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第1章 異世界からの訪問者

俺――碧海悠里はこの状況を説明できる程賢くは無い。


いやいや、どこぞの賢人がどんなに知恵を絞ったとしても、恐らく満足のいく答えを出せるはずがない。


ありえない。という一言でいっぱいいっぱいだと思う。


――いきなり美少女が飛び出してきたなんて。


こういう時はアレだ。まずは少しだけ過去を省みるのがセオリーだ。




――遡ることおよそ1時間とちょっと前。俺はいつものように家に帰り、いつものように自分の部屋に行く。ちょこんと置いてあるちゃぶ台の上に置いてあるPCに電源を入れて、その前に座布団を敷いて座っていた。


最近ハマっているゲームをプレイしている最中だ。


もちろん、部屋の鍵はキッチリかける。ヘッドフォンを装着し、周囲も確認済み。


カーテンよし。音漏れよし。ティッシュよし!


万全な体制で俺はゲームに望んでいた。


それがどんなゲームなのかと言うと……恐らく『ティッシュ』の時点でお気づきだろうが、『ゲーム』の頭に『エロ』が付く至って普通のゲームだ。


ジャンル的にはRPGで、内容をざっくり言うなら勇者が俺TUEEEEしてモンスター共をバッサバッサとなぎ倒しならが女の子を助け出してそのままベッドインするごく普通の一般的なゲームだ。


しかし、これに限っては少々他と勝手――もとい、仕様が違う。


RPG要素を重点的に置き、女の子とキャッキャウフフな内容に容易にたどり着けないようかなり鬼ゲーで、現在のプレイ時間は10時間弱。CGコンプ率は5%とという恐ろしく道のりが遠いゲームだ。


ゲームのタイトルは『パラレル☆ゆにばぁす』というタイトルで、日本語で言えば『異世界』という意味のこのゲーム。


発売してから5年は経過しているタイトルだが、他に類を見ない鬼ゲーなのか、マニアに人気が高い。……もちろん、RPGとして。


それを親友が貸してくれたので(その親友は途中で挫折)気晴らし――もとい、色々発散させるために始めたものの……。


うん。俺の親友が挫折した理由が分かったよ。


まず、レベルが上がらない。モードで言えばハードの更に上のハードコア――いや、インフェルノ状態。もらえる経験値やお金は雀の涙。なのに、武器屋や防具屋はハイパーインフレ状態で、初期の装備を買い換えるだけでおよそ1時間は要する。


そこから察してもらえば分かるが、敵が強い。よくある序盤のスライムのような最弱モンスターが、このゲームだとムキムキマッチョな巨躯をしたおやっさんがひしめき合うように画面いっぱいに登場する。


なので、基本モンスターと遭遇したら、逃げる。


どうやってレベルを上げるかと言うと、店でバイトしてお金を貯めて、傭兵を雇ってからようやくモンスターを退治してもらえる。


しかし、戦闘には主人公も参加するので、真っ先に主人公が攻撃されたらゲームオーバーでセーブポイントからやり直し。運ゲー。


っと、ここで出てきたセーブポイントだが、このゲームのセーブは簡易のクイックセーブは一切無い。


セーブポイントでセーブしなければいけないため、全滅すればセーブ前に戻る。


他諸々鬼仕様なので、俗に言うマゾゲーの一つ。


親友から借りた手前、すぐに返すわけにもいかず、ちみちみとプレイしていた。


ちなみに、CG5%全部がノーマルなイベントの挿絵。


今だに女の子とのキャッキャウフフなCGは一枚もない。


だが、今日は違った。そう、もうフラグが立ち、恐らくは情事の手前までイベントが進行している状態だ。


傍らに置いてあるティッシュを一回持ち上げる。重い。量は十分だ!


ゴミ箱もすぐ横にセットしてあるし、ドアには鍵、音漏れしないか確認済みのヘッドフォンも既に装備完了!


ようやく念願のイベントシーンを拝めると思うと、これまでの苦労が消し飛ぶかのようだ!


高鳴る胸と期待に心躍らせながら、慎重に進めていく。


現在の状況はボスキャラとの対戦が終わり、捕らわれていた村娘を解放している最中だ。


セーブしたのは1時間前。だが、もうボスは倒した。俺に怖いものはない。


クフフと笑いがこみ上げ、逸る気持ちを抑えつつマウスをクリックしていく。


すると、村娘が幽閉されている監獄らしき扉に罠が仕掛けてあった。


しかし、これは幾度となく初見殺しで襲ってきた罠で、今となっては恐るるに足りない。


解除方法は、主に魔法による解除で、数種類の魔法陣が画面に出てくるのでそのどれかを選択して合っていれば解除。間違っていればモンスターが出てくる仕組みになっている。


こんな姑息で稚拙なトラップで俺を止められると思ったら大間違いだな!


……最初のHイベントは頂いたぁぁぁぁぁぁ!


俺は満を持して青色の魔法陣を選択する。魔法陣は画面いっぱいに広がり、回転し始める。


正解ならそのまま扉が開き、不正解ならどこからともなくモンスターが襲ってくる。


だが、この罠は20回以上引っかかったことのあるタイプで、俺にぬかりはなかった。


次第に画面が白くなり、目を細める。正解か!? 不正解か!? いや、正解なハズだ!


モニターが真っ白になり、そして……そして……!


……

…………

――あれ?


おーい……え、ちょ……え?


未だモニターは真っ白なままで、ウンともスンとも言わなくなっていた。


いや、アレだ。察するにきっと真っ白な画面を見すぎて脳裏に焼き付いたのが原因で、実はイベントCGが出てるのに脳が真っ白な画面のまんまだと思い込んでいるに違いない。


うん。そうだ。うん。きっとそうだ。


俺はゆっくり目を瞑る。ゆっくり深呼吸する。


大丈夫。目を開けたらそこには女の子とキャッキャウフフなご褒美が待っているに決まっている……。


ゆっくり目を開ける。が、画面は真っ白なままだ。


いやいやいやいやいやいやいやいや。


俺はもう一回目を閉じる。3、4回深呼吸する。


目を開ける。


真っ白なモニター。


俺はゆっくり目を閉じる。


脳が既に理解しているのか、涙が頬を伝う。


ハハハ、何を泣いているんだい? この涙は10時間の苦労を超えた先にある感動の涙じゃなかったのかい?


目を開ける。


真っ白なモニ――。


「っっくしょぉぉぉぉぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」


俺は両手を床に叩きつけた。


「固まってるじゃねぇえええええかぁぁあああああぁぁあああ! えぇ?! なんだよこれ! なんで……なんで!」


ふらつく足取りで立ち上がり、俺はモニターを揺さぶる。両手で、がっしと掴んで揺さぶった。


「なんとか言え! なんとか言ってくれ! なぁ、頼むよ! こ、こんなのって……ねぇよ……っ!」


俺は立っている気力すら消え失せ、虚ろな眼差しでその場にヘタり込む。


そんな俺を脳内では、『せーぶしたのいちじかんまえ』という一文がリフレインしていた。


涙が本格的に流れ出し、鼻水も出てきた。だが、それを拭くことが出来なかった。


傍らに置いてあるティッシュは、涙と鼻水の為じゃないんだ……。


でもこのままにしておくのも衛生面でも精神面でも良くないので一応拭き取る。


モニターは真っ白で、どこをクリックしても反応はない。


完全にフリーズした状態だと脳が認識するまで数分かかったが、もうこうなった以上覚悟を決めなければならない。


一時間前まではあんなに興奮していた俺のボルテージもすっかり意気消沈し、もうため息しか出ない。


「ぐすっ……なんだよ……クソッ!」


この年にもなってまさか泣きを見るとは思わなかった俺だが、セーブデータがセーブする一時間前で消える。これで泣かないゲーマーはまずいないだろう。


しかも、すでにフラグは立った状態で、更にイベント直前で! ドラクエで言うなら最終形態のラスボスを倒した瞬間にあぐらを掻いてた足が痛くなってふいに伸ばしたら実機にクリーンヒットしてプツッ音と共に画面が真っ黒になるのと同じことだぞ!


もうどうにもならない現状に俺は深くため息を吐いた。足掻いてもどうにもならんものはどうしようもなく、そこらへんもゲーマーなら割り切らなければならない。


「……はぁ、しょうがない。風呂入って寝るか……」


俺は投げやりな態度でPCの主電源に手を伸ばした――その時。


ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴッゴゴッゴッ!


いきなりの地震に俺は驚き、その場を動くことが出来なかった。


こんなに揺れる地震は初めての経験で、さっきまで消えたセーブデータを悔やんでいたのも忘れ、恐怖が全身を襲う。


慌てて逃げようにも腰が抜けたのか、足に力が入らずオロオロしてしまう。情けない事なんだけれど、地面が抉られた様に揺れられたらなんにも出来ない。


すると、さっきまで真っ白だった画面に変化が訪れる。


白くなる前――選択した青い魔法陣が浮かび上がってきた。


俺は目を白黒させながら何度も、何度も瞬きをした。それが確信に替えると喜びに打ち震えた! 


だって、諦めてたんだから! 地震は怖いけど、その代わりにイベントが拝めるならこの際なんだっていい!


イヤッフゥゥゥゥゥゥウウウウウ! フラグが立った! ktkr! 神降臨! 地震の神マジ感謝! そんな神様いるか知らないけど!


単なるロープレエロゲの些細な事情だが、今日まで生きていて良かったと思えた――が、それもすぐに驚きに変わる。


地震が突然止み、注視していたモニターの魔法陣が画面いっぱいに広がったと思ったら、モニターをブチ破り、現実の――俺の目の前まで飛び出して巨大化し、回転し始めた! 白黒させていた目がひん剥かれた!


ちょ、え!? な、なんだこれ!? このモニター3D機能ついてたっけか?!


回転速度がどんどん増していく青い魔法陣。それと同時にどんどん青くなっていく俺の顔。


ど、どうなってんだ……! どうすんの俺!? どうなるの俺!? ていうか、これなんのフラグだ!? あのままベッドインするフラグじゃなかったのか!?


そう思っている間にも魔法陣は高速で回転し続けている。まるで、生きているのかと見間違うほどに鮮明でリアルだった。正直、地震が起きた以上に恐怖に駆られた。


「ま、まさかこのままハルマゲドンじゃないよな……?」


不意に口にした事が脳裏を過ぎる。家が消し飛び、俺も消し飛び、PCのハードディスクも、外付けのハードディスクも全部吹っ飛ぶ。今まで積み重ねてきた俺のお宝画像や動画、エロゲのセーブデータから全年齢対応ゲームのセーブデータまで全部跡形も無く消える。本棚にカモフラした秘蔵のエロ本も、クローゼットの右奥の衣装ケースに積んであるエロゲもまだ拝んでいない未開封の詰ゲも全部塵になる。そう思うと恐怖よりも怒りの感情が腹の下から突き上げてきた。


ふ、ふざけるな! 俺の、俺の今までの人生をそこに全部注ぎ込んだんだぞ!? それをあっさり消させてたまるか! 外付けだけでも死守して――って、死ぬかもしれないのに何考えてんだ俺は!


俺は再度死を予感し、身を縮こませる。


ああ、なんて短い人生だったんだ……。まだこの世に生を受けて23年しか経ってないのに……。これから彼女も出来て、結婚して、子供が生まれて、そんな人と巡り合う人生を想像してこの貞操を23年も守り続けてきたのに童貞を墓まで持っていくハメになるとは……。


だけど。


だけれど!


「そう、だけど! 俺はっ! せめて、せめて外付けだけでも守ってやるぅぅぅあああああ!」


最終的に思考がショートした俺は、目の前で展開している青い魔法陣に向かって立ち上がった。拳を握り締め、これが世界の終焉との戦いなのだと脳内英雄伝を走馬灯の如く駆け廻らせる。


命の為でもなく、世界の為でもなく、あのちっぽけな外付けだけに意識を集中させる。場所はちゃぶ台に置いてあるPCの上!


そして、今まさに魔法陣の後ろにある外付けハードディスクに視線をずらし、勢いよく飛びかかろうとした時。急に魔法陣が強烈な光を放つ。


目も当てられないくらいのフラッシュに、俺は目を両手で覆い隠す。と、同時に俺の腹に何かが飛び込んでくるような衝撃を食らい、「グボァッッ!」と叫び、そのまま後ろに倒れ込んだ。


倒れ方が悪かったせいで、背中と頭を強く打ちつけ、一瞬息が出来なくなり、くぐもった声を出す。


もうなにがなんだがさっぱりな状況で、涙目になりながら後頭部を摩り、恐る恐る目をゆっくりと開ける。


……目の前に、美少女がいました。


冒頭とお話が繋がりましたね。そう、それが今の状態。


なにがなんだか訳が分からなかった。もう、訳が分からない以前の問題で、なにがなんだか訳が分からなかった。今言ったことも訳が分からなかった。


PCが固まって、地震が起きて、魔法陣がモニターブチ破って俺の目の前で回転し始めて、いきなり光ったと思ったら腹に何かが突っ込んで来てグボァッしたらその正体が美少女だった。


……カオスすぎて俺の脳味噌じゃ処理しきれないんだけどこれ。俺の脳味噌にも外付け付けなきゃダメなんじゃないのこれ。あ、要領増やしても俺の脳味噌じゃスペック低くてダメか。って、なんで自虐してんの俺……。


床に寝ている俺の上に乗っている形で、少女は気を失っている。体勢的にはおいしいシチュなのかもしれないが、状況が状況なだけに俺は顔をしかめて訝しんだ。


ドッキリなのか?……そんな訳ないか。顔は見づらいけれど、パッと見でも分かるくらいの美少女だなぁ。


髪の毛はブロンドの金髪で腰まで長いロングストレート。無造作にバラけているが、よく手入れしているのか光沢が眩しい。


「んぅ……」


不意に少女が身じろぎする。服越しとはいえ、もたれ掛かっている肢体は想像以上の柔らかさだった。


こんな状況だが、俺は初めて女体に触れた(服越しだが)神秘に俺は感涙した。


いや、マジで。なにせこんな性格だからリアルがどんな生活か想像つくだろう?


高校にいた頃は、基本親友達とのゲーム談話やエロトークで盛り上がり、エロDVDやエロ本なんかを堂々と交換し合い、クラスのみならず学年の女子からは『変態男子の集い』とレッテルを貼られ、リアルの女がなんだ! と涙ぐみながらも俺らの青春は二次元や画面越しの大人の女性を堪能する毎日。リアルなんかクソ喰らえだの、リアルの女子はゴミだなんだとモテない俺らのささやかな反撃すらも白い目で見られてコソコソする毎日。そんなだから、俺ら――俺も一生リアルで女性と付き合うだとかお近づきになるだとかは有り得ないと思っていた。


もちろん、現在23歳の引きこもりニートな俺にリアル成分なんて微塵もある訳がない。


それがどうだろうか。


散々言ってきた俺だが、今まさに触れている体。その柔らかさ。髪から漂うなんとも言えない甘い香り。なによりもこの温もり! 


リアルの女なんて……リアルの女なんて……!


ッッッックショオオオオオオオオオオオオオ!!


心の中で思い切り叫ぶ。魂の叫びと言ってもいい。



今なら言える。断言してもいい! 二次元や画面越しの間接的な傍観こそ至高だと言っていたあの日々は、全て! 間違っていたのだと……知らなかったんだ……こんな……こんなに女の子は素晴らしいものなんだってことを……!!! 間違っていたんだ、今日までの俺らの青春は……。


込み上げてくる感情を抑えきれず、目から涙が溢れる。


「…………」


いつの間にか少女は起きていたらしく、俺の顔をポカーンと見ていた。


っっっ!! か、可愛すぎる!! なんだこの生き物は!


正面から見るのと、上から見えているのとでは全然違う印象だった。顔には幼げが残るものの、それが小動物のような愛くるしさを醸し出し、大きな瞳は吸い込まれそうなブルーアイ。まつげも長く、唇はちょこっと付いてる感じで淡いピンク色をしている。


涙で顔がぐしゃぐしゃになってる事も忘れ、俺は胸の鼓動が速くなるのを感じ、目を逸らそうかと思うものの、スカイブルーのような空色の瞳から目が離せなくなっていた。


「…………」


「…………」


時間が止まったかのように硬直したまま見つめ合う。だが、そんな時間もすぐに終わりを告げる。


少女の頬が赤く染まっていくのを見ると、小さい悲鳴を上げて、ずささささささっ! と後ろ向きに高速で後ずさりをした。


ゴッ! 


乾いた軽快な音が部屋に響くと、少女はくぐもった声でうっ! と呻き、後頭部を抑える。どうやらちゃぶ台にぶつかったらしい。


後頭部を押さえながら目を涙で潤ませるその仕草は愛くるしい小動物そのまま。思わず捕まえて保護したいくらいに、その少女の仕草一つ一つに胸が高鳴る。


そこでようやく俺は我に返り、正常な思考が徐々に脳を満たしていく。


状況は異常だが。


「だ、大丈夫か……?」


未だに涙目で後頭部を摩っている少女を俺は心配して声をかけた。


少女は俺の声を聞くなり、ビクッ! と体を震わせるものの、俺が心配してくれているのだと感じてくれたのか、はにかんだ笑顔を見せてくれた。


その笑顔にまたもドキっとするも、大したことはないようなのでホッと胸を撫で下ろす。


だけれど、一体全体どういうことなんだこれは。


魔法陣から美少女のシチュエーションに、俺はこれから何かが起ころうとしている期待――もとい、不安を感じざるおえなくなっていた。




☆★☆




俺は一般的な家庭ってものがどんな感じかはよくわからないが、俺の家は二階建て一軒家の5LDKだ。


一階に、洋室、リビング、ダイニングキッチン、風呂場。二階に洋室が3つに和室が1つとついでに吹き抜けという間取りだ。


俺の部屋は二階の南向きの部屋で、西向きに妹の部屋。あとの2部屋は空き部屋で、一階の洋室は両親の寝室になっている。


その一階にあるリビングのソファーに、美少女はちょこんと座って辺りをキョロキョロと見回している。


若干縮こまっている様に感じるのは、気のせいじゃないみたいだ。落ち着かない様相で、顔も強ばっていて緊張しているのが伝わってくる。


あの後、俺の部屋では色々健全ではないグッズもあるし、自分の部屋という空間に俺と美少女の二人だけだと俺自身が何するかわからないってのもあったから、取り敢えず一階のリビングまで誘導し、ソファに座ってもらっている。


もてなし方が分からない俺だが、まぁ、お茶とお菓子くらいなら用意することは出来るのでその準備をしている最中だ。


慣れない事もあって、どこに急須やお茶っ葉があるのだとか焦ってしまう。待たせるのも悪いし、女の子を家に招き入れることも初めてなので、尚更だった。


俺はテンパりつつもなんとか淹れたお茶を彼女の前のテーブルに置く。


彼女は俺の顔とテーブルに置かれたお茶やお菓子を交互に見比べる。


「あ、えーと……ど、どうぞ」


「…………?」


おずおずと彼女は湯呑を手に取り、中を訝しげに覗き込む。俺も自分の湯呑を手に取り、飲んでみせる。それを見た彼女は、小さい口でふーふーしながらお茶を飲み始める。


いいねぇ。そのふーふーのあどけない仕草! お茶を飲む金髪の美少女も乙なものだなぁ。ホッとするね。


……って、いやいやいやいやいやいやいや! 和んでどうする!? 


よくよく状況を振り返り、ありえない現象を目の前で目の当たりにした俺の心境は穏やかじゃない。


なのになんで、まるで自分の彼女を初めて家に招待したような感じで順応しているんだ俺!


「あ、あのさ……」


「…………?」


「君は、誰?」


色々順序が滅茶苦茶だが、ここで俺は勇気を出して彼女に尋ねる。


すると――。


「……っ、…………っ」


え、なんだ……?


彼女は俺に何かを言っているようだが、全くもって彼女が喋っている言葉が理解出来ない。


何語だこれ。いくら俺の頭脳が底辺でも、これは英語じゃないことくらいは分かる。


彼女はそれまでのおどけた様子から一変し、険しい――切羽詰った様な様相で俺に何かを訴えている。しかし、俺にはその言葉が理解出来無い。


彼女自身も、数回言葉を発するも困った顔をした俺を見て、一旦俯いた。俺が日本語を話している時点で、恐らく感づいていたに違いない。


それでも伝わるかもしてないと、きっと一縷の望みで何かを言ったに違いない。

だから、俺が分からなかったその分、落ち込んでいるんだと感じた。


すると、彼女は手と言葉で俺に何かを訴える。


……これ、ジェスチャーか?


両手の人差し指で、四角を空中で作り、そこに殴るように人差し指を動かす。それを繰り返し始めた。


えっと……ん? 四角いのに人差し指で――って、何かを書きたいのか?


「ちょっと待ってて」


俺はすぐ脇にある棚に置いてある電話まで歩く。横にはメモ帳とボールペンが置いてあるので、メモ帳を数枚ちぎり、ボールペンと一緒に彼女の前に差し出す。彼女はおもむろに紙を手前に引き寄せ、ボールペンを紙に走らせる。


ビリッ!


乾いた音がすると、渡したメモ帳の切れ端が破れた。驚いた彼女は、右手に持っているボールペンをしげしげと見つめ、ハテナマークを頭に散りばめる。


俺は一瞬何をしたいのかが理解出来なかったが、その様子を見るとどうやらボールペンの使い方が分からないようだ。


ボールペンの使い方が分からないなんて、どうなってんだ……? 


と、訝しむものの、彼女からボールペンとテーブルに置いたあったメモ帳の切れ端を一枚手に取り、ボールペンの上の先端をカチッと押す。彼女にも分かるように、上を押すと下にペン先が出るということをカチカチ動作させながら確認させる。


「!」


彼女は片手を口に当て、さも驚いたように表情が一変する。その表情を確認した俺はペン先を出したままのボールペンを紙に当てて螺旋状に


書きなぐる。


「!!!!!」


彼女は更に驚いたようで、俺がそのままボールペンを手渡すと、カチカチカチカチカチカチカチッと先端を押す。まるでなにも知らない子供だ。


それを見て、俺は少し心が緩んだ。魔法陣から飛び出してきた美少女が一体何者なのか。疑念は今だ晴れないが、本能とでもいうのか、彼女に対しての恐怖心や猜疑心は一切ない。ましてや、敵対心も全くない。


……仮に敵だとしても美少女なら俺は全く問題ない!!!! え、ダメ?


彼女は俺のそんな心の内を知るはずもなく、カチッとペン先を出したら、メモ帳の切れ端にボールペンを走らせる。きちんと黒い線が出ているので、今度はうまくいきそうだ。


にしても、何書いてるんだこれ――っておいおいおいおいおい!!


俺の体がビクついた。そりゃそうさ、だってまた魔法陣かよ!って感じなんだもん……。


必死になって彼女は紙の上でボールペンを走らせる。その軌跡は次第に魔法陣を象っていくのがハッキリ分かる。


それを見て俺の口元がヒクつく。


なんだが知らんうちに魔法陣トラウマになってんのか俺……? 何そのトラウマ、聞いたことないんですけど。


いやでも全ての元凶はきっとあの青い魔法陣のせいだからね!? あれをクリックしたらフリーズするわモニターブチ破って俺の眼前で巨大化しながらぐるぐる回り始めるわで、あんなファンタスティックなホラー見たことないからね! 絶対今夜の夢に出てくるぞ……。


あ、でも魔法陣からこんな美少女も飛び出してきたことだし、結果的には良かったのか……? まぁ、良かったと思わなきゃ俺のセーブデータ分の苦労も水の泡なんだけど。


カリカリカリと真剣に魔法陣を書いている美少女の彼女。まだまだ時間が掛かりそうだ。


にしても……。


しげしげと彼女を見つめる。彼女はその視線に気づかないくらい真剣に書いているみたいで、俺の視線には気づいてないみたいだ。


あの時は体を密着させてたし、ここに案内するまでの間も意識しちゃってあまり見れなかったけれど、この服装はどこの宗教だ?


彼女はまるで宗教のシスター服のようなワンピースを着ている。カトリックのような紺色で無地ではなく、ゲームなんかで出てきそうな神殿の巫女のような紋様が刺繍されているワンピースだ。ウィンプル――シスターが頭に被る白い頭巾も、ヴェールも彼女は頭に身につけていないが、もし身につけたとしたら高位の司祭に見えなくもない。デザインも、そこまで厳かな感じではなく、スカートはフリルが入っていて可愛らしいものだ。


だが、気軽に外出する時に着るものでもなさそうだし、なにより彼女は靴を履いてない。階段を降りるときに確認したが、靴どころか靴下も


履いてない。


一体彼女は何者なのか。


だけど、お互い言葉が分からないんじゃなぁ……。ああ、食べれば何語でも話せるこんにゃくが欲しい……。


俺は、はぁ。と小さくため息を吐き、彼女の服から顔に視線をずらす。


何度見ても飽きない。飽きないとか言っちゃ失礼なんだろうけど、それくらい可愛いんだこれが! これはあとで写メるしかないな。


じっと見つめていたら、ふと目が合う。かぁっ、と顔が熱くなるを俺は感じて目を逸らした。ヤバイ、あの目は反則だってば……。


空よりも青いスカイブルーの瞳に俺はすっかり虜になっていた。胸の鼓動も速くなる。


ヤバイ、恋なのかこれは!? 一目惚れってやつなのか!?


俺は頭を抱えて横に振る。初めての心境にすっかり毒されてしまったのか、目の前に彼女がいることも忘れて身振り手振りと体を動かして悶絶する。


落ち着け、落ち着け俺。これはきっとあの衝撃的な出会いで驚いたのが原因だ。吊り橋効果ってあるだろ? あれと同じだ。魔法陣がモニターブチ破った時点でビビリまくってたからな……。もう心臓も破裂するくらいバクンバクンだったし、この胸の鼓動は恐怖時の影響であって決して恋なんかじゃないんだ! だ、だけど……。


彼女は可愛い。非常に可愛い。もう小動物のような愛らしさが満載のそのルックスは、誰がどう見ても美少女で間違いない。なによりリアルの女はゴミだと言っていた俺が言うから間違いない! そんな女の子と知り合えたし(出会いは衝撃的でカオスだったが)しかも手を伸ばせば触れられる距離にいる。こんな近くでまじまじと女子なんか見たこともないし、見たいとも思わなかったけど……。これが恋ってやつなのか……?


この胸を締め付ける苦しみ、赤くなる頬。見るだけで意識してしまう。そうか、これが……。


胸の前で両手を組み、目を瞑り天井を仰いだ。


俺は別に神様なんか信じちゃいないし、もちろん宗教なんか全く興味もないけど、生まれて初めて感謝します。神よ! ありがとう!


そして手を伸ばし、額に当てて敬礼する。


友よ、俺は画面や雑誌なんかの二次元こそ至高だと、男はリアルより架空の理想や現実の二次元にだけ生きるものだと思っていたよ。けど、それは間違いだと俺は気づいた。もう、お前たちとは一緒になれない。この日を境に俺は変わる。いや、変わった! リアルにこそ俺の生きる道はある! 俺は自分の気持ちに正直に生きる。友よ、苦難の道を共に歩み、欲望のままに突き進んだ青春の日々を俺は忘れない! さらば友よ! 俺は妄想より現実を選ぶ!


気づけばまた目からは涙が溢れていた。上は天井だが、俺の目には青く広がる青空と友の激高する顔がハッキリ見えた。怒るな友よ、俺は先へ行ってるぞ。


てか、小一時間で何回泣いてんだ俺……。敬礼していた手で涙を拭う。目頭が熱かった。


俺の心臓は未だに高鳴り続けている。こんな気持ちは初めてだ。友とコンビニでカモフラしながら買ったエロ本を購入する時や、回りに回ってきたお古のエロDVDを鑑賞する時や、エロゲでの初めてのイベントシーンの時とも全部違うこの高鳴り……。欲情よる興奮なんかとは全然違う、顔を見るだけで恥ずかしい気持ちや、胸が締め付けられるこの感覚。人を好きになるとこうなると、泣きゲーやよくある純愛のギャルゲーパターンだ。故に間違いない。


ああ、そうか……。これが異性を好きなるって事か……。


確かめるように俺は胸に手を当てる。


こんな気持ちを蔑ろに生きていたなんで、クソッ、あのクサレエロの親友のせいだ! 俺をエロ道に突き落としてリアルの世界と隔離させやがって! どんなに可愛い子がいても、そうやって可愛子ぶって男を餌にして干乾びるまで人生を吸い尽くす悪魔なんだと体験談が詰まった本なんか読ませたり、向こうに気がありそうだと俺が言ったら、それは罠で、裏ではからかって遊んでいて「あいつ、告白されてマジになってんの。童貞ってチョーウケルよねぇ(笑)」なんて言われるに決まってると言われ、告白を断ったこともある。そうだ、そうだよ。なんで今まで気付かなかったんだ……! あの野郎ふざけんなよ……! あの時、俺だけに彼女が出来るのが許せなかったに違いない! 


天井――もとい、心の大空を見上げる。親友が満面の笑みで笑っている。俺は立ち上がり、懇親の力を込めて空に浮かぶ親友の顔面をぶん殴った。脳内の親友は、白目を向いて倒れこむ。次あったらこんなもんじゃ済まさねぇぞ! エロ豚野郎がっ!!


だけど、今日まで彼女を作らなかったからこそ、目の前にいる彼女に近づけるわけだが……。


それはそれ! これはこれ! 便利な言葉があるもんだな。


一旦ソファに座り、落ち着く。


『一目会ったあの日から、私はあなたが好きでした』


よくあるギャルゲーの一文。だけど、決まり文句なだけにその気持ちが今ならよく分かる。これは恋なんだと。決して今まで恋という恋に憧れていて吊り橋効果の影響で勘違いしているわけでもなく、これは恋なんだともう一度認識する。


一目惚れって冗談半分な恋の始まりだと思っていたけど、まさか自分がそうなるとは……。よくあるよな、角でぶつかってとか、教室の扉を開けたらぶつかってとか、魔法陣から飛び出してきてぶつかってとか。


そうか、これが……これが世間一般によく言われてる魔法陣から始まる恋か……よくあるあ――ねぇよっ!!


ビシッ! と何もない空間にツッコミを入れて気づく。


「…………?」


一体いつから見ていた? 


向かいに座っている彼女が訝しげに俺を見ていた。


それはそうだろ、もし最初から見ていたのであれば、完全に変人だ。


祈るポーズで泣いたり、天井に敬礼して胸に手を当てたと思ったら、怒って空中を殴って、見えない箱を持ち上げて右に置いたらなんにもないとこにツッコミ入れたんだからな。


え、なにやってんのこいつ? と思われて当然で、彼女の顔が若干困った顔してるのは見間違いなんかじゃない。


…………っっっっ!!!!!


俺はソファに崩れ落ちた。もう座っていたが、崩れ落ちた。


グッバイ、俺の初恋。


やばい、また涙が出てきた。これもう涙腺壊れてるわ。


「……っ、……っ!」


そんな俺の心境を知ってか知らずか、彼女は何かを訴えるように俺に話しかけてくる。


俺は既に身もココロも真っ白になっていた。もう残っているのは、真っ白な灰だけだ。燃え尽きちまったよ。全部。


彼女はそんな心境を察してくれたようで、苦笑いをする。


穴があったら入りたい。ホント。埋まってもいい。まさか一目惚れだと気づいて数分で終わるなんて、クソゲーすぎて笑えねぇ……。


「~~~っ、~~~」


そんな状態の俺を無視して、彼女はテーブルにボールペンを置いて、魔法陣を書いた紙を自分の正面に置く。


すると、彼女は何かを呟き始めた。それは一瞬の事で、何を言ってるか理解は出来無かったけど、さっきまでの喋りかけてきた口調とは違う。


ビリッ!


彼女が一生懸命ボールペンで書いていた魔法陣の紙が破れる。と、同時に青い炎に包まれて、その炎が紙をなぞったかのように魔法陣になっていく。


また魔法陣か。もう見飽きたよ。


俺は微笑を浮かべて微笑した。魔法陣耐性って、どんなステータスだ……。


「―――――っ!」


炎が完全に魔法陣を形成すると、彼女は一言発する。その言葉と同時に、魔法陣が四散し、跡形も無くなる。


そして――。


「あ、あのー……」


俺は耳を疑った。その声を主を確かめるべく、顔をすかさず上げる。


「私の言葉、分かりますか? 聞こえてますか……?」


彼女の口が動くと、綺麗で、可愛らしい声が俺の耳から脳に伝わっていく。


「え、えーと……今喋ったのは、君……なの?」


「あ! よかったぁ、失敗したのかと思いました」


また俺の脳内では処理できない現状になっていた。まぁだが、恐らく予想は付く。


その予想が正しいかどうか、彼女に尋ねる。


「それって……もしかして、だけど。さっきの魔法陣で?」


「はいっ! 異国の精霊を召喚して言葉が通じるようになる魔法です。さっきの魔法陣で、ここの国の精霊を召喚して言葉を借りてるんです」


予想はしていた。魔法陣が燃えてポッと弾けたら彼女が日本語喋ってるとか、どう考えても原因はそれしかない。


だからと言って納得出来ることじゃない。


当たり前だ。魔法? なに言ってるんだこいつ、ダメだ、早く何とかしないと。っていう状況だが、そんなこと言えるわけない。そりゃそうだ、彼女は何語か分からない言葉で俺に喋っていたのに、今じゃ日本語ペラペラ。こんなの魔法か未来のこんにゃく食べないと有り得ない現象だ。


彼女の説明を聞く限り、信じれるわけがない。彼女が喋っているように見せかけて、実はどっかから別の人が翻訳してマイク越しにスピーカーを通して喋ってるものだとも思ったが、あんなに口の動きと音を合わせるなんて出来ないし、確実に彼女の口から声が出てる。


非科学的だが、これを信じなきゃ、彼女が魔法陣から出てきた理由だって説明出来るはずもない。さっきだってライターがあるわけじゃないのに紙が燃えて青い炎がほとばしったんだ。


そっか、魔法か。うん、知ってる知ってる。ファイアー、とかサンダーとかババッって出してモンスターがピギャァするアレでしょ? なぁんだ、そうだったんだね。それなら出来て当たり前だね。なのにこんなに俺は悩んじゃって、馬鹿みたいだ。ハハハ。


自己防衛が働き、俺の脳味噌は現在の状況を飲み込むことにした。これ以上負荷を掛けるとメルトダウンして廃人になるのを本能で回避したに違いない。


ギリギリの思考と精神状態の俺を知るはずもない彼女が、柔らかかった表情を一変させて鬼気迫る勢いで矢次早に言う。


「お願いです、私の国を救って下さい! 異形の物達が攻め込んで来ているんです! 助けて下さい!」


俺はその言葉を聞いた瞬間。血管が切れるような鈍い音が脳内で響いた。



☆★☆



「私の国を救ってください……か」


心地よいシャワーの音と暖かいお湯が、石鹸泡が付いている体を流す。


髪を掻揚げ後ろに回し、キュッと元栓を締める。


少しだけ耳に入ったお湯を首を振って落とし、お湯が張っているバスタブに体を沈めた。


……生き返る。


両手でお湯をすくって顔に掛け、頭の後ろのへりに後頭部を乗せて天井を仰いだ。


「俺に何が出来るってんだ……」


ボソッと俺は呟く。


あの後1時間、彼女は、自分が何故俺の家に来たのか。何故俺なんかに救いを求めるのか。自己紹介も兼ねて淡々と説明してくれた。


俺の思考回路がほぼショートしかけてはいたが、なんとか正気を保っていられたのは彼女があまりに深刻な顔をしたのと、苦しそうに声を出していたからに違いない。


魔法だとか、異世界だとか、そういうのを一旦全部抜きにして彼女の話を聞いた。聞いている話は、王道RPGの冒頭で王様に呼ばれて旅立つ勇者がその世界の事について説明を受けているという気分だった。


それは、彼女に対しては失礼だったのかもしれないけれど、その時ばかりは、ああ、ゲーマーでよかったな。と少し思ってしまった。じゃなきゃもう寝込んでいてもおかしくない。


今は話も聞き終わり、風呂で一汗流していた。彼女はまだやることがあると言って、メモ帳の切れ端にまたボールペンを走らせていた。見た目以上に疲れている様だったが、無理をしてでもやらなければいけないことみたいだった。


……あとで風呂もご飯も寝る準備もしないといけないな。


そういうのをひっくるめて彼女の話も思い出していた。


彼女の名前は、アイリス・アーケンシュッツ。


アイリスが名で、アーケンシュッツが性だ。


アーケンシュッツ家は、キュアノエイデス公国の現大公、ギリアム・アーケンシュッツの一族で、つまり、公族というわけになる。


現アーケンシュッツ大公の娘、それがアイリス。彼女の国では今、国が滅ぶかもしれない未曾有の危機に瀕していると言っている。


それが『異形の者の侵略』だと言う。


異形の者とは、人間でもない、動物でもない――いや、動いているので一括りでまとめれば動物の部類に入るのだが、彼女が言うには異形の者はそもそも彼女の世界には存在してはいなかったと言う。


どこから湧いて出たのか、数年前から突如として猛威を世界各地で振るい、その勢力は次第に強まり、今まさにキュアノエイデス公国に攻め込もうとしているらしい。


キュアノエイデス公国は、主に貿易と魔法関係で成り立っている公国で、軍隊も歩兵、魔法兵含め師団級は定軍しており、国土面積が小さい公国だが、自衛以上の軍備力を備えているみたいで、生半可な規模の敵では太刀打ち出来ないくらいの堅牢さだと言う。


しかし、今から1週間前に、数十キロ先の駐屯地にいる部隊からの斥候からの通達で、およそ三千規模の異形の者の軍団が確認され、その進路は言うまでもなく、キュアノエイデス公国に向かっていると連絡が入る。進行速度からして、十日後に到着すると見ている。


だが、一月前に別の国――エリュトロン公国と言われる国で、既に異形の者との戦闘が開始され、その同盟国であるキュアノエイデス公国は支援軍として、軍備力の約半数である一個師団、五千人規模の軍を向かわせた。内訳は歩兵四千、魔法兵千の旅団だ。


キュアノエイデス公国からエリュトロン公国まで到着に半月かかる。つまり、たとえエリュトロン公国から支援軍を呼び戻しても、もう間に合う訳もない。急がせたとしても、エリュトロン公国での戦闘で疲弊した兵を鞭打った所で戦力になるわけもない。


そう、異形の者はエリュトロン公国を餌にキュアノエイデス公国を陥落させる気でいると見ていいだろう。


単純な戦術だが、小国のキュアノエイデス公国からしたらこれ以上に怖いものはない。


完全に力のみで制圧する気でいるのが手に取るように分かるが、気づいたが後の祭り。もはや完全な二者択一。


国を捨てて逃げるか。


死ぬ覚悟で国を守るか。


この窮地に落とされたキュアノエイデス公国現大公のギリアム・アーケンシュッツ公は、残された時間の中で寝る暇も惜しんで活路を模索するも、何の策も浮かばないまま今日に至る。


そして、俺が彼女と出会うあの魔法陣こそが、国の命運を掛けた一縷の望みだったと言う。


それが、異世界へ支援を求めるという決断だ。


彼女の世界には魔法という概念が存在する。こっちの世界でのゲームに出てくるアレだ。


魔法と言っても小から大まで様々あるらしく、火系統の魔法でも、薪に火を点ける程度から一帯を焦土化する強力なものまで多種多様にあり、その中に魔法陣を使った異世界へと橋渡しする魔法も存在し、それにより彼女はこちらの世界に飛んできたと言う。


魔法という単語ですらゲームやアニメの世界だというのに、モンスターまで攻め込んでくるなんてファンタジーもいいところ……と本当は言いたいが、彼女の表情が冗談で言っている風には見えなかった。俺はその説明を聞きながら、彼女の切実な様相を見てそう思った。


彼女は、その異世界への特使として、キュアノエイデス公国代表として異世界へ渡り、自分たちが行ったこともない異世界の国に支援を求め、国を救おうとしている。


きっと皇帝である父親も、苦肉の策だったに違いない。国の危機に皇帝が国を空けるわけにもいかない状況だから、娘に白羽の矢が立ったのだろう。


彼女自身も国を背負う父親を持つ身で、責任は重大。なにせ、この策が奏功しなければ、国が滅ぶかもしれないからだ。


――だが、どうだ?


無理に決まっている。


俺の世界で、異世界の別の国が滅ぼされるかもしれないから軍隊を貸してくれと言ったらどうなると思う?


何を言っているんだと一蹴され、相手にもされない。


町の公安ですら取り合ってもらえないし、なによりここは日本だ。


この国に直接被害が及ばない限り、自衛隊は動かない。


約3万の軍団に対抗するには、この日本だと自衛隊以外にない。だが、その頼みの綱でさえ、どう足掻いたって歯牙にもかけられない。


しかも俺は単なる一般市民だ。そんなことを言ってみろ、ヘタすれば警察にご厄介になるかもしれない。


それを含め、全て彼女に説明した。


彼女は、俺の説明を聞いているうちに顔を曇らせ、手を固く握り、今にも泣き出しそうな顔をしていた。


これ以上この国での現実を突きつけてやる必要もなかったのだが、一国の命運が掛かっている以上、ヘタな希望は捨てたほうが彼女の為になると俺は判断し、この国からの支援は一切出来ないとハッキリ言った。ヒドイやつだ。


その時の彼女が流した涙に、俺は心が裂ける思いだった。


「なら、他にどうしろってんだ……」


自分自身に問いかける。


もしかしたら取り合ってくれるかもしれない。だから少し時間をくれ。


そう言えば良かったか? 話を聞く限り、もう猶予もない。淡い希望をちらつかせてからじゃ、絶対に後悔してしまう。


よくあるゲームでの話だ。それがリアルで起こっている。それだけだ……。


なのになんで俺はこんな気持ちになってるんだ……?


彼女の涙を見たからか? 初恋の相手を悲しませたくなかったから、残酷な現実を突きつけて泣かせたのが辛いのか? 


いや、それ以上に俺自身がなにも彼女の力になれないのが辛い。


「本当に、本当に彼女の世界が現実に起こっていたとしても、俺一人でなにが出来る。クソッ、なんで俺の所に現れたんだ」


もし、俺じゃなく軍関係者の元へ魔法陣を展開させて飛んでいれば違っていた。この国じゃなくても軍隊のいる国の首相の目の前に魔法陣から彼女が飛び出せばうまくいく可能性もあった。


なので、もう一度異世界への魔法陣を展開してそこへ飛べないのかと俺は聞いた。


だが、異世界へ転送する魔法陣の工程は非常に複雑で、丸一日かけて術式を組み込むらしい。それだけやっても異世界へ飛ぶ。という不安定な転送で、場所までは固定出来ないらしい。


魔法兵と言っていた兵士五百人規模でやっと魔法陣が完成して、それでも尚場所は選べずに異世界へ転送される。ある意味自殺行為に等しい。でも、それしか国を救う方法はなかったのだと彼女は言った。


そして、もし無事に転送出来たら、魔法で転送先の座標を送信してそこに明日同じ時間にもう一度魔法陣を展開して首尾を確認する計画らしい。


恐らくさっき書いていた魔法陣は座標を送信するためなんだと今理解出来た。


魔法の理屈を説明されてもさっぱりわからなかったが、丸一日かけて魔法兵五百人規模で魔法陣を成型する。これだけで既に貴重な時間も、兵力も消費している。敵が攻めてくるまでもう三日もない。


これが最後の賭けだったんだろう。


――だけれど、だけどどうなんだ?


現実は、なんの権限もない。なんの力もない。平凡な高校生の元へ彼女はやってきた。彼女は一国を背負っている。これが最後のチャンスで、もうやり直しはきかない。


なのに、俺の元へやって来てしまった。


なぜそれが俺なんだ?


彼女の国が消える非常事態で、最終手段の異世界にまですがって、その結果がこれだ。


神様なんて全然信じちゃいないけど、この時ばかりは神様を恨んだ。


だってそうだろ? 異世界への転送は上手くいったんだ。上手くいって、彼女は俺に出会った。彼女からしたら、俺がなんであれ、異世界の住人で、助けを求めたいと願っていた相手そのものだ。きっと期待したと思う。誰だってそうさ。願いが叶う直前までいけば、誰だって期待に胸を膨らませる。叶うんだと。そう信じて。


結果は、そうじゃなかった。それを俺から言ったんだ。助けてくれると、国を救ってくれると願っていた相手に、そんな残酷な事を言われた。彼女の気持ちは分からない。でも、もしだ。俺がその立場だったら、発狂してるだろう。


なんでだ、と。


どうしてだ、と。


あと一歩の所でリセットなんかない現実に直面する想像をすれば、本人じゃないにしろ、共感出来る。


「俺は――残酷な事を言ったのか……」


俺からしたら軍隊貸してくれなんて言われて、はいどうぞなんで気軽に言えるわけない。そんなの、当たり前で、この社会で軍隊を動かせるなんて人物は数えるくらいしかいないし、むしろ動かせる人物と言っても簡単に動かせるわけない。


小学生だって分かってる事だ。俺らの世界じゃそれが普通で常識なんだ。


でも、彼女はその常識っていう普通の仕組みの壁の前じゃ、どうしようもないんだ。それは俺も同じで、俺はそれが常識だけれど、それが壁になってる。


無理なものは無理だ。しょうがないんだ。俺のせいじゃない。


俺のせいじゃない――でも。


「それでも叶えたいって、俺、何様だよ……」


ボソッと呟く。


叶えたい。彼女の願いを。


俺の気持ちは彼女の話を聞いてからずっとそう思ってる。


でも、行動に移そうとはしない。分かってるんだ、叶わない願いなんだと。俺みたいな一般市民じゃ何年掛かっても無理だ。


それでも、俺自身願っている。


彼女の願いを叶えたいと。


軍隊は無理にしろ、俺のとこにやってきてしまったのはもう結果なんだ。それの過程をどう考えたって、時間が巻き戻るわけじゃない。


俺にも何か出来ることはあるかもしれない。そう思うと、さっきまで胸につっかえていた自虐的な気持ちも少し和らいだ気がした。


結果論をダメな脳味噌で考えたってなんにも始まらない。


「とりあえず、彼女になにか出来ることはないか、話すとこから始めるか」


ごちゃごちゃしたことは置いといて、目の前に困ってる美少女がいる。それだけだ!


ザパッ。と勢いよく風呂を飛び出した俺は、せっせと体を拭き、急いで着替えてリビングに向かった。



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