ノボワール
のちに、シルとニュートのスポンサーとなる、シティードームにあるアイソポッドの店。その階下には、傷痍軍人向けのメディケア室があり、医療マニュピュレータやインプラント調整のためのメンテナーがリモートで作業を行っています。
エンセライド属は半陸棲の多脚甲殻類型オルガノイドである。高重力下で進化しており、ここ、マンティコアのような低重力惑星で生活するにはサイヴォーグ化して、脳核だけ高圧下シェルで保護するのが経済的であった。
ノボワールは軍を退役後、今はシティにて武器商を営むアイソポッドの勧めでマンティコアに移住した。彼とは戦役を共にし、同時に負傷して退役した。最後の戦役下で、ノボワールは脳核以外の生体の殆どを失い、アイソポッドは其のニックネームの元となったように、一本の脚以外の他脚全てを焼かれたが、完全な医療再生処理を軍から受け、さらに軍役期間の延長を科される事を拒否した。
アイソポッドは、故郷の星よりも重力が弱いマンティコアであれば、一本脚で充分生活が可能であったが、エンセライドであるノボワールは、それでも、循環系の負荷を軽減するためにビレッジの塩湖下層の与圧区域に生命維持のためのコンパートメントを借りそこに脳核を格納していた。そんな彼にとって、予備役として軍から斡旋された特務はかなり魅力的なものだった。ある、衛士素体に転生する条件ではあったが、その間、彼の生体である脳核はレジュームされゴーストが離れる事になるが、インカーネーションとして、適合不安定性を抑制しながらだが、一定期間、5体満足な体で健在できる。セタセアンの体では、エンセライドの植民星に降り立つ事は叶わないが、何よりもクレジットを稼ぎ、後々民間の再生医療サーヴィスによって自身の体を取り戻すにしても効率がよかった。
「クローンでなく素体への転生なんて冗談じゃない!」
アイソポッドは、ノボワールの正気を疑っていた。そもそも予備役とはいえ、2人とも傷痍軍属身分、荒事の特務が回ってくる事自体おかしな話ではないか。
「ナーク、俺はお前の意見を聞きたいわけじゃない。この任務で、万が一の事があった場合に、俺の脳核のレジュームを解いてほしいんだ。後見を頼みたいんだよ。」
ノボワールは、アイソポッドの事を通名でなく軍役登録名であえて呼びかけた。アイソポッドは、ノボワールには借りがあった。エンセライドの丈夫な外骨格に守られなかったら、彼は、あの時点で蒸発して死に、運が良ければ軍病院でバックアップとして莫大な借金とともに復活できたかもしれないが、今でも軍役でこき使われる身分だったであろう。軍では、基本的に、軍にとって有用でない戦死者の復活は、遺族や後見のクレジット負担が保証されない限り永遠にバックアップ情報は棚入れされたままである。お互いに家族はいない独り身であり、生体死は非常にリスクが高かったのだ。
(脳核だけというのは、相当なストレスだろう。正常な判断とは思えないが…。)
アイソポッドは自身の多脚の再生処置を受けずに、ノボワールの体を手に入れるためにクレジットを積み立てていた。ここ、マンティコア星系では武器自体の流通量が荒事の発生率に対して低い傾向にあった。マンティコア自体の生身の戦闘力が尋常ではなく、顧客は主に他星系からの入植者や移民に限られていたからである。結局、彼らの顧客の殆どが軍属であり、収入の多くが特務関連の荒事処理に頼んでいた状況にあった。そんなこんなで、彼らの仕入れ先も自然と軍からの払い下げが多く、次第にその顧客は軍から遠い商業星系からとなり、ほぼ軍に依存した経営状況にあった。結局は、アイソポッドはノボワールの後見を約束しその脳核のレジュームを見届けることになった。
半陸棲とはいえ、その衛士素体はファーゴン製の植物汎用素体で完全陸棲の為、インプラントが補助脳として2足歩行の基本所作をサポートしていた。ゴーストの継承は上手くいったものの、本能的な不適合は無視できず、ゴーストが損耗するまでの猶予は72時間程とメンテナーの診断があった。仕事を終えたら、即座に元の生体脳に帰るか、適合する生体(軍は知性死にある生体のストックを確実に持っている)に継承を行う必要がある。ゴーストが無くなり、肉体死や知性死が早まるのを仕方がないとしても、自分自身の証明ができないということは、(ゴーストは生体暗号の鍵でもあるので)、最低限の生活もままならないだろう。
「意外に悪くない。」
覚醒して最初のノボワールの言葉であった。
彼にしてみれば、リモート健在よりもはるかにリアルな健在感であり、その久しぶりの感覚に半ば酔っていたのだ。
「安い帯域の制限されたインプラント越しの操作に比べれば、そりゃそうだろう。」
アイソポッドは半ば呆れた様子で答える。結局は折れて、ここ、シティの店のメディケア室を提供していた。
「帰還欲求も焦燥という表現は大げさだったな。」
(72時間という制限がありますから、残り12時間から強烈に発生します。)
メンテナーはそういうと、あとは問題なしと判断して通信を閉じた。
本来、転生体には帰還欲求は発生しない。また、植物素体には脳核が存在しないため、疑似脳核をライブラリインプラントにインストールし、そこにノボワールのロゴスを転生させたのである。
しかしアイソポッドの不安と忌諱感は晴れなかった。目の前の素体が、ノボワールであるという感触は、あるものの、では、自分が後見を託された、あの脳核は何者なのだろうか。本来であれば、レジュームされた脳核こそが彼のアイデンティティであり、ゴーストはその脳核に紐づけされるはずなのだ。レジュームによって仮死状態となったとしても。ブリーダかそれに匹敵する技術がなければ、今回の実験、(既にアイソポッドは何らかの、ライブラリ、軍の関与がある作戦でなく実験ではないかと考えていた。)は実施不可能なはずなのだ。
「ノボワール、浮かれているところ申し訳ないが、時計は進んでいるぞ。必ず、72時間以内に脳核の元に戻るんだ。」
アイソポッドの前には、アタッシュケース大の圧力容器があった。その中にはノボワールの脳核が納められ、ゴースト認証によって、脳核がレジュームから復活するように設定されていた。
「電池はどれくらい持つんだ?」
とノボワール。
「最低限の生体維持、高圧冷凍下にあるからな、そうだな、200時間程は持つはずだ。が、まさか、ギリギリまでその素体で活動するつもりではあるまいな?」
「活動限界を知りたいだけだよ。心配しすぎだ。それに、万が一でもゴーストは死なない。太極に帰るだけだよ、アイソポッド。」
「…。俺は太極信者じゃないし、お前がそんなリスクを冒そうとするなら全力で止めるぞ?」
「アイソポッド、俺は脳核しか生体が残っていない。この仕事までは、ある意味、自分のロゴス、記憶だけがどこかに存在していて、自身の健在自体を疑っている部分があったんだ。肉体記憶はバックアップがあったから、インプラントで完全に自身のロゴスが保存されていることは理解している。でも、分かったんだよ。」
躁状態に見えるが、そのペルソナは安定して見えた。
「何がだ?」
アイソポッドの素体は目の前のアタッシュケースを指さして言葉を探している。
そして、何かを諦められないような表情になると、絞り出すように、言った。
「これは、…。俺じゃない。」
「何を馬鹿なことを...。」
半ば、予想された言葉であった。断言できない何かがあった。
「ならお前は見たのか?俺の体から、生きた脳核が取り出されるところを。俺は、あの時、焼け焦げて死んだんじゃないのか?」
アイソポッドは、目の前の素体、確かにアイソポッドのペルソナであることを確認しつつも、ここで生まれたもう一つの疑念について、それを表に出さないように注意して答えた。
「見ているわけがないだろう?しかし、軍の記録に間違いはなかった。」
「俺の知る限り」
二人が同時に言う。しかし、アイソポッドの言葉に力はなかった。
「エージェントと軍管AIが言うにはだろ?」
”この認知世界には、嘘というものが無い。ただ、時に真実が隠されるだけだ。”
オプトポッドの格言を思い出し、アイソポッドは慎重に続ける。
「くだらない。DNA照合すれば済むだけの話じゃないか。」
そういいながらも、おそらく、記録は完全だろう。
少なくとも、アイソポッドとしては考えたくない、ある一つの可能性は、論理的に排除できなかった。
「この話は、いつでもできる。お前の体を取り戻すまで。兎に角、目の前の仕事を片付けてここへ戻ってこい。」
いつものように、そっけなく言うと、アタッシュケースを素体に差し出した。
その素体は、しばらくそれを睨んでいたが、数度頭を振ると、気持ちを切り替え、疑念を脇に片付けたのか、それを受け取った。
「ああ、なんにしてもやることには変わりはない。」
彼のメディケア室には、ライブラリからヘレニアがアクセスしていた。
目の前の結果に満足すると、ノボワールへその新しいインプラントに集合場所と必要装備について伝言を残し、回線を閉じた。
大8セクトの湖への襲撃の24時間前のことであった。
ノボワールの疑念には、ある程度の真実があることをアイソポッドは解っていました。
ヘレニアは軍だけでなく、既に、ブリーダとも手を組んでいますが、アイソポッドは企みに、少なくともこれがただ単に、ライブラリへのテロ情報行為を続けているニュートの鹵獲にある、とは単純には信じていないようです。




