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あるお盆の思い出

作者: ふくれこ

始めましてみなさん。これからどうぞよろしくおねがいいたしまう。

私が幼い頃、父方の祖母の家で不思議なものを見た。正確には祖母の家のすぐそばにある土蔵で、だ。祖母の家は日本海に面した田舎にあり、お盆のたびに帰省するのだがゲームもなければパソコンもない。他に親戚が来るわけでもないし近所に年の近い子供もいない。海に入ることもできなかったので、行くたびに暇を持て余していたことを覚えている。

 その日も私は退屈していた。父と母は両方とも料理を作ったり掃除をしたりで相手をしてくれないし、どこにいるのか祖母の姿も見えなかった。仕方がないので私はその日何度目かの「探検」を始めた。ここでいう「探検」とは私の名づけた一人遊びで、父や母を未知の獣に、家の中をジャングルに見立てて忍び歩くというものだ。両親の周りであまりに騒ぎすぎると怒られるので少し離れたところから物陰に隠れてこっそりと観察するのはなかなかスリルがあったし、珍しい者のたくさんある祖母の家はこの遊びにうってつけだった。

 いつものように一人でテレビの実況のまねをしながら姿勢を低くして室内を歩き回る。テレビの横に身を潜めたり、机の下に入って見えない無線機で本部と連絡をとったりしながら両親のいる台所の方へ向かっていると、奥の廊下を誰かが通り過ぎるのが見えた。板張りの廊下をすすっと、白い足袋を履いた足が滑って行ったのだ。藤色の着物の裾も見えた。不思議に思った私は遊びを中断して両親に告げに行こうかどうか少し迷った。何を不思議に思ったのかというと、その藤色の着物は祖母が好んで着るものに似ていたのだが普段の生活で祖母が着物を着ることはあまりないからだ。それから、当時祖母は足を患っておりいつも片足を引きずるようにして歩いていたのだが廊下を過ぎた人物は淀みなく、そう、それこそ滑るようにしてさっさと歩いて行ったのだ。それらの不可解さが少しの間頭の中を巡ったが、私は遊びを続行することに決めた。いや、正確には探検を続けながら廊下を通った人物の正体を突き止めよう、そう思ったのだ。

 私は単調な遊びに生じた目的意識に少しわくわくしながらそっと廊下を覗いた。部屋を出ると廊下は左右に、奥の仏間に続く方とトイレの前を通って玄関へ続く方へと別れている。私はなんとなく姿の主が祖母ではないと面白いなと思ったのでより可能性のありそうな玄関へと向かった。家の中に侵入した誰かが外へ出ていくところを見たら泥棒の証拠を見たと褒めてもらえるかもしれない。そんなことを考えた気もする。とにかく私は足音を立てないように、それでいてなるべく早足で玄関へと向かった。途中¬の字に折れた曲がり角で耳を澄ますと角の先に誰かが居るようだ。壁にぴたりと身を寄せて息を潜めていると、じゃりじゃりとコンクリートの土間に靴が擦れる音が聞こえて、それからがらがらと玄関を開けて誰かが出て行った。そっと首を伸ばして誰もいないことを確認すると一瞬躊躇ってから私も外へ出た。外に出て辺りを伺うと、夕暮れの裏庭へ、すっと紫色の影が入るのが見えた。私は、やっぱり祖母だったんだと少し安心したのを覚えている。このまま全く知らない人物が外へ出ていくのを見てしまったら、それはもう遊びではなくなるのではないか、そんな不安がいつからか芽生えていたようだ。私は調子を取り戻して影を追った。庭に生える名前の知らない細い木の陰に身を隠しながら裏庭を見ると、土蔵の前に藤色の着物を着た祖母が居た。やはり祖母だったんだ、と思いいつものように小声で実況を始めようとした私の首筋を海から吹いてきた風が撫ぜる。その風が思ったよりも冷たく感じられて私はぴくりと身をすくめた。その瞬間、草むらで鳴いていた虫の声が止み、目の前の景色が急に現実味を帯びなくなった。西日にさらされて桃色に色づいた白壁の土蔵、微動だにせずその前に立ち尽くす祖母、やたら濃い色で地面や蔵に伸びる木々の影。見慣れた裏庭の風景ががまるでデフォルトされた絵画のように映り、ただ立っているだけの祖母の姿が異様な存在感を醸し出していた。私は知らない間に口の中に溜まっていた唾をのみ込んだ。体中の関節が固まってしまったような気がして、動かしてみたいけど動かした瞬間何かが起きてしまうのではないか、そんな怖れが私をその場に釘づけていた。

 気が付くと蔵の前から祖母は消えていた。冷静に考えると蔵の中に入っていったのだろうが、当時の私は何か見てはいけない物を見ていたような気がして慌てて家の中に駆け込んだ。両親は急に深刻な顔で家事を手伝おうとする私を見てさぞかし不思議だっただろう。

 結局、祖母はいつもの格好でその日の夕食に普通に参加して、私たち家族はもう数日過ごしてから市内の家に帰ったのだ。言うまでもなくそのあと探検はしていないし、裏庭にも近付いていない。お盆の日に体験したこれは怖くて誰にも話すことができなかったし、家に帰ってからもしばらくの間は背中を向けた祖母に追われる夢を見たものだ。それからしばらくは学校の行事予定や諸々の不都合が重なり、田舎を訪れる機会はなかった。

 次に私が祖母の家を訪れたのはうちに訃報が届いてからだ。自室で眠ったまま息を引き取った祖母をヘルパーさんが発見したらしい。予期しない急な知らせだったので父も母も大慌てだった。クラスメイト達より数日早く夏休みを迎えた私は葬儀の準備の合間に、母にそれとなく尋ねてみた。

「ねえお母さん、ここってさ裏庭があるでしょ?」

母は疲れた顔でペットボトルの麦茶を飲みながら答えた。

「あるけど、どうしたの」

「あの裏庭の蔵ってさあ、何が置いてあるの?」

母は一瞬何の事だかわからない、といった顔をしてからその後すぐに険しい顔をした。

「蔵って何かと思ったわ。あんた、まさかあそこに入りたいとか言わんでしょうね」

てっきり物置か何かだと思っていた私は俄然好奇心をそそられた。

「何々?蔵じゃないの。なんなのあれ」

母はそんな私をうっとうしそうに睨むとささっと辺りに目を配り、声を潜めていった。

「あそこはね、あんた。蔵じゃなくて座敷牢だよ」

「座敷牢?なにそれ」

ぴんとこない私に母はさらに顔を近づけてひそひそ声で説明した。昔の裕福な家庭は身内から出た障害者なんかを恥だと考え、表に出さないよう家の中で軟禁状態にして生活させていたようだ。裏庭にある建物はそのための建物だと言う。

「え、怖い。じゃあお婆ちゃんはお盆の日はそこでご先祖様の供養でもしてたのかな」

私が言うと、母は怪訝な顔をした。

「え、なんでそんなこと思うのさ」

「だって、小っちゃい頃に見たよ。お盆にお婆ちゃんが蔵の中に入ってくの」

私が言うとお母さんははっとした顔をした。

「もしかしてあんた知らなかったの?」

何が?と私が返すと母は困ったような顔で続けた。

「あそこにはお爺ちゃんが住んでたんよ」

「え?」

「お爺ちゃん。あんたのお爺ちゃんでお父さんのお父さん。で、お婆ちゃんの旦那さん」

まさか、何も知らなかった私はあまりのことに開いた口が塞がらなかった。思い返してみればお爺ちゃんを見たことはなかったし、小さい頃はそういうものだと思っていた。ある程度ものが分かるようになってからも早くに他界してしまったものだとばかり思っていた。

「お爺ちゃん、昔仕事中に頭を怪我してね。ほら、お父さん側の親戚って、結構体面とか、そういうの気にするじゃない」

お婆ちゃんたらそれでも別れたくないって言って親戚連中と大立ち回りだったらしくてね、とだけ言うと母はすっくと立ち上がって言った。

「さ、あんたも手伝いなさい。明日までにすることたくさんあるんだから」

台所に向かう母の背中を見て、我に返った私は何とも言えない薄気味の悪い気分になった。原因は蔵の前から離れるときに聞いた物音。ぎしぎしときしむ木の音と、それから苦しそうな、それでいて嬉しそうな、女の、声。


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