猫が暴く嘘 — クロエのカフェは真実の香り
王都の外れ。にぎやかな通りから少し離れた場所に、薄い青色の木製看板を掲げた小さなカフェがあった。
《Chat Noir》——猫のささやき。
店主は、元男爵令嬢のクロエ。
父が叔父に騙され、爵位も屋敷も奪われたあの日、わずかな金とともに追い出された彼女は、それでも前を向いて生きる道を選んだ。
──クロエには、誰にも言えない秘密があった。
猫と会話ができること。
今、王都では空前の猫ブーム。
あちこちの貴族の屋敷には猫が暮らし、そして…彼らは人間が気づかないところまでよく見ていた。
◇◇◇
その日、カフェの扉が震えるように開いた。
現れたのは、栗色の巻き髪の伯爵令嬢——イライザ。
「こ、困っているのです……クロエさん。誰にも相談できなくて……」
紅茶を前に、彼女は俯いた。
「婚約者のベルナルド様が、最近よそよそしくて。
私のこと…もう嫌いになってしまったのでしょうか」
ベルナルドは子爵家三男で騎士団所属。人当たりのよい爽やかな青年だとクロエも聞いていた。
だが、イライザの怯えた瞳は、ただ冷たくされたというだけのものではない。
「……気になる仕草や言動があったのですね?」
クロエの問いに、イライザは小さく頷いた。
「はい。
急にお金の話をしたり、私に隠れて誰かと会っていたり……。でも、私が考えすぎかもしれませんわ」
(いえ、考えすぎじゃないと思うわ)
クロエは心の中で呟き、そっと視線を足元に落とした。
彼女の足に、店の常連猫・黒猫のノワールが体をすり寄せてきていた。
『クロエ、あのベルナルドってやつ、しっぽの先っぽまで黒い感じするよ』
(しっぽの先っぽ……性根の話ね)
『うん。最近、王宮近くの酒場の裏で、別の女と会ってるの、オレ見たもん。白いワンピースの女。』
クロエは紅茶をかき混ぜるふりをして、猫語でそっと返す。
(他にも見た子はいる?)
『いるいる。騎士団の宿舎の猫たちも知ってるよ』
◇◇◇
その夜。
クロエはノワールに案内され、王都の猫たちの“情報交換会”に参加した。
屋根の上、塀の上、木の枝の上。そこかしこから猫が集まり、ベルナルドの話が次々に出てくる。
『あの男、すごいよ。いい顔してるくせに、裏じゃ女に金せびってるし』
『結婚したら伯爵家の金を使うつもりだって、酒場で言ってたわ』
『もう一人女がいるって噂も』
決定的だったのは、白猫のミルクの証言だった。
『私、聞いちゃったの。“イライザを手に入れたら一生金に困らない”って。』
クロエは震える拳を胸に押し当てた。
(イライザ嬢……あなたはこんな男に心を砕く必要なんてない)
◇◇◇
翌日、イライザはカフェに再びやってきた。
「クロエさん……昨日はごめんなさい。取り乱してしまって」
クロエは静かに微笑み、テーブルに封筒を置いた。
「イライザ様。これを、落ち着いてご覧ください」
封筒には、クロエが猫たちと協力して集めた“証拠”が入っていた。
酒場でベルナルドが他の女といるところを、常連客がスケッチした絵。
騎士団の馬丁から聞き出した、ベルナルドの借金の噂。
そして猫たちからの情報を元に突き止めた、ベルナルドの密会場所の記録。
ページをめくるごとに、イライザの顔から血の気が引いていく。
「……こんな。
こんな人だったなんて……!」
彼女の手が震えたが、その瞳には、昨日までの迷いはなかった。
「クロエさん。教えてくださって……ありがとう。
婚約は、破棄します。伯爵家として正式に手続きを進めます」
イライザは立ち上がり、深々と頭を下げた。
「あなたのおかげで救われました。
また…ここに来てもいいですか?」
「もちろんですわ。カフェはいつでもお待ちしています」
扉が閉まると、ノワールが尻尾を立てて誇らしげに鳴いた。
『やったね、クロエ!』
「ええ、ノワール。あなたたちのおかげよ」
クロエはそっと微笑み、猫の頭を撫でた。
今日もカフェ《シャ・ノワール》では、真実の香りが静かに漂っている。
──猫たちが見た“真実”を、誰かの未来のために。




