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準備に急く


 無事に城外に脱し、焦燥に背を押されるように領地へと帰って10日。

 魔女の起こした波紋は、まだここまで届いては居ない。


「次。」


 判を押した書類を横に移し、新たな書類を催促する。

 ただ、不在であった時に溜まった庶務が、うんざりする量で机に運ばれてくる。

 あの後、妹が言う原作知識のように、魔女は王に深手を追わせた後、古代王国時代の遺跡がある場所に迷宮を生み出し、奥深くに閉じこもっているらしい。

 迷宮からは日没と同時に瘴気が滲み出し、異形の怪物が外へと出てくるという。周囲の木々は禍々しく変質し、隣接する街グランフィアの住民の多くは、街を捨てようとしている。

 王も魔女が去った後、生き残った兵を集め、直ぐ様迷宮へと向かったという。だが、今のところ魔女を討ち取ったという話も、奪われた王家の至宝を取り戻したという話も聞こえてはこない。

 王の要請がないのをいいことに、貴族も兵を出さない。もっとも、この国の王に親しい貴族ほど魔女の襲撃による犠牲者が多く、当主を失った家もある。事が起きて間もない今、指揮をとる人間が居なくては、出兵どころではないだろう。

 また、この機に乗じて他国が攻め入ってこないとは限らず、国境近くに領地をもつところも兵を出すことは難しい。実際、いくつか挑発的な行為は行われたらしい。手の早いことだ。

 めまぐるしく変わる状況。

 私もただ座して、噂を聞いているだけではない。

 当主として、領地を守るための準備に追われていた。それに加え、自身が迷宮攻略に向かうための準備も進めている。

 ここまで来ては、もう妄想とは言い切れない。原作知識では、王はまもなくすれば迷宮から兵を退き、代わりに莫大な報酬を餌に義勇兵を集め、迷宮へ魔女を討伐する人材を送り込む。

 そして、それは現実になると思う。

 今投入されている戦力は、実際に異形を見た身としては、どんなに大きく見積もっても力不足を否めない。名のある騎士たちは、負傷を理由に後方に下げられている。

 義勇兵の募集は、正規の騎士による戦力の再編成までの時間稼ぎにすぎないだろう。

 多分、王位すら功名心に駆られた者の餌となる。王自身が戦功によって、王女を娶って成り上がったように。

 だから、自分の駒となる者を集めるとしたら、王がそれをする前の今しかない。

 既に兵役についている者は、他国の侵攻が始まった場合と迷宮から出てくる異形への備えの面から連れてはいけない。かといって、傭兵を生業としている者を雇うのは抵抗がある。どうせ雇うなら、迷宮に連れて行くよりも領地の防衛に回したい。

 すでに領内の各地に書簡を送り、いざという時の指示を与えている。

街には避難や籠城先としての受け入れ準備を、小さな集落には事態に動きがあった際に、すぐにでも避難できる準備を行うように記している。

 専守防衛。他領からの増援など期待は出来ないのだ。無理に攻めるべきではない。

 自領は内地で国境とは接しておらず、グランフィアのある領地と隣接している為、他国が攻めてくるのはそうそうないであろうが、魔女の脅威からは近い。

 それに、「とうとう原作が現実に始まろうとしている」と、愚かにもこの状況を喜ぶ妹は、止めた所で迷宮へと向かうだろう。

 実際、ここ数日妹が口にする話題は、原作へどう介入するかといった願望ばかりだ。ヒーローになりたいという自己顕示欲は、私が何を言っても収まる様子はない。普段から短絡的なところがある子だが、ここ最近の様子はそれに輪を掛けてひどい。見ていて危なかっしいことこの上ない。

 でも妹は、私に残されたたった一人の家族。

 面倒ではあるが、エリザを一人で行かせて何かあっては、後悔してもしきれない。バルトルトとリリーをつければ大丈夫だとは思うが、目の届かないところに置いておくと、あの妹は何をしでかすかわからないところがある。

 身分という差がはっきりとあるこの世界では、貴族である妹を止めるのは二人には難しい。

 それに魔女の件が無難に終えた場合、広間から真っ先に逃げ出し被害のない私へと、疑いや八つ当たりの混じった不平が向かうことは想像に容易い。

 少しでもそれを遮る功績が欲しい。はっきりと目に見える形で。

 魔女の討伐を直接は無理でも、それを成す者達の支援ならば無理なくできよう。

 送った書簡の返書を読みながら、これからの自分の行いを正当化しようとしていた。でなければ、危険な地に向かう気持ちが萎えてしまう。

 ああいう場所は、自分が酷く冷酷な人間なのだと、眼前につきつけられるようで嫌だ。

 溜め息をついてしまうのを、ぐっと堪える。

 部屋には私以外に、執務を手伝ってくれる者達がいる。

 皆、今の状況に不安を感じながらも私を信じ支えてくれているのだ。弱さを見せることは出来まい。

 意識を執務に戻す。今更自分に言い訳をしたところで、迷宮に向かうのは変わらないのだ。望む結果を残すしかない。

 ペン先を紙に走らせる。

 インクで記す文章に、これからどれだけの人間の命が左右されるのか。戦争など本で得た知識しかない身としては、この指示に自信は持てない。


「バリー、これをどう思う。」


 側に控える老人は、祖父の代から陰日向と仕えてくれている。そして、幼くして当主となった私の先生でもある。

 だから、いつもの様に紙を渡して内容を確認してもらう。

 行き過ぎたり、理想に過ぎたりする内容は指摘してくれるように頼んでいる。でなければ、いくら長年我が家に仕えているとしてもただの従僕が、当主に諫言するのは難しい。

 今渡した紙に書いたのは、王が募集を公布した場合の指示書だ。

 領民が他領にいくには、越境の為に身分を示す手形が必要だ。有効期限は長くなく、募集に応じる者も新しく交付してもらうだろう。

 指示は、それを交付する役所宛。

 迷宮に向かう者の手形に、私宛の紹介状を添えさせるというもの。


「紹介状ですか。目的を聞いてもよろしいでしょうか。」


「ええ。」


 頷いて、喉が乾いていたことに気づく。

 余裕のない自分に内心苦く思いながら、温めの茶を一口含む。

 バリーは私を急かさず、待っている。


「魔女を怖れて、自領を守るために徴兵するならともかく。今、私の権限で領内から迷宮に挑む者を集めるには、時間と周囲を納得させるだけの理由が足りない。自領ならともかく他領に武装した軍団を率いていくのは、侵略を疑われにいくようなもの。それに、募集をかけてから実際に人が集まるにも、時間がかかってしまうわ。」


 ここで、前提を話していないことに気づく。

 ああ、だめだ。落ち着かなければ。

 意識して深呼吸をする。


「だから、我が家は独自の募集を行わない。けれど、王がこの先、魔女を討伐するのに多くの民から兵を集めるのなら?多分、今の王宮が全て手配することはなく、各領地の統治者に委ねるでしょう。でも、その頃には、私は向こうにいる。」


 私が直接向こうに行くのを、少なからず良くは思っていないバリーの眉間に皺が寄る。

 私に悟られるように感情を表に出すなど、珍しいことだ。

 彼も疲れてきているのだろう。休ませてあげたいところだが、もうしばらくは無理だ。彼が休んでしまったら、私の仕事が増える。

 唯でさえ時間が足りないのに、それではたまらない。


「それなら、一度ここに集めてから移動させるより、直接、迷宮の街に拠点がある私の元に各自向かわせたほうが、無駄な時間と手間がかからないでしょう?紹介状は予め用意しておけば、手形を発行する際に添えるだけなのだし。」


 傍から見れば、若さや功名心からくる無謀にも見えるだろう。

 原作での魔女が固執する主人公が、本当に存在するのか。今後も原作知識が有用なのか違うのか。その判断材料をえるためにも、私は向こうに行く必要がある。

 それはエリザにも任せられない。

 同じ原作を知りながら、その知識には差がある。巨大で精密、多彩にして抽象的に描かれた絵画を少ない語彙で説明するような難しさが、この知識にはあった。

 先を知る弊害とでも言うのか。それとも物語における修正力と言うものか。

 互いに前提となる知識があって、初めて相手に伝わる。どんなに言葉を尽くした所で、前提が揃っていなければ、何故か相手は異国の言葉を聞かされているような感覚に陥るらしい。

 だから、心底信頼するバリーにも未だ漠然とした情報しか与えられない。

 すべてを打ち明けたい相手に、伝えられないのはなんとも歯がゆいことだ。


「……分かりました。では、この件は王による募集の公示があり次第、すぐに対応できるよう進めておきましょう。」


 口を閉ざせば、納得したような顔を見せ、指示書が私の手元に戻る。これに判を押してしまえば、正式な書類となる。

 納得してはいないだろうに。

 バリーは時折、今のように指示の意味を尋ねてくる。

 それは自分が聞きたいと言うよりは、指示に込められた私の意思を部屋にいる他の者達に聞かせようというものだ。

 何を考えているか分からなくてキモい、とは妹がだした私の評価だ。

 バリーもそう感じていて、そのような評価をもらう私の当主としての先行きを心配しているのだろう。だから、こういうことをする。

 だが、この一手間で周囲の理解を得られ、下手な誤解が生じないのなら行うしか無いだろう。不信を抱かれていては、安心して仕事を任せられない。

 

「ええ、よろしく頼むわ。」


 胸中の信頼と感謝を込めるには、口から出た音は軽く室内に響いた。



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