学者先生
ニコラ・フラメル視点
「なんて私は運がいい!バウムガルド万歳!」
コップを天へつきだした後、勢い良く飲み干す。
普段は飲まない酒だが、期待に満ちた出立を前に設けた細やかな宴に、ついつい杯が進む。
「あはは、万歳万歳。」
陽気な音楽家は、コップが空になったのを直ぐ様酒で満たす。
「おぉい、ニコラ。お前、飲み過ぎだってぇ。弱ぇんだから。……てめぇも嬉々としてつぐなよ。馬鹿野郎。」
捻くれ者の傭兵は、これ以上とっておきを飲まれてはなるまいと、ボトルを己の背で隠す。
バウムガルドという貴族の家を介して知り合った男たちは、一癖も二癖もある変人たちだ。傍から見れば自分も彼らの同類なのだが、二人よりはましだ。
「君たちも一緒にくればいいのに。」
街に残るという彼らに、口を尖らせ拗ねてみる。
迷宮という研究対象は魅力的すぎて嬉しいのだが、同行者は誰もが年下でちょっと座りが悪いのだ。
「何を好き好んで、旨い酒がなくなった場所に行くかよ。それにお前と違って、俺は仕事頼まれてんだ。」
「別に僕は行ってもいいけど、草の世話する人いなくなるよ。困るよねぇ、長期に渡る観察が無駄になるものねぇ。」
間髪入れず拒否の返答。からかいを含むそれに、眉が歪む。
なんとも友達がいのない奴らだ。
ここ数年、私はとても恵まれている。
最初、バウムガルドの幼い当主とその妹の教師にと、話が来たときはそんな時間があるなら研究に割きたいと正直思った。貴族の、それも当主だなんて偉そうな立場になった子供など、手に余るのがみえていた。
子供は、特に女の子は苦手だ。
どう扱っていいかわからないし、話していると何故か泣かれる。
研究に行き詰まり、必要な道具一つ買えないほど困窮さえしていなければ断っていただろう。
だから、まあしばらくはまともに研究ができないと覚悟はして、使者の手をとったのだ。
それが、実際にかの領地に着いたらどうだ。
案内された住居は、一介の家庭教師に与えるようなものではなかった。
呆気にとられる私を、何を勘違いしたのか。
「何か不足がございましたらば、お申し出ください。直にご用意いたします。」
などと、使者は簡単に言って、こちらの反応を伺っていた。
不足など無い。
無いどころか、備え付けの家財で普通に暮らすだけなら十分。それに、教師としての教材なのであろう本棚には相応の量の本が収まっている。
加えて、引越しの際に、持ってきた研究資材を運び込んでも、まだゆとりのある住居は、簡素な造りながらも平民には過ぎたものだ。
3日に一回。一刻ほどの授業を二人分。
当主である姉の方は、都合により行わない日もありという勤務の少なさ。
それで給与は相場よりも色がついているという好条件だ。
怪しいことこの上ない。
相手の手の内で、既に逃げ場などない状況。半ば捨鉢な気分のまま、教え子との体面となった。
十歳と八歳。
想像よりも大人びた顔立ちの少女と、何が楽しいのか笑みを絶やすことのない少女。
妹のエリザ様が、幼さ故の好奇心から質問攻めしてくるのを答えながら、意識は姉のロジーナ様からの視線に向かう。
見定められている。
それはエリザ様が飽きて、室内を出て行くまで続いた。
ロジーナ様と老人、そして私の三人だけになった室内。
奇妙な沈黙。なにか言うべきか悩む私の様子に、ようやく口を開いた少女。
そこで私は、私が何故好条件で雇われた意味を知った。
「属性石魔法の研究には、何か特別な施設は必要か?」
妹はともかく、この当主の少女は端から私の研究が目当てだったのだ。
家庭教師という迂遠な方法で呼び寄せたのは、前の支援者である貴族の体面を気遣ってらしい。私はその家の新しい当主と折り合いが悪く、半ば喧嘩別れのように援助が打ち切られた。今更かの貴族に頭を下げて、援助してもらうつもりはない。それでも、息がかかった者を引き抜くことに気を回したのだ。
故に、家庭教師としての職務の余暇に、個人的に研究するという建前。
その実、バウムガルド家が新しい支援者となり、研究を進めることが出来る。
定期的な報告書の提出や細かな口出しはあれど、支援の額は前よりも一桁多いのだから文句は言えない。
きちんと内容を把握した上での注文なのだから、不利益ではない。
後々、施政者としてのロジーナ様の注文と、何処から発想を得たのか一見珍妙なエリザ様の注文は、属性石魔法を実用化するという点では大いに役に立った。
それに、建前としての家庭教師も親しくなった為か、子供に対する苦手意識が表面に出ること無くどこか楽しみながら行えるようになった。
そして古い血を持つからか、彼女たち自身も優秀な媒介を生み出す素地を持っていた。それが分かった時、思わず興奮し二人に詰め寄ったら、バリー老からキツイ説教を受けるはめになったのは忘れたい記憶だ。
ロジーナ様の執り成しが無ければ、どうなっていたことか。今でもゾッとする。
落ち着いて説明して理解を得た後、二人から髪と血を貰い媒介を作ってみせた。
でなければ、バリー老が私に貼ろうとした年端もいなぬ少女に性的欲求をもつ変態、というレッテルが、避けられなかったからだ。
それぞれの瞳を模したかのような緑の石。
これを媒介として行使に適した魔法は、治癒や補助の系統だろう。人の身、それも僅かな素材で作った媒介としては、複数回の行使に耐える優秀なものだ。比較として私やバリー老から作ったものが、一回の使用にも耐えられないクズ石だったことからも、二人から採取した素材がどれほどのものかわかってもらえるだろう。
バリー老もそれを見比べ、私に変態と言うレッテルを貼るのは止めてくれた。が、別の意味での危険人物として警戒されてしまったので、以後の授業、彼の監視が付くようになった。
後から二人の教師としてやってきた人たちから、良い印象をなかなか持たれなかったのはこれが原因だろう。
まあ、人間関係はともかく。私は、結構満たされた生活を送っていたのだ。
それに変化をもたらしたのは、魔女だ。
王子生誕の祝に出かけたロジーナ様が、急ぎの帰宅をなされた日。
何も知らないまま、のんびり研究をしていた私は屋敷に呼ばれて、魔女の実在を知った。
前から、授業の合間にエリザ様が冗談のようにいっていた存在。
帝国期の古い文献で、予言されていた忌まわしき存在。
それを目撃した彼女から語られる異形に、不謹慎ながら興味を抱いた。
魔女がそれらを呼び出したのは、すでに詳細が失われて久しい遺失魔法。魔女が生み出した迷宮に、少なからず遺失魔法の何かが関わっているに違いなく。
それは、属性石魔法を更に発展させるためのヒントにもなるだろう。
だから。
「お願いしたいことがあるのだけれど。」
そう口にしながらも、断ることを許さない空気を醸し出す彼女の言葉の続きが、かの街への同行だったのは、まさに渡りに船だった。