牡丹の春2
そして今に至る。
「良かった。また会えましたね」
少女は言う。だが、自分にそんな知り合いは居ない。
「あの、失礼ですがどちら様でしょうか」
まだ思考が停止しているようだ。間抜けな質問しか出来ない。
すると、少女は悲しそうな顔をして、
「見覚え、ありませんか?」
そんな事を言われても、こんな可愛い少女が知り合いに居たら忘れる訳が無いだろう。こんなに白い髪の、ん?白?白、狐耳、尻尾。まさか、
「まさか、神社の……?」
「はい、その白い狐が私です」
言うと少女は、屈託無く笑った。笑顔になると、また違った魅力が。素敵だ。
自分が絶句していると、
「でも、いきなり持ち上げられて全身撫でられた時はびっくりしましたよ。嫌な感触ではありませんでしたが」
あ、まずい。何がまずいって、この話を他の人に聞かれたら死ぬ。社会的に死ぬ。だから、
「あ、取り敢えず上がって」
部屋の中に引き入れた。その時狐――と本人は言っている――は、
「私は別に立ち話でも構わないんですがねぇ」
等と言っていた気がした。
「で、本当にあの狐なんだな?」
未だに実感が湧かない。そのせいで何度も同じような事を聞いてしまう。
「本当ですよぅ。……まだ信じてくれないんですか?」
何だか寂しそうだ。心なしか耳も垂れている。これはこれで可愛い。
「いや、信じてない訳じゃ無いんだ。ただ、確証が持てないと言うか……」
我ながら下手な弁解だ。ただ、本音なのも事実だ。
「そうですか……。どうすれば良いのでしょう……」
そう言うと少女は考え込み始めた。小首を傾げる様も愛らしい。と言うか、さっきから動作の一つ一つがツボを突いてきやがる。写真に収めたい位だ。
これが計算尽くなら恐ろしいが、天然なら天然で恐ろしい。
「そうだ!」
何か閃いたようです。この輝くような笑顔も良い。やはり笑顔が一番だ。
「これならきっと信じてもらえます!」
もはや言動の一つ一つが愛おしい。
「少し、後ろを向いていて頂けますか?」
後ろって誰の基準でだよ、とかはもう思わない。素直に従う。
直ぐに衣擦れの音がする。何だ、衣擦れか。
「!?」
思わず振り向きそうになるが、グッとガッツポーズ、じゃない、我慢だ。
ここで振り向けばラッキースケベとか言うレヴェルでは無くなる。
「もう良いか?」
「はい、構いませんよ」
何だかやけに声が下から聞こえてくるような。
振り向くと、
「!?……どういう事なの?」
真っ白いお狐様がいらっしゃった。少女が着ていた和服の上に。しかも誇らしげに。
「これで、宜しいですか?」
おまけに喋った。先程と同じ声だ。もう驚かない、とは思っていたが流石にこれは驚く。
「化かされてるんじゃあ、無いよな?如何に狐とは言え……」
「あなたを化かして一体私に何の得があるとお考えですか?」
「だよな」
さっきから頭が働いていない。仕事しろ仕事。
「ただ、まだ足りない」
「じゃあ、ふぁ!?」
抱き上げる。そしてもふもふ。もふもふ。もふもふ。
「ちょっと、いきなり何するんですか!」
狐が何か言っているが気にしない。もふもふ。ああ、この感触は確かにあの時の狐だ。
「いい加減に――」
この匂いも、そのままだ。それにしても本当に良い匂いだ。もふもふ。
「して下さい!」
殴られた。一瞬の内に戻っていたのか。全く気付かなかった。薄れゆく意識の中考えていたのは、それでもやはりもふもふの感触だった。あ、ちょっと待った。右手に包帯が巻かれている。
「これで良いですよね?」
案の定怒っていらっしゃる。しかもうっすらと涙まで。やり過ぎたと言う後悔と、やってやったと言う満足感がない混ぜになっている。嘘です、罪悪感と自己嫌悪で死にそうです。
「ごめんなさい」
言って五体投地をする。
「いえ、そこまでしてもらわなくても良いのですが……。ただ、加減と言うかタイミングを考えて下さい」
凄い冷静に説教されている。怒った顔も魅力的だ。
「……抱きしめたいと言って下されば好きなだけさせて上げますから……。」
それは幾分か小さな声だったが、自分がそのような事を聞き漏らす訳が無い。自分に都合の良い事は聞き漏らさない、それが地獄耳だ。
「つまり、頼めば好きなだけもふもふさせてくれるって言う事?」
我ながら酷い言い方だ。だが、好きなものは好きだから仕様がない。
予想通り、少女は顔を引きつらせながら、
「そう言う事で良いです……」
と仰られた。
「と言うか、聞きたい事があるんだけど良いかな?」
「はい、何で御座いましょう」
「何でここに来たの?」
そう、それがずっと気になっていたのだ。突然のMMTにすっかり飛んで行っていたが。
「何故ってそれは……、ほら、この国には昔から”一宿一飯の恩義”と言うものがあるじゃないですか!それですよ!」
微妙な間が気になるが。残念ながら、自分が格好良いから、とか言う理由では無かった。当然の結果か。
「"一宿一飯の恩義"って、別に泊めてはいないぞ?」
「でも、その代わり二飯も貰いました」
"二飯"と言う表現もあるのだろうか。
それ以前に、記憶が正しければ狐に与えたのは牛乳と鶏肉だ。それでも"飯"と呼ぶのだろうか。そう聞いてみると、
「助けてもらったのは事実ですから」
はにかみながら答えた。恥じらう姿も、また、良い。
「それに、怪我のお礼もありますし……」
見ればやはり右腕には包帯が巻かれている。と言うか、肌も白い。
「でも、他にも助けてもらった人が居るんじゃないのか?」
聞くと
「白い狐を珍しがる人は居ましたが……。皆捕まえようとしていました」
大方何処ぞへ売り飛ばそうと言う腹積もりだろう。何と言う卑劣。自然のものはできるだけ自然な状態に置いておくのが最善だ。
最も、眼の前の"狐"が果たして自然なのかと言う疑問はあるが。
「なるほど。でもって、どうするつもりなの?」
ここへ来た理由は分かった。次は目的だ。
「恩を返す為にお仕えしようかと……」
さっきから何処と無く古風な感じだ。全てが古風でないだけ、その部分が浮いている。いや、古風から脱しようとして抜けきっていないのか。
「恩返し、か」
「昔話でも助けた動物が恩返しに来るのは良くあるじゃないですか。鶴とか」
「鶴は正体を知られたら去っていったが」
この状況を"鶴の恩返し"に置き換えたら最初からクライマックスだ。
「例えですよ!例え!」
妙に焦っている。それもまた以下略。
「とにかく、ここで一緒に暮らしたく思います」
それはつまり、
「同棲をご所望、と受け取って宜しいですかな?」
またもや酷い言い方だ。ただ、他に思い付かなかったのだから仕様がない。
「そう……です……」
顔を赤くして答えた。言った後にそれがどういう意味を持つか思い至ったのだろう。"紅葉を散らす"と言う表現が良く似合う。
それにしても、"紅葉を散らす"と言う表現を考えた人は天才的だ。褒めて遣わす。
「でも、ここは見ての通り狭いぞ?まず、寝る場所を確保しないと」
ワンルームマンションにしては広いが、それでも所詮は一部屋だ。二人が別々の部屋で寝るのは無理だ。どちらかが収納で寝たり、風呂で寝ると言うなら別だが。
「一緒に寝るのは、駄目ですか?」
大胆なのか恥ずかしがり屋なのか良く分からない。
取り敢えず、
「同衾は……マズい……」
主に自分の理性が持たない。
するとまた、
「です……ね……」
赤くなった。可愛い。
「まあ毛布はあるから、君は布団で寝て。自分がソファーで寝るから」
そう、ここには何故かソファーが有る。まあ、自分が粗大ゴミの日に拾ってきたと言うだけの話だが。しかし、中々手入れされているようで、前の持ち主はさぞかし丁寧に扱っていたのだろう。年季も入っていそうだ。
「そ、そんな畏れ多い……」
「良いから良いから。そうしないと殺される」
誰にって?そりゃあ読者に。ん?読者?読者って何だ?
ふと、<……それ以上いけない>と言う言葉が聞こえてきた。
「殺される、のですか?それならお言葉に甘えさせて頂きます」
「まあ、言葉の綾だから気にしないで」
「そうですか」
さて、寝床の相談は終わった。後は、
「服、どうしようか。買いに行くにしても、それじゃあなあ」
言って、耳と尻尾に眼をやる。その視線を感じ取って、
「あ、その点なら大丈夫ですよ。必要なら消せますから」
消せるとはどういう事だろうか。聞こうとしたら、
「耳と尻尾を出しているのは、完全に人に成るより妖力が少なくて済むからなんですよ。今風に言えば省エネです」
顔に出ていたらしい。しかし、少女から省エネ等と聞くと、何処と無くミスマッチだ。
しかし、
「妖力か」
揚力とか用力では無いだろう。
「妖力です」
と言う事は妖怪か。それでは狐の方が本来の姿で、人間の方が仮の姿なのだろうか。その旨を聞くと、
「今の私にとっては、どちらも自分の姿です」
言うなれば、物質の状態変化か。変わる基準が温度によるものではなく意思による。
「なるほど。もう幾つか質問して良いかな?」
「伺いましょう」
「何で、耳と尻尾を出した状態で来たの?と言うか、何でここが分かったの?」
二つ目の質問こそ真っ先に聞くべきだったと思う。すっかり雰囲気に流されていたが。まあ、大方予想は付いている。
「ここが分かったのは、匂いを辿って来たからです」
予想通りだ。
「耳と尻尾については、そうした方が話が早いかと思ったので……」
そうだろうか。個人的には社会的に殺されそうになっただけに思えるが。
「もし、あなたの前に人間の――ようにしか見えない――少女が現れたら、さっきみたいな事が起こりえますか?」
「さっきのって、もふもふした事?」
違う事は百も承知だ。つまりこれはからかっているのだ。
「違います!昨日の狐だと分かった、と言う所です!」
やっぱり可愛い。
「ああ、はいはい。確かに、耳と尻尾があったからそう判断したんだよ」
「でしょう?」
なるほど、筋は通っている、気がする。取り敢えず、今聞いておくべき事はもう無さそうだ。
「……それに、耳と尻尾が好きそうなお方でしたし……」
小さな声だったが、はっきりと聞こえた。しかし、ここは敢えて聞こえなかった様に、
「ん?何か言った?」
「いいえ、何でも無いです」
無かったそうだ。また赤くなっている。
「なら、外を出歩くのも大丈夫か」
「はい」
「よし、早速服でも買いに行こうか」
即断即決、たまに優柔不断が特性だ。
「今からですか?」
「今からです。幸い、まだ店開いてるだろうし」
夕方と言ってもまだ早いだろう。こういうのは早めに済ませるに限る。
二人でこうして並んでいるとデートしているみたいだな、と考えながらデパートへ向かった。