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冷徹宰相の心バレ!?「閣下は私を想っています!」と自爆したら即、溺愛!

掲載日:2026/01/18

首席秘書官のアリシアは、魔法具『心の雫』の力で、冷徹な宰相・ザイン閣下の本音を聞いてしまいます。「帝国の氷狼」と恐れられる閣下の心の中は、アリシアへの不器用な溺愛で溢れていました。


閣下のギャップに戸惑いつつも、絆を深めるアリシアでしたが、勘違い同僚の追及から閣下を守るために、思わず「閣下は誰よりも私を想っています!」と宣言してしまい、ザインに読心の事実を悟られてしまいます。絶体絶命の危機かと思いきや、閣下は、真っ直ぐな言葉で愛を囁き始め――?


ハッピーエンド×勘違い同僚へのざまぁ展開あり

わずかに痛むこめかみに指をあて、自分の不甲斐なさに唇を噛んだ。


この私、アリシア・アファールが二日酔いで遅刻するなんて。

執務室へと続く廊下はいつもより長く感じ、見慣れたはずの黒檀の扉が立ちはだかる断崖のように見える。


扉に近づく前に、シャツの襟筋を正し、結いが甘いギブソンタックに、毛先を押し込みピンを刺し直す。そして心臓の上の赤いブローチにそっと指を当てて心を落ち着かせる。


二回、硬質な音を黒檀の上で響かせる。

扉の向こうから、短い入室を許可する声がする。


重い扉を押し開けた先――そこでは針のような視線が私を待っていた。

「……定刻を過ぎているぞ」

ザイン・ザクソン宰相――『帝国の氷狼』――その異名に相応しい威厳ある声音が執務室に響いた。


「遅れて申し訳ございません」


言い訳のしようがないし、するべきでもない。頭を下げ、後悔を飲み込む。こんなことで閣下を落胆させたくない。憧れの閣下のために働くことを夢見て、ここまで頑張ってきたのだ。


「良い。執務に取り掛かってくれ」


そう言うと宰相は広い机に散らばった書類に視線を落とした。咎めるような口調は無い。

その平坦な口調に、閣下の目に私の姿は入ってないのではという不安がこみ上げ、震える左手首を右手で押さえた。自分のミスで感情をあらわにするようでは、首席秘書官失格だ。

乱れる心を落ち着けて、そっと頭を上げたとき、宰相と目が合う。

閣下の瞳が、ほんの少し泳いだように見えた。かすかに不安げな視線。


敵国との苛烈な交渉、王族への堂々たる進言――いかなる窮地にあっても、その視線は氷柱のごとく揺るぎなかったというのに。

見てはいけないものを見てしまった気がして、再び頭を下げる。


(なんで?!どうしたんだろう?)


床の絨毯の模様を見つめながら、昨日のディナーでのエレナの言葉を思い出した。胸元に赤く光る家伝のブローチ『心の雫』の秘密。

魔法具オタクの親友、エレナは断言した。このブローチの宝石に触れている間だけ、特定の相手の『心の声』が、頭の中に流れ込んでくるのだと。その対象に選ばれるのは、持ち主が最も長い時間を共有している「運命の一人」――。


(私にとって、閣下がその一人の可能性は高い……)


宰相付き秘書官という職務柄、私は朝から晩まで、それこそ家族や恋人よりも長い時間をザイン・ザクソン閣下の傍らで過ごしている。冷徹で、隙がなく、誰もが畏怖する『帝国の氷狼』。そんな閣下の、誰にも見せない心の深淵を、私の指先一つで聞くことができる。

昨晩、ワインの勢いに任せてエレナとの馬鹿話に浮かされた熱の残滓が、胸の奥で熱く燻る。聞けるはずがない。聞いて良いはずがない。そう自分に言い聞かせながらも、私の指先は吸い寄せられるように、襟元で静かに脈打つ真紅の宝石へと伸びていた。

触れた指に宝石の硬質な冷気が伝わるとともに、心の中にはふわりと温かな風と、穏やかな声が流れてきた。


『アリシア……体調が優れないように見えるが……私から休息を勧めるべきだろうか……』


幻聴だと思った。

閣下が、自分のミスなど何とも思わず、ただ気にかけてくれ、労ってくれればいいのにという自分に都合の良い妄想。

耳障りの良い言葉はなおも続く。


『彼女は頑張りすぎてしまうからな……しかし、上司の私から休むのを勧めるのも彼女の意志をないがしろにしてしまうだろうか……』


ハッとして宝石から手を離す。同時に心に流れる温かな風が、跡形もなく消え去る。

「どうした?」

閣下の声に反応して顔をあげる。いつもと変わらない、何人も寄せ付けない峻厳な氷山のように整った表情。先程のゆらぎは見られない。

「あ、いえ、なんでもありません。執務を始めます」

気まずくて閣下の顔を見ることができず、きびすを返して書棚に向かう。

『心の雫』が死角に入ったのを良いことに、また触れてしまう。

再び心の中に、温かな風と穏やかな声が流れ出す。


『いつものガーネットのような落ち着いた赤はアリシアの堅実な知性そのもののようで趣があるが、今日の燃えるような赤も彼女を華やかに引き立てて、これもまた美しいな……』


閣下が自分のブローチの色まで把握してるとは思わなかった。気恥ずかしさと、心を聞いた気まずさとで顔が真っ赤になる。耳まで熱を持っているのを感じる。


『顔色が赤いようだ……風邪をひいているのだろうか……やはり私から休息を勧めるべきだな……』


「い、いえ、風邪というわけでは……っ」

「……ん?やはり体調が悪いのか?」

閣下が問い返してくる。

私は凍りついた。

しまった。

心の声に答えを返してしまった。

彼が「やはり」と言ったということは、今のは彼の「思考」だったのだ。

(あぁ、本物だわ。これ、本物の宰相閣下の本音なんだわ……!)

取り繕うように返事をする。

「い、いえ!大丈夫です!ご心配をおかけして申し訳ありませんでした」

「そうか、なら良いが、体調にはくれぐれも気をつけてくれたまえ」

「は、はい!もちろんです!」

閣下はかすかに怪訝な顔をしたが、すぐに書類に目を落とす。


それ以上、閣下の心の声を聞く気にはならなかった。ただでさえ仕事が手につかないのだ。

あの『帝国の氷狼』が自分を気にかけていると思うだけで、視線を感じてしまう。

この状況で平静でいられる人なんているわけがない。


その日の執務時間を終えて、すぐに建物を出る。冬の早い日没と寒さがありがたかった。頬の赤みをいくらか隠してくれるから。職場を後にして、私は親友エレナの魔法具工房へまっすぐ向かう。

「考えてみたら、魔法具も二日酔いも全部、エレナのせいじゃない!」

足早に石畳の道を歩きながら、エレナとの昨晩のディナーを思い起こしていた。



――二人の行きつけのレストランで、ワインボトルを一本空け、すっかり上機嫌になったエレナが、バゲットを齧りながら身を乗り出してくる。


「ねぇ、アリシア。いつもつけてるそのブローチ、ちょっと見せてくれない?それ古い魔法具だよね?」

エレナが指差したのは、私が肌身離さず身に着けている真紅の宝石を抱いたブローチ『心の雫』。

エレナの言う通り、アファール家に代々受け継がれてきた魔法具だが使い方がわからず、今では、私のお気に入りのアクセサリーの意味しかもたない。

「はいはい、魔法具オタクのエレナ様。お手柔らかにどうぞ」

苦笑しながら友人に手渡すと、彼女は酔いでおぼつかない手つきながらも、ブローチをひっくり返し、首から下げたルーペで調べだした。数分後、彼女は、くるくるの癖っ毛をかきながら、こともなげに断言した。


「……わかったわ。これ『他人の心の声』を拾い上げる魔法具ね」

「えっ、心の声!? それって……読心術みたいな?」


エレナから返されたブローチを受け取り、くすんだガーネット色の宝石をレストランのオレンジ色の灯りに透かしてみる。このお気に入りのブローチにそんな能力があるなんて知らなかった。


「今じゃもう、製法が失われた技術ね。超レアなんだから、大事にしなさいよね」

エレナは鶏肉のグリルの骨を手に取り、お行儀悪くかぶりつきながら解説を続ける。

「家族の誰からも聞いたことなかったけど……」

襟元の少し下、左鎖骨のラインに沿うように『心の雫』を着ける。いつもの定位置だ。

「使い方がわからなかったからじゃないかな?裏に書いてあるんだけど、神聖文字だから普通は読めないと思う」

「どう使うの?」

「簡単よ。中心の宝石に触れて「心を通わせ給え(ユンゲ・コルダ)」って唱えろって書いてあった」

「へぇ……「心を通わせ給え(ユンゲ・コルダ)」ねぇ」

いつもの癖で、ブローチに手を当てているのに気づかず、その言葉を口にしてしまった。

「あっ!馬鹿!」

エレナが止めたときはもう遅かった。


『心の雫』の赤い宝石がパッと光ったかと思うと、キラキラと光の小片を撒き散らし、くすんだガーネットのような色が、鮮やかなルビーの色へと変化していった。鮮やかな赤は生々しく、心なしか鼓動しているようにすら見える。

「これ、もしかして……」

エレナはバゲットに鹿肉のリエットをたっぷり塗りながら、他人事のように肩をすくめた。

「あーぁ。起動しちゃったみたいね」


「ええっ!?でも、別に何も変わった様子はないけれど……」

「そりゃそうよ。その魔法具、ロックした『運命の一人』の声しか拾わないの。しかも、宝石に触れている間だけしか聞こえない」

「そうなの?」

言われたとおりに、おずおずと真紅の宝石に指を触れ、目を閉じて、音に集中する。

だが、聞こえるのはレストランの喧騒と、エレナがバゲットを齧る小気味いい音だけ。

「……何も、聞こえないわ。やっぱりそんな力ないんじゃない?」

「とりあえず私がお呼びじゃないことだけは確かね。良かった。」

クスクスと意地悪く笑う親友に、私は聞いた。

「その『運命の一人』って、どうやって決めるの?」

「魔法具が勝手に選ぶの。持ち主が最も長い時間を共有している相手をね」

「選べないってこと?」

「選択肢なし。普通は愛する夫とか、生活を共にする家族が選ばれるんだろうけど……」


エレナは何か思いついたように言葉を切り、口角を上げた。悪いことを思いついた顔だ。

「アリシアって、実家を離れて久しいわよね?」

「ええ、そうだけど。だから私、心当たりなんてなくて」

「だから……ほら……いるじゃない。……あの『帝国の氷狼』様が」

「はぁっ!?ないわ、ないない! 絶対、ありえないから!」

危うくワインを吹き出すところだった。グラスをテーブルにたたきつけて否定する私をエレナは面白くてたまらないといった様子でいじり倒す。


「何言ってるのよ。アリシアはあの宰相閣下の首席秘書官様でしょ? 朝から晩まで、そこらへんの夫婦よりずっと長く一緒にいるじゃない」

「ちょっと、ふざけないで!仕事よ、純粋な仕事!」

「でもぉ、ああいう『仕事ができて隙のないクールな男』って、あんたのど真ん中でしょ?」

「……っ、閣下にそんな不敬な感情、持ち合わせるわけないでしょ!」

速くなってしまった鼓動から気をそらすように、ワイングラスの足を握りしめて強く反論してしまう。

「そぉかなぁ。言っとくけどアリシア、私と会ったときはいつも閣下の話ばっかり楽しそぉにしてるからね?!」

言葉に詰まる私を、エレナは意地悪そうな笑みで顔を覗き込んでくる。

「大体、人の本音が聞こえるなんて……そんな怪しげな魔法具、本当なの?私をからかってるだけでしょ」

「なっ……!この魔法具オタクのエレナ様を疑うわけ!?いいから明日、閣下の前でその宝石に触れてみなさいよ。……とっても『面白いこと』になるから!」

その晩、エレナの愛と悪意に満ちた楽しげな追及を躱すために、何杯ものワインが必要だった。


とにもかくにも、エレナの予想は正しかった。

『面白いこと』かどうかはともかく。



エレナの工房に着くなり、扉をノックせずに勢いよく開けて叫ぶ。

「ちょっと、エレナ!これ、本物!本物だったじゃない!」

「何言ってんのよ?昨日ちゃんと本物だって言ったでしょ……」

作業机に座りながら呆れ顔でハーブティーを啜るエレナ。

今日起こったことをまた思いおこしてしまい、両の手で頬を抑える。


「あ〜その反応やっぱり宰相様だったんだ?」

エレナが意地悪く目を細めて身を乗り出してきた。


「あの『帝国の氷狼』様、心の中では一体何を考えてるわけ?やっぱり帝国の財政とか、隣国への戦争の準備とか?」

「……っ、言えるわけないでしょう……!!」


閣下が、私のブローチの色が似合うだの、私を休ませるために、どう声をかけようか苦悶してたなんて、いくら親友のエレナ相手でも、恥ずかしすぎて言えるはずがない。閣下の温かな独白を振り払うために、頭を左右に振る。


「あらそう? まぁ宰相様だものね。知らない方が身のためってこともあるか」

エレナが否定のジェスチャーとして取ってくれたので助かった。これ以上追及されなくて済む。


「そんなことより!これ、どうやったら解除できるの?」

「えっと、確か起動の文言、心を通わせ給え(ユンゲ・コルダ)を叶えること」

「どういうこと?」

「つまり……今、アリシアは閣下の心の内がわかるわけだからぁ、あとはアリシアの心のうちを閣下に知ってもらえば……解除できると思う」

「バババ…バカ言わないでよ!そんなの無理に決まってるでしょ」

そんなことできるわけ無い。このまま身投げするか、他国に亡命したほうがマシだ。


「やっぱり、アリシア、閣下のことめちゃめちゃ意識してるよねぇ?!」

言葉に詰まる。また昨日のいじり倒しが始まりそうで、身構えるが、エレナはあっさりと解決策を教えてくれた。

「そんなに声が聞こえることが気になるなら、『心の雫』をつけないか、宝石に手を触れなければいいんじゃない?」

「え……?それだけでいいの?」

「当たり前じゃない?呪いのアイテムじゃないんだから……ところでハーブティー飲んでく?二日酔いに効くわよ?」

エレナが差し出したティーカップを呆けて受け取る。レモングラスの香りで焦りが安らいだ。

動転していて気づかなかったが、彼女の言うとおり、外せば良いだけの話だった。


――と、分かっていたものの、次の日も『心の雫』をつけたままにしていた。

言い訳なら山ほど出てくる。

長年、慣れ親しんだブローチだから、突然外すのは変。閣下も不審に思うだろう。

触らなければ普通のブローチと変わらない。

等々。


でも本音は、せっかくできた閣下との特別なつながりを手放してしまうのが嫌だったのだ。


ただ、できるだけ宝石には触れないようにした。

相手が誰であれ、勝手に心を覗くことが許されるわけはない。閣下相手ならなおさらだ。

繋がりを胸に秘めたまま、できるだけ平静に、何事もなく、淡々と仕事をしていけば良い。

そう思って毎日を過ごしていた。


――が、それでも、たまに心の声を聞きたいという欲望に負けることがあった。

閣下が自分にきつく当たる時、つい救いを求めるように、『心の雫』に手を伸ばしてしまう。


「アリシア。この報告書の情報が古すぎる。こんなもので陛下に具申できるか。やり直させろ」

「は、申し訳ありません、閣下。直ちに政務官へ差し戻し、修正させます」

宰相は、無造作に報告書の束を机の上に投げ出す。パサリと乾いた音が室内に響く。

その乱暴な言いように、横に立っていた同僚のカイル・ケストラ書記官が、ぎょっとした目を向けた。


「早急にだ。二度手間を取らすな」底冷えがするような低い声で告げる。

「は。承知しました、閣下」


頭を下げ、書類を手に取りながら、右手をそっと『心の雫』にあてる。

先ほどの冷たい声とは真逆の温かな声が頭の中に響く。


『いかんな……政務官のミスなのだからアリシアに当たるのも筋違いだが……どうも、つい意識してしまって、きつい言い様になってしまうな……気を付けなくては……アリシアは傷ついていないだろうか……』


閣下はあれだけ冷たい外見で、どうして心の中はこんなにも陽だまりのように温かな声なのだろう。言葉そのものより、その温かさを感じることができるのがどうしようもなく嬉しかった。

私は浮きたつ歩幅がバレないように、なにくわぬ顔で執務室を出る。

「失礼します」

重い扉を後ろ手に閉め、一息つく。


「ふぅ……」

そのまま私は執務室の扉を背に預け「ふふっ」と肩を震わせた。

だんだん分かってきた。閣下は、私の落ち度でない時には、余計にきつく当たってしまう癖があるようだった。ちょっとかわいらしいし、それを自分で自覚しているのもいじらしい。


上機嫌で政務官の居室に向けて歩を進めた時、執務室から同僚のカイルが出てきて、私に声をかけてきた。


「アリシア・アファール秘書官。少し良いでしょうか?」

「何でしょう?」

「先程の件ですが……書類の不備は、政務官の落ち度、あなたのせいではないのに、閣下はあなたに厳しく当たり過ぎかと」

気遣って言ってくれてるのだろうが、あの程度はいつものことだし、心の声とセットで聞けた今はむしろご褒美だ。

「いえ、そんな。ただの業務のご指示です。ご心配いただかなくても大丈夫です」

事務用の笑みをカイルに返す。

「そうですか……閣下は、首席秘書官のあなたを普段からないがしろにされているように見えて……公正ではないと感じております」

閣下は誰に対しても厳しいのだから、公正と言えば公正だ。私としても不満はない。

「大丈夫です。閣下は誰に対しても公正な方ですから」

「そうでしょうか……もしあなたに何かあったら私から閣下に申し上げることくらいはできると思います」

「えぇありがとうございます」

カイルは一歩私に近寄って熱っぽく「私はあなたのことを守ります」と告げて去っていった。

その時は、大したことに思ってなかったが、カイルは本気だったらしく、その日から何かにつけて私のフォローをするようになった。




翌日の執務室。

「閣下、こちら予算の草稿です」

私が閣下に書類を渡そうとすると、横からカイルが割って入る。

「そちらの草稿、アリシア秘書官の代わりに、私が責任を持って見やすいように完成させておきました。こちらを御覧ください」


閣下は2つの書類を前に、怪訝な顔をする。私は慌てて、カイルの書類を奪って、ざっと目を通す。やっぱりだ。書類としての見栄えは良いが、数字が書き換えられてるし、そもそも調整が済んでない部門の数字まで勝手に入っている。特に鼻息の荒い軍部の予算が無断で報告されたら大変なことになる。

私が言葉を失っていると、カイルは私の肩を叩いて満足気にウィンクする。

「遠慮しないでください。これくらいの雑用、僕が代わりにやっておきますよ」

雑用?これが?宰相府の予算編成の調整は、私の秘書官としての重要な仕事だ。

この無邪気に片目をつぶる男はそれが分かってない。眼が怒りで熱くなる。いけない。平静にしないと。


「アファール秘書官、軍部の調整には後どれくらいかかるかね?」

閣下は書類を手に取ることもなく、淡々と確認する。


流石は閣下だ、分かってらっしゃる。

声色こそ冷たいが、私にとってはジャムをたっぷり入れたロシアンティーのように心に染み入る言葉だ。


「は、軍部との調整にはあと一週間は必要かと」

「よろしい。ではアファール秘書官の草稿を先に見せていただこう。その上で、ケストラ書記官の資料も参考にさせていただく」


『心の雫』に手を当てるまでもなく、閣下の考えは手に取るようにわかる。

調整の済んでない数字には意味がない。閣下は私の仕事を尊重してくださっているし、カイルのやったことは余計なお世話だということだ。

閣下は書類を確認すると、来週の書類提出を命じて、退室した。


主が去った執務室は気まずい沈黙に包まれた。気まずいと思ってるのは私だけのようだったが。

「ケストラ書記官。こういったことは事前に言っていただかないと」

事前に言われたところで全力で止めた話だが。


「アリシアさん、遠慮しないでください。あなたは頑張り過ぎなんですよ」

カイルの屈託のない笑顔を見て、何を言っても無駄だという徒労感が心を占める。


その後も、カイルの下心見え見えのフォローは続き、そのたびにイライラさせられたが、ついに爆発する時が来た。



執務時間も終わりをむかえる冬の夕刻。

カイルが深刻そうな顔で執務室へ踏み込んできた。

彼は私を一瞥すると、閣下へと抗議の声を上げた。


「閣下、差し出がましいとは存じますが、意見させてください!」

「良い。聞かせてもらおう」と閣下は淡々と答える。

「近々行われる隣国との外交会談、アリシア・アファール秘書官が同席を外されると聞きました!彼女は閣下付の首席秘書官です。このような重要な場から彼女を外しては、秘書官としての立場がございません!」

カイルの突然の進言に、私は硬直する。

進言は好きにすればいいが、私のことを勝手に言うのはどうなのか。

会談に誰を同席させるかは閣下が決めるべきことで、そこに私の意見な

ど何も無い。私が異を発する前に、デスクの主は、氷の礫のような声を放つ。


「……瑣末なことだ。今回は機密性の高い会談ゆえ、秘書官であっても同席させぬ、それだけだ」


珍しく言葉にかすかな苛立ちがある。


カイルはなおも追及する。

「ですが、最近の外交の場ではいつも彼女だけが外されています!閣下は彼女を軽んじすぎてはいませんか?!」

それを聞いた宰相は何も言い返さなかった。どんな問答もたちどころに回答するあのザイン・ザクソン宰相が、このカイルの下心にまみれた、的はずれな進言に。閣下はゆっくり立ち上がりながら、複雑な表情で、カイルを見る。その視線にはわずかな揺らぎがあった。


『帝国の氷狼』の心のゆらぎを見るのは二度目。

でも、今の問答は閣下にとって問題になるようなものではなかったはずだ。

なぜ、閣下は当惑しているのか?閣下とカイルの視線が交錯している隙に、私は鼓動を抑えるように、そっと『心の雫』に指を添える。聞こえてきたのは意外にも苦悩に震える声だった。


『カイルめ……痛いところを……会談の場で、彼女を意識してしまうのを避けるために、彼女を外してしまうことは確かにあった……認めたくないが、公正とは言えない……あぁ……アリシアは私には過ぎた存在なのかもしれないな……』


その心の声はいつもの温かなものではなく、痛々しく、不穏な絶望の空気すら漂っていた。

まさか、閣下が私を意識してしまうという理由で、同席させていなかったとは!


閣下の唇が開く前に、私は閣下とカイルの間に割って入った。今、私が閣下を救わなければ。

黒檀の机の前に立ち、カイルを睨んで堂々と言う。


「カイル・ケストラ書記官!我々の職務はあくまで閣下の補佐。その在り方は、閣下の御意志に従うべきものです」

「……しかし、私はあなたが軽んじられているのが許せず……」

なおも言い訳がましい態度のカイルに、私は凛とした声で断言した。

「私は、閣下に軽んじられてなどおりません!」

小さく息を吸い、背筋を伸ばして、自分でも驚くほどの大きな声で宣言した。


「――閣下は誰よりも、私のことを想ってくださっています!」


静謐な室内を満たす決然たる一言に、閣下とカイルは呆気にとられたような顔をする。

「わかりました……アファール秘書官がそう言われるのなら」


私の思い切った発言に、毒気を抜かれたカイルがすごすごと退室する。

彼が重厚なドアを閉めた後、私は冷や汗をぬぐって一息つく。

力が抜けるとともに羞恥が込み上げてきて、足が震える。

とんでもないことを言ってしまった。

今、閣下の顔を直視できるとも思わないが、逃げ出すわけにも行かない。

ゆっくりと向き直る。


すでに日は傾き、白いレースのカーテンが朱に染まっている。

冬の夕映えを背負い、閣下は、棒立ちになっていた。

逆光でその表情は影に沈んでいる。

「閣下……?」

呼びかけにも反応せず、その眼は机の上のあたりをおぼろげに見つめるだけだった。


すがるように『心の雫』に触れる。

だが、流れ込んできたのは無のような静寂。

思考が停止しているのか、深く考え込んでいるのか。

その沈黙を切り裂いて、確信の声が弾丸のように放たれた。


「――私の心の声が聞こえているのか?」

『――私の心の声が聞こえているのか?』


現実の声と、脳内の声。それが初めて、ピタリと重なり合った。

バレた。

反射的に身を縮こませ、『心の雫』をより抱き込む。

閣下の素早い思考が、宝石から雪崩のように流れ込む。


『最初から?スパイの可能性?いや、アファール家は忠義の家系だ。ましてアリシアがそうである可能性はない。では、いつからだ?……思い出せ……あぁ!ブローチの色が鮮やかな赤へと変わった日か!私がまだ口にしていない「風邪」の話題に、彼女が先んじて答えたあの朝か!』


その間、僅か二秒。

近隣諸国から「帝国の氷狼」と恐れられる宰相は、その絶大な知力をもって、私との対話のすべてを反芻し、素早く正解へと辿り着いた。


「あぁ……そのブローチか」

『あぁ……そのブローチか』


あまりの頭の回転の速さに、私は唖然とする。同時に、恐ろしさと恥ずかしさと申し訳なさがないまぜになった感情に押され、指を『心の雫』から離す。


「も、申し訳ありません……!許されないこととは知りながら、閣下の声を聞いてしまいました」

激昂、解雇、刑罰、色々な選択肢は脳裏に浮かぶが、どれも良い未来ではない。

暗い予感が心をかき乱し、『心の雫』を千切るように外して床へと投げ捨ててしまう。

厚い絨毯の上で、軽い音をさせながら、ブローチが転がる。


無音の執務室の中、頭を下げ、閣下の断罪の言葉を待つ。

「心の声」は聞きたくない。

ただの言葉ならいざ知らず「心の声」で拒絶されたら、私は二度と立ち上がれない。

どうか、どうか許してほしい。その一心で耐える時間はとてつもなく長かった。


閣下は厚い絨毯に歩を進め、徐々に私に近寄る。

床に転がった『心の雫』を、優雅な所作で拾い上げる。

その鮮やかなルビー色の宝石を、彼は私の右の掌にそっと握らせ、身をじわりと預け、冷たい額を私の頭に、微かに触れるように当てた。

心に流れてきたのは温かな謝罪の声だった。

『私が至らないために、心配をかけてしまった……すまない……』


意外な言葉に頭を上げて彼の表情を見る。

彼は、いつもの氷像のような顔ではなく、申し訳なさを柔和に浮かべていた。


『アリシア、私は――私の想いは秘するべき――そう心に決めていた』


彼の心の声は、いつもの口調とは異なる純朴な響き。深く、重く。チェロの低音のように穏やかな響きが、心の奥底にある柔らかな部分を撫でていく。その確かな優しさに、彼の魂の手触りすら感じ取れた。


私は彼の本心を知っていたのに、『心の雫』を使い続けていた。

思えば、ズルいことだった。

彼の好意を知ってしまった今も、私は、私の心の何をも、伝えられていない。

何をすればいいのか、何を言えばいいのか。気持ちが千々に乱れてまとまらない。


こんなもの使うべきではなかった。

そう思っていても、今もすがるように『心の雫』を握りしめてしまう。

彼の心は疑いようがないのに。

私は私の心の弱さが恥ずかしかった。

そんな心を救うように、彼は私に彼自身の言葉と、鼓動ごしに伝わる心の声ではっきりと言ってくれた。


『愛しているアリシア、誰よりも何よりも』

「愛しているアリシア、誰よりも何よりも」


耳と心に二重に届くその言葉は、私の弱さも心の殻も、全てを打ち砕く金槌のような一撃だった。


「わ……私もです!」


私の決死で必死な回答。掌中の『心の雫』が想いが通じ合ったことを祝福するように、火花をきらめかせながら、燃えるような赤から、元のくすんだ赤へと色を変えていく。エレナの言った通り、二人の心が通じ合ったことで、魔法具はその活動を止めたのだった。

「なるほど。アリシアの思いが私に伝わったことで、宝石が眠りについたようだな」

彼の鋭くもどこか楽し気な洞察に目を丸くしていると、彼の目は獲物を狙うかのように私をねめつける。


「これからは私の気持ちは、私の言葉で、君に伝え続けよう。君に届くまで」

彼の大きく優しい両手が、私の震える手をそっと包み込む。

「は……はいっ……謹んでお受けいたします……」

私の震える声を拾い上げるように、彼は慈しみを持って、けれど力強く私を抱き寄せた。

その無言の抱擁から伝わる確かな鼓動と熱は、百万言の華美な言葉よりも雄弁だった。



翌日の執務室。呼び出され、不安げな表情のカイルに、閣下は淡々と告げる。

「ケストラ書記官。二つほど伝えなければならない事項があって来てもらった」

「は、なんでしょうか」

声色にも緊張が見て取れる。

「そうかしこまらないでほしい。いずれも君にとって好ましい話だと思う」

「は、ありがとうございます」

閣下の前向きな言葉に、カイルはようやく緊張を緩める。


「まず、昨日の君の進言通り、アファール秘書官を次回の外交会談から同席してもらうことにした」

「は、差し出がましい真似をしました。ご賢察、痛み入ります」

カイルは胸を張り、これ見よがしの勝利の視線を私に送る。

「君の言う通りアファール秘書官の能力と実績を考えれば、当然のことだ」

「アファール秘書官の活躍の場が増えるのは喜ばしい限りです」

閣下に答えながらも、カイルは私に目くばせを続ける。

「問題意識をもって直言する胆力は、君の美徳であると思う。大切にしたまえ」

「は、ありがとうございます」

カイルは背筋を伸ばして答える。その姿はこれ以上ないほど鼻高々に見える。

閣下が、珍しく微かな笑みを浮かべて、話題を切り替える。

「ところで、軍部が優秀な書記官を欲していてな。骨のある人材として、君を推薦しておいた。追って辞令があるだろう」

「は?」

予想外のことに戸惑うカイル。すがるような眼を私に向けるが、私ができることは何もない。

視線を合わせないのが一番だ。

「今回の進言でも、君の優秀さはよく理解できた。軍部での仕事は厳しいと思うが、君なら存分に活躍できるものと確信している」

「は……ありがとうございます」

宰相からの通達と激励という、一部の隙も無い発言に、カイルが異を挟めるはずもなく、肩を落とし、足を引きずりながら退室していった。一礼のために、閣下に向けた視線は宙を彷徨っていた。

黒檀の重い扉が閉まり、部屋を密に閉ざす。


二人きりになったのを確認して、私は閣下に声をかける。


「あきれた。公私混同じゃありません?そんなに他の男が私に色目を使うのが気に入らないんですか?」

「もう私の声は聞こえないのでは?」

彼の口調は冷たいが、わずかに気安い茶目っ気が混じっている。


「さて、どうでしょう?」

私の胸元で、くすんだガーネット色の宝石が誇らしげにきらめいていた。


(完)

最後までお読みいただきありがとうございました!


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