にチキン南蛮とライス、ドリンクバーをセットで注文すると決めているが、ここで俺がもう決まっているからあとはアイリスだけなどと言えば、それこそアイリスは焦ってしまうだろう。


ここは、待ち合わせで予定時間より早めに来て、彼女が来たら「ごめん、待った?」「大丈夫、今来たとこだから(キリッ)」と同じなわけだ。


アイリスも、異世界の飲食店にも興味あるだろうし、ここは好きな物を好きな時に注文する形にして、なるべくアイリス中心に時間を使っていく。俺は今日一日はアイリスの為ならなんでもするという気概で望んでいる。メニューが決まらない程度で癇癪なんか起こしたら、紳士じゃないからな。


変態たるもの紳士であれ。だ。


とはいえ、アイリスにこの豊富なメニューの数々から自分の好みの料理を選ぶのはかなり酷だったらしく、手で頭を抱えてしまっているレベルにまで悩んでいる。


これだけ悩まれたらメニュー表も本望に違いないが、逆に選べない事でアイリスが辛そうにしているとは……。


……やっぱデートって難しい。リア充にはなれそうもないな。


って、自嘲してる場合じゃないなこれは。


「……もしよかったら、俺が選ぼうか?」


「あ、はははいっ! お願いしますっ……こんなにいっぱいの中から私、選べないです……ごめんなさい……」


「ああああ、いやっ、謝ることじゃないからっ、なんていうか、ごめん……」


「ごめんなさい……」


一気に空気が沈む。


あはは……と愛想笑いをするものの、申し訳なさそうにしているアイリスを見ていると心が痛む。


……早いとこメニューを決めよう。


とはいっても、これは迷う。


まだ昨日出会ったばかりで、好きな食べ物とかも知らない。


今更思い返すとこっちの世界に来てアイリスが口にしたのって、カップラーメンとラピュタパンだけ。


……どうしよう。


手に持ったメニューを見る。


肉? ステーキ? それとも和食か? ピザとかどうだろう……。いやいや、公女様なんだからもっとなんていうか豪華っぽいのが……かといって、極厚ステーキとか食べきれるのだろうか? 無難にフライ物とか、グラタン系とかにしようか……? あああああこれは迷う!


俺はメニューを持ったまま唸る。


すると。


「……ふふっ」


ふと、アイリスが微笑する。


俺が見てやると。


「あっ、ごめんなさい。アオミ様がさっきの私みたいになっててつい……」


そう言われてみれば、さっきのアイリス同様に俺もメニューを見ながら悩んでいる。


彼女のそんな何気ない仕草で、俺はなんだが悩んでいるのが馬鹿らしくなった。


「あの、アオミ様はもうお決まりになられました?」


「あ、うん。えーっと……このチキン南蛮ってやつ」


「じゃあ、私もそれにしますね」


「えっ、いいの?」


「はいっ。アオミ様と一緒の物がいいんですっ」


「そっ、そっか。うん。じゃあ、これで注文するよ」


満面の笑みを見せるアイリスに、俺はドギマギしてしまう。


にやけそうになる顔をなんとか引き締め、テーブルの片隅にある呼び出しボタンを押そうとする。


「それ、なんですか?」


不意にアイリスが尋ねる。


すんでの所で俺は手を止めて、アイリスに説明する。


「このボタンを押すと、店員さんが来るんだ」


「この……小さいの置物を押すだけでですか? 声とか、ベルとかも鳴らさないでですか?」


「そうだよ」


当たり前に言うと、アイリスはこれにも驚いたようで。


「この部分を押すだけで……? はっ! 音ですか! 音が鳴るんですね!?」


とコードレスチャイムの子機を手にとって真剣に調べている。


音が出るで合っているんだが、これはちょっと面白そうだ。


「それ、押していいよ。店員さん呼ばなくちゃいけないし」


「わっ、私がですか?」


「うん」


アイリスは手に持った子機をテーブルに置くと、緊張した面持ちでゆっくりとボタンに手を伸ばす。


ポチッ。


ピンポーンッ。


チャイムの音が店内に響く。すると……。


「ひゃうっ! ごめんなさい!」


慌てて謝罪するアイリス。


見ていて思わず吹いていしまう。


「ただいまお伺いしまーすっ!」


店員が大きな声で言うと、ものの数秒のうちに俺たちのテーブルの前まで来る。


「ご注文をどうぞ」


「若鶏のチキン南蛮二つとライス普通を二つ。あとドリンクバーを二つで」


「はい。ご注文を繰り返させていただきます。若鶏のチキン南蛮をお二つ。ライス普通をお二つ。ドリンクバーをお二つでよろしいですね?」


「はい」


「それではごゆっくりどうぞ」


注文を請け負えた店員は一礼をして奥へと消えてゆく。


ああ、緊張した。なにせもう外へ出るのも久々で、ファミレスなんか何年も行ってなかったからなぁ……。


アイリスの手前、ヘマしなくてよかったよホント。


そんな俺の心配を知らないアイリスに視線を向けると、なんだか尊敬の眼差しで俺を見ている。


俺はなんだか気恥ずかしくなって、頬を掻くのだった。





日も落ちかけ、空模様は次第に薄暗くなってゆく。


周囲の人々も、昼間の喧騒とは違った雰囲気の街並みの中でそれぞれに歩いてゆく。


ファミレスでは、ドリンクバーでアイリスが「み、水がっ! 水が止まりませんんんんんんっ!!」「ぼ、ボタンを離してっ!」と周囲を水浸しにするハプニングもあったが、料理が運ばれ、口に運ぶとすぐに笑顔になるアイリスに、俺の顔は常に緩みっぱなしだった。


こっちの世界の通貨にも興味があったらしく、レジで支払いをする時には、俺の財布から出てくる硬貨と紙幣に「その紙もお金ですか?」と聞かれ、「そうだよ」と言ったら、「も、燃えたり水に濡れたらどうするんですか?」と聞かれ「ど、どうするんだろうね?」と二人して頭を傾げてしまった。


……学が無くてごめんよ。


食事の後はモールへと行き、午前中と変わらず色々な店を歩いて見て回った。


雑貨屋、本屋、服、靴、ジュエリー、スポーツ、終いにはランジェリーショップも少しだけ覗いた。


俺は断固拒否したが、アイリスがどうしてもというので仕方なく。そう、仕方なくなんだからね!? べ、別に女性ものの下着なんざ二次元で散々見飽きてるし!? リアルの下着とか水着と変わんないし!? あんなのただの布だし? まぁ、ここで恥ずかしがっても思春期の中坊じゃあるまいし、なんて言い訳してもすんません。興味ありまくりでした。


まぁ、店に入ってものの数分で俺もアイリスも顔を真っ赤にして店から出たんだけどね……。


「はいこれ」


「ありがとうございますっ」


移動販売しているクレープ店で買ったチョコチップクレープをアイリスに渡す。


ベンチに座っているアイリスは笑顔で受け取ると、物珍しくクレープを眺める。


俺はそれを見て微笑み隣へと座る。


「これ、すっごく美味しいです!」


「よかった。甘いもの好きなんだ?」


「はいっ! 私の世界にもお菓子はあるのですが、アオミ様の世界のお菓子はすっっっごく美味しいです! ……出来るなら、持って帰ってみんなに食べさせたいです」


「あ……うん」


アイリスの国は今後どうなるかわからない。


もし、平和な時にアイリスが来てくれていたら、いくらでも買ってやってアイリスの世界に送ってやるんだけど……。


アイリスは自分で言った言葉で、少し顔に影を落とす。


俺は、


「大丈夫、俺の国から援軍が行けば、きっとなんとかなるよ」


なんて言う。


心では俺ごとき一般市民が救えるわけ無いのに、これ以上嘘を付いてアイリスを傷つけるなと警鐘にも似た痛みを発する。


だが、俺はそれでいい。アイリスにとってはそれは良くない事なんだが、今は、今この時だけは平和な世界に来ているんだ。


……夢くらい見せてやっても、神様は怒らないよな?


「はい。あの、今日はありがとうございました。そして、私の世界に援軍を送って下さる事、心から感謝します。私、アオミ様の事一生忘れません!」


目に涙を少し溜めながら、アイリスは俺にお辞儀をする。


俺は余計に心が痛む。


アニメや漫画で、悪役になって主人公を陰ながら守ったりするパターンはよくあるが、実際に悪役ってのは辛いものがあると思う。


まだ二次元の悪役ってのは、何かしら特別な才能や能力や生い立ちがあるもんだけど、俺なんか生粋の一般人で二十三歳職業ニートだもんな。役に合ってねぇよ。なんだよこの駄目人間。自分で自分が嫌になるわ。


心の内で溜め息を吐き、俺は手に持っているクレープにかぶりついた。


クレープを食べ終えた後も、しばらくベンチに座っていると、公園に設置されている電灯が点き始める。


さっきまで周囲で遊んでいた子供たちもいつの間にかいなくなり、クレープ屋も店仕舞いの準備で忙しそうに看板を片付けていた。


会話も止まり、夏なのに冷めた空気が俺の頬を撫でる。


……こういう時ってリア充はどうやって対処してんのか気になる。


会話を繋げるとか、無理。今日は常にアイリスから質問攻めに遭っていたからなんとかなったけど、自分から会話を振るとかやっぱ無理。ダメ絶対。


ファミレスで格好良く注文した時のテンション返してくれ。


横目でアイリスを見る。


今更ながらに可愛い。


てか、ベンチで二人きりとかこれ完全にいいシチュエーションなんじゃないのか……?


これって、ここここここっこっ告白とかのパターンなのか?!


いやいやいや、会話が途切れてるのに第一声が「好きです。付き合ってください」とか空気読めないのにも程があるだろ!?


そういやアイリスって何歳なんだ? 見てくれは完全に中学生くらいなんだけど……。


あれ? 俺二十三歳だとして、仮にアイリスを中学三年生としたら十五歳だよね? え、犯罪じゃね? あ、待て待て。異世界の人間なんだからセーフなんじゃね? ……あ。


そもそも公女様だから付き合うとか無理ゲーじゃねえええええええかあああああああああああああああ!!!!


「……ふふっ」


俺は心の中で断末魔を叫んでいると、隣に座ってるアイリスが微笑する。


はっ。と我に返り、アイリスを見てやる。


「アオミ様って、面白いお方ですよね。二人して静かにしていると、アオミ様は変な動きするんですから。もしかして、気づいてないです?」


言われて自分を見る。


まず両手が頭に置かれている。次に足が座った状態なのにつま先を地面に刺している。最後に背中が仰け反るようにブリッジしていた。


俺は直ぐ様姿勢を直し、アイリスに見られた醜態に顔を赤くする。


「出会って言葉が通じなかった時も、私が魔法の準備をしていたら、アオミ様今と同じように変な動きして、最初は変な人だなと思ってしまいました」


すいません。変な人です。


「でも……」


アイリスは俺から視線を外す。


「今日一日アオミ様と一緒にアオミ様の世界を見て回って、とても楽しかったです。アオミ様は、私が喉が乾いたなと思った時には何を言わなくても飲み物を買ってくれましたし、お昼ご飯も丁度お腹が空いたなと思えばご飯を食べに連れて行ってもらいました。あと……」


アイリスはポケットから何かを取り出す。


「これ……この、ぺんぎんのすとらっぷを買ってくれてありがとうございます。私、一生の宝物にします!」


アイリスの手にあるもの。午後に行ったモールの雑貨屋で買った小さいペンギンのストラップだ。


あの時、雑貨屋の中で質問攻めにあっていた時に、アイリスがふと立ち止まってこのストラップを見ていた。


これが『ペンギン』という飛ばずに陸と海で生活する鳥だと説明したら「飛ばずに海で生活する鳥ですか……。なんだか可愛いですね。私の世界にはこんな動物はいませんでした」とさっきまでの滑舌は何処へとペンギンのストラップをじっと見ていたんだ。


アイリスがこれで喜ぶならと、俺は快くストラップを買ってアイリスにプレゼントした。


貰った時のアイリスの満面の笑みは、もちろん脳内フォルダに保存済みだ。


「私の突拍子も無い話もすぐに信じてくれて、その上、ご支援までさせてもらい、こうしてアオミ様の世界の事を沢山教えてくださいました。アオミ様は、お優しく、楽しく、誠実で、聡明なお方です」


「そ、そこまで大それた程じゃ……」


「いいえっ! ご謙遜しないでください! そう表に出さない所もまた、アオミ様の良い所なんです」


「そ、そう? ありがとう……」


「はいっ。私の国に来たら是が非でも最高級のおもてなしをさせて頂きますので、楽しみにしていてください!」


「わかった。楽しみにするよ。ありがとう」


褒めちぎられた俺は頬が熱くなっているのが手で触らなくてもわかる。


……俺が褒められるなんて何年振りだろうか。


高校時代だって受験勉強を死ぬ程やったのに頑張れの一言も無くて、それでも将来の為だからって必死で赤本や参考書と机に何時間も勉強したのに、結局落ちて、そのまま五年もニートだからなぁ……。


……ホント、何やってたんだろ俺。


もし大学に合格して、順風満帆な日常を送っていたら、彼女でも作って、今日みたいに一日中遊んでたりしたんだろうか。


……よそう。考えた所で過去からやり直せるわけじゃない。大事なのは今だ。


軽く自分と向き合い、折り合いをつける。


横目でアイリスを見ると、ペンギンのストラップを微笑みながら見つめている。


ストラップで一生大切にしてくれるくらいなら、もっと他に色々買ってあげれば――。


「よし!」


「はい?」


「アイリス、ちょっとまた付き合ってくれない?」


「あ……」


「ん?」


「名前……」


「あ。ご、ごめん……つい……」


心の中ではいつも「アイリス」と名前で呼んでいる内に、ふと妙案を思いついた瞬間に思わず口にしてしまった。


公女様を名前で。しかも、呼び捨てで呼んでしまったとあれば、気を悪くするんじゃないだろうか?


俺は内心不安になるが、アイリスはその逆だったようで。


「いえ、あの、嬉しいです……。わ、私もユーリ様と、名前でお呼びしてもよろしいでしょうか……?」


「えっ!? あっ、うん。全然いいよ! むしろ大歓迎!」


「はいっ。ふふっ、ユーリ様」


ほっとした。やっぱアイリスは最高に優しい!


様づけで呼ばれるのはちょっと違和感があるけれども、名前で呼ぶ呼ばれるって、身内以外からだと結構恥ずかしいな……。


「な、なに? アイリス」


今度は意識して名前を呼んでみる。


「次はどこへ連れて行ってくれるんですか?」


「あ、ああ。そうだった。それじゃあ行こうか」


「はいっ」


二人一緒にベンチを立ち、既に暗くなった空を尻目に、俺たちは再び街へと歩みを進める。


傍目から見れば、カップルに見えるんじゃないかな。なんて、期待しながら。



☆★☆



明日の朝に、いよいよアイリスは帰ってしまう。


狭い浴槽の中で、俺は両手でお湯を汲み、顔にかけて天井を見上げる。


楽しかった時間はあっという間だ……。


良ゲーに出会った時も、プレイしている時間は幸せで、クリアし終わると高揚と共に達成感でアドレナリンが多量に出るが、エンディングロールが終わると何とも言えない虚無感に襲われる。


ゲーマーなら誰でも共感できるはずだ。


本当なら、もっとやっていたい。もっともっとこのゲームの続きがしたい。そう思うゲームはいくつもある。


クリアし終わった後に、裏ダンジョンや裏ボスも倒し、あとはレベルをカンストしたり、タイムアタックを挑んだりアイテムをフルコンプ等やり込めばいくらでも遊べる。


だが、それはゲームの表面上の数字や表記に過ぎない。


ゲームの醍醐味はそのストーリーにある。俺はそう思っている。


どんなに最後までやり込んでも、物語は終わっている世界で、ラスボス以上に興奮するイベントなんて無い。


レアアイテムやレベルやステータスも、強くなるのは道中の中ボスやボスを倒すために強くしていく事に意味がある。


勝てない敵や、勝てるかどうかわからない戦いを勝ち抜いてこそ、ゲームは面白いんだ。


湯船に鼻下まで浸かり、息を吐いて気泡を湯面に浮かべる。


今まさに、エンディングが終わった気持ちと同じ……いや、それ以上に心に穴が空いたかの様だ。


……楽しかった。


心の底から今日はそう思える。


この五年間を払拭するくらい、今日はアイリスをめいっぱい遊んだ。


アイリスは俺の世界に助けを求めて来た手前、そこまではしゃげはしないだろうと踏んでいたのだが、当の本人であるアイリスがはしゃいでたんだから問題ないよな?


アイリスには感謝されっぱなしだったけど、感謝しなきゃいけないのは俺の方かもしれないなぁ。


自分の世界に閉じこもってた俺を救い出してくれたんだからな……。


……うわ、ないわ。自分で言ってて鳥肌立ったぞ。


じんわりとお湯から伝わる温かさに、普段使っていない筋肉や節々が癒されてゆく。


頭の方も、どこかぼんやりとしてきた。


……はっ。寝ちゃ駄目だろ俺!


右手ですかさず頬にビンタする。


ビチッ!


「おっほっ……」


思いのほかいい具合に入ったらしく、耳鳴りがっ!


頬もなんだか凄く痛いよ!? 親父にもぶたれたこと――あるけどな!


一気に眠気が冷めた所で、俺は本題に入ることにした。


そう、明日どうするか。だ。


どうするも何も、アイリスの世界に行って事情を説明して隣国のクロン公国へ早急に避難してもらうのがベストだと俺は確信している。


この時に、アイリスやアイリスの親父さんに迷惑が掛からないようにしなきゃいけない。


下手に俺がまごついていると、異世界まで行って連れてきたのが一般市民じゃアイリスに全責任が乗っかるっていう事だ。


それだけは避けなきゃいけない。


その点は、俺はそれ相応のポストにいると嘘を付き、打診はしたものの異世界とかファンタジー溢れる脳内妄想に付き合うほど自衛隊暇じゃねーよと言えば、俺が約束を反故した事にすり替えられる。


そうすれば、責任は全部俺に行って、アイリスはせっかく異世界まで助けを呼びに行った勇敢なお姫様だってのに、それに応えられなかったこいつは処刑だ! っていう具合に――。


……行くのやめよっかな。


いやいやいやいや、仮にも別の世界の住人である俺をまさか血祭りにあげるなんて事はしないでしょぉ……。一応国賓って事になりそうだし。


あー、でも……怖い。


正直かなり怖い。俺が説明するのはどこだ?


向こうの市民が集まる広場か? それとも王様とかがよく居座っている玉座のある部屋か? いや、待て待て。そういえば、市民はもう避難を開始してるって言ってたっけ……。


とすれば、お役人さんの前で言うのかな? だといいんだけど……。


話からすれば、こっちの世界の中世に魔法を足したような世界観だし、もろ洋RPGゲーなんだけど、近衛騎士団とかいるよな。もちろん。


首はねられたりしないだろうか?


…………行くのやめよっかな。


同じ考えがぐるぐると回り続け、気づいた時にはのぼせる寸前で思考回路をシャットアウトした。


脳内でのシミュレーションは大事だ。これからの事を予測して、全てにおける可能性について考察する。


仮に予想外の事態に陥った時にでも、少しだけ考察したのとしてないのとでは雲泥の差で対処法の幅が違う。


本来ならば起こりえない自体ですら可能性の一%に入っているなら、それすらも確実に頭に思い浮かべておく必要性がある。


だが、思いつくのは基本的に処刑か投獄。


元の世界に戻れる保証も無いのだから、無事に戻れる確率の方が圧倒的に低い。


アイリスを信頼していないわけじゃないけど、可能性は捨てきれない。


自分の命に関わってくる事なら尚更だ。


湯船から出ると、椅子に座ってシャンプーを手に取る。


二、三回プッシュして、頭をわしわしと洗う。


無駄に長い肩まで掛かった髪の毛を洗うのは骨だが、散髪に行くのも面倒なのでほったらかしだ。もう半年行ってない。


後ろに掻き上げ、そのままボディソープで体を洗う。


人間は不便だ。いちいち体を洗わなきゃいけないのは最大の欠点だな。


自然界の動物のどこを見たって石鹸使って体を丹念に洗う動物がいるかよ。人間だけだぞ。


くだらないことに悪態をつきながら、体の隅々まで洗うのだった。





……お父様。待っていて下さい。明日、きっとお父様に吉報を届けます。


私、アイリス・アーケンシュッツは異世界で、アオミユーリ様と出会いました。


ユーリ様は私たちの力になるべく、この国の軍を動かしてくれます。


――私の国を救う為に。


この世界はとても高度な文明です。


私たちの世界とは違い、魔法という概念がありません。ですが、代わりに電気を基盤とした機械や自然界からのエネルギーで人々は生活しています。


私からすれば、まるでおとぎ話に出てくるような世界です。


魔法という概念がなくても、魔法のような世界……。


もしかしたら、私たちの世界もいずれはこの世界の様になるのではないかと思うこともあります。


そうであれば、私は今、未来に来ているといってもなんら違和感すらないのです。


……未来。


私たちの国に未来はあるのでしょうか?


敵となる異形の者たちの勢力はとてつもなく強大です。


ひとえに国一個の軍隊を投入しても、最大勢力であるエリュトロン公国ですら援軍を求める程戦況は芳しくありません。


お父様たちも薄々は感じていると思います。


エリュトロン公国ですら苦戦している最中に、私たちの国への奇襲。


これはつまり、同時進行できるだけの戦力がまだあるという事への裏返しなのです。


もしかしたら……世界そのものが危ういのではないのかと。


国を救うため、世界を救うため、私には何が出来ますか?


神よ……。私に今一度、希望の光たらんことを……。


「どうかした?」


後ろから突然に声をかけられる。


振り向くと、ユーリ様が体から湯気を蒸気させながら、私を心配そうに見つめていた。


「いえ、平気です。ありがとうございます」


心に残る大きな不安を隠しながら、私は笑ってみせる。


今夜わずかばかりを残し、明日一番に私は自分の世界へと帰る。


そう思うと、名残惜しい気もしてきます。


私の国の事はとても心配です。


ですが、それ以上に今日はとても楽しかったです……。


国や民や戦争の事など忘れて、こんなにも穏やかで心躍ったのは久方ぶり……。


異形の敵が侵攻してくるとわかってから、食事も睡眠を削って書庫に閉じこもってた日々の疲れなんて、風のようにどこかへと消えていってしまいました……。


本当に、ユーリ様には感謝しきれない……。


ユーリ様を見てやると、穏やかな笑みで私を見ている。


なんだか恥ずかしくなって、私は目を伏せてしまいます。


伏せた目線の先、私の膝の上にはユーリ様が帰りがけに買ってくれた綺麗に包装された小包があります。


「あの、これ……本当にもらっても?」


「うん。気にしなくていいよ。アイリスが気に入ってくれればの話だけど」


「開けてもいいですか?」


「どうぞ」


私は膝の小包を両手で持ってテーブルに置き、ドキドキしながら紐を解きます。


この小包は、公園でユーリ様が何かを思い出したみたいに、お昼すぎに寄った大きな露天市の服飾店で買ってくれた物です。


お店の外で待っているようにと言われたので、中身が何かはわからない分、余計に胸が高鳴ります。


普段言われ慣れていない言葉をかけらてて、頬が熱くなります。


ユーリ様も、思いなしか頬が赤みを帯びている気がして、ふと笑ってしまいます。


つられて、ユーリ様も微笑んでくれると、言いました。


「その髪飾り、『桜』っていう木をイメージして作ってあるんだって。『桜』っていうのは、この国を代表する木で、春になるとピンク色の花を満開に咲かせる綺麗な木なんだ。アイリスの金色の髪によく似合うよ」


「『桜』ですか……。とても綺麗な木なんでしょうね。きっと」


「また、見に来ればいいよ」


「え?」


「いやさ、またこの国に来れるかなんてわかんないけど、きっと大丈夫。アイリスの世界も、俺の世界みたいに平和になるよ。平和になったら、桜を見に、またおいでよ。俺、待ってるからさ」


「あ……」


『平和になったらまたおいで』


その言葉に、私の目から一筋涙が溢れました。


「ええっ!? お、俺変なこと言ったかな?」


私の突然の涙におろおろし始めるユーリ様。


いいえ。違うんですユーリ様。


こんなにも私や私の世界を思ってくれるあなたの優しさが嬉しくて涙するんです。


ああ、神様。私にこの人と出会わせてくれて、とても感謝しきれません。


世界が不幸なときに、幸せな気持ちを思い出させてくれたユーリ様、あなたが言う通り、きっと世界は平和になります。


ありがとう……。


流れた涙を人差し指ですくい、私はユーリ様に言いました。


「はいっ。必ず、必ずまた来ます! その時には、また一緒に遊んでください!」


あなたの優しさに、今この時だけ、帰りたくないと思ったことは、内緒です。

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